帰り道
道警の横田はKK運輸社長神河太助の殺人事件に頭を悩ませていた。
社長は立った状態から、散弾が体の胸周りに発射され、心臓を破壊されてなくなっていた。
第一発見者である笹川智子が社長を発見すると、流れる血を見て彼女は気を失ったそうだ。
で、気を失う直前に救急に連絡を行ったが、救急隊が来た時には完全に死に絶えていた。その為、警察に連絡することを忘れていた。
到着した救急隊から通報があって、ようやく警察が現場に着いた。
笹川がまず疑われ、夜のうちに署で取り調べを受けた。
だが、彼女の服からは硝煙反応はなく、壁に食い込んだ散弾の角度などから考えると、彼女の背格好では無りがある。
彼女がどうして社長宅に来たのか疑問だが、現時点では殺す動機も計画や手段も持ち合わせていないようだった。
その凶器の銃だが、殺された日の深夜に銃の盗難届があった。届けのあった銃はすぐに照会され、神河社長宅に放り出されていた猟銃であることがわかった。
銃を所持していたのは青海和俊と言って、北見市を中心として代行運転やタクシーを主業務としている『リョウコウ社』の社長だった。
彼は帰宅すると扉の鍵の手応えがおかしいことに気づいた。よく見ると扉の『デッドボルト』が切断されている。
すぐに窃盗に入られたと感じ、家の中のものを確認していると銃を保管しているロッカーの鍵も同様にロック部分が切断され、中にあった銃と弾がなくなっていたという。
神河宅の現場検証が終わると、そのまま青海の家に行って状況を確認した。
青海はその晩、街中のホテルで客人と会食後、車で送ってから帰宅したという。
丁度、犯行時間のあたりで一人で車に乗っているため、確かなアリバイはなかった。
そもそも、彼も神河社長を殺す動機がない。
第一発見者である笹川の証言の中で、社長の死体を見ている時に誰かが階段を下りていったように思う、という言葉がある。気を失いそうになる中の記憶で、曖昧なものかも指令が、犯人は笹川と入れ違いに家を出て言った可能性がある。
ただ、神河社長宅の近辺には、街路に設置した防犯カメラがなく、調べようがなかった。
カメラがなければ、目撃者を探すことになるが、冬の夜であり同じように確率は非常に低かった。
神河の妻、涼子が殺し、ぐるぐると近所を回ってきた後、ちょうど良い時間に戻ってきたと言うことも考えられるが、涼子も第一発見者と同じくらいの背格好であり、銃を『撃ち下ろす』ことができない。
そしてなりより、笹川と同じく妻の服にも硝煙反応はなかった。
「だが、誰かを容疑者として進めていかないと……」
一番、行動が不審なのは神河に呼ばれて自宅に上がり込んでいる笹川だった。
横田が確認した時、彼女は上着に自分の脱いだ靴を突っ込んでいた。
鍵が開いていたから怖くてそうやって中に入ったと言っていたが、靴を持って中に入ると言うことは、どこからでも逃げれるように、と言う意味になるだろう。
笹川の言う鍵が開いていた点だが、神河宅の扉も、青海の家で『デッドボルト』が切断されていたのと同じやり方だった。
凶器を盗むのと殺すために押し入る方法が同じであることから、やはり同一犯、あるいは同じ者が手助けをしていると考えられる。
「青海が銃を持っていることを知っている者が疑わしいことになるな」
残りは動機だ。
金品が盗まれている様子がない。
部屋も荒らされていない為、物取りではなく、純粋に殺すために侵入したようだ。したがって、警察は神河社長が死ぬと得をする者が行ったと考えた。
横田は現時点で容疑者として候補が上がった者について、近況などを調べ始めた。
横田は、徐々に集まってくる情報を総合していく。
まず、遺産が手に入る妻の涼子。
彼女については、夫が殺害されていた晩に智子を『愛人』と罵ったことが気になっていた。
どうやら神河社長に愛人がいると言う噂は、近しい人の間ではここ何年かずっとあったようだった。
笹川の写真を見せたが、神河の愛人だと言う証言は得られていない。
それと、この秋、冬において神河は真面目に仕事場に行き、真面目に帰ってきていると言う。
去年の秋、あるいは夏に、何か状況の変化があったのかもしれない。
「笹川の愛人説は、一旦保留といったところか」
一方で、涼子は、最近になって夜になると外出している事が多くなった証言があった。
それこそ、涼子の側にも愛人がいるのではないか、と言う噂だ。
「涼子の愛人もそれこそ『社長』らしい」
もし妻側にも愛人がいるなら、浮気した夫殺して遺産を受け取り、愛人を夫にできる。
動機は十分だ。
「横田さん…… 警視庁の香山です」
「えっと、何かご用ですか」
「KK運輸の社長が殺された件で、笹川という女性が容疑者になっていると聞きまして」
横田は立ち上がった。
そして机に広げている資料の中から、笹川を見つけた。
「この女性ですね。この人がどうかしましたか?」
「ある事件の容疑者を追っていまして」
「それが笹川ですか」
香山は首を横に振った。
「病室で女性看護師の胸を貫いた猟奇的殺人事件、覚えていますか」
「ああ確か病室にいたはずの患者が消えてしまったって」
「それです。患者は黒峰と言って、持っていたスマホの信号が最後、函館あたり消えている」
香山は黒峰の画像を和田に見せる。
和田は首を振って、見た事がないことを伝える。
和田は香山に座るように椅子を指し示すと、自分も座った。
「その黒峰とかいう容疑者が北海道に入って、笹川が匿っている、とか?」
「簡単に言うと、そういったところじゃないか、と思ってね。その運送会社の社長が殺された日、私が笹川を訪ねて、黒峰のことを質問をしているんですよ」
