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第22話 つながり合えず、ひとり

 領地経営に関する勉強と収穫祭への出店の代わりになる催事の計画に着手し始め、ウィステルの日々は慌ただしく過ぎていく。年末が迫るとその忙しさはさらに増し、各家への挨拶の書状や帳簿の整理、年始の夜会への準備などに追われ、あっという間に一年の最後を迎えていた。


 キャスバート公爵家へ嫁いできて約半年。好意的に迎え入れられたものの、最初は何の役目もなくただ屋敷の中で大切に囲われているだけだった。けれど今は日々の関わりや積み重ねを通して、『フィセリオの妻』ではなく『ウィステル』として信頼されてきていることを実感している。


 ようやく年内の仕事を終えたウィステルは、私室で仕立て台に着せられた夜会用のドレスを眺めていた。


 東雲色のシルクタフタの生地の上に、刺繍を施した淡い青色のオーガンジー生地が朝もやのように重ねられ、裾からは繊細なレース生地が控えめに覗いている。細部まで抜かりなく、丁寧に仕上げられている。夜会用のドレスとして作られたからか、室内の魔石灯の明かりを味方につけるように吸い込み、一際上品に存在感を放っていた。


 一週間後に迫った王家主催の夜会は、王族への新年の挨拶を兼ねている。そのため基本的には絶対参加であり、特に高位貴族である公爵家は第一線を退いた元当主や元当主夫人たちも参加するのが恒例となっていた。


 義母のヘレニーテも、心を病んでもなお、一年に一度この夜会にだけは欠かさず参加している。それは、十分に役目を果たしきれなかったという後ろめたさと責任感、そして自分のせいで息子であるフィセリオに攻撃の矛先が向かないようにという、彼女の最後の意地でもあった。


当日は、なんとしてでもお支えしないと……


「緊張している顔だな」


 不意に声をかけられて振り返ると、寝室とウィステルの私室の間の入口にフィセリオが立っていた。視線をドレスの方へ移しながら、ウィステルの隣へと並び立つ。


「……はい。このドレスに見合うだけの働きをしなければと、気を引き締めていました」


 夜会は最初の挨拶回りを除いて、それぞれの立場と役目を負って、別行動をする。フィセリオもヘレニーテの夫であるアマドゥロも、自身の人脈や関係の深い相手との情報交換など、外交が軸になる。それは女性側であるウィステルやヘレニーテも同様で、女性は夫人同士での外交が基本となる。


 夫婦は行動を共にする者はまずいない。つまり、ヘレニーテを堂々と傍で守れるのはウィステルしかいないということでもあった。


「あまり思い詰めなくていい。君の方が病んでは意味がないからな」

「心配してくださってありがとうございます。ですが、こう見えて打たれ強いので心配しないでください」


 打たれ強さに自信はあっても、社交場で上手く対応できる自信があるかと問われると、正直言葉に詰まる。あらゆることに耐え忍んできたことでウィステルは慣れているが、ヘレニーテはとても耐えられないだろう。であれば矢面に立ち、嫌な状況はできるだけ早く決着をつけなくてはならない。


「頼もしい言葉が聞けてよかった。キャスバート家を背負う公爵夫人である以上、君の一挙手一投足は常に注目を浴びる。母上のこともあるし、君には迷惑をかけるだろうが……よろしく頼む」

「はい。期待通り、とはいかないかもしれませんが、最善を尽くします」


 濁りのない期待と信頼が、フィセリオから向けられている。その思いと、彼がもたらしてくれた恩に報いたい。じわりと滲み出る感情が、熱く胸の奥に広がっていく。


 この半年、キャスバート家の援助を受けたラティマー領は目覚ましい復興ぶりを見せていた。その噂は国中へと広がり、ウィステルの耳にも例外なく届いていた。


 当主である兄のローワンは、キャスバート家から得た資金を真っ先に災害復興にあてた。その後、応急処置でごまかしてきた橋や街道、設備の老朽化にも着手し、着々と生活基盤が整えられている。避難民は支援を受けながらも、元の生活を取り戻し始めていた。


 ローワンからの手紙にも、「父が生きていた頃のラティマーの姿が少しずつ帰ってきている」「民たちも、ウィステルが救ってくれたと喜んでいる」と書かれ、筆跡からもその喜びが滲んでいた。ローワンはフィセリオに感謝しながらも、キャスバート家との縁を繋いでくれたウィステルにも感謝と労いの言葉をくれた。


