第19話 元貧乏令嬢への難題
旅行から帰ってきた翌日、ウィステルの部屋は大きな試着室にされていた。年始の王家主催の夜会のためのドレスを新調するため、休暇を残しておいたフィセリオ立ち会いの下、試着をしながら相談することになったのだ。
ドレスはたくさんあるからと遠慮したかったのだが、もう引き返せないほどに話が進んでしまっている。この状態でいきなり依頼を取り下げれば、仕立屋側にとって大きな痛手となる。キャスバート公爵家からの依頼がなくなることで収入が減るだけでなく、同時に評判も損ねることにもなりかねない。
「す、すごいドレスの数ですね……」
旅行で屋敷を離れている期間を利用したのか、仕立屋は万全の準備を整えている。仕立て台に飾られた見本のドレスが三着、試着用のドレスは三十着ほどはありそうだ。ウィステルのソファを囲うように三方向の壁が埋まっており、圧迫感という言葉が頭をよぎる。
ドレスは視認しやすいよう虹のように色分けされて整然と並び、鮮やかな発色のものから淡い色合いのものまで色の濃淡まで意識して取り揃えられていた。この気遣いと配慮の塊が全て自分へ向けられたものという事実に、恐縮の念が天元突破する勢いだ。
「はじめまして、仕立屋のアディンタムと申します」
「ウィステルと申します。婚儀と祝宴用のドレスを仕立ててくださったと伺っております。わたくしにはもったいないほどの美しいドレスをありがとうございました」
フィセリオが求婚し、婚約から婚礼まで一ヶ月もなかった。にも関わらず、ドレスは完璧に仕上げられていた。フィセリオが代金を上乗せし、無理を押し通して仕立てさせたであろうことは簡単に想像できる。それが少し申し訳なく、権力者の気まぐれほど恐ろしいものはないと背筋が震えた。本当に……本当に、気の毒だ。
「お褒めに預かり、光栄にございます! 仕立屋の仲間たちにも伝えておきます」
そんな苦労を滲ませることもなく、アディンタムは誇らしげに快活な笑みを浮かべた。彼はカバンから数冊の分厚い本を取り出すと、テーブルの上に開く。それは本ではなく、布の種類や色の見本、レースや刺繍の模様の図案が一覧になったものだった。
「早速ですが、今回はどのようなドレスをお仕立ていたしましょうか? 見本や試着用のドレスもできるだけ持って参りました。気に入られたものがございましたら、遠慮なくお申しつけくださいませ」
こ、この中から選んでいくんですか?
途方もない……!
ラティマー領にいた頃は、既製品のドレスで間に合わせていた。父が生きていた頃に買った二着のドレスを何年も着回すしかなかったウィステルにとって、押し寄せるようなドレスの大群と辞書より分厚い一覧に、早速目が回りかけている。圧倒的な物量の前に、謎の敗北感を叩きつけられていた。
「フィセリオ様は、どんなものがよろしいと思いますか?」
「婚儀のときは私が決めてしまったからな。今回は君が好みのものを選ぶといい」
ふわりと和らげた、温かな表情と眼差しがウィステルへと向けられている。妻の願いを最大限取り入れようという夫の心遣いと、それを見守る侍女たちの穏やかな空気感。それがウィステルを断崖絶壁へと追い詰めていることなど、誰も気づきはしない。
優しさが……優しさがつらすぎます……!
わたくしの「助けてくれ」という悲鳴が聞こえないのですか!?
