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第12話 思惑は淡い紅茶の香

 お茶会の参加者全員が席に着き、侍女たちが最初の一杯目とお菓子の準備を進めていく。全て行き渡ったことを確認してから、ウィステルは口を開いた。


「一杯目のお茶は、マーチリッジ領の茶葉をご用意いたしました。東方からお越しになられた方には馴染み深い味かと存じますが、どうぞお召し上がりくださいませ」


 マーチリッジ公爵夫人が今日来られないことは事前に把握している。そのときから一杯目はマーチリッジ領のものにすると決めていた。


 お茶会にはマーチリッジ派の家門にも招待状を送り、ありがたいことに王都を挟んだ反対側であるキャスバート領まで足を運んでくれている。


 しかしその首長とも言えるマーチリッジ家が不在ともなれば、西方の不慣れな地で心細く感じる者がいてもおかしくはない。これはウィステルなりに、彼女たちへ歓迎と尊重の意を示す意図があった。


「欠席されている……マーチリッジ家の?」

「えぇ。ご招待にはお応えいただけませんでしたが、その名産の香りだけでもここにお迎えできたらと思いまして」


 ウィステルはそっと、自身の右手側に座る令嬢に視線を向ける。緩やかに内に巻いた亜麻色の髪に、そわそわと心許なさそうに揺れる瑠璃色の瞳。彼女はマーチリッジ派に属し、東方の高原地帯に領地を持つオルデン侯爵家の令嬢だ。


『た、体調が優れない母の名代で参りました。オルデン侯爵家の、ローダンセと申します。本日はお招きくださり、ありがとうございます……』


 ローダンセと名乗った彼女は、紫陽花のような淡い青のドレスを震える指で摘みながら、カチコチと固い動きで挨拶した。明らかな、嘘の甘い匂いをまとわせながら。


 オルデン侯爵家からの招待状の返事には『夫人出席』と記されていた。言葉と挨拶のときの表情から察するに、おそらく母の体調が悪いという点と招かれてありがたいという点、どちらも事実とは乖離しているのだろう。あの不安そうな顔で「招いてくれてありがとう」はさすがに無理がある。


 なぜ仮病で欠席し、娘を出席させたのだろうか。単に出席したくないのであれば、始めから不参加か娘が代理に、と記せば良かったはずだ。下手をすれば角が立ちかねない対応をしたということはつまり……こちらの出方を推し量っているのだと推測できた。


 今日のことが、彼女を介して伝わることは間違いない。とはいえ訪れたのが誰であろうと、尽くす誠意は変わらない。ウィステルはウィステルなりの最善で尽くす。ただ、それだけだった。


 ローダンセは振る舞われた紅茶を一口口にすると、ホッと口元を小さく綻ばせる。どうやら馴染みのある味が、彼女の緊張を少しだけほぐしてくれたようだった。


「東方の紅茶は香りが豊かですわね」

「えぇ。これは渋みも少なくて、初めの一杯によく合いますわ」


 漏れ聞こえてくる感想から、紅茶や焼き菓子の評価が悪くないものだと伝わってくる。爽やかな秋風の空気を胸に吸い込むと、左手側の奥の席から、話しかけられる。低めの艶のある声は、静けさと凛とした威厳を宿していた。


「こちらの白磁のティーカップは、どちらのものかな?」


 黒髪の直毛がサラリと零れ、澄んだ深緑がウィステルをまっすぐ視線で射抜く。アールストン公爵家夫人、ホリンだった。


 北の国境を護るアールストン公爵家は、代々忠誠と献身を誓っており『武のアールストン』とも呼ばれている。彼女自身も子爵家出身の元騎士で、現当主に見初められて公爵夫人になったと聞いたことがあった。


「それはわたくしの故郷、ラティマー領のものです。初めて開くお茶会ですから、わたくしの故郷のものにも親しんでいただけたら嬉しいなと……」

「ほぅ……白磁の白に紅茶の色がよく映えて……シンプルなデザインで、私は好みだ」

「ホリン様のお気に召していただけて光栄です」


 ラティマー領は資源に乏しく貧しい土地柄だが、だからこそ民の努力や輝きが秘められている。こうして誰かに照らし出されて認めてもらえると、自然と誇らしい気持ちになった。


 ホリンは涼し気な眼差しが、ティーカップの純白を映している。微かに細められた穏やかな瞳の静謐さを乱すように、小石のように言葉が投げ込まれる。その主は、フェアファクス公爵夫人であるロクシーナだった。


「確かに、白が美しいティーカップですわ。本当に、綺麗で“慎重な”茶器選び……けれど、せっかく初めて主催されるお茶会ですもの。もう少し華やかさを添えてもよろしかったかもしれませんわね」


