6.少女の寝相と膝枕
「……で、」
翔奏の前に仁王立ちしている少女が、問いかける。
「結局寝る場所、どうするんですか?」
「あー、寝る場所……」
本来の目的を思い出し、翔奏は頭を捻る。
うーん、と唸り声を上げて数秒考えた結果。
「……やっぱり、俺が床で寝るよ」
「いや私が……って言っても、折れませんよね」
予測していたという感じで言って、少女が腰に手を当てる。
「しょうがないです、私が折れます。翔奏さんは床で寝て、私がベッドで寝ます」
「……本当にありがとうございます」
深々と頭を下げ、というか俯いて翔奏は言う。
今日は、この少女に感謝しっぱなしだ。自分のことといい、場所のことといい。面倒見がいいという表現型台紙かどうかは分からないが、少なくとも人を観察する目が肥えていることには違いない。
——俺からは、なにも渡せていないのに。
「じゃあ、私は寝ますので。おやすみなさい」
「……あぁ、うん。おやすみ」
少女にかけられた言葉に数秒遅れて気づき、翔奏は慌てて言葉を返す。
少女がベッドに入り、横たわる。
……やっぱり、変な気持ちになる。懐かしいような、だけど新鮮な。どっちつかずの感情が、翔奏をその場に留めさせる。
ふと視線を移動させて時計を見ると、午前三時を過ぎていた。
「……明日も、学校あるしな」
聞く人のいなくなった虚空に向かって、呟く。
そうすると、なぜかやらなければいけないという義務感が湧いてきて、まずは歯を磨くために本日四度目の洗面所へ行く。そうして簡単に歯を磨き、部屋に戻る。
戻ると、真っ直ぐにタンスに向かい、そこから毛布と使っていないリュックサックを持ってくる。
床に枕代わりにリュックサックを置いて、そこに寝っ転がり毛布を上からかける。すると、あっという間に寝床の完成だ。
……なんて言ってみたが、実際これは突然の思いつきでしたことだ。もともと用意していたわけではない。
最悪リビングのソファで寝るが……いやむしろソファで寝たほうがよかったか? と思ってきたときにはもう瞼が閉じ始めていて、ここから動くのは到底今の脳みそでは考えられなく、翔奏は睡魔に任せて眠りについた。
——また、明日。
と、思っていたのだが。
ドゴッ
「っ!?」
突然鳴った打撃音に、一気に睡魔が散って瞼が開く。
「なに!?」
泥棒でも入ってきたのかと思い、音の鳴ったと思う方向に目をやる。
そこには。
「……みずは、さん?」
翔奏の左に、少女が落ちてきていた。驚きすぎて思わず「みずはさん」と呼んでしまったのは気にしないでおこう。
体勢的にベッドから落ちたのだろうか、と思ってその衝撃でも起きない少女をまじまじと見ていると、一つの仮説が浮かんだ。
——もしかして、寝相悪い?
ベッドから落ちるなんて、相当寝相が悪くないとできない芸当だ。しかも起きていないということは、感覚も鈍いのだろうか。
……もし思っていることを読まれていたら怒られそうなので、そろそろやめておくか。
限度を感じ、翔奏は考えるのをやめる。
だが、そのとき。
「んんー……」
少女が寝返りを打った拍子に少女のパジャマの裾がはだけて、その隙間から白い肌が覗いた。
「っ!? ちょ、え、お、おい……!」
こういう突然のことには未だに慣れていない翔奏はどうしていいか困惑する。もう少し冷静な状況であったら正常な判断ができるのだが、睡眠欲と焦燥感に追われて脳が狂っている。
自分がパジャマを直すわけにもいかないし、そもそも少女を持ち上げてベッドに戻すこともためらわれる。触れるには相手の了承がないといけないと、前に思い知った。
だったら、取るべき手段は一つだ。
少々、いたたまれるが。
「み、みずは、さん、起きて……!」
小声で、少女の耳に向かってそう言う。
そう、無理矢理起こして自分でベッドに帰ってもらうのだ。睡眠を妨害することになってしまうが、だが床で服がはだけながら寝るよりはマシだろう。
だが何回呼びかけてもなかなか起きないので、翔奏は少女の肩を揺する。
「みずはさん、起きて……! みずはさん!」
だめだ、全然起きない。そう思った時。
「んん……? なんへふか……?」
「起きた……!」
眠そうにゆっくりと目を開けながら、少女は起きた。
ようやく起きた、と思い翔奏は今の状況を説明しようとする。
「えっと、さっきみずはさんが寝相が悪くてベッドから落ちてきちゃって、それで、だから、ベッドに戻ってもらいたいんだけど」
少しうろたえながら、なんとか状況を説明する。
と、半目の少女は納得したんだかしてないんだか分からないような曖昧な返事で頷く。
「わかいまひた、もおりまふ……」
本当は寝てるんじゃないかみたいな声だそう言い、少女はよろよろと立ち上がる。
その姿を見て、ふう、と翔奏は安堵のため息を吐く。ようやくだ。ようやくこれで寝れるんだ、と。
だが、それが甘かった。
「ああ……」
「うおォっ!?」
気合の抜けたような変な声を出しながらバランスを崩した少女が、翔奏の方に倒れ込んできた。そしてここばかりは運が良かったのか、翔奏の膝の上に少女の頭が降りてきた。
少女の頭が守られたのは良かったものの、翔奏の膝に一時的に莫大な負荷が集中し、翔奏もまた変なうめき声を上げた。
「ってぇぇ……み、みずはさん!?」
もう一度起こそうと膝の少女に声を掛けるも、ぐっすりと眠っていて起きる気配がまるでない。
翔奏は苦痛に顔を歪めながら、起こすのを諦める。
ベッドに連れていけない、起こせない。となれば、もう選択肢はない。
そう、朝までこのまま。
「……まじ、か」
いつのまにかはだけていた毛布を少女にかけ、翔奏はなるべく膝の位置を移動させないようにしながらリュックに頭を預ける。
こういう状態を、世の中では膝枕というのだろうか。まったく、その体裁をなしていないようにも見えるが。
「はぁ……」と疲労のため息を吐く。瑞葉、これはさすがに偶然だ。許してくれ。
内心で瑞葉にそういいながら、翔奏は今度こそ寝ようと瞼を閉じる。
いろいろあったが、今日はなんというか、この一、二時間が本当に騒がしかった。
瑞葉のような少女に出会い、その少女といる場所が別なことに驚き、翔奏が自分の特別に気づき、間違いに気づき。だけどそれを大丈夫だよ、と言ってくれた人がいて。
思えば、いつも抱いている感情を、今はあまり思っていないような気がする。それよりも、考えなければいけないことがたくさんあったからだ。
色がついた、なんて言ってみたりして。翔奏は自分の痒さに苦笑しながら、意識をまどろませる。
——明日は、どうなのだろうか。
久しぶりに明日のことを考えながら、翔奏はゆっくりと、眠りについた。
二人の息遣いだけが、部屋の中に響いた。
6.少女の寝相と膝枕




