第39話 消してしまった未来【フィセリオ視点】
儀礼のダンスを終えたあとは、王家、公爵家同士で挨拶と親睦を兼ねたダンスを一曲ずつ済ませていく。残すところは、キャスバート家の政敵にあたるフェアファクス公爵家のみとなっていた。
元々四つの公爵家は、建国の際に王家に仕えていた側近の騎士たちから始まった家系だ。初代同士の仲は良好で、本来であれば互いに協力していくべき関係であった。
だが、数代前の当主が海上の利権を争い始めてから均衡は崩れた。国の南に位置しているフェアファクス家は、長らく南方のナファルラク王国との交易の窓口であった。そこへ、船舶技術の向上に伴い、ナファルラク王国の別の港への航路を開拓したキャスバート家が交易を始めたのだ。
ナファルラク王国からも、ウィンブリージア王家からも承認は得られている。しかし、既得権益を侵害されたフェアファクス家の怒りを買うのも当然のことだった。そしてその炎は鎮火することなく、火種となって燻ったまま今に至る。
「ウィステル、無理はしていないか?」
「はい。まだ大丈夫です」
ダンスを終えてすぐウィステルを迎えに行き、声をかける。にこやかに答える彼女に、まだ明確な疲労の色はない。順調に公爵夫人としての役目を果たしてくれている。
けれどフィセリオの心は薄雲ったように晴れない。頭では義務だから仕方ないと理解しているのに、自分以外の誰かと踊っている事実に心なしか胸がざわついた。
「フィセリオ様、ウィステル様。フェアファクス公爵家のシスル・フェアファクスです。ご挨拶に伺いました」
声をかけられて視線を向けると、そこにいたのはフェアファクス公爵夫妻ではなく、彼らの子であるシスルとアマリリアだった。兄妹揃って淡い金髪に紫水晶のように鮮やかな瞳を持ち、面差しも似ている。
「アマリリア・フェアファクスですわ。お父様から、ご挨拶をと仰せつかって参りましたの。年齢が近い方がお話も合って楽しいでしょう、と。あたくしたちと、ぜひ一曲踊っていただけませんか?」
「アマリリア、言われたそのままを口にするものじゃないよ。申し訳ありません、妹の非礼は僕がお詫び申し上げます」
ふわふわっと無邪気に笑ってあけすけに喋るアマリリアに、シスルは焦りを滲ませながら謝罪を口にする。その態度が素なのか演技なのか、フィセリオは迷っていた。
演技にしてはアマリリアの発言は浅慮で、シスルは下手に出過ぎている。だが素だというなら、“あのフェアファクス公爵夫妻”とは言動が似ても似つかなくて困惑する。
下位貴族の子息令嬢ならともかく、シスルは公爵家の嫡子で、アマリリアは公爵令嬢だ。それも二人を育て、その背後にいるのが“あのフェアファクス夫妻”でもある。
罠か、囮か、捨て駒か、はたまた自分たちの思惑があるのか……言葉を選ばないなら「なんだこれは」という一言に尽きる。
「いえ、お気になさらず。お目にかかれて嬉しく思う」
──何をしに来た?