こちらの気持ちなど露知らず、フィセリオの“妻を愛する夫”のフリが流れ弾のようにウィステルを貫いていた。ウィステルは視線を彷徨わせ、部屋の隅で音もなく控えているジャスミンたちに目を留める。
一瞬助けを求めかけ、慌てて口を噤んだ。問われたところで、彼女たちを困らせるだけだ。これはクローゼットの手持ちのドレスから選ぶのとは訳が違う。
侍女が主のドレスの購入に口を挟めるはずがない……
この分厚い辞書のような一覧から色やデザインを選べる自信はなく、このまま呆然とソファに座り込んでいても仕方ない。ウィステルはおもむろに立ち上がると、仕立て台に着せられて並べられた見本のドレスへと近づく。
三着ともボールガウンのドレスで、使われている生地もシルクタフタを基調としているが、デザインも装飾も異なっている。一つは王道の格調高さを強調しつつも、ふんだんにレースや刺繍の施された豪奢な山吹色のドレス。
もう一つはシルクのオーガンジーを数枚重ね、魔術で作り出した結晶のビジューを散りばめた、幻想的な雰囲気の淡い空色のドレス。
そして最後の一つは、刺繍もレースもない代わりに紺と白の二色の布を使い、同じ素材の布で作られた大きくてシンプルなリボンがあしらわれた都会的であまり見ないタイプのデザインをしていた。
「そちらの三着は我々が製作した中でも指折りの自信作なんです。お気に召したものはありましたか?」
「そうですね……」
どれも素敵ですけど、気後れしますね……華やかで。
「この三着の中では、この山吹色のドレスが良いのではないでしょうか?」
紺と白のドレスはデザインが明らかに王道から外れていて、無事に着こなす自信がない。王家主催の新年の夜会には一線を退いた義父母も参加する。社交場での心無い言葉に病んでしまった義母を守るためにも、ドレスなんていう初歩の初歩で失敗している場合ではない。
空色のドレスは“公爵夫人”が王家主催の夜会に着ていくには少し甘い雰囲気だ。これは夫人というより令嬢向きで、ウィステルの年齢的には問題なくとも立場的には少し軽い印象を受ける。
となれば、残すは無難を求めたこのドレス一択しかない。戦士に例えるなら、ドレスは防具。手堅いものを選べば、一定の防御力は保証される。
「そちらは三点の中で、最も気品と威厳を感じられるデザインになっております」
気品と威厳。つまり威圧感。防御力だけでなく攻撃力まで高いドレスということだ。デザインはこの方向性しかないだろう。
「そちらがお好みということでしたら、こちらのドレスはいかがでしょうか?」
アディンタムが試着用のドレスの群れの中から一着を選び、部屋の中央に置かれた衣装掛けへとかける。そのドレスを見て、ウィステルは変な声を上げそうになるのをギリギリでこらえた。
「キャスバート家の象徴である紅に総レースの生地を重ね、華やかさと威厳の両方を兼ね備えたデザインに仕上げています。試着してみませんか?」
これはあまりにも派手……!
いえ、派手というよりこれはもう、存在感で人をなぎ倒せということですか!?
「紅は……わたくしに似合うでしょうか……?」
「せっかくだから、一度着てみるといい。ジャスミン」
「畏まりました、フィセリオ様。ウィステル様、あちらで着付けいたします。参りましょう!」
「え、え……?」
ジャスミンたちに追い立てられるようにして、ウィステルは紅のドレスと共に仕切られたカーテンの向こう側へ吸い込まれようとしている。自信がないのは事実だが、背中を押してほしかったわけではない。「そうじゃない」とフィセリオに視線を送ったが、目が合っても彼はふっと笑みを深くするだけ。
わかっててやっているのか、本気でこれが最善と思って振る舞っているのかわからない。ウィステルはカーテンの中に飲み込まれ、ジャスミンたちに手際良く紅のドレスへ着替えさせられてしまった。
「ウィステル様、さすがですね。紅もよくお似合いですよ! いつもの雰囲気と違って、とっても凛々しく見えます!」
ジャスミンはそう言って褒めてくれるが、鏡に映る自分が果たして本当に似合っているのか似合っていないのか、ウィステルにはわからなかった。侍女たちはサッとカーテンを開き、否応なくお披露目されてしまった。
「ウィステル様の藤色の髪、それから紅玉のような色の瞳にもよくお似合いですね。フィセリオ様、いかがですか?」
「そうだな……」
アディンタムの好意的で温かな表情とは対照的に、微笑んだままのフィセリオの銀灰の瞳の奥には、スッと冷えた温度が差す。肘掛けに肘をつき、値踏みするように手で口元を覆う。
「悪くない。装飾品は、金も銀も似合いそうだな」
「宝石も良いでしょうが、ドレスの色が強いので真珠で清楚にまとめてもウィステル様らしくてよろしいかもしれません」
などと、なぜかフィセリオとアディンタムで話が進んでいる。女性のウィステルより、間違いなくフィセリオの方が知識もセンスも決断力も上だ。改めて確信した。
え、この流れ……もう紅で決定ですか?
本っ当に、紅の布でドレスを作ってしまうんですか?
こんな攻撃力の高そうなドレスで夜会に乗り込む自信がない。服だけ戦闘力が高くても、それを着ることで自分の心の戦闘力を削られていたら本末転倒だ。なんとか紅の色を回避するべく、ウィステルは視線を彷徨わせていた。




