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第43話 宝物のような日々に

 ウィステルが企画した催事『白花(しらはな)薫る味の旅市(たびいち)』は領民たちの笑顔に満ちたまま、惜しまれつつも幕を下ろした。そして催事の後処理を終えた数日後、ウィステルの誕生日と催事の成功を身内だけで祝うささやかなパーティーが開かれていた。


「まず、お祝いの料理を準備してくれた厨房の皆さんに感謝を。それから、誕生日を覚えていてくださったこと、とても嬉しく思います」


 会場となっている大広間のテーブルには、たくさんの料理が所狭しと並び、温かな湯気が立ち昇っている。せっかくの料理が冷めてしまう前に終わらせなくてはと、ウィステルは言葉の続きを口にする。


「今日は催事の成功のお祝いと、力を貸してくださった皆さんを労う会でもあります。わたくしの願いは催事に込めたものと同じです。美味しいものを手に、笑い合えるひとときを分かち合えたら嬉しいです。皆さん、遠慮なく飲んで食べて、楽しんでくださいね」


 挨拶を終えると、料理を取りに行くより先に皆が祝福の言葉を伝えるためにウィステルへと集まってきてしまった。食事をしながらお話しましょうと提案することで、ようやく料理を取りに散らばっていった。


 公爵家で勤める者として、いつもは規則正しく背筋を伸ばして働いている彼らが、今は思い思いの料理を皿に取り、味わっている。心を緩めた笑顔で気楽な会話を交わしている光景に、ウィステルの心は小さく震えていた。


 ラティマー領が災害に遭ったばかりの頃、被災地はまともな食事にもありつけない状態だった。炊き出しには何度も参加し、温かなものを口にするたびに涙を零して笑む領民の姿が頭に焼きついている。


 だからこそ、お腹も心も温かく満たされているこの瞬間の幸福が愛おしい。そしてキャスバート家の援助のおかげで、そんな生活がラティマー領にも戻ってきていたことを思い出していた。


「ウィステル、誕生日おめでとう」

「誕生日おめでとう。催事、お疲れさまでしたね」

「お義父様、お義母様、こちらへ足を運んでくださりありがとうございます」


 義父のアマドゥロと義母のヘレニーテが、離れの屋敷から会いに来てくれていた。今日のことはエルウッドから伝えていたが、ヘレニーテの体調次第では来られない可能性もあった。顔色も良く、穏やかな表情に、思わず安堵の笑みが零れた。


「私たちにも声をかけてくれて嬉しかったわ。それで今日は……少し話したいこともあって来たの」

「実は催事の日、墓参りの帰りに少しだけ様子を見させてもらった」

「賑やかで、皆楽しそうにしていましたね」

「え……」


 どうして声をかけてくれなかったのか、そう問おうとして、ウィステルは竦むように口を閉ざす。会場で声をかけてくれなかったのは、エオナックの誕生日に重ねて開催したことを良く思っていなかったからかもしれない……そんな不安が込み上げる。


「……それを見て、とても……懐かしい気持ちになりました」


 けれどヘレニーテはそよ風のように優しい声で、噛み締めるように言葉を紡ぐ。その“懐かしい”には喜びや悲しみ……そして寂しさが込められているような気がした。


「それと、フィセリオが笑顔に囲まれて……人の輪の中にいるのが見えて、やっと少しホッとできた」

「ウィステル、あなたはフィセリオの想いに応えてここへ嫁いでくれましたね。慣れない地で戸惑うことも多かったでしょうが、あの子とまっすぐ向き合って見守ってくれて……本当にありがとう」

「私もヘレニーテと同じ考えだ。ありがとう、ウィステル」


 以前までのウィステルであればきっと、“愛されていない妻なのに”と二人を欺いていることを申し訳なく思ったはずだ。けれど今は、そうは思わない。


「いえ、感謝しなければならないのはわたくしの方です。これからもキャスバート家のために尽くして参ります。至らないところもあると思いますが、よろしくお願いいたします」


 二人の感謝の言葉が、じんわりとウィステルの心に沁みてくる。愛されているかどうかではなく、フィセリオやキャスバート家のために、ささやかでも力になれていることが嬉しい。フィセリオと一つの嘘を共有し、二人でキャスバート家のために手を携えていけている実感が持てたことは、ウィステルの中でとても大きなことだった。


「父上たちと話していたのか」


 背後から声をかけられて振り向くと、フィセリオがこちらへと近づいてくるのが見えた。


「ベルフラムが、ナイフを入れる前に君にケーキを見てほしいと言っている。主役に見られる前に無惨に切り刻まれては、ケーキも気の毒だろう?」

「ふふ……それはそうね。いってらっしゃい、ウィステル」

「一年に一度しかない誕生日だ。今日くらい肩の荷を下ろして楽しんできなさい」

「……ありがとうございます!」


 温かな言葉が、柔らかな眼差しが──かつて両親が生きていた頃の記憶を呼び覚ます。胸に灯る温もりは同じではないのに似ていて、嬉しいのに……亡くなった人は帰ってこない寂しさが影のように寄り添う。


 ローワン兄様、お父様、お母様……わたくし、キャスバートの地でもとても大切にしていただいてます。だからどうか、心配しないで。


 ヘレニーテの思いの全てがわかるわけではないが、彼女の口にした“懐かしい”は、こういう気持ちだったのかもしれない。そんな寂しい温もりを胸に抱きながら、ウィステルはフィセリオと共にベルフラムのもとへと向かった。