彼らの両親はやり方の陰湿さが顔や言動に滲み出ているが、この二人からはそういったものを感じない。とはいえ、フィセリオはこの二人を断定できるほどの面識がなかった。
元々政敵同士で関係が薄く、年代的にはウィステルと同年代でフィセリオとは若干ズレている。判断できない以上、本心を隠すことに長けている人間として警戒すべきだろう。そう考えているフィセリオとシスルたちの間に、ウィステルがそっと立つ。
「フィセリオ様、シスル様とアマリリア様はラティマー家がフェアファクス派だった頃に交流がありました。“お二人は”とても“誠実”でお話ししやすい方なんですよ」
ウィステルは、いつも以上に笑みを深くしてフィセリオに微笑んでいた。フェアファクス家へ思うところのある彼女が、庇う必要もないシスルとアマリリアを“誠実”と評価した。
それが、二人は見た目通りの人の良さそうな性格に近く、警戒すべきは彼らを差し向けた両親だ、と暗に告げている。嘘を見抜き、フェアファクス派として関わり、フェアファクス家をよく思っていないウィステルだからこそ、間違っていないと信頼できた。
それは社交場でありとあらゆる危険性に思考を巡らせるフィセリオに出された、ウィステルからの助け舟であった。警戒するべき部分が減り、真に警戒すべきところへ集中できるように彼女が整えてくれたのだ。
さり気なくも細やかな配慮……守るべき存在だと捉えていたウィステルに守られていることに気づき、疼くような熱が音もなく胸の奥に灯る。共に責務を背負い並び立つ人が傍にいることが、これほど心強いものであることを初めて知った。
「まぁ! ウィステル様がそんなふうに思っていてくださったなんて。あたくし、とっても嬉しいですわ!」
アマリリアは両手を胸の前で組み、感激したように笑みを咲かせる。ぴょこぴょこと体を揺らして喜ぶ姿は、フィセリオの知る年齢の情報よりも幼い印象を受けた。
「……そろそろ曲が始まるようですね。一曲お相手よろしくお願いします、ウィステル様」
「はい、よろしくお願いいたします」
シスルが手を差し出し、ウィステルが軽く一礼をしてから手を取る。胸の奥でチクッと何かが刺さったような痛みがしたが、視線をアマリリアへ向けた次の瞬間にはもうなくなっていた。
「アマリリア嬢、私たちも参りましょうか」
「フィセリオ様と踊れるなんて、光栄ですわ」
アマリリアへ手を差し出すと、彼女は淑やかに一礼する。先ほどの幼い言動とは打って変わって、きちんと公爵令嬢としての礼儀を身につけてきている者の所作であった。
間もなく曲が始まり、一歩めのステップを刻む。アマリリアは公爵令嬢ということもあって、やはりダンスそのものにも慣れている。ウィステルの少しの戸惑いを感じる足運びと違い、彼女には一切の迷いがなく伸び伸びとしていた。
「フィセリオ様とウィステル様は、とても仲が良くていらっしゃいますね。羨ましい限りですわ」
探りを入れろと言われて来たのか……?
「よく言われます。アマリリア嬢も、そろそろ婚約者を持っても良い頃なのでは?」
「そうですけど、お母様がなかなか許してくださいませんの」
フェアファクス公爵夫人は狡猾で抜け目がない。娘であるアマリリアの婚約相手も慎重に吟味しているらしい。表では自由恋愛の美しさを謳っているが、内情はこんなものだ。
「ロクシーナ殿は審美眼に優れたお方ですからね」
「そう言っていただけて光栄ですわ! うふふ、お母様の言った通りですわね」
「ロクシーナ殿が、なんと?」
「キャスバート家のフィセリオ様は、とても素敵な紳士だと申しておりましたわ。今日は“たくさんのことを学ばせてもらいなさい”と」
フィセリオのわかりやすい探りの言葉にも、アマリリアは笑顔で疑いなく受け答えてしまう。ウィステルは“誠実”という言葉で悪意のなさを伝えてくれたが、これは誠実というよりは“良くも悪くも無垢”という印象だった。
この性格で高度な探りをさせるのは無理だろう。疑うことも隠すこともなく、こうして言われたことを言われたままに全て明かしてしまう。だがそれを逆手に取って利用しているのが彼女の両親であるフェアファクス夫妻だ。
アマリリアは無邪気に愛嬌と笑顔を振りまいて懐に飛び込み、情を誘う。恋情か、憐憫か、庇護欲か……どれでもいい。こちらの心が惹きつけられた瞬間、彼女の“勝ち”になる。
アマリリアという餌で警戒を緩めさせ、隙を作る。そうして夫婦間に亀裂を入れ、火のないところに煙を立てようという魂胆なのだろう。
