第21話 キャスバート家の傘
収穫祭での出店は想像以上の反響を呼び、民たちの間からまたやってほしいという声があがっているという報告を先日受けた。それだけ人気が高まっているということは、次回出展すればいよいよ他の出展者への妨害になってしまうだろう。ウィステルは別に何か催事をできないかと模索していた。
それと並行して、今は領地経営に関することも学ばせてもらっている。ラティマー領の経営は兄のローワンが全て取り仕切っていたため、あまり知識がない。領地経営について学ぶということはキャスバート家の裏を見せてもらうということでもあるため、断られる覚悟でフィセリオにお願いしたところ許可してもらえたのだ。
倉庫の扉を開けると、内側にこもっていた冷気がすぅっとウィステルの頬を爪の先で引っ掻くように撫でる。ピリピリと痛む肌を、手で軽くさすった。
「いやはや、冬の倉庫は凍みる凍みるぅ……ナファルラク出身ゆえ、いつまでもウィンブリージアの冬には慣れませんな」
「すみません、わたくしが倉庫で直接物を見たいと言ったばかりに……」
「いえいえ、お気になさらず。どうせ年の終わりに一人で来る羽目になってたでしょうから。むしろウィステル様が一緒に来てくださってよかった」
陽気な声で笑いながら、帳簿の見方や付け方を教えてくれているのが、フィセリオが領地経営を学ぶための教育係に選んだ家令のハルシャだ。
少し白髪の混じった黒髪に、日に焼けたような浅黒い肌。ウィステルの住むウィンブリージア王国の南に位置するナファルラク王国の人々によく見られる特徴だ。黄金を思わせる彼の瞳は、ナファルラクの東部出身者に多い。
国外の者が公爵家の使用人になるということ自体異例のことだが、さらに家令まで務めるというのは他家を含めてもほぼ前例がないほど珍しい。
ハルシャは先代公爵の恩人であり、下働きとして雇われてから実力で家令になった叩き上げの人だと聞いている。陽気で不思議な人懐っこさがあり、皆からの信頼も厚い。
「さて、物資の確認作業を──」
「ここにいたのか」
後ろから声をかけられて振り返ると、フィセリオとエルウッドがこちらへと歩いてくるのが見えた。今日は会合に出ると言っていたが、ちょうど帰ってきたところのようだ。
「お帰りなさいませ、フィセリオ様」
「今日は帳簿の管理を教えてもらっているんだな」
「はい。ちょうどこれから倉庫で数の確認をしながら教えていただくところでした」
「……首元が寒そうだ」
するとフィセリオは自身が巻いていた灰色のマフラーを外し、そのままウィステルの首にふわりとかけた。フィセリオの横にいるエルウッドが声もなく驚いている。彼の一声も発さず目を見開いている姿を眺めながら、長いマフラーに巻かれて鼻と口元がすっぽりと覆われていった。
淡く香るのは、爽やかな木のような匂いと静かな甘さ。彼が公務のときにいつもつけている香水の香りが薄く移っているようだった。
「あ、ありがとうございます。ですが、今度はフィセリオ様が寒いのでは?」
「私はもう室内に戻るから構わない」
「そうなんですね。では、ありがたく受け取らせていただきます。今晩お返ししますね」
マフラーの内側に残るフィセリオの体温の名残りが、じんわりと肌に染みてくる。くっついていないのに、香りがするせいか妙に近くにいるように錯覚しそうになる。顔がぼーっと熱を持つのは、マフラーのせいだろうか。
「フィセリオ坊ちゃまが女性にマフラーを巻いて差し上げるなど……このハルシャ、坊ちゃまのご成長ぶりに感涙感涙感涙の雨ですぞ〜!」
「今さら一々ツッコみたくはないが、相変わらずの煽り癖はどうにかならないのか」
「はて、煽り癖とは……? 歳を取ると若者の言葉についていけなくなって、嫌になりますなぁ」
「若者言葉ではない」
「おやおや、ではウィンブリージア古語でしたかね? まったく、異国の言葉は難しいですなー……はっはっは」
ハルシャからはふわふわと波のように嘘の匂いが香る。それは彼がとぼけていることの何よりの証拠だ。陽気で飄々とした人だと感じていたが、公爵家当主のフィセリオを“坊ちゃま”呼びしているあたりからも、なかなかに肝が据わっているのが垣間見える。
ちゃんとわかってて、からかってるんですね。
この方……お強い……
「はぁ……もういい。私は執務室に戻る。ウィステルを困らせるようなことだけはしないでくれ」
「ほっほっほ、もちろんですとも。人は選んでおります」
「ハルシャ……」
フィセリオは目を細めると、呆れたように一つため息を零してからエルウッドと共に屋敷へと戻っていく。ウィステルはフィセリオが求婚に訪れたときの恐ろしく手強い“微笑み公爵”の姿を思い浮かべながら、ハルシャにやり込められた彼の背中を見送った。
それからすぐにウィステルとハルシャは倉庫での作業に取り掛かった。倉庫には冬を越すための物資が大量に保管されている。これらは有事の際の備蓄であり、領民たちの命綱になるものでもある。これをハルシャと共に、実際の数と照らし合わせながら帳簿を確認していった。