 ロクシーナは扇で口元を隠したまま、すぅっと目を細めて笑む。チクリと、白いティーカップでは“無難に”収まりすぎていると嫌味を言われていた。そこへすかさず切り返したのは、発言の発端となったホリンであった。


「そうだろうか? 私にはこの紅茶の紅が、十分に華やかに思えるのだが」

「雪景色に、北の空の青が映えるのと同じですわね」

「あぁ。貴女にもあの空の美しさをご理解いただけて嬉しい限りだよ」


 まだ不慣れな公爵夫人として、ホリンは助け舟を出してくれたのだろう。矢面に立って凛とした姿勢を崩さない姿は、かつての騎士時代の姿を想起させられそうなほどだ。


 それに対してロクシーナは、白を雪に例え、ホリンの住まう北の地の空色を引き合いに出す。それは褒め言葉のようでいて、その実“白と青しかない素朴な風景の中で暮らしているからそう見えるだけ”という毒を含んだ嫌味以外の何物でもなかった。けれどそれすらも、ホリンは軽やかに笑って包み込み、往なしていた。


「白磁を見ていると思い出してしまいますわね……ラティマー家に置かれましては、先代当主がお亡くなりになられたのは本当に残念なことでしたわ。せっかくローワン様自ら援助を乞いに来てくださったのに。お力になれなかったこと、今でも心苦しく思っておりますの」


 残念そうに目を伏せたロクシーナから、鼻が曲がりそうなほど強く甘ったるい嘘の匂いが漂う。その瞬間、亡くなった父と必死に領地と民を守ろうとした兄を、ぐちゃりと踏みにじられたような心地になった。


 さすがに聞き捨てならないが、ここで感情的になっていては底が知れる。声が怒りで震えそうになるのを抑えながら、ウィステルは扇で口元を隠して目いっぱい微笑んでみせた。


「お気遣い、痛み入ります。フェアファクス様のご懇意に預からずとも、キャスバート公爵家のご厚意で、こうして新しい人生をいただけました。未熟者ゆえ、同じ公爵夫人としてロクシーナ様の振る舞いから学ばせていただくことも多いでしょう。どうか今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします」

「えぇ、どうぞ励んでくださいませ?」


 こちらの不快感を見透かしたように、ロクシーナは上機嫌な声をしていた。ウィステルの嫌味を嫌味として受け止めつつ、それでも下手に出て対応するしかなかったのね、と言わんばかりに。


 きっと彼女はウィステルにヘレニーテと同じ道を辿らせたいのだろう。けれどウィステルは、あの心優しい義母とは違う。ラティマーという不毛の地で、雑草のように生き延びてきた。その根強さをナメてもらっては困る。こちらはもう、何十年に渡る長期戦を覚悟してきているのだから。



 一杯目の紅茶が終わり、二杯目にはキャスバート領の茶葉で淹れたミルクティーが振る舞われる。


「こちらは、ラティマー領で採れたかぼちゃを使ったタルトでございます。ウィステル様の『この季節らしい一品を』とのご意向で、厨房にて工夫を凝らしたものをご用意させていただきました」


 料理長のベルフラムの説明と共に、小さな丸いかぼちゃのタルトが小皿の上へと乗せられていく。鮮やかなオレンジ色に、かぼちゃの種の緑とアーモンドの欠片が添えられ、素朴になりがちな見た目にも工夫が凝らされていた。


「かぼちゃなんて、田舎臭いですわね。キャスバート公爵夫人として相応しくないのではなくて?」


 その一声はフェアファクス派に属する夫人の一人からだった。ロクシーナは一言も発さず、扇の奥で優雅に微笑んでいる。先ほどロクシーナが直接ウィステルに言葉をかけたのはきっと『今日の的は彼女だ』と示す意図もあったのだろう。


「かぼちゃといえば……商人に混じって、お祭りに出店なされたと伺いましたわ。さすがは元ラティマー家のご令嬢。慈善事業の皮を被せて、ちゃっかり売り込みだなんて」

「まぁ、お上手なのか野蛮なのか……」

「ねぇ、“商売ごっこ”って、楽しいものなのかしら?」


 クスクスとこらえるような冷笑は、皆フェアファクス派に属する夫人……二年前までは、味方であったはずの人たちからだった。フェアファクス派からキャスバート派へ寝返った裏切り者に制裁するつもりなのかはわからないが、先に切り捨ててきたのはフェアファクス家の方だ。


 だが四人の中で唯一、三番目に発言した夫人だけは嘘の匂いがした。つまり本心ではそう思っていない。彼女だけは強い敵意を抱いておらず、派閥の空気に合わせただけなのだろう。


