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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魅了魔法のその後で──婚約破棄した悪役令嬢ですが、王太子が逃がしてくれません

久しぶりに短編書きました。

どんでん返しもご用意してお待ちしております。

ご覧いただけると嬉しいです。

 


 異世界から聖女様がやってきたのは、一年と半年ほど前のことだった。



 ◇◇◇◇◇



 このロヴェルダイン王国には、聖女伝説がある。

 百年に一度くらい、聖なる力を持った聖女が異世界から降臨するのだ。

 その逸話は、民にもよく知られている。


 聖女は祝福をもたらす力を持っていて、それはそれは大事にされ、崇められる。その崇拝を取り込むために、聖女が王室と婚姻を結ぶことは、もはやこの国の慣例になっていた。


 百年前に降臨した先代の聖女も当時の王太子と結婚していた。今回の聖女降臨に際し、人々が聖女と王太子の結婚を考え始めたのも当然の流れだった。

 そしてそれを阻む婚約者が邪魔者扱いされるのも、まあ自然なことだった。当時すでに王太子との仲が危ぶまれていた婚約者は、針のむしろにいるような状態に陥ったわけだ。

 聖女がこれまたよくできた人物で、人々のために何かをしたいという博愛精神に満ち溢れた献身的な人柄だったのもそれに拍車をかけた。


 聖女は王太子に恋をしているようだったし、王太子も聖女にまんざらでもないのは、周りで見ていた誰もが気づいていた。

 婚約が破棄されるのは、時間の問題だったのだ。


 そして、国民がしびれを切らせて、婚約者を悪役令嬢と呼び始めたころ、それは起こった。


 王太子と婚約者、聖女の通う学園の卒業パーティで、王太子が悪役令嬢に婚約破棄を言い渡したのだ。


 悪役令嬢は負けたのだ。


 それが、一年前のことだった。



 ◇◇◇◇◇



「ねえねえ、聞いた? 王太子殿下の婚約式がやっと決まったんだって」

「聖女様との一年越しの恋を実らせたのねえ」

「あの元婚約者、ひどかったらしいじゃない。ほんと別れて正解よね」


 隣の席の女性たちは、楽しげに噂話に花を咲かせている。

 私は、この港町のお気に入りのカフェのお気に入りの席でくつろぎながら、のんびりと噂話に耳をそばだてていた。


「思ったより長くかかったわよね。大衆の面前での婚約破棄でしょ。最初の熱愛ぶりから、すぐにご結婚なさるかと思っていたのに」


(そうよねえ。思ったより時間がかかったんで私も驚いてる)


「婚約破棄から次の婚約まで1年は置かないと諸外国に対して決まりが悪かったんじゃないの?」

「悪女だっていう元婚約者は、曲がりなりにも公爵令嬢だったわけでしょう? 上位貴族の面子を立てたのかもしれないわ」


(確かにそうかもしれない。王室に変な印象がつかないためには、最低限の礼儀と常識はあることを見せた方がいいしね)


「そう言えば、元婚約者はどうしてるのかしら? 話を聞かないけれど」

「社交の場に全く出てこなくなってしまったらしいわよ」

「まあ、そうでしょうね。恥ずかしくて外を出歩けないでしょうね」


 私は、そこまで聞くと席を立った。




 外に出ると、港町の独特な潮の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。

 胸いっぱいに香りを吸い込んで大きく伸びをする。


「うーんすがすがしい」


 私は数か月前からこの港町に滞在している。

 ちなみに、この一年ほどは、数か月ごとに国内の様々な都市を巡り、その地域の文化と生活を楽しむ旅をしていた。

 何からも追い立てられない、のんびりまったりの旅生活は、とても充実していて楽しかった。


「王室の婚約って、そのあと、主要都市訪問があるのよね」


(この町にもきっと来るよね。それまでにはここを出ようかなあ。関係者もいっぱいくるだろうし、何があるかわからないし)


