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第35話 影となった光を

 収穫祭へ出店したときの反響からウィステルは新しい催事を考えていた。その内容をようやく決め、『白花(しらはな)薫る味の旅市(たびいち)』と名付けた。


 収穫祭で出店した際、老若男女問わず多くの人がウィステルの店まで足を運んでくれた。新しい催事をと考えて真っ先に浮かんだのは、皆が美味しそうにスープを口にしている姿だった。あの光景が忘れられず、もっと多くの人に美味しいものと出会える場を作りたいと考えたのだ。


 そのため今回の催事は、キャスバート領の魅力を再発見する味覚の市として企画し、出店品目を飲食物に限定した。利益を主目的とせず宣伝の場と位置づけ、通常よりも少量・低価格での提供を条件としている。


 手に取りやすい価格で、幅広い層の人が気軽に足を運び、思い思いの味覚を味わう。そしてその笑顔が出店者へと返ってくる。そんなふうに小さな幸せを分かち合うような温かな催事になってくれたら、という願いを込めた。


 商業ギルドに催事の内容や条件、趣旨を伝え、運営と実行を委任した。現在は理解と賛同を得られる出店者に絞って参加を募っているところだ。募集を始めて日は浅いが、すでに参加を名乗り出た商人が何人もいると報告を受け、ウィステルは喜びと共に身が引き締まる思いだった。



* * *



 ウィステルは今回の出店でバラとローズヒップのコーディアルと、アイスティーを提供することを決めた。恐らく出店は料理やお菓子などの食べ物が多くなると想定し、できるだけ競合しないようにという意図と飲み物なら食べ物のお供にできると考えて選んだ。


 出店内容もギルドから商人たちへ、『飲み物の出店』だと伝えるようにお願いしてある。参加してくれる商人が後から知って損をしないよう、最初から納得して決められるようにするためだった。


 バラはキャスバート領のものを、ローズヒップはラティマー領のものを使用している。キャスバート家のバラのコーディアルのレシピにローズヒップを足したものだ。ただこの二つの素材をまとめるハーブを何にするかを決めかねていた。


【私を頼ってくださり、大変嬉しく思っています。お茶会でいただいたバラのコーディアルを思い出し、思わずにやけてしまいました。それはさておき、ご相談いただいたバラとローズヒップのコーディアルですが、私の方からいくつかハーブをご提案させていただきますね。】


 オルデン侯爵令嬢のローダンセとは、お茶会以来文通をする仲になっていた。オルデン領はハーブの名産地であり、ローダンセ自身も学院に通ってハーブの研究をしていたこともあって手紙で相談させてもらったのだ。


 対面するとおどおどしている彼女も、手紙の中では生き生きと言葉を紡いでいる。オススメのハーブと共に効果や味、香りなどが丁寧に書かれた文面から、力になろうとしてくれる真面目さと優しさが伝わってきた。


 オススメされた中からそれぞれリンデンとカモミールとレモングラスを選び、三種類のコーディアルシロップを作った。今日は試飲をし、催事で提供するコーディアルをどれにするかを決める。


 ローダンセのオススメかつ、料理長のベルフラムも手伝ってくれているため、よほど外していることはないはずだ。それでもどんな味に仕上がっているのか、少しだけ緊張していた。


「それでは、リンデン、カモミール、レモングラスの順にお配りいたします」


 ベルフラムが、シロップを小さなレードルで掬う。とろりと零れる夕日を溶かしたような赤は、ローズヒップが入った分、以前飲んだバラのコーディアルよりも一層濃く、鮮やかだ。そこに冷えた水を注いで割ると、小さなグラスが全員に配られていく。


 今回は収穫祭のときに協力してくれたジャスミンとベルフラムだけでなく、フィセリオとエルウッドも参加してくれている。もし時間が取れればとお願いしたのだが、政務を調整して来てくれたようだった。


 時間を割いて来てくれたフィセリオ様とエルウッドさんの手前、無駄な時間にするわけには……


 ウィステルは静かに手に汗をかきながら、一杯ずつ試飲をしていく。華やかなバラの香りが鼻を抜け、ローズヒップの優しい酸味が舌に広がる。


 リンデンは酸味を包み込み、品がありつつも軽やかな味わいに。カモミールは少し深みがあり、青さと温もりのある味わいに。そしてレモングラスは、仄かな柑橘の香りとさっぱりとした爽やかさのある味わいに仕上がっていた。