 けれどウィステルは、キャスバート家との縁をつなぐための努力をしていない。自分でなくとも、性別が女性であれば誰でも“この結果になっていた”としか思えなかった。


 フィセリオがウィステルに見出した“何らかの価値”と、“善意と恩という形の嘘を選んだ”彼の選択の結果に過ぎない。彼にとって“都合のいい妻”を演じているだけで、特別な努力もなく、自らの力で結果を掴み取ったという実感は全くなかった。


 大したことはしていない、フィセリオ様のおかげだと手紙に書いても、ローワンは「謙遜しなくていい。お前の頑張りはラティマーの地にも届いている」と、優しい言葉をくれる。しかしそれは、まるで他人の善意を自分の功績として掠め取っていくような感覚を植え付け、微かな苦さを残した。



* * *



 一年の最後の挨拶をするため、フィセリオと共に義父母が住まう敷地内の別邸を訪れていた。フィセリオは挨拶だけ済ませてすぐに戻るつもりだったようだが、ヘレニーテに勧められてお茶をしている。


 ヘレニーテの不安を煽らないよう年始の夜会の話題は避けているが、彼女の顔色は想像していたよりも良い。今のところはまだ気持ちが安定しているようだった。


「時々ヘレニーテの話し相手になってくれていることは聞いているよ。忙しいだろうに、すまないね」

「そんな、わたくしはお義母様と話すのが楽しくて来ているだけですので謝らないでください」

「私もウィステルとお話するのが楽しみになっているのよ。本当にありがとうね」


 アマドゥロとヘレニーテは互いに目を合わせると、穏やかに小さく笑い合う。二人は元は政略結婚だったと聞いているが、どう見ても仲睦まじい夫婦だ。


 それが本物なのか、フィセリオと自分のように取り繕われただけのものなのか。直接尋ねて“嘘の匂い”でふるいにかければ、真偽は簡単にわかる。けれど、尋ねるまでもないとウィステルは考えていた。


 ヘレニーテのために早期に家督をフィセリオへ移譲するくらいに、アマドゥロがヘレニーテを想っていることは確かだ。元は政略結婚から始まったと聞いているが、こんなふうに通じ合える信頼と夫婦関係を結べていることがほんの少し羨ましかった。


「フィセリオはあなたに優しいかしら? 今でこそよく笑うようになりましたが、元々は感情表現の苦手な不器用な子で……」

「母上、私はもう幼子ではない。無用な心配をしないでくれ」


 フィセリオは眉間を指で押さえながら、呆れたように軽くため息をつく。それもそうねと笑うヘレニーテの眼差しも温かく柔らかい。ずっと遠くの昔に置き去りにされた亡き母の温もりに、指先が僅かに触れたような懐かしさと切なさが胸の奥を撫でた。


「ご安心ください。フィセリオ様にはとても大切にしてもらっています。お義父様やお義母様、屋敷の皆も優しくて……わたくしがここにいても良いのかと思ってしまうほどです」

「そんな肩身狭そうにしないでくれ。私を一目で射止めたのは君だ。もっと堂々としていればいい」


 励ますように、そっと背中に触れたフィセリオの手のひらが温かい。気遣わしげな眼差しまで、惜しみなく注がれている。


これが嘘じゃないのがまた、果てしなく怖いんですよね……


 愛を語れば嘘が匂うのに、相変わらず『一目惚れ』には何も匂いがない。時折それがなぜなのかを自問するが、半年近く経っても全く答えの片鱗に触れられていない。


 対外的には、恋愛結婚。だが中身は高純度の政略結婚。フィセリオとウィステルの関係は、政略結婚をしながらも心を通わせているアマドゥロとヘレニーテの関係とは真逆だった。


 この嘘が真実になることはない。ただ限りなく真実に近づけた幻想で目をくらまし続ける。心を通わせる代わりに、同じ形の嘘を重ね合わせていく関係。その関係の果てに何がもたらされるのかは、ウィステルには想像もつかない。それでも、これが守りたいものを守るための最善だと信じ、笑顔と優しさに嘘で報いるのだ。


 ウィステルの心は、フィセリオの共犯者として彼の隣に立っている。立っているはずなのに、どこかいつも宙に浮いたように不安定だった。


 共犯者としての覚悟が足りていないわけではない。むしろ覚悟を強め、“愛されている妻”を演じて嘘を重ねるごとに自身の輪郭が淡く霞む。その理由の正体も掴めないままに、少しずつ……緩やかに、誰にも届かない場所へ遠ざかっていくような気がした。

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