元旦
食事の後、山村さんの説明を受け全員が巫女の衣装に着替えた。
智子達は本殿の前に横並びに立たされて写真をとった。
山村曰く『毎年してるから』ということだが、山村本人か、親戚の趣味で撮っているに違いない。
智子は偶然、一番端に立っていたので綺麗に並んだ頃合いに自分のスマホを出して、自撮りした。
手前に自分の姿、その奥へ直線上に並ぶ巫女姿が綺麗だった。
仕事が始まると、思った以上に大変だった。
そもそも破魔矢やお守りを売るだけだと思っていたせいだ。本殿で祈祷する方を案内したり、部屋の清掃をしたりと仕事は沢山あった。
陽が落ちて零時が近づくと、二年参りの参拝客が集まり一層忙しくなった。
順番に仮眠を取ったりしながら、智子達は任された仕事をこなしていた。
新年を迎えた瞬間、境内のあちこちで歓声が上がったらしいが、智子は仮眠してしまっていた。
零時を過ぎ、さらに夜が更けていくとまた神社の人気が減った。
智子が休憩室で休んでいると、スマホにメッセージが入った。
『智子、ちょっときて』
メッセージはアーニャからで、どうも外にいるらしい。事情は来てから話すという。
コートを羽織って、境内を歩いていくとアーニャの姿が見えた。
「どうしたの?」
「イヴァンナを見たの」
「えっ!?」
イヴァンナは行方不明になっているスナックの店員だ。アーニャとは店は違うが、知り合いだったらしい。
「だから、一緒に探して」
智子は頷くと、アーニャの肩の上に乗った白い猫を見た。
『智子、気をつけて。きっと敵がいるわ。だから、準備しておいたがいい』
白い猫が現れないと、ルビーの言葉を聞いて、智子は声に出して返事してしまうところだった。
「アーニャ、ちょっとここで待ってて」
智子は神社に戻ると、袋を肩から下げて戻ってきた。
「どっちを探すの?」
アーニャは本殿の奥、山の中腹を指さした。
「この方向に向かったってこと?」
この山道は、一番先に小さな祠があるだけだと聞いていた。
だから入って行ったのだとしたら、戻ってくるしかない。智子は、ここで待っていれば、と声が出かけたが、イヴァンナは行方不明になっているのだ。ここで会いに行かなければもう二度と会えないかもしれない。
二人は灯りを照らし、道の左右にも注意しながら山道を上っていった。
歩いているうち、空の雲は晴れて星と月が見えてきた。
祠があるあたりが見えてくると、智子は妙な気配を感じた。
アーニャが先に進んでいく。
智子は慌ててアーニャの手を掴む。
振り返る彼女に、智子は人差し指を口の前に立てて見せた。
「?」
腰を屈めながら、智子が先に坂を少し上がった。
体の中のルビーを呼び起こすため、何度も自分の心に呼びかける。
ようやく目の前に白い猫が現れると、智子の左肩に飛び乗った。
『気配はある。強力な吸血鬼が一人…… と、その眷属が数名』
「……」
アーニャがいるので、智子は考えを声に出せない。
『眷属を人に戻せないか、そう考えているのね』
しばらくの間があって、ルビーが答えを出す。
『吸血鬼にした本人が、眷属の呪いを解けば人に戻るわ』
言葉にならないルビーの考えが、智子に流れ込んでくる。
吸血鬼に変えた側は、眷属の呪いを解くことはない。まず第一に眷属の方が弱いから、先に死んでしまうことがある。変えた側を追い込んで、呪いを解かなければ殺すと言えば解く可能性はある。だが、殺せば、吸血鬼にされた者はそのままだ。
結局のところ、この取引は成立しないのだ。
「!」
『考えている暇はないようね』
闇の中でうごめく者の気配を感じた。
強い殺意。
ハートリッジ家のものと思われる吸血鬼もいる。
「アーニャ、下がって、危険だわ」
「なんのこと? イヴァンナがそこにいるんでしょ!?」
「いいから! 早く神社に、本殿の中に隠れて」
いくら神社のもつ宗教的な力が弱くても、境内や本殿の中なら多少、吸血鬼避けにはなる。
「いや!」
「あなたまでさらわれてしまうから」
「じゃあ、智子はどうするの?」
肩に下げている袋を叩いた。
乾いた木材がぶつかる音がした。
「私はこれで戦う」
「智子、あなたは、何者なの?」
アーニャが不安そうな顔で智子を見つめる。
『これ以上、この娘話す必要はないわ』
ルビーが智子の意志に逆らって、体を奪っていく。
それに伴い体の大きさも、強く、大きくなっていった。
真っ赤な瞳のルビー・ハートリッジは、コートの中で着崩れた着物を整えると、高く飛び上がった。
宙で後転すると、アーニャの背後に着地した。
「ごめんさい」
ルビーの体になった智子は、アーニャの首筋に牙をたてた。
そのまま血を吸い、その血に呪いをかける。
するとアーニャの瞳の力が失われた。
ルビーは、彼女に命じる。
「早くこの坂を降りて、私が言うまで本殿に隠れなさい」