「そろそろ外国に行くのもいいかもしれない」


「そうやってまた逃げ出すつもりか」


 低く、澄んだ、声だった。

 冷たい余韻を残す聞き覚えのあるその声に顔を上げると、そこには──彼がいた。


 金髪に碧眼。切れ長の瞳に通った鼻筋。舞台俳優もしっぽを巻く整った顔立ち。

 けれど、彼の身分を物語るのはその容姿ではない。

 その身にまとう、支配者たる威厳。


 セディアス・ヴァル・ロヴェルダイン──殿下。この国の王太子だ。


 そして私は彼がここに来た理由を知っている。


 リシェル・ノクティア・エルグレイン──婚約破棄されたくだんの悪役令嬢とは、私のことだからだ。



 ◇◇◇◇◇



 十年前。

 王太子セディアス・ヴァル・ロヴェルダインと、公爵令嬢である私、リシェル・ノクティア・エルグレインの婚約が相成った。

 さらさらの金髪に碧眼の美少年。くせのある赤髪にくりくりとして翠眼の気の強そうな可愛らしいと言えなくもない少女。二人の少年少女は、そこそこにお似合いだった。


 これは純然たる政略結婚だった。

 王家が当時手に負えなくなりつつあったヴェルクロード、イサルジェント、トルネヴァルト、ネリアステといった新興貴族四家に対抗するための措置だったのだ。

 政治から離れていた古い名門貴族である我がエルグレイン公爵家を取り込むためのものでもあった。

 政略結婚だったけれど、私たちはそこそこ仲良く過ごしていたと思う。


『リシェ、この課題は終わったか』

『あらセディ、私のほうが進んでるわよ』

『リシェ、今日俺は剣術師範に褒められたぞ』

『ふふん、セディ、美術の先生に私の絵を展覧会に出すことを勧められたわ』

『リシェは生意気だ』

『セディは情けないわね』

『リシェは……ほんとは泣き虫のくせに』

『なっ、泣いてないわよっ、セディのばかっ』


 この後だって、セディアスは、庭の隅へ逃げ込んだ私を探し出して、泣き止むまでじっとそばにいてくれた。

 生意気で、負けず嫌いだけれど、家が恋しくて泣いてしまう幼い少女を思いやることのできる少年だった。

 喧嘩もしたけれど、私たちは最後にはいつも手を繋いでいた。


 けれど、それがうまくいっていたのは、父が亡くなる五年前までだった。

 父が亡くなってからは、エルグレイン家は急速にその力を失っていった。

 公の場以外で王太子に近づくことが難しくなり、私たちの距離はいつの間にか、遠くなっていった。

 もはや、私たちの婚約に政略的な意味などなかった。


 そして、そんな中、聖女降臨が起こったのだ。


 聖女を庇護するのは王家の役目だ。

 聖女と王太子の距離は、急速に近づいた。


 聖女降臨から半年が過ぎた、一年前。

 卒業パーティーのその日、私は、久しぶりに王太子にエスコートされて会場に入った。

 王太子の不愉快そうにしかめた顔も、会場中から注がれる刺すような視線も、聖女の泣きそうな顔もいつものことだ。

 とうに慣れてしまった。

 豪奢な赤髪を翻したきつい目つきの悪役令嬢よりも、黒髪の幼い顔立ちをした愛らしい聖女を応援したくなるのは、人間の性だ。どうしようもない。


 そんな中、聖女は目に涙をため、果敢に私の前に立ちふさがった。


「リシェル様。王太子殿下を自由にしていただけませんか」

「それは、私ではなく殿下におっしゃったら?」

「あなたが、家の力を使って殿下を縛りつけているのはわかっています!」

「それ、本当? 証拠でもあるのかしら?」


 私は鼻で笑ってあげる。

 その方が悪役令嬢らしくて素敵でしょう?


