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第4話 揺るぎない仮面

 華やかな祝宴も静かに幕を下ろし、喧騒も(まば)らになっていく。ようやくゆっくり休めると思ったウィステルは、キャスバート公爵家の侍女たちに巻かれるように連れられていった。


 あれよあれよという間にドレスやら装飾品やらを、芋でも剥くように脱がされ、寝室へ繋がっているという浴室へと追い立てられていく。


「あの、一人でできるので……お構いなく……」


 家が傾き、これまで通りの給金を支払えなくなったラティマー伯爵家は、従者たちに暇を出すしかなかった。今残っているのは、薄給でも残りたいと言ってくれた少数の従者のみ。ウィステルは自身の身の回りのことを覚え、一通りできるようになっていた。


 そんな事情を知ってか知らずか、先ほど世話を焼いてくれたジャスミンという侍女を中心に、数人の侍女に詰め寄られている。


「なりません。今宵は大切な初夜ですからね!」


 なぜ彼女たちはこんなにも楽しそうなのだろう。なぜそんなにも目を輝かせているのだろう。なんとも言えない圧と、公爵家の洗礼を浴びながら、浴槽に身を沈めて縮こまる。


「でも、わたくしが自分ですれば手間が省けて良いのでは? 貧乏伯爵家の娘の世話など、気も乗らないでしょう……」


 公爵家の侍女ともなれば、他の伯爵家や子爵家などから働きに来ている侍女もいる。ラティマー家と同格、もしくはこちらよりも遥かに裕福な家のお嬢様だ。


 そこでウィステルは、カマをかけることにした。わざと卑屈な発言をし、侍女に喋らせる。侍女はたとえ元格下とはいえ、主である公爵の妻になった人間に暴言は吐けない。絶対に否定を口にする。その否定の言葉と感情に齟齬(そご)があるとき、それは嘘となって匂いを放つ。


「何を(おっしゃ)るんですか……あのフィセリオ様を射止めた奇跡の方なんですよ! もっと自覚を持ってください!」

「……え?」


 ジャスミンの声にも、それに賛同する侍女の声にも、嘘の匂いは混じらない。突然鼻が利かなくなったのかと疑ってしまいたくなるほど、浴室内は石鹸の淡い香りしかしなかった。


「ウィステル様は宝石なのに、ご自分をただの石ころだと思ってるんですね。どうぞご安心ください。私たちが腕によりをかけて、宝石であることを思い出せるようにしますから!」

「待っ、ちょっと、待って──」


わからない。

キャスバート家の人間、誰一人理解できそうな人がいない……


 くらっとめまいがするのは、浴室の熱気のせいだろうか。持ち上げられては落とされ、落とされては持ち上げられるように、心を弄ばれているような気さえしてくる。


 侍女に取り押さえられるようにして、ウィステルはされるがままになるしかなかった。ぼんやりと浴室の天井を眺めながら、品のある花の香りに包まれていく。湯の温かさもマッサージも気持ちはいいが、心の方は全く落ち着きそうになかった。



* * *



 しっかり磨き上げられてしまったウィステルは用意されていた部屋着に袖を通し、一人で寝台の上でフィセリオを待っていた。自身が使った浴室の反対側、寝室へと通じるもう片方の浴室に今、彼はいる。


 夫婦別室も珍しくないというのに、寝室は同室。二人用の大きな寝台。愛してはいないが、愛しているフリだけはとことん徹底されている。


性急に求めるほどの恋を演出するなら、これくらいでちょうど良いのでしょうね……


 これだけやっておけば、万が一にも疑われないと踏んでいるのだろう。同時に、多少の嘘の綻びも帳消しにできるだけの事実として残せる。この部屋の様子と対応からも、ウィステルの中にある一つの仮説が補強された。


 思い出すのは、浴室での侍女たちとの会話。偽りなく純粋に仕事に精を出す姿。それに対し、嘘の愛を囁く公爵家当主。そこから見える一つの可能性……それは──


キャスバート様は、公爵家に属する者たちすらも欺いているのかもしれない。


 ジャスミンはウィステルを『あのフィセリオ様を射止めた奇跡の方』と表現した。そこに嘘が混じらないということは、少なくとも彼女は、フィセリオがウィステルを心から愛し、妻に迎えたと信じているということになる。


けれど、フィセリオの愛の囁きには必ず“嘘”が混じる。


 自身を慕う者たちを裏切るような真似をしてまで、フィセリオはなぜウィステルを妻に迎えたのか。その真意が見えない。ただ確実なのは、彼がウィステルを『愛していない』ということだけ。


 嘘を見抜きながら、ここまで真意を掴むことのできない相手は人生で初めてだった。それも、兄のローワンと知恵を合わせても届かなかったような相手。油断できない。もう間近に迫っている初夜が恐ろしくてたまらない。


わたくし……本当に大丈夫、ですよね……?