* * *



 一人で身支度を済ませたウィステルは、今日のパーティーのことを思い出しながらソファへと座る。あとはもう寝るだけだが、お腹いっぱい食べてしまってまだ少し苦しい。本を読むか、先日届いたローワンへの手紙の返事を書くか迷っていると、フィセリオがどこかから戻ってきた。


「もう浴室から上がったのか。今日はハーブティーは淹れないのか?」

「たくさん食べ過ぎて、もうハーブティーが入る隙間もありません……!」

「はは、そういえばそうだったな」


 ふわりと鼻を掠める熟れた果実のような甘い匂いが、フィセリオがわかっていてとぼけていることを証明している。誕生会の主役なのだからと皆に勧められるままに食べ、お腹がはち切れそうになっていることは隣で見ていたフィセリオなら覚えていて当然だった。


 ウィステルはソファから立ち上がり、ローワンへの返事を書くことに決めて部屋の隅にある机へと向かう。けれどその腕をフィセリオに掴まれた。


「待ってくれ。何か書き物をするのか?」

「はい。ローワン様へ返事を書こうと思ってたところでした」

「すまないが、少しだけ私に時間をくれないだろうか」


 焦るようなフィセリオの反応に疑問を抱きながら、ウィステルはソファへと戻る。彼は棚の奥から何かを取り出すとウィステルの正面のソファへ座り、こちらへと差し出す。


「これを、君に……よければ受け取ってほしい」


 差し出されたものを受け取ると、四角く固い質感が手のひらに伝わってくる。上質な紺色の包装紙に包まれ、麻紐が控えめに結ばれていた。包装を解くと中身が姿を現す。落ち着いた木の色が美しい箱には、見慣れた焼き印が押されていた。


「これは、ラティマー領の工房の焼き印ですよね? わたくしの誕生日のために、フィセリオ様が用意してくださったのですか?」

「用意したのはそうだが……誕生日のためにというのは嘘になるな。ウィステルへの贈り物にしたいと伝えたら、職人たちが誕生日に渡すものだと思い込んで間に合わせてくれた。とにかく、中身を見てほしい」


 フィセリオに勧められて蓋を開くと、中には白磁の細長いものと容器が収められている。よく見るとそれは白磁でできたつけペンとインク壺であった。


 白磁の軸にはラティマー家の象徴であるツバメとキャスバート家の象徴である月桂樹が絵付けされている。インク壺も白磁でできており、そちらにも蓋の上に同じモチーフが描かれていた。


 二つの家の象徴がそれぞれ一つずつ描かれているということは、これは特注品だ。いや、白磁のペンなんて見たことも聞いたこともない。フィセリオが考案し、依頼したものであることを物語っていた。


 信じられないという思いと喜びに、ウィステルは言葉を失っていた。そっとペンに触れると、つるりとした滑らかな質感が指先から伝わってくる。


 胸の奥が苦しいほどに熱くて、まぶたの裏までじわりと熱を持つ。胸がいっぱいという状態は、きっとこのことを言うのだろう。


「工房に無理を言って作ってもらったものだ。白磁のスプーンを持ってペンを作ってほしいと依頼したら、ローワン殿も職人も呆然としていた。気に入ってもらえると嬉しいが……」

「ふ……ふふっ」


 白磁のスプーンを片手に真面目な顔で話をつけにいったフィセリオ。そして狼狽するローワン。二人の姿を想像して、笑いがこらえきれなくなってしまった。


「とても素敵な贈り物をありがとうございます。そこまで心を傾けてくださったフィセリオ様と、職人の方々の思いの結晶なんです。わたくしにとってこれは、何にも代え難い宝物になりました」


 このペンにはフィセリオの考えが詰められている。ウィステルのラティマー領を愛する気持ちを尊重してくれたこと。ラティマー領の製品を贈り物にできる品質として認めてくれたこと。そしてそれをこうして一つの形にして示してくれたこと。それらの全てが、ウィステルには輝いて見える。


「私の思いに、君は価値を見出すのか……?」

「はい。そんなに変なことではないと思うのですが」

「そう、なのか……なら、ペンは使ってくれるか?」

「もちろんです」


 フィセリオは意外だとでも言うように目を丸くし、やがて安堵して肩の力を抜きながら目を伏せた。彼でも贈り物をするときは緊張するものなのだと、ウィステルはそちらを意外に感じていた。


「せっかくですから、ローワン様の返事を書くのに早速使わせていただきますね」


 ウィステルは箱ごと机まで持っていき、早速ペンを手にする。便箋を取り出して、インクをつけたペンを走らせた。軸は程良い太さと質感でしっくりと手に馴染んで書きやすい。


「書き心地もとても良いですね」

「職人の腕が良いんだろう。君に喜んでもらえたことが何よりだ」


 ローワンへの返事は、白磁のペンについても書こう。内容を考え、会話しながら、フィセリオと肩を寄せ合って便箋へと文字を綴っていった。


 ささやかで、温もりに包まれた日々。全てが少しずつ……少しずつ良くなって、未来を拓きつつある。このときのウィステルはそう思っていた。


──けれどそんな幸せも、長くは続かなかった。

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