強行策
智子と会った翌日。
壁谷は、珍しく夕食を外で食べるために街に出ていた。
彼のスマホに、待ち合わせの場所と店が送られてきた。
メッセージを見てその場所に急ぐ。
すると待ち合わせ場所にいた彼女が壁谷を見つけて小さく手を振った。
その光景に、壁谷が何日かぶりに笑顔をみせて返した。
二人はレストランに行くと、予約の席に通された。
まだ互いを知るための会話だったが、壁谷にはそれが楽しく一つ一つを丁寧に受け答えしていた。
順番的に、食後の飲み物をオーダーする頃だった。
横の席にやってきた男が、大声を出して店員を怒鳴りつけた。
壁谷は長く続くようなら店を出ようかと考え始めた時、彼女が化粧室に行ってしまった。
仕方なく待っていると店員の怒鳴りつけが益々激しくなり、男は店員達に暴力を振るい始めた。
店員は警察に電話をしているようだが、そうそう警官もすぐにはやってこない。
壁谷は仕方なく、立ち上がると隣の席の男の腕を掴んだ。
男は腕を取られても、圧倒的に体が大きい壁谷に対して怯まなかった。
ダンピールとやりあえる壁谷が、普通の男に何かすれば、相手を怪我させてしまうことは明白だった。
壁谷は相手の両腕を押さえ、しつこく繰り返す足の蹴りを避け続けた。
彼女は化粧室から戻ってこない。
不思議な気もしたが、それはそれで都合が良いと思っていた。
この男との格闘を見られたら、暴力的な男と思われ嫌われてしまうかもしれない。
やがて店員が呼んだ警察が入ってくると、制服の警官は問答無用で壁谷の腕に手錠をかけた。
店員達は怯えたまま、壁谷の無罪、無実について、何も言わない。
店員達に暴力を振るっていた男はいつの間にか消えていて、壁谷だけが悪者になっていた。
こんなに簡単に、あの男がこの場を去れるだろうか。
いつまで経っても戻ってこない彼女。
連絡手段を取り上げられて、パトカーに乗せられた時、壁谷は『ハメられた』と感じた。
ルビー様、智子様、お許しください。
壁谷はもう祈るしか出来なかった。
朝になると智子は車に乗って、いつものように運送会社の事務所に出勤した。
車を下りて事務所を見ると、誰かが立っている。
「笹川さん、黒峰容疑者の件で質問したいことがあるんです」
「あの、どういうことですか?」
こういう時に限って、佐藤も山村もいない。
いや、いないタイミングを狙ったのか、そう言う状況を作ったのかも。
「あなたの車で出かけましょうか」
智子は腕を強く掴まれた。
嫌な予感しかない。智子は抵抗する。
「どういう質問なんですか? 断れないんですか?」
「簡単なことですよ、けれどあまり抵抗するようなら、公務執行妨害で署に連れて行ってそこで話を聞くこともできますがね」
「……」
とにかく従うしかないのか。
智子の体の中で、ルビーは全く起きていない。
不思議なくらい静かだった。
智子と香山は駐車場まで戻ると、香山が言った。
「鍵を貸してください。一つ、立ち寄りたい場所があります」
智子は訝しげな表情をしているが、仕方なく鍵を渡す。
香山はその鍵束を見て、車の鍵を選びつまんだ。
車のロックを外すと、
「さあ、助手席に乗ってください」
と言った。
智子は言われた通り乗ると、車は道道を山の方向へ走り出した。
香山は無言のまま車を走らせ続けた。
やがて車は網走湖に近づいてきた。
すると香山が言った。
「見覚えのある風景だろう?」
智子は昨晩この道を走ったことを思い出した。
尾行していた車があったことも。
「昨日、跡をつけてきたのは香山さんの指示なんですか?」
「何のことだ? 何かやましいことでもあるのか?」
車は農場の門でとまる。
香山はキーごと取って外に出ると、門を開けて戻ってきた。
智子は何かいい方法でこの場から逃れないか考えていた。
車はそのまま農場の奥へと進んでいく。
そして建物の前で止まった。