誤解を招くような動きは噂の種にされ、命取りになりかねない。ダンスのあとはさっさと距離を置くか、ウィステルを挟むのが良さそうだ。
「私から学べることなど、“微笑み”と“誠実さ”くらいのものです。アマリリア嬢はどちらも兼ね備えている。ロクシーナ殿のご期待には添えないのが残念だ」
単純な言葉で、アマリリアにもわかるように一線を引いてやった。こちらは一欠片も靡かないという意思表示だ。そもそもこの程度で情が動くような人間なら、ウィステルを打算で娶って傷つけるようなことはしなかっただろう。皮肉な話だ。
「そんなこと仰らないでくださいませ。あたくし、恥ずかしながらフィセリオ様のことをよく存じ上げておりませんでしたの。けれど今日、優しくて、お話もダンスもお上手な方だと知れましたわ。それだけでもとても嬉しいですわ!」
アマリリアの微笑みは陰らない。こちらの意図を理解していないのか、理解して無視しているのかはわからないが、屈託なく笑って健気な真心を差し出してくる。無防備で、まるで自分だけが特別かのように錯覚させるような言葉選び。これが意図していないのだとしたら、本当に“よくできている”。
なるほど……愛嬌と人懐っこさは武器になるからな。しかし、自分の娘をここまで徹底して愛玩動物のように仕立て上げるとは。まぁ、あのフェアファクス夫妻ならやりかねないか。
「それは光栄だな。私も、今日は妻とあなた方の関係を知れて良かった。これからも良好な関係を続けていけるなら幸いだ」
「えぇ、あたくしもそう願ってますわ」
この調子では、アマリリア嬢は政情すらあまり理解してないのだろうな。
ラティマー家とフェアファクス家の軋轢も、キャスバート家とフェアファクス家との因縁も知らず、だからこそ純粋な本質のままに振る舞える。無知という名の無垢と純真を、本人も自覚のないままに武器にされて親に使役されているといったところだろう。
そこに気づかない者は愛嬌に絆され、気づけるものは憐れみ絆される。そしてごく一部、フィセリオのような冷淡な人間は彼女を“危険物”として認識する。
こういった人情を惹きつけるのが上手く、自身をか弱く見せる人物は、問題が起きた際にこちらが悪とされやすい。客観的事実や証拠を揃えたところで、人心や情を利用して不利な立場へと追い込んでくる。人の心とはそれほどに厄介で、決して軽んじてはならない危険なものなのだ。
そうして会話を重ねるうちに曲が終わり、互いに一礼をする。アマリリアは疲れの色もなく、屈託なくフィセリオへ微笑みかけた。
「たった一曲の間でしたが、とても楽しいひとときでしたわ。ありがとうございました」
「あぁ、お相手いただき、感謝する。では、兄君のもとへ」
などとアマリリアを促したが、早くウィステルを迎えに行きたかった。けれど会場の中でウィステルの姿を探して見つけた瞬間、足が縫いつけられたように動けなくなった。
ダンスの相手であるシスルと、楽しそうに談笑するウィステルの横顔。花が綻ぶように柔らかく、社交場で見せるようなものではない気を許したような笑みに息が詰まる。
ラティマー家が災害に遭わずフェアファクス派のままだったら、ウィステルがシスルに見初められる未来もあったのだろうか……
ウィステルが“誠実”と評価した男。同派閥の次代の継承者。ラティマー家に多少政治的に旨味がなくとも、ウィステルの聡明さや人柄は十分に魅力だ。同派閥であれば、ローワンの人柄や思考についても知っていておかしくない。婚姻で縁を結ぼうと、シスルが働きかけても不思議ではないだろう。
「あ、あそこにいらっしゃいましたわ! シスル兄様〜!」
まるで主人を見つけた忠犬のようにトコトコと歩き出したアマリリアを見て、ハッと我に返る。今さら変えられない過去の『もし』の話など考えたところで意味がない。ラティマー領が災害に見舞われたことも、領主が亡くなったことも、その後疲弊して没落していったことも、なかったことにはならないのだから。
けれど心の奥底に、じわりと不快な感覚が込み上げる。ウィステルに求婚しなければ、彼女にはもっと別の幸せな未来があったのではないか。そんな想像が頭を離れない。
彼女が愛するラティマーの地から強引に引き剥がし、未来を奪い、嘘のために誠実さまで手放させたのは紛れもなくフィセリオ自身だ。なのにこの心は、どうしようもなく……ウィステルを失うことを恐れている。
今、ウィステルが離縁したいと言ってきたら──
果たして自分はどうするのだろうか。フィセリオはそこに、答えを出すことをやめた。