「どれも美味しいですけど、私はカモミールが一番でした! 華やかなのにホッとする感じがいいですね〜」

「うーん……僕はレモングラスかな。爽やかな方が料理に合うんじゃないか?」

「私はリンデンが一番まとまりが良く、万人受けする味のように感じましたねぇ」


 ジャスミン、エルウッド、ベルフラムで綺麗に意見が割れてしまった。それもどれも納得できてしまい、ますます三つの中から選ぶのが難しく感じてしまう。


「フィセリオ様はどうでしたか?」


 ウィステルが訪ねると、フィセリオは空になったグラスをじっと見つめる。決めかねているのか、少しの間のあと口を開いた。


「開催日や開催場所はもう決めたのか?」

「はい。六の月一番の日に、中央広場で開催する予定です」


 その瞬間、まるで時を止めたように場が静まり返る。その日がなんの日か知っているのか、という視線が全員から向けられていた。


「君は……六の月一番の日の意味を、知っているのか?」

「もちろんです。亡くなったエオナック様の誕生日ですよね? 知っていて選びました。この催事が成功したら、わたくしは毎年開催したいのです。エオナック様のことは、皆から話に聞いている範囲でしか知りません。ですが、人々が垣根なく集い、美味しいものを手に笑い合える日になったら……まるでエオナック様みたいな日になるんじゃないですか?」


 エオナックの話は、これまでに時折耳にしてきた。誰もが、「優しい人だった」「いるだけで空気が和らぐ」と口にする。フィセリオでさえ「自分の優しさの形は兄の模倣」「誠実で利他的で賢明な人」とまで言った。


 正直なところ、ウィステルはエオナックがどんな人であったのかを知らない。外見も、義父母の住む離れの屋敷に飾られた肖像画で見ただけだ。けれど、死後もそんなふうに語られる人なのだから、きっと彼の周りには笑顔が絶えなかったに違いない。


 エオナックが喜ぶかなんてわからない。けれど死者はもう、何かを語る口を持たず、人の記憶の中でしか生きることしかできない。そして、緩やかに時間と共に霞んでいく存在だ。両親を失ったウィステル自身の経験からの実感だった。


 そんな日々の中、誕生日は失った大切な人との温かな記憶と喪失の痛みの両方を思い出す日だ。そうしてその人が生きていた痕跡を、無意識に探してしまう。


 だからこそエオナックの誕生日が、彼が生前してきたように笑顔にあふれる日になれば、彼が生きていた何よりの証になるのではと思った。それはエオナックへの手向けというよりは、残された側に何かできることをしたいという感覚だった。


 彼の死という影を、全員で少しずつ背負うキャスバート家が、彼の存在を影ではなく光として思い出し、誇りとして(いだ)くことができたら──そんな独りよがりな願いが先走った形でもあった。


「……そうか。兄上なら……きっと喜ぶだろうな。そういう人だった」

「そう言っていただけて、ホッとしました。大切な一日が笑顔の日になるよう、精一杯努めさせていただきます」


 フィセリオは静かに一度だけ目を伏せると、微かな寂しさを伴う眼差しで、思いを馳せるように窓の外を見た。無神経だったかもしれないとざわついた心が、緩やかに凪いでいく。


 フィセリオ様から見たエオナック様は、喜んでくれる人なんですね。


 ウィステルの独りよがりな願いすらも、受け止めて笑ってくれるような人。皆から慕われて、死から八年経っても変わらずに愛されている人。


 本当はどんな人だったんだろう?


 直接会って話をしてみたかった。けれど、それはもう叶わない。そんな微かな喪失感がウィステルの胸の奥に落ちて、小さく波紋を広げた。


「……六の月一番の日なら、大通りのリンデンの花が咲いている頃だな」


 フィセリオは窓の外に目を向けたまま、ぽつりと呟く。やがて振り返った彼からはもう、寂しそうな影は消えている。いつもと変わらない微笑みで、テーブルの上の空のグラスを一つ手に取った。


 リンデン、エルダーフラワー、エゴノキ、ガーデニア……六の月は様々な種類の白い花が開花を迎える。この催事の名前『白花(しらはな)薫る味の旅市(たびいち)』の白花(しらはな)も、そこから選んだ言葉だった。


