第23話 公爵夫人の戦場
煌々と輝く魔石灯のシャンデリアが、王宮の大広間を真昼のように照らし出す。王家への新年の挨拶を終えると、厳かな空気が緩やかに熱を帯び、華やいでいく。
会場の一角には軽食が並び、給仕たちは落ち着いた所作で次々と飲み物を配って歩く。そして交わされた乾杯の合図と共に、皆がそれぞれの役目を果たすべく動き出した。
ヘレニーテが緊張しないよう会場の端の方へ移ると、早速挨拶対応に追われる。キャスバート派に属する家門の夫人たちが訪れ、軽い会話をして去っていく。
公爵夫人の座を掻っ攫う形になったウィステルをよく思わない者も混じっていたが、ヘレニーテに対しては皆好意的に接していた。中には付かず離れずの距離で会話しながら、こちらを支えるような動きを見せている夫人たちもいる。
恐らくヘレニーテが絡まれた際に味方としてつくためだろう。しかし相手はフェアファクス公爵家の夫人だ。格下である彼女たちに言い返す力はほとんどない。これまでも、なんとかヘレニーテを一人にしない方向で支えていたのだろう。その夫人たちの家名を、頭に留めておく。
「ごきげんよう、ウィステル様、ヘレニーテ様。本年もよろしくお願い申し上げます」
「ご無沙汰しております、ホリン様。本年もよろしくお願いいたします」
「ご挨拶に来てくださりありがとうございます。よろしくお願いいたしますわ」
アールストン公爵夫人のホリンが、折を見て挨拶に来てくれたらしい。燻し銀のようなピリッと引き締まる色のドレスを着こなし、凛と洗練された所作で一礼する。ウィステルもそれに応じるように、一礼した。
「お義母様、ホリン様は前にお茶会に来てくださって、キャスバート家のバラのコーディアルを気に入ってくださったんですよ」
「あぁ、ちゃんと覚えているよ。華やかな香りに淡い赤が美しい、キャスバート家らしい洗練された逸品だった」
「まぁ、そんなふうに言っていただけるなんて。お気に召していただけて光栄ですわ」
ホリンはヘレニーテが心を病んでしまった後に公爵夫人になった人だ。かつてのウィステルと同じく、ヘレニーテとは毎年この日くらいにしか面識のない間柄だろう。ウィステル自身も親しいと呼べるほどではないが、知り得る範囲で彼女のことを伝えると、ヘレニーテの表情が静かに和らいだ。
「ヘレニーテ様、今宵はご心労も多いでしょうが、どうか無理はなさらずに。それから、ウィステル様──」
ホリンは扇子を取り出すと優雅に広げ、口元を隠す。目元を和らげて僅かに潜められた声は、内緒話を交わすような温度を秘めながらも凛々しい響きを持って耳へと届く。
「騎士は敵に背を向けない。だが、攻めるか退くかは常に頭に置いているもの。その選択の良し悪しを決めるのは、機を見誤らずに判断できるかどうかだけ……」
そこで言葉を切ると、ホリンは扇子を閉じる。そうして一言挨拶を残して、颯爽と去っていった。
その言葉は、確かな助言であった。騎士という果敢に立ち向かう立場の者でも、退くことはある。機を見誤らなければ敗北ではなく、戦略的撤退であるのだと教えてくれていた。同時に、攻めて攻めて攻め勝つことだけが正しい勝利とは限らないということも。
そしてそれは、フェアファクス公爵夫人であるロクシーナの対応に賛同していないという暗黙の意思表示でもあった。
「元騎士の方と伺って厳しい方なのかと思っていたけれど、とても爽やかな方ね」
「えぇ。お茶会でもラティマー製の茶器を褒めてくださったんですよ」
ずっと固い表情をしていて、お世辞にも顔色がいいとは言えなかったヘレニーテが、ふっと気を緩めて微笑んでいた。決して敵ばかりではなく、親しくなくとも柔らかく見守ってくれている人はいると伝わってくれているなら嬉しい。
「ウィステル様、ヘレニーテ様。オルデン侯爵家のジェシア・オルデンがご挨拶に伺いました。どうぞ、本年もよろしくお願い申し上げます」
ジェシアと名乗った夫人は、丁寧な所作で一礼した。オルデン侯爵家はマーチリッジ派の家門の一つだ。その隣には見覚えのある令嬢が一人、ジェシアと同じ瑠璃色の瞳を不安そうに揺らしながら控えめに前へ進み出た。
「ぁ、えと、ウィステル様……お手紙じゃなくて、直接お会いできて嬉しいです」
ローダンセは相変わらず自信がなさそうに俯き気味で、視線がたまにしか合わない。彼女とは手紙のやり取りをするようになったが、初めて返事をもらったときはその文面の饒舌さに同一人物かと疑いたくなるほどだった。
「ヘレニーテ様、オルデン侯爵家のローダンセ……と申します。本年も、よろしく……お願いいたしますっ」
ローダンセはおろおろとしながらも、ジェシアの隣で一礼する。ウィステルとヘレニーテも、二人へ新年の挨拶を返した。
「お誘いいただいたお茶会に参加できず、大変申し訳ございませんでした。大切なときに体調を崩してしまうなんて、お恥ずかしい限りです」
鼻を掠める甘ったるい匂いは、間違いなく“体調を崩した”という嘘から香ったものだ。お茶会に来たローダンセも、“母が体調を崩した”と口にした際に同じ匂いがしていた。
仮病で欠席し、あえて娘のローダンセを名代として送り込む。こちらの反応や対応を伺おうとしていたという予想で、大体合っていそうだった。
