第一章 転生=暴力
異世界転生したけれど、この「異世界」という言葉自体が既に暴力的だった件について
僕は死んだ。
いや、「僕は死んだ」という文章を書いている今この瞬間、僕は明らかに生きている。では一体、「死んだ」とは何を意味するのか。そして「僕」とは誰なのか。この文章を読んでいる君は、「僕」が小説の主人公であり、これがいわゆる「異世界転生もの」の導入部分だと理解するだろう。しかし、この理解そのものが既に一つの暴力的な行為なのだということを、君は気づいているだろうか。
僕が「死んだ」のは、トラックに轢かれたからだった。いや、正確に言えば、僕は「トラックに轢かれたから死んだ」という物語の中に投げ込まれたのだ。この「投げ込まれた」という表現も既に問題を孕んでいる。誰が僕を投げ込んだのか。そして、その「投げ込み」の前に僕は存在していたのか。
君は今、この文章を読みながら、「ああ、これはよくあるなろう小説のパターンだ」と思っているかもしれない。その思考そのものが、既に君を特定の理解の枠組みの中に閉じ込めている。「なろう小説」という範疇化は、無数の可能性を持つテクストを、既知の型に押し込む暴力的な行為なのだ。
僕の前に現れたのは、典型的な「女神」だった。美しく、神々しく、そして何より「説明役」として機能する存在。彼女は言った。
「あなたは選ばれし者です。異世界で勇者として活躍してください」
この発話の暴力性について考えてみよう。まず「選ばれし者」という表現。選ぶ者と選ばれる者の間には、必然的に権力関係が生まれる。選ぶ権利を持つ者の存在は、選ばれる者の存在を前提としている。そして「異世界」という言葉。この言葉は、既にこの世界とは「異なる」世界の存在を前提としている。しかし、「異なる」とは何に対して異なるのか。基準となる「この世界」とは一体何なのか。
「勇者として活躍」という部分も興味深い。「勇者」という概念は、必然的に「敵」の存在を前提とする。敵がいなければ勇者は存在し得ない。つまり、僕が勇者になるということは、誰かを敵として規定することを意味している。これもまた暴力的な行為だ。
僕は女神に言った。
「待ってください。僕がここにいるということ、そして僕があなたの言葉を理解できるということ自体が既におかしくないですか。僕たちが同じ言語を使って会話できるのはなぜですか。」
女神は微笑んだ。その微笑みは美しかったが、同時に恐ろしくもあった。なぜなら、その微笑みは僕の疑問を理解したことを示していたからだ。理解するということは、他者を自分の理解の枠組みの中に取り込むことを意味する。他者性の消去。
「それは翻訳魔法があるからよ」
翻訳魔法。なんという便利な設定だろう。しかし、翻訳とは何か。異なる言語体系の間で意味を移し替える行為。しかし、意味は完全に移し替えることができるのか。翻訳の過程で何かが失われ、何かが加えられるのではないか。翻訳魔法という設定は、この根本的な問題を隠蔽する装置なのだ。
「でも」僕は続けた。「翻訳魔法があったとしても、僕たちが同じような概念体系を共有していなければ、コミュニケーションは成立しないはずです。『勇者』という概念が両方の世界に存在するということ自体が、この世界が僕の世界と根本的に『異なる』世界ではないことを示しているのではないでしょうか。」
女神の微笑みが少し固くなった。
「あなたは面倒な質問をするのね」
面倒。その通りだ。僕は面倒な存在だ。なぜなら、僕は与えられた役割を素直に受け入れることを拒否しているからだ。僕は「主人公」という役割を演じることを期待されているが、同時にその役割自体を問い直している。
「僕は本当に主人公なんでしょうか」僕は言った。「それとも、誰かが書いた物語の中の登場人物なんでしょうか。もしそうだとしたら、僕の自由意志とは何なんでしょうか。」
この質問は危険だった。なぜなら、それは物語の枠組み自体を問い直すものだったからだ。もし僕が物語の登場人物だとしたら、僕のこの疑問すらも作者によって書かれたものなのだろうか。しかし、作者とは誰なのか。そして、作者自身は自由なのだろうか。
女神は長い間沈黙していた。その沈黙は、答えのない質問への応答だった。
「行きなさい」女神はついに言った。「異世界で答えを見つけなさい」
そして僕は光に包まれた。