容疑
冬季は閉鎖される農場施設。
メルヴィン・ハートリッジと、その眷属たちは日中の光を避けるため、ひっそりとその施設に出入りしていた。
日中の光。
これほど不思議なものがあるだろうか。
電気インフラのおかげで、夜も日中のような光を浴びることは可能だ。
では吸血鬼は夜間、同じ光の成分を持った明るいLEDの光を受けたらどうなるだろうか。
死なない。
波長の構成が違うからか? 強さが違うのか? そうではない。
彼らを滅ぼすには、やはり『太陽の光』でなければならないのだ。
何故か。科学的な理由である訳がない。
つまりこれは呪術的なもの。
『呪い』なのだ。
単なる木の棒ではダメージを受けないのに『破魔矢』となると受ける威力が増す。
質量や素材元素など、科学的な違いではない。
全ては吸血鬼がもつ能力と引き換えに与えられた、呪術的弱点なのだ。
陽が落ち、外には極寒の風が吹き荒ぶ。
棺を模したように横倒しにしたロッカーを開け、メルヴィンは起き上がった。
「ルビー・ハートリッジ」
眷属を使って追い詰めたのに、指一本触れることができなかった。
ルビーの中にいる人間が、ルビーの血の力を使ってメルヴィンに命令したのだ。
彼は吸血鬼の血の支配に逆らえず、思う通りに動けなかった。
「イヴァンナ」
メルヴィンは眷属を呼んだ。
彼女を含めて五人の眷属が、メルヴィンの周りに集まってくる。
「お前たちが人間社会にいた時のことを教えてくれ」
戸惑っている眷属たちも、時間が経つにつれ、さまざまなことを話し始めた。
メルヴィンは人間界の話を聞きながら、考えた。
ルビーの中にいる者は、所詮人間。
その人間の弱点を突けばいいのだ。
正面からまともに戦って勝つ必要はない。
眷属たちの情報から、メルヴィンは作戦を考えていく。
「今度こそ、必ず」
そう言って、雪が打ちつける窓の外を、睨むのだった。
北見市のはずれ、山の奥の比較的平坦な場所に建てられた家があった。
元々は複数の出資者が、リトリートに使うために建てた家だ。リトリートとは直訳で『隠居』。この場合は人間関係に疲れた時など自然の中に身を置き、回復するための体験をいう。
だがこのリトリート用の家を共同所有で維持することが難しく、数年使われた後に売却された。
次に買ったオーナーも、あまりの山の中で、この家の使い道がなく、すぐに売りに出した。これを笹川智子が買って住んでいるのだった。
智子は、元旦の巫女のバイトを終えると、年末年始の休みをどこにも出かけずに、この家で過ごした。
そして年末年始の休みが明け、運送会社の事務所に車で出勤した。
月初の事務処理が終わって、一息ついたとき、運送会社の事務所を訪ねてくる者があった。
男の髪は、整髪剤をベタベタにしたオールバックで、この冬を過ごすには薄すぎるコートを来ていた。靴には空港で買ったようなゴムバンドで固定する『滑り止め』をつけていた。
それでも凍った道を歩くのに手こずっているようだった。
事務所に近づく様子を見ていると、佐藤が言った。
「ありゃ北海道の人じゃないね」
「私も、冬の始まりはあんな感じでした」
智子が見ていると、佐藤が事務所を出ていき、男に声をかけた。
「あなた、この事務所に用事かい?」
「ああ、私香山と申します。この事務所でお勤めの笹川智子さんに用があって」
「ここから見えるだろ? あの娘がそうだけど」
二人の視線が、智子に向けられた。
「じゃあ、お手数ですが、呼んできていただけませんか」
「確かに、その歩き方じゃ、事務所に着くまでに陽が暮れそうだ」
香山は苦笑いした。
「呼んでくるから待ってな。転ばないようにどこかつかまっているといい」
佐藤が事務所に戻ってくると、智子に言った。
「香山さんだって」
「香山?」
智子は名前を言い返すが、知り合いにその名は無かった。
「話が長くなるようならさ、二人でコーヒーでも飲んできなよ」
「ありがとうございます」
智子は小さいバッグを手に取り、ダウンのコートを引っ掛けて外に出ていく。