「……はい」
筋肉の使い方がまるで違うため、いつもの声とは違って聞こえる。
アーニャは山道を急いで下り始めた。
彼女の姿を見送った後、ルビーが振り返ると、祠近くの平坦な場所に大きな黒い影が下りた。
ルビーは坂を駆け上がって、平坦な場所の入り口に立った。
そして影に呼びかける。
「あなた、誰なの」
整髪剤でベッタリ後ろに撫でつけられた髪。
この極寒では耐えられないだろう薄い生地の黒いコート。
コートが開かれたところから見える、丁寧に仕立てられた三揃いのスーツ。
それはカビ臭いような、古い人物を思わせるものだった。
「私はメルヴィン・ハートリッジだ。ルビー、残念なことだが、私はどうしても君の生き方が許せない」
「私はメルヴィン、あなたが敵対してこない限り、あなたの人生に何の干渉もしないつもりよ」
彼の白い肌の顔面が、ルビーに向けられる。
肌が割れたように、大きくて真っ赤な口が開いた。
「一族の統制、という面では、そうもいかないのだよ」
「私が智子といることが気に食わないのね」
「そうだ」
右腕を振り上げてから、ルビーを指差すようにおろしてくる。
「ルビー。初めに聞いておこう。お前が自ら、その体の中にいる智子とかいう人間を殺せば、このものたちの呪いを解こう」
闇に隠れていた彼の眷属たちが、この小さなエリアに進み出た。
月光に照らされた顔は、ネット記事で見た行方不明の女性達だった。
『ルビー! 私……』
「断る」
『待って、なんで断るの』
智子は必死に訴えるが、ルビーはその思いを受け入れない。
「智子は寝てなさい」
小さい声で、そう呟くとルビーの中の智子は意識を失った。
メルヴィンが言う。
「ならば、このままルビー本人もろとも灰にしてやる」
言い終えると、彼はゆっくりと後ろの山の中へと飛び退いた。
彼がいた場所を埋めるように、眷属の五人が間隔を詰めながら前に出てくる。
「伝統や格式には従うのに、この卑怯な手段はどういうこと」
山の中に姿を消したメルヴィンは答える。
「敵の弱点は最大限利用させてもらうのが俺の主義だ」
「大した主義をお持ちで」
ジリジリと間合いを詰めてくる急ごしらえの吸血鬼もどき。
メルヴィンが吸血鬼の伝統を重んじると言うなら、そこらにいた血筋もわからない人間の血を吸い、完全な吸血鬼にするわけがない。ルビーはそう予想していた。
さっき彼女がアーニャにした『命令に従わせるために血を吸う』に相当するレベルだろう。強力な再生能力や、変身能力はない。だが、俊敏さや筋力は、そこらの人間では歯が立たないだろう。
一人一人を相手にするならルビーが勝つが、それをさせないよう、統制をとり、均等に間合いを詰めてきていた。
ルビーは体を揺すると、肩にかけた袋の中身が音を立てた。
その音で智子の意識が、ルビーの中で目覚める。
『やめて、彼女達、人間に戻れるんでしょ!』
「……」
ルビーは袋に手を突っ込む。
袋から出てきた手には『破魔矢』が握られていた。
彼女が素手でその矢を持てている事実からも、その宗教的な力は弱いことがわかる。
だが、この山の中に落ちている枝よりはずっとマシだ。
ルビーは言った。
「そこから近づいたら、これが突き刺さるわよ」
『やめて!!』
ルビーは智子を眠らせても、人を傷つけそうになった時、同じように目覚めてしまうことを知っていた。
眷属の五人の侵攻が止まった。
だが、おそらくメルヴィンの指示が強まったのだろう。五人の体が震え始めた。
ルビーは袋からもう一本の矢を取り出し、両手で持って構えた。
右手の一人が、耐えきれずに踏み出した。
『!』
ルビーは対応して矢を持った手を振りかぶる。
その視野の隅で、最も左側にいた眷属が飛びかかって来た。
『イヴァンナ!』
智子が制止しようとするが、強引にルビーは体を動かす。
手を離れた『破魔矢』が吸血鬼のパワーで、イヴァンナに向かって飛んでいく。
『だめ!』
破魔矢がイヴァンナの動きを止めた。
「……」
体には矢が刺さっていない…… いや、刺さっていた。
彼女の蹴り出そうとした足の甲から地面に向かって、矢が貫いていた。
人の声とは思えない、絶叫が聞こえる。
ただ矢が体を貫いただけではない。
異物が体を貫けば、それだけでも相当な痛みだ。
だが吸血鬼にとって、宗教的に清冽なものが体と接触することは、真っ赤に焼けた鉄に触れるようなものだった。
一人の眷属の苦痛は、他の四人にも伝わった。
彼女達にイヴァンナを助けようという意思が働く。
ルビーが破魔矢を突きつけると、他の眷属は後退りした。
メルヴィンの指示を、恐怖が上回ってしまったのだ。
『イヴァンナは大丈夫なの!?』
ルビーは考えを智子に送る。
眷属も吸血鬼の再生能力は持っているので、しっかり時間をかければ傷跡も残らないようだ。
