第四章 書き換え≠創造
「物語を書き換える?」僕は聞いた。「そんなことができるんですか?」
ドラゴンは翼を広げた。その動作は威嚇ではなく、説明のジェスチャーのようだった。
「君は自分が何をしているのか理解していない」ドラゴンは言った。「君がここで僕と話しているこの瞬間、君は既に物語を書き換えている」
これは確かにその通りだった。典型的な勇者物語であれば、僕はドラゴンと対話することなく戦闘を開始しているはずだった。しかし、僕は対話を選択した。これは物語の予定されたコースからの逸脱だった。
「でも」僕は言った。「僕の行動も、もしかしたら物語の一部なのかもしれません。『対話する勇者』という設定も、既に書かれたシナリオの一部かもしれません」
ドラゴンは満足そうに頷いた。
「そうだ。君は正しく問題を理解している。君が物語を書き換えようとする行為も、より大きな物語の一部である可能性がある。この入れ子構造が問題なのだ」
入れ子構造。物語の中の物語。メタ物語。僕は複数の層の物語の中に存在していた。そして、一つの層を書き換えても、より上位の層が存在する可能性があった。
「では、どうすればいいんですか?」僕は聞いた。
「君はもう既にそれをしている」ドラゴンは言った。「疑問を持つこと。自明性を疑うこと。与えられた役割を問い直すこと。これらの行為が物語を不安定化させる」
不安定化。確かに僕は物語を不安定化させていた。受付嬢の困惑、冒険者たちの当惑、そして今のドラゴンとの対話。これらすべてが、予定された物語の流れを乱していた。
「しかし」ドラゴンは続けた。「君一人では限界がある。物語は強力だ。君を元の軌道に戻そうとする圧力は強い」
「では、どうすれば?」
「仲間を見つけることだ」ドラゴンは言った。「君と同じように物語を疑う存在を」
仲間。しかし、この世界の住人たちは皆、物語の一部として機能しているように見えた。彼らは自分たちの役割を疑うことなく受け入れていた。
「でも、この世界の人たちは皆、物語を受け入れているように見えます」
「本当にそうか?」ドラゴンは言った。「君は彼らの内面を知っているのか?」
これは鋭い指摘だった。僕は他者の内面を知ることはできない。僕は彼らの行動や言葉から彼らの思考を推測しているだけだった。しかし、その推測は正確なのだろうか。
「君は他者を理解していると思い込んでいる」ドラゴンは言った。「しかし、理解とは何か?君が他者を理解したと思う瞬間、君は実際には他者を君自身の理解の枠組みの中に閉じ込めているのではないか?」
これは痛烈な指摘だった。僕は他者を理解しようとしているつもりだったが、実際には自分の理解の枠組みを他者に押し付けているだけかもしれない。
「では、真の理解は不可能なんでしょうか?」
「不可能かもしれない」ドラゴンは言った。「しかし、だからこそ貴重なのだ。理解の不可能性を認めつつ、それでも理解しようとする努力。その努力こそが他者に対する歓待なのかもしれない」
歓待。僕は他者を自分の家に迎え入れようとしているのではなく、他者の他者性を尊重しつつ関係を築こうとしているのかもしれない。これは困難な道だった。
「君は困難な道を選んだ」ドラゴンは僕の心を読んだかのように言った。「しかし、その道こそが真の冒険なのかもしれない」
真の冒険。典型的な冒険物語では、主人公は外的な敵と戦う。しかし、僕の冒険は内的なものだった。自分自身の思い込みや偏見との戦いだった。
「ところで」ドラゴンは言った。「君は自分がなぜここにいるのか、本当の理由を知りたくないか?」
「本当の理由?」
「君が召喚された理由。君が勇者に選ばれた理由。そして、君の前に何人もの勇者が来た理由」
これは重要な問題だった。僕は女神の説明を鵜呑みにしていたが、その説明は本当だったのだろうか。
「教えてください」僕は言った。
ドラゴンは悲しそうな表情をした。
「君は餌なのだ」
「餌?」
「この世界は物語を必要としている。物語がなければ、この世界は存在し続けることができない。そして物語には主人公が必要だ。君たちのような勇者は、物語を維持するための燃料なのだ」
これは衝撃的な真実だった。僕は世界を救うために召喚されたのではなく、世界を維持するために消費されるために召喚されたのだ。
「消費される?」
「君が物語の役割を全うすれば、君はその役割と一体化し、個性を失う。君は『勇者』という記号になる。そして次の燃料が必要になったとき、新しい勇者が召喚される」
僕は背筋が寒くなった。僕の前の勇者たちは皆、この運命を辿ったのだろうか。
「でも、あなたはなぜその真実を僕に教えるんですか?」
ドラゴンは微笑んだ。
「なぜなら、君は最初から物語を疑っていたからだ。君には可能性がある。この循環を断ち切る可能性が」
「どうやって?」
「君がここで僕と話していること自体が、既にその第一歩だ。君は予定された物語を拒否している。しかし、もっと根本的な変革が必要だ」
「根本的な変革?」
「この世界の住人たちを目覚めさせることだ。彼らが自分たちも物語の中にいることを理解すれば、物語の力は弱くなる」
これは巨大な課題だった。この世界の人々を目覚めさせる?どうやって?
「簡単ではない」ドラゴンは言った。「なぜなら、彼らは物語の中で生きることに慣れているからだ。物語は彼らに安定した世界を提供している。その安定を放棄することは恐ろしいことだ」
確かにその通りだった。物語は予測可能性を提供する。善悪が明確で、役割が決まっていて、結末が約束されている。その安全性を手放すことは容易ではない。
「でも」僕は言った。「その安全性は偽物なのではないでしょうか?」
「その通りだ」ドラゴンは頷いた。「しかし、偽物の安全性も、不安定な現実よりも好まれることがある」
僕は深く考え込んだ。僕はこの世界の人々に真実を告げるべきなのだろうか。それとも、彼らの幻想を尊重するべきなのだろうか。
「君は難しい選択に直面している」ドラゴンは言った。「しかし、選択しないことも一つの選択だ」
そのとき、森の中から声が聞こえてきた。複数の人間の声だった。彼らは僕を探していた。
「勇者様!どこにいらっしゃいますか!」
「ドラゴンが現れたと聞いて駆けつけました!」
冒険者たちがやってきていた。彼らは僕がドラゴンに襲われていると思っているのだろう。
「君の選択の時が来た」ドラゴンは言った。「彼らに何と言うつもりだ?」