智子が事務所を出て着たことに気づくと、香山が動こうとしてバランスを崩す。
「そこで待っていてください」
彼女が近づくと、香山は事務所から見えないように懐に隠していたものを見せた。
「警察の方」
「ちょっと、お話を聞きたいので、そこのファミレスに入りませんか」
「え、ええ……」
香山の歩くペースに合わせて、智子が後ろをついていく形で運送会社の敷地をでた。
通りをゆっくりと歩くと、ファミレスの端の席に座った。
香山がタブレットを差し出してくる。
「お好きなものを頼んでください」
いきなり知らない人、それも刑事を目の前にして、何か喉に通ると思っているのだろうか。智子はドリンクバーだけ追加すると、タブレットを返した。
香山が何かメニューをめくりながらオーダーをすると、立ち上がる。
「何飲みますか?」
「大丈夫です。後で自分で取ってきます」
香山はコーヒーをとって戻ってくると、智子は入れ替わりに席をたち、コーラをとって帰ってきた。
智子が緊張しながら待っていると、香山が口を開いた。
「あなた、家宅捜索を受けましたよね」
「……」
「お忘れですか? 女性看護師の変死事件で……」
その時、配膳ロボットが香山の注文した大皿に入ったポテトの乗せてやってきた。
緊張感のない音楽と料理を受け取るように促す音声が、二人の間に響く。
香山が手間取りながらも料理を取りだし、配膳ロボットを返した。
「あなた、変死事件の重要参考人になっている『黒峰健斗』をご存知ですよね」
ここにくる直前、確かに住んでいたアパートに警察がやって来た。
黒峰・アルバートを狙ってきた吸血鬼の刺客を倒したとすれば、刺客は灰に返っている。監視カメラに映っていて、容疑がかけられる人物は黒峰だけだ。
「……」
「こちらの調べでは、この北見市に転入なさる前は都心部にお住まいで、黒峰が勤めている会社に派遣されていたとようですが、違いますか?」
変に否定するのは、印象を悪くするだろう、と智子は考えた。
「ええ。確かに黒峰さんと同じ部署で働いていましたけど」
「じゃあ、黒峰から連絡があったり、黒峰と連絡をとれたりしませんか?」
香山はフライドポテトを持って、それを振りながら言った。
智子は視線をずらした。
「えっと……」
「西田さんが、あなたが一番親しかった、と言ってましたが」
智子の目には、香山の後ろの背もたれに白い猫が座ったように見えた。
『あのクソ女。智子、仕返ししてやりなよ』
「私が一番親かった、そう言ってましたか? そうなのかな…… 黒峰さんは、西田さんの家でパーティーとかしていたようですけど」
智子はスマホを取り出して、日付を説明した。
一応、メモを取っているようだった。
「黒峰さんから連絡はないです」
「逆に、あなたから連絡は取れますよね。アカウントぐらい知ってますよね」
「黒峰さん、事件の容疑者なんでしょう? 連絡取るの、怖いです」
香山はフライドポテトにたっぷりとマヨネーズと、さらにケチャップをつけて口に放り込んだ。
「大丈夫、警察がついてます。どこにいるか聞いてみてもらえませんか?」
「警察だから黒峰さんのアカウントぐらい調査できるんじゃないんですか?」
「それが通信の秘密というやつでね」
香山は智子のスマホをチラチラを見る。
『やってやりなよ』
香山の後ろにいる、白い猫がそう言った。
「今、どこにいるの、とメッセージを入れてみます」
「もし、既読になったり、返信が来たら、私に連絡ください」
香山は強引にメッセージアプリのアカウントを教えた。
智子は不自然に思われないよう、すぐにそのアカウントを登録した。
香山の背後にいる白い猫は、逆側の肩に移動した。
『黒峰の携帯に気づいたのが遅すぎたわね。あれ、北海道に入ってから処分したから、基地局情報を調べられたんだわ。智子が、黒峰を匿っていると思われているのかも』
目の前に警視庁の香山がいることを忘れ、智子は言葉で返事をしようとして、慌てて息を呑む。