「殿下! 私がお支えします。殿下の隣にふさわしい者に、私がなってみせます。私にチャンスをください!」


 王太子は目を細め、聖女に何か言おうと口を開いた。


 その時だった。

 それが起こったのは。


 私はその瞬間を見てしまった。

 戸惑うように王太子が表情を変えたのは一瞬だった。

 ぱあっと、花開くようにあふれでる恋心。

 次の瞬間、王太子の瞳にはもう、聖女の姿しか映っていなかった。


「そなたの心意気に応えよう」


 聖女は、涙で歪みかけていた顔を歓喜でほころばせる。


 うれしそうに、満足げにほほ笑む聖女と恋する王太子。

 その場にいる誰もが、王太子がついに聖女の想いに応えたのだと──錯覚した。


(魅了魔法…)


 そこに存在していた禁術の存在に気づいていたのは、私だけだった。


 ──王太子は魅了にとらわれたのだ。




 その後はお決まりのパターンだ。

 私との婚約は、その場で破棄された。

 王太子は、転げ落ちるように聖女との恋に溺れていった。


 私は、誰かに恨まれて暗殺者や修道院のお世話になる前に、黙って行方をくらましたのだった。



 ◇◇◇◇◇



 私は、重苦しい威圧するようなオーラを周囲にまき散らしている王太子の前で膝を折った。


「この度はご婚約おめでとうございます、王太子殿下」


 ぎり、と苦虫をかみつぶしたように王太子の顔がゆがめられる。


「なぜ、俺の前から去った?」

「あら、おわかりでしょう? 私は、聖女様との婚約者を巡る争いに敗れたのです。敗者は美しく散らねばなりません。それが悪役令嬢の矜持というもの」


 赤い髪を揺らし、そう答えると王太子の威圧するようなオーラが凄みを増す。


「ならば、なぜ、敗けた?」

「お恥ずかしながら、私の力不足にございます。殿下にお認めいただくほどの能力を携えていなかったのです」

「ふざけるなっ」


 いつの間にか周囲に人はいなくなっていた。

 声を荒げる王太子のいつになく冷静さを欠いた様子に、私は小さく息をついた。


(私もきちんと答えないといけないわね)


「恐れながら申し上げます。私が戦わず、身を引くことを決めましたのは、国の利益の最大化のためでございます。この国に必要なのは、私のような旧態依然とした価値観を継ぐ古い貴族ではなく、聖女様のような民衆を味方につけた新しい風にございます。それに、彼女は殿下のことを愛しておりました。殿下を愛し、この国に身を捧げる覚悟をしておりました」

「国の利益か…ごまかすな。そのためには、何をしてもいいと思っているのか? ──よくもやってくれたな」

「……」

「なぜ、わざと敗者になった」


(あら、全部ばれてるのね)


「俺は、お前を許さない。俺に魅了魔法をかけて逃げたお前のことを」


 私は礼儀正しく沈黙を保った。


 ──そう、王太子殿下に魅了魔法をかけたのは、聖女様じゃない。


 元婚約者のこの私なのだ。




「お前のことだ。俺がここに来た理由も承知しているんだろう?」

「はい」


(私の処分が決まったのね。王族に禁術をかけ、その意思を奪うなんて、処刑ものだものね)


「殿下が迎えに来てくださったと言う事実が、最後の恩情かと理解しております。ですが──ねえ、セディ、最後の慈悲として、このまま見逃してくれない?」

「……撤回だ。お前は何もわかっていない」


 幼い頃の関係を彷彿させるように愛称を呼んで情に訴えてみた。

 くしゃっと顔を歪める王太子だったが、答えは期待したものではなかった。


(やっぱり無理よね。王権侵犯罪に、魔道干渉罪かしら。うーん、ためらわないでさっさと死体を手に入れて、死んだことにしておけばよかったかしら)


 いや、きっと私には無理だったに違いない。


「お前は、なぜ、魅了を、聖女に付与した?」

「先ほどもお話しした通り、国益のためです」

「国益のためと言うならば、他にも方法があったはずだ……魅了をかける相手は、俺でなくっ」


(あはは、気づいちゃったわね。そうね、私が自分に魅了をかけて、聖女を操るという選択肢もあったかもね)


 なんだか、王太子が泣きそうに見えてきてしまい、私は少しだけ本当のことを話してあげたくなった。


「……本当は、自分のためです。その方が逃亡しやすかったもので」


 王太子が目を見開く。


「もう、あなたったら、本当に昔から面倒ね、セディ。今も私の言葉に一喜一憂して。私があなたに魔法を使ったのは、そういうのが面倒で、全部投げ出したかったからよ」


(本当、駄目ね、セディ。傷ついた、と顔に書いてあるわ。この程度のことで傷つくから、あなたのそばにいられないのよ)