「……そんな心理状態で犯罪を行わない、ということですか? それとも逆ですか」
香山は両手を広げて見せる。
「そこは私もわからない。だが、まともな精神なら自分を追ってきた警察関係者がいるのに、銃を盗んで殺す、でしょうかね」
「さあ、それはそれ、これはこれ、と思っているかもしれません」
「捜査資料を見せてもらっていいですか?」
横田は手のひらを上にして、左右に開いて見せた。
「どうぞお好きに。あなたが追っている、その『黒峰』ってやつがやったかもしれませんしね」
「いや、これは直感なんですけどね。黒峰はもうこの世にいない。そんな気がするんですよ」
「じゃあ、なぜわざわざこの笹川という女を追ってこんな北の果てまで」
「……ただ、真実が知りたいんですよ」
香山と横田が資料を読み漁っていると、次々に若手の刑事が入ってきては、封筒に入れた資料を置いていく。
ある若い刑事が資料を置いて、帰っていくところを横田が呼び止めた。
「なんだこの封筒は」
「涼子夫人がある土産物販売業の社長と会っていたんですが、その社長は神河社長が言い争っているという情報が入ったんです。土産物販売業のプロフィールと言い争いの元になった土地の資料をまとめてあります」
若手に言われた言葉を聞き終えると、横田がその封筒に手を伸ばした。
「また社長か」
資料を読み始める。
香山は神河社長がなぜ笹川に家に来るようメッセージを送ったのかが分からなかった。
メッセージの時刻は間違いなさそうだ。
その時刻には、笹川は会社の事務所にいたし、社長のスマホについている指紋に彼女のものはなかった。つまり社長のスマホを『笹川自身が操作して』メッセージを送るということは出来ない。
次に笹川が事務所で山村からの電話を受けている。
電話会社からの調査結果が正しければ電話は転送されていない。つまり事務所で受ける必要がある。
そうなると、銃を盗んで神河社長宅へいく時間はない。
銃を盗み出すこと、社長を撃ち抜くこと、どちらも笹川ができる事ではない。
それらを他人にさせて、自分が一番疑われる第一発見者となるだろうか。
もしかすると、この事件は『社長を亡き者にする』事が目的ではなく『笹川を容疑者にする』あるいはもっと別の目的があったのではないか。
香山は立ち上がった。
「ドアのデッドボルトを切断した、とあります。こんな事、北海道では頻繁にあるんですか?」
横田は資料から目だけを覗かせて言った。
「ああ、それは現状、どうやってやったのか見当がついてない。回転するダイヤモンドカッターで切ることはできるだろうが、その時出る切屑とかが落ちていない。アニメとかの世界なら『斬鉄剣』のようなもので一刀両断できるんだろうが。まあ、そういう剣が存在するなら、扉を丸ごと袈裟斬りするんじゃないかな。絵的に派手になるし」
横田は香山が少し震えているように見えた。
「黒峰に容疑がかかっている看護師殺人事件も『凶器』が出ていない。血のついた凶器を拭ったような布なども。それこそアニメのように素手で体を貫いたのではないかと……」
「事件の共通点だと言いたいのですか?」
「同じように『笹川』が事件の近くにいます」
横田は香山の言いたいことが分からなかった。
ついさっき、猟奇殺人の容疑者である黒峰は生きていないんじゃないか、と言っていた。今度はそれぞれの事件の奇跡的な部分を、笹川を共通因子として語ろうとしている。
「香山さん、東京からきて疲れてらっしゃるんじゃないですか。今日はもう遅い、ちょっとそこらで飲みますか」
香山は表情を変えずに横田を見ている。
横田は手にしていた資料を封筒に戻すと立ち上がった。
「さあ、考えてても時間が過ぎるだけだ。付き合ってもらいますよ」
二人は小部屋を出て、そのまま夜の街に歩いて行った。
横田と香山はスナックのテーブルで顔を合わせるように座っていた。
横田が一方的に会話を仕切っていた。
「香山さんはいつまでこちらにいらっしゃるんですか? もうすぐ、網走湖もしっかり凍るからワカサギ釣りとか出来ます。たっぷりこっちにいるなら、流氷見てきたり、流氷祭りもありますよ」
香山は頷くと、水割りの入ったグラスをテーブルに置く。
「横田さん、流氷祭り、連れて行ってよ」
横田の隣席に店の女性がやってきて座った。
「アーニャ、俺はいいから、香山さんの隣に座ってあげなよ」
「香山さん、初めまして。そちらに座ってもよろしいですか?」
「ああ」
アーニャはとびきりの笑顔を見せた。
「嬉しい! あれ、グラス空じゃないですか。お酒注ぎましょうか?」
「すまない」
アーニャは氷を足し、テーブルにあったボトルから酒を継ぎ足すと香山に手渡した。
「香山さん東京の方って聞きましたよ。こっちは田舎で退屈でしょう?」
「いや、仕事だからな。退屈なことはない」
三分の一ほど飲んだグラスをテーブルに置くと、そう言った。
アーニャは首を傾げて、言う。
「けど、仕事じゃない時間はどうするんですか? 休みの日になったら、私の車で網走湖にワカサギ釣りに行きますか?」
「ありがたいが、ワカサギはあまり好きじゃない」
「アーニャ、それなら俺と行こうよ」
白く染めた髪を手でときながら、首を横に振る。
「香山さんがいくならいく」
「やっぱり香山さん、行きましょうよ」
香山はこれは何かあると感じて、彼らの誘いに乗ることにした。
「ああ、行こうか」
「ヤッタァ!」
アーニャが香山に手のひらを向けて微笑む。
香山は照れくさそうにそれに応じた。
アーニャはそれとなく横田にウィンクした。