第11話 踏み抜かれても立ち上がる雑草のごとく
収穫祭での出店は無事終了し、民からの評判も上々だ。商人たちから不満が出たという報告も無く、成功したと言っても差し支えないだろう。
一方、収穫祭への出店をこなす傍らで進めていた、別の計画が大詰めを迎えようとしていた。それは各家の当主夫人を相手にした『新公爵夫人主催のお茶会』だ。
招待状を送った家からの返信が揃い、お茶会開催日に向けての準備を前公爵夫人であるヘレニーテと専属侍女のジャスミン、そして茶菓子を担当する料理長のベルフラムと相談する。茶菓子が決まると、ベルフラムは退席した。
茶菓子、装花と順調に決まり、最後に席順の相談へと移る。席順次第で、当日の空気や雰囲気は大きく変わるだろう。
今回ウィステルがお茶会を開く目的は『どの家と親交を深めるか見極めるため』そして『味方を作るため』だ。
ラティマー家は元々フェアファクス公爵家派に属し、その最大の政敵であるキャスバート公爵家とは緩い対立関係にあった。
しかし没落と共にフェアファクス家に見限られ、ローワンが派閥からの離脱を宣言。更にウィステルがキャスバート家へと嫁いだ。その時点でラティマー家はキャスバート侯爵家派へと取り込まれた。
当然、かつては味方であったはずのフェアファクス派に属する全てが敵対関係となってしまった。それに加え、キャスバート派の家門は、ラティマー家として敵対してきたウィステルを快く思っていない可能性がある。
味方はいないかもしれない。
けど、だからこそ──開催する価値がある。
「フェアファクス家を呼ぶなんて……あなたは肝が据わっているわね……」
「平等に声をかけた方が批判は湧きません。それにわたくしに攻撃をしかけてきてくださるなら、それに対する他の方々の反応も見られます。味方を見極めて関係を築くという目的には欠かせません」
「そう、ね……けれどね、あの方の言葉は……遅効性の毒のようだから……どうか無理はしないでね」
ヘレニーテが心を病んだのは社交場での心ない言葉だった。特に政敵であるフェアファクス家からの当たりの強さは相当なものだったと聞いている。彼女がフェアファクス家を呼んだことを憂うのも仕方のないことだった。
「万全を期して計画しているんです。きっと上手くいくと私は信じてますよ!」
ジャスミンの溌溂とした声に鼓舞され、ウィステルは紙にペンで席を描き、第一案として名前を記入していく。そこから二人の助言を取り入れつつ、座席表を完成させた。
その夜、ウィステルが寝室の隅の机で兄への手紙を書いていると、寝台の上で座っているフィセリオが声をかけてきた。顔を向けると、彼は昼間作成した座席表の写しを手にし、視線を落としている。ウィステルは手を止めてペンや手紙を片付け、寝台の近くへと寄った。
「お茶会の座席表ですね。何か不備がありましたか?」
「そうではない。ただ、母上が君をとても心配していた。それにしても、これはまたずいぶんと“攻めた”席の配置にしたな」
座席表を見たフィセリオの反応は、ヘレニーテやジャスミンと同じものだった。ウィステルは席を全員の顔が見られるよう、長テーブルを四角形にすることに決めた。そして自身を下座に置き、その正面に政敵であるフェアファクス公爵夫人をあえて配置したのだ。
この国の公爵家は四家あり、西のキャスバート家、南のフェアファクス家、残りは北のアールストン家と東のマーチリッジ家だ。マーチリッジ家は距離と政務を理由に不参加だが、アールストン家は参加することになっている。
同じ家格でも、アールストン公爵夫人よりフェアファクス公爵夫人の方が年上だった。もっともらしい理由で反感もなく、真正面の上座に座らせることができる。そうして静かに圧をかけることで『わたくしは逃げない』という意思表明でもあった。
他にはキャスバート家と親しくしている家門、それぞれの派閥に属する家門、近隣の中立の家門をそれぞれ均等になるように呼んでいる。席は派閥同士で固めず、より純粋な反応を見るためにバラバラに配置した。
「フィセリオ様も、わたくしでは厳しいとお考えですか?」
「君が主催の戦場だ。君の好きに采配するといい。攻めたやり方は、私も嫌いじゃない」
信頼、してくれてる……?