「皆さん気高く、お美しく、立派に務めまで果たしていらっしゃるようで何よりです。民から慕われなくては、ただのお飾りと言われてしまいますから、公爵夫人になったばかりのわたくしは必死なのです」


 着飾って、優雅に紅茶やお菓子を嗜んで、世間話に花を咲かせているだけなら誰だってできる。もちろん彼女たちが彼女たちのやり方で貢献できているならそれで構わない。ただ貴族としての余裕を誰が支えてくれているのか、そこに見向きもしなくなれば終わりだ。


 だからこそウィステルは、民と関わることを選んでいる。公爵夫人らしくないと言われても、自分なりのやり方で。


「まぁ! 賤民のように媚びへつらわなくては慕われないなんて、お可哀そうですこと……!」

「ふふ、これからも変わらず媚びへつらって参りますので、どうぞお構いなく」


 ウィステルは暴言をありのまま受け止めつつ、その場で切り捨てた。自分が貶される分には構わない。どれだけ貶められようと、芯さえ捨てなければ立っていられる。だから穏やかに、優雅に、いくらでも微笑んであげよう。


「それより、タルトを召し上がってみてください。わたくしの必死さを、キャスバート家の一流の料理人たちが支えてくれた一品ですから」


 ウィステルの行動は、決して一人で成し得ているわけではない。それを陰ながら支え、励ましてくれる人たちがいる。その人たちまで、貶されたまま終わるわけにはいかなかった。



* * *



 その後、予定通り昼前にお茶会は終了となり、帰っていく夫人たちに小さな包みを手渡す。キャスバート領のアーモンドを使ったフロランタンに、小さなメッセージカードを添え、キャスバート家の象徴である紅のリボンを結んだものだった。


「ローダンセさん、お菓子はお口に合いましたでしょうか?」

「んぇ、ぁ、ウィステル様っ。は、はい。とても美味しくて……かぼちゃのタルトは、その、おかわりしてしまいました……」


 照れたように笑うローダンセに、最初来たばかりのときのような緊張はない。紅茶とお菓子の甘さが、彼女の心を上手くほぐしてくれたようだった。


「ふふ……お気に召していただけて嬉しいです。こちら、もしよろしければオルデン夫人の分もお持ち帰りください」

「え!? いいん、ですか……? もう私の分はいただいているのですが……」

「余分に準備しておいたので大丈夫ですよ。お大事にしてくださいね」

「あ、ありがとうございます。きっと、母も喜ぶと思います……甘い物、好きなので……」


 ペコペコと頭を下げるローダンセの様子は、あまり侯爵令嬢という感じがしない。そもそもこういう場自体に慣れていないのか、お茶会中も挙動不審なときがあった。


 最初の挨拶にこそ嘘はあったが、あれはやはり彼女の母であるオルデン夫人の思惑であり、ローダンセ自身は至って純朴な人なのだろう。オルデン領はキャスバート領からは離れているものの、彼女自身は信頼できそうだとウィステルは感じていた。


「オルデン領はハーブや薬草が有名と伺っております。また機会がありましたら、お話し聞かせてくださいね」

「はいぃ……機会が、あれば、ぜひ。それではっ、今日はこれで失礼いたします」


 ローダンセは体を強張らせて顔を赤くしながら、ぎこちなく一礼する。こちらが礼を返すと、そろそろと静かに歩き出し、その背中を見送った。


 賑やかだったガーデンルームは、紅茶の微かな芳香を残して静かになっていく。音もなく吹いた秋風と共に、コツコツと一人分の靴音が近づいてきた。


「今日のお茶会はなかなか楽しめたよ。バラのコーディアルも美味しかった。ありがとう」

「ホリン様、こちらこそありがとうございました。よろしければコーディアルシロップのレシピを伺って参りましょうか?」


 ホリンへ尋ねると、彼女はそよ風のようにそっと飾り気なく笑み、首を横に振った。


「……いや、いい。それはまた、ここに来る口実に取っておこう。では、私はこれで失礼するよ」

「はい。またお待ちしております」


 ホリンは深緑のドレスの裾を(ひるがえ)し、颯爽と去っていく。それはまるで、騎士が外套を翻す姿にも似ていた。


 今日は彼女に助けてもらう場面も多かった。ひとまずアールストン家とは読み合いのようなことをしなくて済みそうだ。今日のお茶会でわかったのは、主にウィステルに対しての各家の好悪だ。キャスバート家自体に敵意があるかどうかまでは振り分けられていない。


 とはいえ、親しくしていけそうな家門がいくつか見つけられたことに、ウィステルはふっと安堵の息を漏らした。

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