 初夜という言葉を聞くのは初めてではない。その言葉の意味や意義については理解しているが、詳しいことはあまり知らなかった。けれど急遽嫁ぐ事になったウィステルに、ローワンは尋ねてきた。


『初夜、もしくは夜伽について、父様か母様か……何か聞いていることはあるか?』


 聞いていた話を全て伝えると、ローワンは何も言わず深いため息をつき、絶望したように天を仰いでいた。しばらくの沈黙のあと、あまり気乗りしない様子で簡単に説明してくれた。


 語られた内容は、想像していたよりもずっと“甘くない現実”だった。それはきっと、きちんと役目を果たし、厳しい現実に傷ついてしまわないように、という気遣いからだったのかもしれない。


『何があっても、絶対に自分を責めるな。これは兄様との約束だ。いいな?』


 あのときのローワンの真剣な眼差しと、静かに沈んだ声。必死に訴え、説得しているかのような逼迫感(ひっぱくかん)を思い出し、緊張で体が強張る。


 何があっても、とは一体何が起きるのか。具体的なことまでは聞かされていない。せっかくきれいにしてもらったのに、ウィステルはさっそく冷や汗をかき始めていた。


 膝に置いた手をギュッと握りしめたとき、カチャっという静かな金属の擦れる音と共に浴室へと通じる扉が開く。部屋着に着替えたフィセリオの姿は正装のときよりも緩く見えるのに、思わずピッと背筋が伸びた。


「ずいぶん賑やかだったが、浴室はお気に召してもらえただろうか?」

「賑やか……でしたか?」


 フィセリオはこちらへ視線を向けるなり、表情を和らげる。外で振る舞っているときは計算され尽くした微笑という印象だったが、今の笑みはほんのりと柔らかく見える気がした。


「寝室に戻ってきたとき、浴室から君と侍女の楽しそうな声が聞こえてきたので」

「そうですね……とても広い浴室で驚きました。わたくしの屋敷の浴室は、こんなに広くないものですから」


 まさか侍女たちとの会話を聞かれていたとは思わず、しどろもどろになってしまう。嘘が上手い人は、嘘や取り繕っていることを見抜くのも上手い。ものすごく視線を泳がせてしまい、隙を見せるような失態に苦い気持ちが込み上げた。


「緊張してるのか?」


 フィセリオが隣に腰を下ろすと、寝台が軋んで沈み込む。兄のローワン相手ですらなかなかこの距離になることはないというのに、なんの躊躇(ためら)いもなく縮められて、ますます体が強張っていく。


 浴室で温まってきたばかりの彼の体温が、空気を伝ってこちらへと染み込んでくる。じわりと侵食されていくようで身を引きたいが、妻になる覚悟をしてきた以上そういうわけにもいかず、静かに手を握りしめて踏み留まっていた。


「心配しなくとも、何もしない。君の気持ちが追いついてからで構わない」


 労るように背中に添えられた手に、無意識に細くなっていた呼吸が元に戻っていく。


「キャスバート、様……?」

「君もキャスバートのはずなんだが……」

「あっ……! 申し訳ござ──」

「いや、君の心が伴わないままに婚儀を急かしたのは私の方だ。気に病まないでくれ」


 銀灰の瞳に魔石灯の柔らかな色を灯し、温もりのある眼差しで困ったように微笑んでいる。そんな計算の気配を感じない表情すら信じていいのかわからなかった。あれだけの表情が取り繕える人なのだから、この程度の調律も余裕でこなしてしまいそうで怖い。


「けど……私のことはどうか“フィセリオ”と呼んでほしい」

「それはいくらなんでも、畏れ多い、です」

「君は私の妻だ。もっと堂々としてていい。それに私自身も、早く君と親しくなれたらと思っている」

「えっと……」

「困らせてしまったみたいだな。すまなかった」


 嘘の匂いのないままに続く会話に、正直戸惑っていた。これまでの張り詰めたやりとりはなんだったのかと問いたくなるほどの穏やかな空気。少し彼に対して警戒しすぎていたのかもしれないという罪悪感と、油断してはならないという警告が胸の内でせめぎ合っていた。


「ぜ、善処します。フィセリオ、様……」

「あぁ、嬉しいよ……ありがとう」


 領地への援助の見返りとして妻になると決めた以上、フィセリオの願いには最大限応えなくては。愛想が尽きれば……いや、彼が見出した何らかの“利用価値”が失われれば、突然手を切られる可能性は十分にある。


 そんな打算じみた考えで呼び方を変えただけなのに、フィセリオは感激したようにその瞳を潤ませていた。


「今日はもう休むといい。おやすみ、ウィステル」


 夜風のような優しい声色に、熱と甘やかな響きが乗って耳へと届く。フィセリオは人差し指でウィステルの指先を掬い取ると、目を伏せてそこに口づけた。不意を突かれたような行動に、思わず引きつりそうになる頬を唇ごと引き結んで固める。


「は、はい、おやすみなさい。フィセリオ様」


 ウィステルはぎこちなくフィセリオから離れ、なぜかそろそろと気配を殺しながら布団の中に潜り込んだ。間もなく明かりが落とされると、背中の方で彼が布団の中へ入る気配がした。


 少なくとも、親しくなりたい、名前を呼ばれて嬉しい、という部分に偽りはなかった。これまでずっと嘘の愛や抜け目のない姿を見てきたせいか、小さな気遣いが妙に胸の奥に響いてしまう。


時間を重ねていけば、いつかは──


 今の彼を好意的に解釈するのは危険だ。“嬉しい”という言葉の裏側にあるものが、“その方が都合がいいからありがたい”という打算だとしたら、それは“嘘ではない”のだから。『嘘を見抜けても、真意までは知ることができない』とはこういうことなのだと噛み締めながら、ウィステルは固く目を閉じて眠りを待った。


 いつもは一人で眠っているからこそ、静かな部屋に感じる彼の息遣いがやけに耳につく。この気配に、いつか慣れる日は来るのだろうか──

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