「本当、疲れるわ」


 私の呆れ果てたような、投げやりな笑みを見た王太子は、下を向いた。


 港町の風は、私の赤髪を巻き上げて、頬を撫でていく。

 私は、おそらく最後になるであろうその風を楽しんだ。


 しばらくして、王太子は小さくつぶやいた。


「それが、答えか」


 顔を上げた王太子の顔に残ったのは、憎しみだけだった。


(そう、それでいいのよ。セディ。私を憎みなさい)


「お前は、王城へ連れていく」

「ご随意に」


(せめて、悪役令嬢として優雅に散って見せよう)


 私は、王太子に連れられて、一年ぶりに王城へと戻った。



 ◇◇◇◇◇



 深夜、私たちの乗った馬車は王城に入り、私はある一室に監禁された。

 格子のはまった窓からは、明かりが入るが空しか見えない。ほとんど音も聞こえない、静かな部屋だった。

 美しい内装に整えられた調度品、美術品。多様な書籍が並ぶ書架。


(貴族牢かしら。処分を受けるまでは、心穏やかに過ごせそうね)


 貴族女性が犯罪を犯して死罪となる場合、多くは毒を賜る。


(こんな扱いをしてくれてるんだもの。ひょっとしたら、王家の毒を賜ることができるかもしれないわ)


 苦痛もなく、楽に死ぬことのできる毒薬に想いを馳せる。


 何か話したそうにしているメイドに、私は何も聞かなかった。

 王太子ともあれ以来会っていない。

 余計なことを考えず、ただ穏やかに、この一年、過ごした街と出会った人々を思い出しながら過ごした。


 そして、この貴族牢に到着して十日ほどたった日の夜だった。

 私の部屋にそのドレスが運び込まれた。


 鮮やかな碧のそれが何を想起させるか。さすがの私も眉を顰めた。


(皮肉かしら?)


「どういうこと?」

「王太子殿下より、明日の王宮主催のパーティにこれをお召しになってご参加いただきたいとのことです」


 一年前の卒業パーティだ脳裏に蘇るが、私は大きく息を吸って、気持ちを抑え込んだ。


「謹んで参加すると殿下に伝えてちょうだい」


 明日のパーティとは、王太子と聖女の婚約式だ。

 彼らが、最後に私に望むことは、華麗な断罪劇なのだろう。最後に憂いが何もないことを示して、この一件に幕を引きたいのだ。


(いいわ。あなたたちの望むようにしてあげる)



 ◇◇◇◇◇



 その日の午後、久しぶりに磨き上げられ、美しいドレスをまとった私を、セディアスが迎えに来た。

 彼が身にまとうのは、私の髪色の深紅を取り入れた、恥ずかしいほどに揃いであつらえた衣装だ。


「さすがに、聖女様が引かないかしら。……ああ、これも最後の恩寵? ばかばかしくて笑えるわね」

「覚悟はできたか」

「ええ、全て受け入れるわ」

「その言葉、守れよ」


 腕を差し出してエスコートしようとする王太子に、私は腕を絡めた。


「行くぞ、リシェル。覚悟を決めろ」

「ええ。もちろん。ひるんだりしないわ」


(もう、この部屋に戻ってくることはないわね)


