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「みんなと同じ感性」であることに安堵する人たち

作者: 山田マイク


 こないだとある漫画の感想にこんなものを見つけました。


 この漫画はすごくつまらなくなったので半年前に読むのをやめた。

 今、世間のみんなの感想を見ていると、この漫画は酷評の嵐。

 ああ自分は間違ってなかったんだなと思ってホッとした。

 

 僕ね。

 こういう人が一番怖いんですよね。

 こういう人が増えることが本当に恐ろしい。


 この人はこういう考えなんです。

 俺が面白くないと思ったものを、みんなも同じように面白くないと感じてくれて嬉しい。

 みんなと同じ感想を持てたことで安堵してる。

 ああよかった、俺はみんなと同じなんだ。

 みんなと同じになれたんだ。

 そういう考え方なんです。


 即ち。

 「人と同じ感性を持つこと」を良きことだと思ってるんです。

 みんなが面白いと思ってるものを面白いと思うことが正義である。

 みんながつまらないと思ってるものはつまらないと思わなければならない。

 そういうことです。


 僕はね。

 「感性」は「他者」と切り離して欲しいんですよね。

 何を面白いと感じるか。

 何を美しいと感じるか。

 そういうのって、その人のアイデンティティじゃないですか。

 その人をその人たらしめてる個性じゃないですか。

 その肝。

 根幹。

 根っこのところを「人と同じ」にしようとする。

 これはとても怖いことですよ。

 それは即ち、「同じじゃない人を排除する」ってことですから。

 「みんなと違う感性」を悪だとするってことだから。


 みんなと同じものを好きだと思えること。

 それは正義でもなんでもない。

 美徳でもなんでもない。

 単なる「結果」です。

 何か優れたコンテンツがあった。

 それを多くの人が面白いと感じた。

 それは、優れたコンテンツだから「結果として」多くの人が夢中になるわけです。

 「みんなが面白い」と評した結果、「優れた作品」となるわけではないんです。

 この順番は、絶対に間違っちゃいけない。

 

 何が面白いか。

 何を美しいと感じるか。

 それは、最も大事にすべきことです。

 その根幹を、他者に委ねてはいけない。

 自分が自分である証明を、人と比べちゃいけない。

 あーみんなと同じものを好きになれてよかった。

 みんなと同じものを嫌いになれてホッとした。

 こんな思想をしてる人が増えると、この世界から文化は消えていく。

 みんなとか関係ない。

 自分だ。

 自分が、面白いと感じるかどうか。

 それだけ、大事にして欲しい。

 そうおもうんですよね。



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