平屋の横に長い建物だった。
香山に促されて、智子は車を下りた。
低く垂れ込めた雲から、雪が落ち始めていた。
「殺害時当日、神河社長はここに来ていた」
「……」
「一緒に中に入ってもらって、中を検証したいんだ」
香山は持ってきた別の鍵で扉を開けた。
建物の中へと扉を開いて中に入る。
智子がついていき、建物に入ると、香山は手のひらを叩いて言った。
「あっ、スマホを忘れた。肝心なことなのに」
反応を待っているようなので、智子は言った。
「どうしたんですか?」
「神河社長はここからメッセージを送ったんだ。だから電波状況を確認したいのにスマホを忘れてしまった。電波が入っているか見てもらえないか」
智子は何気なくスマホを出して、電波状況を示すマークを見た。
「入るみたいですよ」
「どれ」
香山がスマホを取って、画面を確認した。
「ここならどうだ?」
そう言いながら、建物の中を歩き回る。
智子は小さくため息をついて、中を見まわした。
少し奥に、横倒しになったロッカーがあった。
「!」
智子はそこに横倒しにされているロッカーからただならぬ雰囲気を感じ取っていた。
これは、メルヴィンと眷属たちが入っているものに違いない。
ルビーの力を借りずとも、ただならぬ雰囲気がそう訴えていた。
「倒れたロッカーが六つ……」
「何か思い出したか? 本当はあんたが『ここ』で神河社長を殺したんじゃないのか?」
智子が香山の方を振り返ると、彼は外に出ていた。
「えっ!?」
扉が閉まり、鍵がかかる音がした。
智子は慌てて扉に駆け寄る。
「何するんですか!?」
「この車の鍵にはあんたの家の鍵もついているようだ。ちょうどいいから車を借りて家に『黒峰』を匿っていないか調べさせてもらうよ。二階も地下もあるようだしね」
「訴えますよ!?」
智子は大声で叫んだが、香山はもう車に乗り込んでいるようだった。
エンジンの音が聞こえると、同時にそれが遠くなっていく。
今、家の地下を開けられたら『アルバート』が見つかってしまう。
スマホも取られたままで、壁谷に連絡することも出来ない。
「ルビーっ!」
『何よ』
錯覚なのだが、智子は声がする方向に顔を向けた。
すると白い猫が倒れたロッカーの一つに座っていた。
「香山刑事が自宅を調べようとしてる」
智子は言いながら、扉の作りを見た。
この扉は内側に引いて開ける作りだった。
さらに鍵を開け閉めする部分が内側にも関わらず『鍵』を差し込む仕組みになっている。
だが、内側に扉を開くため、デッドボルトはこちら側から細工できそうだ。
頭の中で、神河社長宅やホテルの屋上に通じる扉のことを思い出していた。
「ねぇ、あなたの力でここを切断して!」
白い猫はロッカーを下りると、ゆっくりと智子の方へやってきた。
『それが罠だとしても?』
「!」
私がここを『吸血鬼の力』を使って開けてしまったら、それを理由に逮捕して取り調べを進めるつもりなのだ。
『一度捕まえたら、彼はもっと強引なことをするでしょうね』
「だからってアルバートを見殺しに」
『当然。あの男に屈するつもりは無いわ』
香山は智子の車を運転して道道を北見に向かっていた。
途中の山中で、山道へと曲がる。
何度か来ているが、慣れない山道では香山も慎重に運転せざるを得なかった。
ゆっくりと進み、笹川の住む家の前に車をとめる。
「ふん、黒峰につながる証拠が何かあるはずだ」
玄関の扉を開け、靴を脱いで中に入る。
すぐにキッチン・ダイニングに向かうと、テーブルを動かした。
「これだ」
床には地下へとつながる入り口があった。
金具を操作し、蓋のようになっている部分を引っ張り上げると、嗅ぎ慣れない匂いが立ち上ってくる。
香山は蓋を置くと小さいフラッシュライトを手に取り、地下につながる穴に光を当てた。
しっかりワンフロア分くらい下に掘られている。
壁沿いに打たれている梯子階段が見えた。