 私は、頭を下げて見送るメイドたちとこの部屋を目に焼き付けた。




 きっと私は、皆の前で王族を害したとして断罪され、その場で毒を賜るのだろう。

 王家の毒は眠るように死に至る。

 婚約式の直前だったとしても血なまぐさいことにはならない。

 エルグレイン公爵家でさえ、王家に従わねば断罪されると言うのはいい見せしめになるだろう。


「セディアス・ヴァル・ロヴェルダイン王太子殿下、リシェル・ノクティア・エルグレイン公爵令嬢、ご入場」


 王宮の舞踏会ホールの入り口で、典礼官の声と共に、私たちは、会場へと入った。



 ◇◇◇◇◇



 ──と、華麗なる断罪劇の心構えをしていたのだが、これはいったいどういうことだろう。


「エルグレイン公爵令嬢、今までの数々のご無礼謝罪いたします」


 眼下には、壇上の私に向かい、頭を下げる聖女様の姿がある。


「この一年、聖女と共に、王宮にはびこった王権転覆をもくろむ過激派のあぶり出しと捕縛に力を入れてきた。一年前の婚約破棄も、そのための陽動にすぎない」


 私の隣には、会場入りしてからずっとそばを離れない王太子の姿がある。


「過激派として、ヴェルクロード、イサルジェント、トルネヴァルト、ネリアステの四家、並びにそれに連なる一族を捕らえた」


 会場をざわめきが支配する。

 名前をあげられた四家は、この国の政治と経済に深く入り込んだ貴族家だ。

 そこまでするのは、無理だと思っていた。


(だから、私は)


「聖女ミリア、王太子の恋人としての役目、ご苦労だった」

「本日、再び、私、セディアス・ヴァル・ロヴェルダインとリシェル・ノクティア・エルグレイン公爵令嬢の婚約が結ばれたことを宣言する」


 堂々とそう宣言した王太子セディアスの横顔に嘘はない。


「皆、夜会を楽しんでくれ」


 一呼吸遅れて、周りからワッと歓声があがる。


「リシェル、こっちへ」


 セディアスは、私に手を差し出すと、人々の歓声を背後に、私を王族専用のテラスへと連れ出した。


 人気のないテラス。

 こんな場所にセディアスと二人きりでいることに、本能的な恐怖が押し寄せ、セディアスの腕を引いた。

 セディアスは、足を止めると、私の耳元でささやく。


「大丈夫だ。リシェル。四家は全てつぶした。彼らの背後にあった暗殺ギルドは、全てこちらの傘下だ」


 優しく。諭すように。


「だから、リシェル。もう、お前が死ぬ心配も俺が死ぬ心配も、する必要がない」

「気づいてっ……⁉」


 私は驚いて彼の方を向く。

 彼の碧の瞳は、驚くほど近くにあった。


「だから、俺の最大の弱点がお前であることを隠すために、もう、わざとお前に冷たい態度をとる必要もない」

「え? ……魅了魔法をかけた私を憎んでいたんじゃ」


 港町で最後に見た彼の表情が忘れられない。


「憎んで……ああ、憎んでいたとすれば、お前にそんな選択をさせた俺自身のふがいなさに対してだ。お前は、知ってるだろう? 俺が、どれだけお前を愛しているか」


 その瞳の奥には、私をずっと見つめ続けていた、見慣れた、狂おしい光があった。


「四家の息のかかった秘書官と暗殺ギルドが、ずっと俺たちを見張っていた。常にお前の命が奴らの手にあった。やっと自由になれた」


 彼の少し低くてかすれたような声が、私の耳をくすぐる。


(彼も、私とおなじだったってこと?)


「いい加減、本心を教えてくれないか? なぜ、戦わずに姿を消した? ──お前も、俺を思ってくれていると思っていたのは、間違いだったのか?」


 彼の手が、私の頬に触れた。

 ぽろぽろと涙がこぼれてくる。


「ずっと、どうにかしようとしていたのよ? でも、どこにいてもあなたを殺そうとする人がいるの。どこにいても、私を殺そうとする人がいるの」


 頬に触れた彼の手にそっと手を添える。


「彼らから連絡が来たの。私を殺すって。でも、おとなしく身を引けば見逃してやるって──私、死ぬのなんて怖くなかったわ。あなたのためにならなんでもできる」


 私の頬に触れたセディアスの手が震え、私はその手を両手でぎゅっと握りしめた。


「でも、それじゃダメだって考え直したの。私は、絶対に死ねない──だって、セディ。あなた、私が死んだら立ち直れないじゃない」


 私の告白を静かに聞くセディアスの瞳もうるんでいた。


「怖かったの、あなたの想いが。だから魅了魔法を使ったの。あなたの心が聖女様に向けば、私が死んでもあなたは大丈夫だって思えたから。こんなに早く解けてしまったのは、誤算だったわ。本来、魅了魔法って、解けるものじゃないのよ?」