「コーディアルは、リンデンを使ったものが象徴性もあって良いのではないか?」

「そうですね。では、リンデンにしましょう!」


 フィセリオはリンデンを使ったコーディアルが入っていた思しきグラスを、指先で遊ばせている。心の鎧を脱いだような軽やかな彼の声が、静まり返った部屋の空気を温かく吹き流し、柔らかく穏やかな雰囲気へと戻っていく。


「そういえば、希釈(きしゃく)率でも味や風味の感じ方が変わるはずです。どの程度でお出しするかも決めた方が良いと思いますよ」

「そうですね。せっかくフィセリオ様とエルウッドさんにも来ていただいてますし、今相談しておきたいですね」

「よし。では薄いものと濃いものをご用意しますので少々お待ちを」


 ベルフラムはリンデンを入れたコーディアルを掬い、人数分濃いものと薄いものを作ってテーブルへと並べていく。濃いものは焼け付いた夕日そのもののように、薄いものは染められた淡い夕暮れの空のような色をしている。グラスが全員に行き渡るのを見届けてから、ウィステルも口へと運んだ。


「甘〜い! 私は濃い方が断然美味しいと思います!」


 ジャスミンが甘酸っぱさに頬を痺れさせたように手を添えている。口元は喜びを隠しきれない様子で緩んでいた。それに対してフィセリオは、手にしたグラスを眺めながら小さく首を傾げる。


「販売されている料理や菓子を片手に飲むものを想定しているなら、濃すぎるものは味を阻害する。薄くても香りや味は損なわれていないのだから、すっきりしている薄いものの方が良いように思うが……」

「僕もフィセリオと同感かな。初夏だし、ゴクゴク飲みやすい方が絶対良いって」

「え、でも濃い方が高級感ありますし、“公爵家のコーディアルシロップ”って感じじゃないですか?」


 料理と合わせて飲むのであれば薄い方がさっぱりとして、口直しにもなる。けれどコーディアルとしての美味しさを味わってもらうのであれば、しっかり濃いものの方が一品として仕上がっているように感じた。提供する相手の大半が平民だということを考えると、平民の出であるジャスミンの意見は市場の感覚に近い意見とも言える。


 どちらも捨てがたい。そう感じている中で、ふと、どちらかに絞る必要がないことに気づいた。


「薄めるだけでしたら、その場での調節が可能ですよね? “軽やかに香る爽やかさ”と“深く香る華やかさ”の二段階で提供するのはどうでしょうか? そうすれば料理のお供にしたい方にも、コーディアルを一品として楽しみたい方にも満足していただけると思うのですが」

「一挙両得ってやつですね!」

「ウィステル様の案は良いと思いますが、“軽やかに香る爽やかさ”と“深く香る華やかさ”は少しピンとこないような……? “爽やか”、“濃厚”とかの方が端的に伝わるのでは?」


 エルウッドはテーブルに置いたグラスに顔を寄せて見比べながら、眉根を寄せて腕を組んだ。


「エルウッド様の意見もわかりますが、料理人としては言葉から受ける印象も大切にした方が良いと思いますねぇ」

「わかります! 『白身魚のポワレ〜キャスバートの風を添えて〜』みたいなアレですよね?」

「そう、そのアレです」

「あぁー! 高級料理店のアレかぁ……」


 ジャスミンは頷くと、パッと笑顔を弾けさせた。彼女の明るくまっすぐな言葉と声に呼応するように互いに顔を見合わせ、場の空気は柔らかくほぐれていく。


「購買意欲を誘うには、多少漠然としていても惹きつけるものがある方がいい。“軽やかに香る爽やかさ”と“深く香る華やかさ”なら問題なく伝わるだろう」

「私は、ウィステル様の案の方がなんとなくときめきを感じますよ!」


 フィセリオとジャスミンに背中を押され、ウィステルの心に少しずつ自信が生まれ始めていた。


「フィセリオ様、ジャスミン、ありがとうございます……! ちょっと自信が出てきました」

「大したことはできないが、こうして準備に関われて良かった」


 絶対に……催事を成功させよう……


 皆の見守るような温かな眼差しが、木漏れ日のようにウィステルを包んでいる。じわりと湧き上がる責任感と決意を、ウィステルは静かに……胸の奥で抱きしめた。

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