「それはわたくしへの信頼と受け取ってもよろしいのでしょうか?」
「もちろんだ。視察も収穫祭も成功を収めた実績がある。全く信頼しないという方が無理だろう?」
「……わたくしを信じてくださって、ありがとうございます」
ウィステルを見つめるフィセリオの瞳に、仄かに光る魔石灯の明かりが差す。穏やかで優しい表情に、胸の奥が少しだけ熱く疼いた。愛はなくとも小さな信頼の芽生えを感じ、少しだけ報われたような気がした。
フィセリオはクスッと小さく息を漏らして笑う。そこに嘲りはなく、どこか懐かしむように目を細めた。
「何か、ありましたか?」
「……求婚に行ったときのことを少し思い出した。あのときも、君やローワン殿は強気で私に攻めてきていたな、とね」
フィセリオは面白いものを見つけたと言わんばかりに、楽しそうに小さく肩を揺らしている。それは愛おしんでいるようにも見えるが、手のひらの上を駆け回る小さな愛玩動物を眺めているようにも感じられた。
「まさか、君が積極的に公爵夫人として働いてくれるとは思っていなかった。要らぬ苦労をかけてしまうな」
「愛されているからと、お飾りのままでいるわけには参りません。与えられた立場に釣り合うよう、わたくしなりに尽くしていくつもりです」
一応は、元政敵の家に嫁ぐことになったウィステルを気遣ってくれているらしい。フィセリオとの関係は歪で、決して良いものとは言えないのかもしれない。それでも少しずつ、交わす言葉に温度が宿っていくようで、小さな喜びのようなものを感じていた。
「そうか、助かるよ。今日は計画を立てて疲れただろう? そろそろ休んだ方がいい」
「そうですね。おやすみなさい、フィセリオ様」
ウィステルはそっと左手を前に出すと、フィセリオはきょとんと目を丸くする。左手を一瞥し、驚きを隠さずにウィステルを見た。
「あ、もっ、申し訳ありません! ついいつもの流れで、大変失礼なことを……!」
そこでようやくハッとして左手を引っ込める。フィセリオは毎日「おやすみ」と共に、ウィステルの左手の指先に口づける。それがウィステルの中でも習慣化してしまったのか、無意識に手を差し出してしまった。
口づけをねだったみたいで恥ずかしい……
おまけに格下のわたくしから手を差し出すなんて、無礼にもほどが……!
「やっと慣れてきてくれたんだな。私は素直に嬉しく思うよ」
フィセリオはふわりと顔を綻ばせ、その熱っぽい眼差しから逃げるようにウィステルは視線を下へと逸らす。引っ込めた左手を取られ、いつもと変わらない仕草で指先に唇が触れた。
けれど口づけがいつもより長く感じられて、体がじわじわと侵食されるように強張って火照っていく。演技の一環でしかない行為になんとも感じていなかったのに、今日は異様なほどに顔まで熱い。
「おやすみ、ウィステル」
「お、おぉおやすみなさいっ」
ウィステルは猫がじゃれるときのような速度で手を引っこめると、逃げるようにして寝台の上で横になり、布団を頭から被った。自分の軽率な行動も恥ずかしかったが、フィセリオの言葉に嘘がなかったことがよりウィステルの羞恥を煽り立てている。
どうせ、その方が嘘の信憑性が上がるってだけなのに……!