「ルビー」
メルヴィンの声がした。
ルビーはメルヴィンの声を探して、あたりを必死で見回す。
奴は、イヴァンナに近づいてくるに違いないと思ったから。
イヴァンナの足に刺さっている破魔矢を、四人の眷属が必死に取り去ろうとするが、彼女達にとって破魔矢は真っ赤に焼けた鉄であり、簡単に処理できるものではない。
「勘がいいな」
「……なんのことだかわからないわ」
「俺をその眷属に近寄らせないことが、だ」
ルビーは言うな、と考える。
「今、眷属の呪いを解けば人間に戻る。人間に戻ったらこの傷と出血には耐えられないだろう」
『!』
ルビーは腹に蹴り込まれたように、体をくの字に曲げる。
「智子、必ず守るから、慌てないで!」
ルビーは声に出して、体の中の『智子』に言い聞かせた。
智子の意思が顕在化してしまうと、この体が吸血の能力を発揮できないからだ。
「しまった」
ルビーはメルヴィンの眷属の三人に、それぞれ右腕、腰、左腕を掴まれてしまった。
メルヴィンは揶揄うようにルビーの間近まで顔を寄せてから、引いた。
大きな声で笑った。
「弱い。人間が混じるとルビーでさえ、これほどに弱いのか」
一人の眷属が、イヴァンナの破魔矢を抜き取った。
破魔矢を握った手は、焼け爛れている。
「このっ!」
ルビーが全力を振り絞ってメルヴィンに蹴りを伸ばすが、三人の眷属にひっぱられていて、届かない。
「危ない危ない。おい、ここにイヴァンナを連れてこい」
痛みで動けないイヴァンナを、破魔矢を抜いた眷属がメルヴィンの元に連れていく。
メルヴィンはイヴァンナの腕を捻り上げ、自分とルビーの間に入るように引っ張った。
「これでどうだ。下手に動けばイヴァンナを殺す。当然ながら人間にも戻れない」
「許さない」
「……いいぞ。今のはルビーの中の人間の声だな。体が『人』になった時に破壊すれば再生もできまい。行き場のないルビーの魂は永久に迷宮を彷徨うのだ」
ルビーの体、ルビーの顔だったものが、顔だけが智子のものに変わっていく。
「分かっていても制御できないようだな」
左手でイヴァンナを捻り上げながら、メルヴィンが智子の顔に近づいてくる。
そして右拳を後ろに引いた。
このままその拳を素早く振り出せば、吸血鬼の強烈な力によって智子の顔は頭蓋骨ごと砕かれてしまうだろう。
「死ね……」
体だけになっているルビーは、恐怖に震えた。
息を呑んで待っていたが、メルヴィンが動かなくなってしまった。
彼にも動こう、と言う意思はあるようだった。
だが、何かが抑えつけているように前にも後ろにも動かない。
ようやく彼は口だけを動かした。
「な…… なぜ…… から…… からだが…… うごか……」
メルヴィンはイヴァンナを掴んでいる手を離してしまう。
イヴァンナは意識が飛んでいたらしく、腕を離されるとそのまま倒れてしまった。
「やめ…… やめろ……」
メルヴィンは後退りながら、両手で頭を抑える。
智子の中のルビーが問いかける。
『智子、あなた一体何をしたの?』
ルビーの体の上についている、智子の顔が言った。
「血の支配」
メルヴィンがルビーを許さない理由は、人と混じることで血の掟から逃れようとしていることだった。
血族の掟を破ったものは殺してよいのだが、ルビーは具体的な掟を破っているわけではない。そこには人と混じっているために血族の指示から逃れられるという事実があるだけだ。
一方で血族の序列において、メルヴィンはルビーの下だった。
ルビーが強く指示することで、メルヴィンはルビーの指示を守ることと、ルビーを殺すこと、二つの間フリーズしてしまったのだ。
そして最後には、血の掟、その序列の上の者から命令を受け、メルヴィンはイヴァンナの腕を離してしまった。
「この者たちを解放しろ」
智子は言った。
するとメルヴィンは、頭の先からコウモリに分解し始めた。
複数のコウモリが、極寒の空に飛び立ち、消え去っていく。
眷属にされていた者は、ルビーの体から手を離すと、全員で倒れているイヴァンナを持ち上げる。
五人はそのまま山の中に消えていく。
智子の顔は、五人を追いかけるが、ルビーの体が動かない。
「待って!」
ルビーの体が智子へと戻っていく。
体のサイズが小さくなり、智子は慌てて緩くなった着物の合わせを整えた。
「智子ちゃん!?」
振り返ると、そこには山村が立っていた。
「さっき、すごい叫び声が聞こえたって言われて、慌てて見に来たんだけど、それって智子ちゃん?」
それはイヴァンナの叫び声だ。智子はどう答えていいかわからなかった。
『こうするの』
ルビーが智子の体を動かした。
「えっ」
山村は智子が体を預けてくるのを抱き止めると、言葉を失った。
「大丈夫、大丈夫だから」