「俺のリシェルへの愛の前に、あんな魔法が役に立つものか」


 私は、片手を伸ばしてセディアスの頬に手を触れた。


「セディアス、私、あなたが好きよ。あなたになら全部あげる。何でもするわ」

「リシェル、愛してる。頼むから、俺のために何でもするなんて言わないでくれ。お前に何かあったら、お前の言う通り、俺はどうなるかわからないから」


 額が触れ合う。

 触れるほど近くにある彼の唇から吐き出される吐息が重なる。


 ──そして、唇が触れ合った。




 その後、私とセディアスは一年ぶりにワルツを踊った。


「それにしても、私も人を見る目がないわね。聖女様のあれが演技だったなんて」


 くるっと彼に背を支えられてターンをするのが、心地いい。


「私、ずっと聖女様があなたを本気で好きだと思っていたの。彼女、私に何度も直談判に来て、あなたへの恋が敵わなかったら闇落ちしそうな勢いだったもの」

「……リシェル、まさかとは思うが、魅了魔法を使った理由には、それも含まれていたりするのか?」

「え、ええ。だって、ちょっとかわいそうだったもの」

「……あの女殺してやる……」

「え? 何か言った?」

「なんでもない。そういえば、君には伝えていなかったけれど、彼女は、大陸各地の神殿を回ることになったんだ」

「まあ、そうなの? 彼女には感謝しているわ。きちんと話をしたいわ」

「難しいかもしれない。彼女、実は、隣国からの要請で、もうここを発ってしまったんだ」

「そんな急に? 残念ね。じゃあ、手紙を書くわね」

「ああ、それがいい」


 私を見つめるセディアスの瞳を、なんの憂いもなく見返すことができる。

 その事実に、心の底から笑みが漏れてくる。


「私たち、お互いを守り合っていたのね」

「そうだな。俺を守れるのは、リシェル、お前だけだ」

「ふふ、そうかもね。私を守れるのも、セディ、あなただけよ」



 ◇◇◇◇◇



「お、お願いします。どうかお赦しください」

「赦される罪か否か、自らに問うがいい」

「お願いします、どうか、どうか……」


(愚かな女だ。四家に利用され、今もまた、俺に利用されている)


「お前が〝無意識に使った〟魅了魔法は、王権侵犯罪、魔道干渉罪にあたる。いずれも拷問の上、死罪に値する。しかし、無意識だったことに、情状酌量の余地はある」


 聖女ミリアは涙で瞳を潤ませて上目遣いでこちらを見上げてくる。こんなくだらない女に、一時期とはいえ惑わされたかと思うと吐き気がする。


「殺しはしない。神殿で一生祈りを捧げるんだな。〝お前が使った〟魅了魔法の罪は、一生かけて償え」

「ありがとうございます! 王太子殿下」


 この女には、魅了魔法を使ったのは自分だと思い込ませた。

 俺が魅了魔法を使われたことは、どこからか漏れる可能性もある。

 そうなったときのスケープゴートとして生かしておく。


 本来であれば、あの日、リシェルは魅了魔法を使う必要などなかった。

 あの頃は、少しずつ確実に、四家の力をそいでいた、その途上だった。

 俺とリシェルがそれについて話し合う隙が、執拗な監視の下で与えられなかったことだけが悔やまれる。

 リシェルに魅了魔法を使う決断をさせた全てを、俺は許さない。

 命を対価に支払う、魅了魔法という選択を。


(一生飼い殺してやる。その命で贖え)


 聖女の治癒には、延命の効果もあるのだ。

 隣国には、既に偽の聖女を向かわせる手配は済ませた。


「俺を闇から守れるのも、堕とせるのも、リシェル、お前だけだ」


 俺は、地下牢の扉を閉めた。




最後までご覧いただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
面白かったです。魅了魔法で操られた系の話でこんなパターンもあるのですね。魅了魔法の元サヤ系は嫌う人が多いですが、これにはきっと多くの人がニッコリ出来るヒーローかと。 王太子の恋心と腹黒さと政治手腕が一…
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