夫婦らしさが出れば出るほど、フィセリオがつき続けている嘘は真実に近づく。“嬉しい”という言葉に嘘がないのも、こうして妻としての“油断”が出ることが、彼にとって好都合というだけでしかない。
嘘だとわかっている。なのに、なぜだろうか。彼の作られた笑みを、言葉を、本物だと信じたくなってしまうのは。
フィセリオがまた微かに笑い、布団の上からぽんぽんと優しく撫でてくる。まるで子供扱いされているようで、唸り声を上げて悶えたくなるほど恥ずかしい。早くこの火照りが消えるようにと祈りながら、ギュッと固く目を閉じた。
* * *
お茶会の準備に追われて、瞬く間に一週間が経った。お茶会の当日を迎えたウィステルは、会場になっているガーデンルーム前の入口にいた。
天気も良く、庭園を望むガーデンルームの扉は全て開け放たれている。遠くから聞こえる馬の蹄の音が、涼やかな秋風に乗って耳を掠めた。間もなく訪れる来客の報せは、ウィステルの淡い蜂蜜色のドレスの裾を静かに揺らし、微かに強張った吐息を梳いた。
少しして、準備を終えたガーデンルームへ、招待した夫人たちが侍女に案内されて続々とやって来る。ウィステルは、穏やかな微笑みと共に迎え入れた。
「ようこそお越しくださいました。ささやかではありますが、どうぞお楽しみくださいませ」
「ありがとうございます。ご招待に預かり、光栄ですわ」
到着した各家の夫人と、ひとりひとり名前を確かめるように丁寧に挨拶を交わしていく。忙しなく来客に対応していると、ウィステルの鼻先を、ふと薔薇のような香りが掠めた。ガーデンルーム側から視線を戻すと、来客の案内をするジャスミンの姿が見え、一層気を引き締めた。
キャスバート家と対立しているフェアファクス家は、最も信頼しているジャスミンに対応するよう頼んでいた。彼女の後ろを歩くのは、紛れもなくフェアファクス公爵夫人・ロクシーナとその娘のアマリリアだった。それぞれボルドーと珊瑚色のドレスを身にまとっており、装飾品もゴテゴテしすぎず品良く身に着けている。
南方の温暖な景勝地に領を持ち、代々自由と豊かさを重んじているフェアファクス公爵家。『美のフェアファクス』と謳われているだけあって、彼女たちの着こなしはいつも評判が良かった。
「ようこそお越しくださいました。ささやかではありますが、お楽しみいただけましたら幸いです」
「お招きいただいて光栄ですわ」
「お久しぶりですわ、ウィステル様」
互いに礼を交わすと、ロクシーナの斜め後ろに控えていたアマリリアが少しだけ首を傾げる。不思議なものを見るような視線がウィステルを舐めると、彼女は紫苑色の瞳を更に丸くした。
「今日のドレス、なんだか朝もやのようですわね。陽射しに当たったら存在感がなくなってしまいそうですわ」
「アマリリアの眼はまだまだですわね。ウィステル様の奥ゆかしさに、とてもよく似合っていらっしゃるじゃないの」
「言われてみればそうですわね、お母様」
アマリリアからは嘘の匂いがせず、ロクシーナからはほんの僅かに嘘が混じる。悪意なく本心を口にしたアマリリアと対照的に、ロクシーナは本心にない褒め言葉に嫌味を詰め込んだような発言だった。
「秋の陽をイメージして色を選びました。陽射しに溶けるように馴染んでいるのであれば、わたくしとしては嬉しいです」
ウィステルはフェアファクス母娘へ、変わらぬ微笑みを返した。ラティマー家であった頃はここまでではなかったが、キャスバート公爵夫人となったことで明確な敵と定められたようだった。
「朝は肌寒いですが、日が昇るとまだ少し暑いですね。どうぞガーデンルームへ。ウェルカムティーの代わりに冷えたバラのコーディアルをご用意しています。よろしければ、お召し上がりくださいませ」
「まぁ! バラですって。楽しみですわ!」
アマリリアは頬を少しだけ赤く染めて、目を輝かせた。精巧な人形のように端正で愛らしい顔で、無邪気に笑みを零す。年齢はもう十八のはずだが、彼女はいつも無垢で幼い印象だ。以前と変わらず今も、両親に大切に育てられているのだろう。
二人の背中を見送りながら、ウィステルはそっとロクシーナの背中を一瞥し、視線を外した。
これはわたくしからの宣戦布告……“弔い合戦”の始まりですよ、ロクシーナ様。
あなたが一線を退く、その日まで。
父と兄が守り繋いできたラティマー家の誇り。義両親やフィセリオが背負うキャスバート家の、公爵家としての誇り。
援助を申し入れた兄を見下し、一切手を差し伸べることなく亡き父の誠実を踏みにじった。そして、ヘレニーテの心を折ったことを──ウィステルは決して忘れない。
その全てを胸に、正面から受けて立つ。
フェアファクス公爵家ともなれば、よほどのことをしでかさなければ失脚させることは難しい。けれど社交場を面白くない場所にしてやるくらいはできる。
わたくしに戦う舞台と力をくださったフィセリオ様に感謝しなければなりませんね。
ラティマー家にいた頃にはできなかったが、キャスバート家に嫁いだことでそれが可能になった。これはその長い戦いに身を投じる、最初の一歩だ。