香山は姿が見えない地下入り口に向かって誰何する。
「誰だ? 誰かいるのか?」
もし寝ていたとしても起きるだろう。
香山はそう思い、階段に足をかけて下りていく。
ライトで中を照らし、警戒しながら下り、最後の四、五段分は抜かして飛び降りた。
「……」
何も無い。
ただ埃くさい空間があるだけ。
香山は地下室のコンクリート壁を、叩いたり、押したりしながら、ぐるりと一周した。
持っていたコンデジで写真を撮ると、首を捻りながら上に戻った。
香山は家中を探して回ったが、一人暮らしの女性の、最低限の家具しかなく、黒峰を匿っている証拠や、黒峰殺害の証拠、あるいは、黒峰につながりそうな手がかりすら見つけることができなかった。
「何か見落としているに違いないんだ」
香山は再び一階のキッチン・ダイニングに戻り、地下に下りた。
床にある足跡、あるいは傷。
細かい木片。
なんでもいい、何かないのか。
舐めるように床を這って回るが、やはり見つからない。
香山はもう一つの可能性を求めて、地下室を出た。
蓋を閉めてテーブルを戻すと、家の外に出て、笹川の車に乗り込んだ。
「家に何も証拠がないと言うことは、農場の建物から笹川が脱出した可能性がある。外に出て黒峰につながる証拠を隠すために『誰か』に連絡を取ったに違いない」
香山は車を運転しながら、笹川が連絡をとると思われていた『壁谷』を捕まえさせていることに思い至った。
走行させながら、慌てて自分の携帯を取り出すと、北見署に連絡する。
「香山だ。捕まえていた壁谷は、まだ留置場にいるのか?」
しばらくすると、返事が返ってくる。
『まだいます。本人を確認しました』
「わかった」
雪が降る中、香山は車を農場へ向かって走らせた。
車が網走湖に近づくと、車は農場の方へ曲がった。
奥へ進むと、建物が見えてきた。
香山は急いで車を下りると、建物の扉を見た。
扉は閉まっているように見える。
ただこの扉は内開きになっているため、デッドボルトを切断して鍵を開けるとすれば、内側からなのだ。
香山は期待を込めて、扉を押した。
「!」
開かない。
笹川は、ここに監禁されたままだというのか。
香山は混乱した。
本当に黒峰や、神河殺しに関係していないというのだろうか。
香山の推測では、笹川がこの扉を壊して外に出るか、あの家から黒峰と関わった証拠が見つかる、あるいはあの家に黒峰本人がいるはずだった。
全てのアテが外れてしまった。
もう、この状態で笹川に疑いをかけることは難しい。
香山は決心した。
鍵で扉を開けると、農場の建物に入る。
「すまない!」
笹川の姿を見ない状況で、膝をつき、頭を床につけた。
「事故だ。事故だったんだ。完全に勘違いしていた」
笹川の反応がない。
もしかして、この建物から抜け出したのだろうか。
香山はわずかばかりの期待を持って、顔を上げた。
笹川は壁に背中を預け、座り込んでいた。
「トイレ……」
「すまない、すぐ車に乗ってくれ」
智子はフラフラと立ち上がり、建物を出ていく。
香山は追いかけるように建物を出ると、扉に鍵をかけた。
「すぐ近くのホテルで化粧室を借りよう」
香山はひたすら謝罪を続けた。
なんらか、笹川が関係している手がかりがつかめるはずだったのだ。
それは北見署での会議で、最初から懸念されていたことだった。
香山は笹川に何度も頭を下げ、今後、一切、彼女に近づかないと宣言した。
智子は、最後には香山を哀れに思って、違法捜査についての訴えを行わないと念書にサインをした。
完全に無断欠勤した彼女について、警察署から智子が勤めている会社に対しても説明があるとも言った。
訴えれば本当に何も出来なくなるが、訴えればマスコミが取り上げるような大事になりかねない。智子は、静かに終えることが重要だった。
それでも智子は内心『勝った』と強く思った。




