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咆哮はやがて轟音へと変わった。大地を蹴る足音が村を震わせ、獣の影が波のように迫ってくる。
「前を固めろ! 魔獣を越えさせるな!」
「傷が浅いやつは立て、まだ戦える!」
冒険者たちの怒号が飛び交い、剣戟と悲鳴が重なり合う。村人たちは戸口に怯えながら、祈るようにその音を聞いていた。
そのとき。
扉が乱暴に開け放たれ、血にまみれた冒険者が駆け込んでくる。
「悪い!人手が欲しい!!武具と道具も、できるだけ大量に!!」
店内にいた客たちが一斉にざわめいた。
「もう村まで来てるのか!?」
「嘘だろ、こんなに早く――!」
「くそっ、武器を貸せ、すぐに!」
混乱の声に飲まれながらも、リディアは両手でカウンターを握りしめた。恐怖よりも強い衝動が、胸の奥から湧き上がっていた。
リディアは窓の外に目をやる。森の方角からは、低い咆哮が風に乗って届いていた。梢の隙間に赤黒い影が蠢く。数は、想像をはるかに超えている。
呼吸が浅くなり、足が地面に縫いつけられるように動かなくなった。
「……魔獣か」
カイルが低く呟いた。その声は抑えられていたが、震える店内の誰もが聞き取った。眉間に皺を寄せる表情には、焦燥と同時に、覚悟の色が宿っている。
「森の中だ……数が多い。前衛がもたない!村に雪崩れ込む前に、誰か手を貸してくれ!」
膝をついた冒険者が、血に濡れた手で懇願する。
その言葉を聞いた瞬間、リディアの体は考えるより先に動いていた。軽い剣や短剣、矢筒を持てる限り抱え、必死に腕の中へ詰め込む。残りは布で包んで背にくくりつけた。重さで腕が震え、指から滑り落ちそうになる。
――今、渡さなきゃ。遅れたら、誰かが死ぬ。
だが、外に踏み出したところで足が竦んだ。森の暗がりに、牙を光らせた魔獣の影。本能的な恐怖が、全身を凍り付かせた。
「おい……何やってんだ」
背後からの声に振り返る。そこにいたのはカイルだった。大きな荷物と棍棒を軽々と手にしたその姿は、いつもの道具屋ではない。全身が、戦うために研ぎ澄まされているように見えた。
「店もお前も俺が守る。どんなに止めてもお前はやめないだろ。だから――お前はやりたいようにやれ」
短く吐き捨てるような声。だがその響きには、優しさが滲んでいた。
次の瞬間、森から飛び出した魔獣の爪がリディアへ迫る。
「「危ないっ!」」
轟音。
シルヴァンの大槌が唸りをあげ、振り下ろされた瞬間、魔獣の頭蓋が砕けた。カイルが応戦し、黒い血が飛び散り、地面に叩きつけられた巨体が痙攣する。彼の背にも槍や長剣が束ねられ、片手で抱え込まれていた。
「僕だって戦える!あとは任せてリディ姉ちゃんは店に戻って!」
普段は工房に籠もる鍛冶屋が、今は彼女の前に盾のように立ちはだかっていた。リディアは息を呑むが、腕の中の武具を手放すことはできなかった。
「……私は、みんなを助けたい」
「ああ、分かった」
自分に言い聞かせるように呟き、それに呼応するようにカイルが頷く。シルヴァンは顔を歪めたが、最終的に二人についていくように森の中に足を進めた。
戦場はすでに混沌としていた。冒険者が倒れ、武器が折れ、負傷者の呻きがあちこちから響く。
「怪我人と武器が折れた奴は下がれ!俺とシルヴァンが対応する!」
カイルの声が森に響く。
シルヴァンは慌てて膝をついている冒険者の剣を拾い上げ、柄に布を巻き、簡単に補強する。リディアは矢や短剣を手渡して周り、補強を終えたシルヴァンは長剣や槍を次々と抱えて前線へ放り投げる。修復された武器を受け取った冒険者が吠え、戦線に舞い戻る。その繰り返しが戦場を支えていた。
カイルは後方で負傷者を抱え、冷静な声で指示を飛ばす。ポーチから取り出した包帯を渡し、薬草を押しつける。
「縛れ!動脈を抑えろ!死なせるな!」
冒険者たちも、その声に背を押されるように動き始める。カイルの言葉には焦りよりも確かな力が宿り、場を支配する重みがあった。
しかし次第に、傷付き疲弊した者が増え、戦線が軋み始めた。リディアは必死に武器を配り歩くが、追いつかない。気が付けば前線すぐそばまで踏み込んでいた。
「これ、持っていって!」
直接剣を手渡す。
その瞬間、影が走ったかと思うと、魔獣の爪が彼女を狙った。
「危ないっ!」
シルヴァンが飛び込み、庇った。腕に鮮血が走る。
「なんで前に出るの!シルヴァンまで怪我したら――」
「いいから黙ってろ!」
苛烈な声。だが、その瞳はただ彼女を守ろうとする決意に満ちていた。
カイルはそんな二人を見て、唇を固く噛む。手早く目の前で呻く冒険者の応急処置を終えると、棍棒を瞳に映した。
奥噛みしたのは負傷者も同様だった。意を決して、冒険者たちが口々に叫ぶ。
「カイルさん。道具屋のあんたに頼むことじゃねえが、あいつらを、俺たちの仲間をサポートしてくれないか。」
「時間を稼げれば、俺たちも向かえる」
「すまない、怪我したばかりに…」
その言葉にカイルの表情が揺れた。
「……あとは頼む」
彼は負傷者を仲間に託し、ゆっくりと前へ歩を進めた。
請われるようにして、カイルは戦線に加わった。リディアのそばにいたいが、今はこの気持ちを優先すべきではない。魔獣を退けるために助力することがやるべきことだと心に決め。一心不乱に棍棒を振り抜き、魔獣の顎を砕く。普段は道具を扱う手が、今は戦場を支えるために力を振るっていた。
戦況はなお厳しい。その時、カイルが懐から瓶を取り出した。
「前を開けろ!!」
いつか見た爆薬の大瓶。
砕け散った瞬間、閃光が爆ぜた。
白光が森を切り裂き、魔獣たちが悲鳴を上げる。
冒険者たちは雄叫びを上げ、一斉に前へ。
「今だ!押せ!」
誰かの叫びに応え、カイルとシルヴァンもまた請われるがままに、戦場へと躍り出た。
共に前を支えるその姿は、もうただの職人でも商人でもなかった。
最後の一体を仕留めたのは冒険者だった。
だが誰もが知っていた。
鍛冶屋が武器を繋ぎ止め、道具屋が命を繋ぎ、彼女が命をかけて戦線を奔走したからこそ、この勝利はあったのだと。
森は静まり返り、血と鉄の匂いだけが残る。
リディアは剣を握りしめ、震える息を吐いた。
「……私、ちゃんと……役に立てたかな」
カイルは隣で棍棒を杖にしながら苦笑する。
「お前は無茶しすぎだ」
シルヴァンも腕の傷を押さえながら睨みつけた。
「リディ姉ちゃん…もっと自分を大事にしてよ!」
リディアは小さく笑って答えた。
「だって、みんなが頼りになるから……つい前に出ちゃったんだもん」
「……お前ら、ただの店屋じゃねえな」
一人の冒険者が苦笑混じりに呟くと、他の者も頷き、肩を叩いてきた。張り詰めた空気が少し和らぎ、笑いが零れる。
「「あー疲れた」」
安堵と疲労がどっと押し寄せ、誰ともなしに土の上で大の字になるのだった。