「本当に……ウィステル様がいらっしゃってから、フィセリオ坊ちゃまは変わられましたなぁ……」
倉庫内の確認作業が終わりかけた頃、ハルシャは思い出したようにぽつりと呟いた。
「もちろん、良い方にですぞ。兄君が亡くなられてから、この屋敷はすっかり雰囲気が変わってしまいまして。特に、坊ちゃまが当主になられてからの一年間はそれはそれは凄まじいものでしたからな」
「凄まじい、とは?」
なんのことかわからずに尋ねると、ハルシャはにまりと笑う。おもむろに右手の手のひらで、スッと横に首を切るよう仕草をした。
「キャスバート家に不利益と判断した者を片っ端から解雇し、ご自身の目で選んだ者を雇い入れたのですよ」
「大規模な人事……だったのですか?」
「えぇ、それはもう……ニコニコしながらバッサバッサと、まるで剪定のようでしたなぁ。フィセリオ坊ちゃまの前世は、確実に庭師ですぞ。そうそう、ウィステル様にお仕えしているジャスミンはそのときに雇われた子ですな。いやぁ、“坊ちゃま”などとナメた呼び方をしていたものですから、私めもいつ切られることかとヒヤヒヤしておりましたぞ」
「あの、そんな解雇の仕方をしたら、反感を買いますよね?」
ハルシャの陽気な言葉選びと仕草でかなりごまかされているが、やっていることはある種、暴君とさほど変わらない。貴族位を持つ家から来て仕えている者も多かったはずだ。突然解雇されて家に帰され、その親が黙っているとも思えなかった。
「もちろん、存分に買いましたとも。ですが、理由は……ギリギリ納得できなくもない感じでしたので、正論と権力で叩き潰しておられる感じでしたな。坊ちゃまは、虚言と色目を絶対に許しませんでした」
「虚言ですか?」
「えぇ。それによって事実の発覚が遅れて後手に回ると、取り返しがつきませんゆえ。キャスバート家の隙になりそうな部分を、徹底的に排除したのですよ。特に印象に残っているのは──」
ハルシャはフィセリオがどんな人を切り捨てたのか、印象に残っているやり取りをいくつか寸劇形式で語ってくれた。その中でも特にウィステルの印象に残ったのは、家政を担っていた侍女長の話だった。
『なぜ仕事の遅いあの者たちが残留で、侍女長である私が解雇なのですか!』
『仕事が遅いなどという罵倒を、堂々と本人たちの前で口にする驕り。他者を萎縮させる行為の裏付けも今取れたことだ。これで安心して君を解雇できそうだな』
『お待ちください、私はただ厳しく指導してきただけで──』
『罵倒が指導とは、斬新な考えだな。仕事の出来不出来以前に、君のような人間は組織を腐らせる。恐怖は報告しにくい環境を作り、気弱で善良な者の隠蔽行為を助長するからだ。よって、私は君を“無能”と評価する。以上だ。何か反論があるなら聞こう』
フィセリオにとっての“無能”とは、仕事の遅い者ではない。そこに関しては、人並みに言われたことをこなせているなら十分と見なしている。彼が有能な人材として重視しているのは、人柄の良さや協調性、誠実さなのだと知った。
「そんな感じでしたので、その分恨みという隙も生まれました。解雇された者にとって、突然のことでしたからな。ただ、坊ちゃまとしてはご自分に向けられるものはご自分で対処できる分、安心なのでしょう。昔から優しい兄君を守ろうとする……傘のようなお人でしたので」
どんな小さな虚言も許せないほどに、嘘を心底嫌っている。けれどフィセリオは兄のエオナックを模倣し、人格も感情も偽って、敵も味方も欺いている。彼にとってキャスバート公爵家と領地は、自分の心さえ裏切って嘘に塗れてでも、守りたかったものなのだ。それが彼の、公爵としての責任の負い方なのかもしれない。
「責任感の裏返しということなのでしょうね」
「たとえ失敗しても、隠さず報告すれば必ず守るという坊ちゃまの姿勢があるからこそ、今のキャスバート家は成り立っているといったところですな。今は凪いでおりますが……それは波風を立てる者がいないだけの話。坊ちゃまの許容範囲を越えれば、一発で首が飛びます。ほっほっほ」
フィセリオ様、ごめんなさい……
ウィステルは自身の首に無意識に手が伸び、マフラーに遮られる。フィセリオのマフラーが重みを増し、そっとウィステルの首を絞めたような気がした。
フィセリオの嘘に気づいていながら、騙されたフリをして勝手に協力している。想定外を嫌って虚言と色目を徹底排除した彼の、想定という傘の外側に、ウィステルはいる。沈黙という嘘を、つき続けながら。
傘の外側……ううん、それでいい。
わたくしは守ってほしかったんじゃない。
ローワン兄様に背中を預けてほしかったように、フィセリオ様の隣に並び立てるようになりたかったはずなんですから。
守りたいもののために、正直であることを捨てた。彼と同じ嘘の形を抱いた共犯者として、歩み続ける。
その罪がいつか、フィセリオの手によって裁かれる日が来るとしても。