そして今も穏やかな笑みを湛えながら、瑠璃色の瞳は推し量るようにウィステルを見つめ、時折微かにヘレニーテへと滑る。同じ“観察の目”でも、ジェシアとローダンセでは奥に秘められた鋭さが全く違っていた。
「気に病まないでくださいませ。その後体調はいかがですか?」
「おかげさまでこの通りでございます。そういえば、お茶会のあと私の分までお土産をローダンセに持たせていただいたようで。フロランタン、大変美味しゅうございました」
ジェシアは扇子で控えめに口元を隠しながら、小さく笑う。するすると言葉が紡がれていく様は、明らかに場馴れした者の風格がある。
仮病を使って欠席したという事実とローダンセの性格から、万に一つくらいはローダンセと同じく社交嫌いの可能性もあるのではと頭の片隅にあったが、それは綺麗さっぱり吹き飛んだ。隣で縮こまっている娘のローダンセとは、まるで正反対な印象だった。
「こちらにいらしたのですねぇ、ウィステル様、ヘレニーテ様」
ジェシアと会話していると、彼女の背後から一人、初老の女性が近づいてくる。ジェシアは微笑んだまま静かに後ろへ退き、ローダンセにも下がるようさり気なく促す。
直接会話をしたことはないが、誰であるかはウィステルにもわかっていた。落ち着いた榛色の髪。同じ色の瞳には理知的な光が秘められている。マーチリッジ公爵夫人のヴィオラだ。
マーチリッジ家は国の東側を治める公爵家であり、魔術の名門でもある。魔術による国境防衛と学問の都を築いたことから『智のマーチリッジ』と呼ばれていた。
「遠方であることを理由にお茶会を欠席してしまって、大変失礼いたしました。今日はご挨拶とお礼を伺いに参りましたの」
「お礼、ですか?」
挨拶はともかく、ヴィオラからお礼を言われるようなことをした覚えはない。けれどヴィオラは小さく頷くと、ウィステルを温かな眼差しで包んだ。
「お茶会では、我がマーチリッジ領の茶葉を選んでくださったとか。お茶会の華にしていただけたこと、嬉しく思っておりますわ」
「マーチリッジ領の茶葉は香りが良く渋みも柔らかいので、場の緊張をほぐしてくれると思ったのです。本日はこうして直接お会いでき、光栄に存じます」
「えぇ、こちらこそ」
お茶会の一番最初に出した紅茶の茶葉は、確かにマーチリッジ領のものだった。どうやらお茶会に参加していたマーチリッジ派の夫人の誰かがヴィオラへと報告したようだ。
この様子だと、参加してくれたマーチリッジ派の緊張をほぐし、全ての家門を等しく尊重するための選択であったことには気づいているだろう。明言こそしないが、その部分を含めた“お礼”であるとウィステルは受け取った。
「ヘレニーテ様は……昨年よりもお顔色が良くなられましたねぇ」
「お気遣いありがとうございます。ウィステルが来てくれてから、我が家もずいぶんと明るくなりました」
「良い縁に恵まれたようで、良かったですわね」
ヴィオラはヘレニーテと会話したことがあるようで、先程とはまた少し違うころころとした可愛らしい笑みを浮かべていた。『智のマーチリッジ』という言葉からもっとお堅い人なのだと思っていたが、やはり話してみなければわからないものだと、ウィステルは内心感心していた。
それからすぐにヴィオラが去り、ウィステルは今度はローダンセへと話しかけようとした。けれどそれは、見計らったように突き出された横槍のような声に遮られる。
「あらあら、ウィステル様にヘレニーテ様ではございませんか。こんな隅にいらしたなんて、ご挨拶が遅れましたわ」
見なくても、それが誰の声であるかはわかる。かつてフェアファクス派に属していたウィステルにとっては、何度も聞いたことのある声であった。
毛先まで手入れの行き届いた淡い金色の髪が、艶やかに明かりを照り返す。真夏の太陽のような燦然とした強い輝きを秘めた赤い瞳は、獲物に狙いを定めるように鋭くこちらへ……ウィステルの隣にいるヘレニーテへと向けられている。そして取り巻きの夫人たちの視線もそれに倣うようにヘレニーテへと向けられていた。
隣でヘレニーテがゴクリと息を呑む。柔らかかった表情も一転し、空色の瞳が恐怖で凍りついている。
「ロクシーナ様、お声がけくださり光栄です」
微かに震える手を見て、ウィステルはロクシーナの視線を遮るためにそっとヘレニーテを背中に庇った。心を病んだヘレニーテにとって、加害者である彼女たちの視線は凶器とさほど変わらない。滅多刺しにするように向けられる悪意を、ウィステルは真正面から受け止めた。
今はジェシア様とローダンセ様がいる。
下手な手を打てば、マーチリッジ派内での評価の暴落は避けられませんね……
ジェシアはこの対立に巻き込まれないよう、息を潜めるように成り行きを見守っている。ローダンセはこの攻撃的な空気に、小動物のように肩を縮めて怯えていた。
「ラティマー家がフェアファクス派を離脱してからは、皆さんとお話しする機会も減ってしまいましたから、こうしてお声が聞けて嬉しい限りです」
『微笑み公爵』の妻として、笑顔を盾に。嘘で皆を守る者の共犯者として、言葉に嫌味と皮肉を乗せて。“弔い合戦”の続きが、再び始まろうとしていた。