それを香山に不審に思われないよう、思いついた質問を投げかけた。
「け、けど、香山さんは警視庁ってことは東京の刑事さんですよね。連絡してもすぐは私の所に来てくれないじゃないですか」
「大丈夫。道警とも連携して対応しますから。本当にその点は心配なさらずに」
「信用します」
実際、黒峰の肉体も精神もこの世にはなく、同じ素材を使った別の肉体としてアルバートがいる状態なのだ。アルバートのDNAも指紋も、虹彩も何もかも黒峰とは違う。
転出、転入したのは智子とハートリッジの執事、壁谷であって、アルバートは戸籍も住民票も何もない。だから黒峰とのつながりを示すものは、何も存在しないはずだ。
「余談ですが、笹川さん。あなたの個人的なことを質問してもいいですか?」
「なんでしょう」
「黒峰と寝ましたか?」
智子は呆れた顔で香山を見つめ返した。
「答える必要があるんですか。この質問は、事件となんの関係があるんです?」
「いいえ」
「私、レプリカントじゃないんです。感情ある人間なんですよ。これ以上変な質問をしたら警視庁に電話を入れますから」
香山は俯いて表情を隠そうとする。
しかし、智子はその一瞬に口元が笑ったことに気がついた。
『今ので智子が黒峰と何かあるって、思われたかもね』
何もバレないわ。
智子は毅然とした態度を貫いた。
「ご馳走さまでした」
「いや待って、黒峰がなんの病気で病院にいたとか、そういうこと知らないかな?」
智子は、香山の質問を無視して、ファミレスを出た。
しばらく通りを歩いていると、後ろから香山の声が聞こえた。
「笹川さん、待って。黒峰の病気のこと、何か聞いてない?」
振り返らずに進んでいくと、道路を走る車が減速して歩道を避けるように動いた。
智子は気になって、香山を振り返ると、派手に転けた香山の姿が見えた。
「待って、待って笹川さん」
香山は立ちあがろうとするが、それもうまくいかない。
あまりにかわいそうになって、智子は戻ると立ち上がるために手を貸した。
「黒峰さんの病気のことはよくわかりません。話してくれませんでしたから」
「……そうですか。何か思い出したらなんでもいいので、教えてください」
「ええ」
智子はそういうと、香山を置いて仕事場に戻った。
香山が訪問してきた日、智子のメッセージアプリにある人物からメッセージが入った。
智子が画面を確認すると、それはKK運輸の社長からのメッセージだった。
「……」
佐藤が心配そうに言う。
「どうしたの?」
「いえ、社長から呼び出しがあって」
「ああ、なんか家のこと手伝ってくれとかでしょ?」
智子はメッセージをしっかり確認していなかった。
「そんなことあるんですか」
「少なくとも私はあったわね」
智子はメッセージを確認してみる。
時間と自宅に来いとだけ書いてあって、細かい内容は書かれていない。
「それよりさ、さっきの男の人なんだったの?」
一瞬、嘘をつくべきか悩んだが、ついた嘘がバレた時の方が面倒だと考え直した。
「東京からきた警察の人でした」
「えっ、それって」
「知り合いが、ある殺人事件の容疑者になっていて、その人の行方を探しているらしいです」
佐藤は驚いたように大きく口を開けて、自らの手で覆った。
「じゃあ、殺人事件を起こしそうな人物がこの周辺にいるってこと?」
智子は手を振って否定する。
「いやいや、その人、どこにいるか全くわからない状態ですよ」
「でも警察が追ってきているってことは……」
「そうか、そうかもしれません」
佐藤は指を一本たて、言う。
「もしかして、連続失踪事件に関係しているかもよ!?」
「ま、まさか」
智子が怖がってみせると、佐藤は急に立ち上がった。
「私、今日はこれで帰るわね」
智子は呆れた顔をして佐藤の行動を目で追った。
「山村ちゃん帰ってくるまで店番よろしくね」
軽く捨て台詞を残して、佐藤は出ていってしまった。
智子はため息をついて椅子に座り直した。