網走湖
智子は壁谷と別れると、車を走らせた。
車を運転していると、ダッシュボードの上に白い猫が現れた。
智子にしか見えないルビーの化身。
「ちょっと、そこどいて」
智子が言うと、猫は助手席に飛び移った。
『あの湖に行くのね』
「ワカサギ釣りの時、あなた何か気になっていたでしょう?」
『多分、湖の反対側よ』
それを確かめるには、まず湖に行かなければならない。それから、目的の場所を特定して…… 時間がない。
智子は道を急いだ。
「早く行かないと、陽が落ちてしまうと何も見えなくなっちゃう」
『私が見えれば問題ないでしょ』
相当の距離がある。
日の短い冬場であり、残り時間から、どう考えても陽は落ちてしまう。
ルビーの力に頼るしかない。
「あそこに何があるというの?」
『あの時、吸血鬼の気配を感じたの。日中だったから、とても弱くて、はっきりわからなかったけど。この周辺で吸血鬼ならメルヴィンに違いない』
「もしあの様子を香山さんたちに見られていたら、私余計に疑われてると思うの」
白い猫は運転している智子に飛びついた。
そして肩にのり、車の後方を見た。
『そうかもね』
智子は意味あり気なルビーの言葉の真意がわからなかった。
車を走らせていくと、陽が落ちていた。
湖畔についた時は動く車も少なくなっていて、近くのホテルの灯りがついているだけで人はいなかった。
智子はまだ凍っている湖を見ていた。
ルビーの力で、夜の風景もはっきりと確認出来た。
そしてスマホの地図と見比べながら、メルヴィンがいると思われる場所を特定した。
「湖の反対側か。これって…… 農場?」
ワカサギ釣りの時に見た感じから推測だが、農場といっても冬は閉鎖されているのだろう。
『間違いない。強く吸血鬼の存在を感じる』
「行ってみる?」
『ええ』
智子は踵を返すと、車に乗り込んだ。
発しているものを読み取っているだけなら、メルヴィンは私に気づかないかも知れない。だが、いずれ双方が気づく。気づいたら戦いになってしまう。
果たして眷属四人とメルヴィンに対し私一人で勝てるだろうか。
寒いのか白い猫は助手席で丸くなった。
『行くけど、戦わないわよ』
「……」
智子は納得できないまま、車を走らせた。
湖を半周して、反対側にやってくると、智子は車を路肩に停めた。
智子は車を出ると、白い猫を肩にのせ農場の門まで進んだ。
『あの先にある建物みたいね』
猫は、農場の奥の建物をじっと見つめる。
ルビーのもつ吸血鬼の力で、この暗い夜の光でもしっかりとその姿を記憶に焼き付けている。
『もういいわ。十分理解した。帰りましょう』
「あいつに気づかれていないの」
『わからない。吸血鬼は万能じゃないのよ』
智子はモヤモヤしたまま、再び車に乗り込んだ。
時間は昼過ぎに戻る。
ナンバーシステムが笹川の車が北見の中心部から出ていくと表示すると、香山は北見署の若手に追跡を指示した。
香山自身は捜査会議に出る必要があったからだ。
そして横田なども参加する神河社長殺害事件の会議が始まった。
横田は神河の件に『加田』の事件も関わっていると主張した。
加田を殺害する動機をもつ人物として、殺された神河、あるいは神河の妻涼子が浮かび上がってきたからだった。
「加田を包んでいたゴムシートですが、神河の会社のトラックに使用しているものと同じで、神河、もしくは妻であれば簡単に手に入ります」
人物の相関図を映し出しながら言う。
「加田は代行運転のバイトをしていました。代行運転には黒い噂があります。それは売春斡旋です」
会議の場がざわついた。
「車両の行き先をラブホテルとしたり、特定のドライバーを指名する際に、特定のワードを使うことで売春を行なっていたようです」
「そっちの摘発はどうするんだ」
横田はそれらの言葉を無視して、話を続けた。
「加田と神河社長は代行運転からみで体の関係を持った。その関係が次第に深くなっていったと考えます。妻である涼子にバレるのが怖くなったか、逆に妻が浮気を察知して加田を殺したか。犯行日時が特定出来ない為、アリバイや証拠集めが困難ではありますが、捜査を進めているところです」
香山は横田が加田の件を話している間、ずっとスマホで若手警察官が笹川を追跡している状況を見ていた。
笹川が男を乗せて道道を山の方へ向かって車を走らせているらしい。
香山にはその乗せている男が誰だかは何も伝わってこない。
苛立つ香山は、スマホにメッセージを入れる。
『男の写真をとれ』
『まだ容疑者と決まっていないので、それは……』
『いいから撮れ。たまたま記録が残っていたとか誤魔化せばいい』
香山が説得するが、若い警察官は拒否し続けた。
その時、横田は香山を呼んだ。
「香山さん、例の扉の切断について説明をお願いします」
香山は会議室で前に進み出ると言った。
「警視庁から来ている香山です。みなさんもご存知かと思いますが、神河社長の事件で、青海社長宅と、神河社長宅、どちらの扉も同じようにデッドボルトを切断されるという特殊な壊し方をされておりました。これは黒崎健太殺害事件で黒峰健斗容疑者を追っている捜査で、同様の破壊方法で侵入された記録がありました。鑑識で扉の破壊状況を撮影したものがこれです」
全員の前にあるディスプレイに扉のロック部分が映し出される。
首を傾げる者もいれば、じっと見つめるだけの者、頷く者など、反応は様々だった。
「どれだけ鋭い道具を使ったとしても、力がいる。大人の体重をかけて切断できるような道具は見つかりませんでした。ですから、この手の扉破壊は『決定的証拠』になり得る。これをやった人間が限定されるような状況であれば、間違いなくその人物が犯行に関わったと言えます」
各人は手元のパソコンだったり、印刷した紙の資料を見て、本当にこれが証拠足り得るのかを考えている。
「この破壊方法で行われた扉は、先日、ホテルで神河涼子が襲われた際、ホテルの屋上の扉が同様の手口で破壊されていました。事件の際、その扉は侵入には使われなかったようですが…… この三件に共通する容疑者、関係者が怪しい。そう考えています」
会議室にザワザワと声が広がる。
「笹川智子……」
同時に別の声も上がる。
「彼女には、どうやっても出来ない」
「アリバイがないだけ」
「結論が強引すぎる」
香山は、会議に集まった全員の前でニヤリと笑った。
その笑いに気づいて、波紋が広がるように会議室全体が静まっていった。
全員の注目が集まったところで、香山は口を開いた。
「私に考えがあります……」
智子は網走湖から自宅へと車を走らせていた。
助手席で丸くなっている白い猫が、突然起き上がると、智子に飛び移ってきた。
彼女の肩に乗ると、車の後方を見る。
『あの車、北見からずっとついてきてるわね』
「えっ?」
智子はルームミラーから後方の車両を確認した。
確かに同じ車かもしれないけど、確証はない。
『運転している人の声は聞いたことないけど、スマホを使ってどこかとやりとりしながら運転しているわ』
「そこまでわかるの?」
『私はあなたの目を通じて見ているのよ。注意力に問題があるのかもね』
少し大袈裟に言っているだけだが、確かに自分の目にも映っていたはずだ。
北見の街では気づかなくとも、網走湖にいく道はさほど交通量もない。注意していれば気づいたはずだ。
「どうしよう」
『もう、どうしようもないわ。普通にお家に帰るだけよ』
道道から脇の山道に入らないと帰れない。山道に入ってきたら、家しかないから、そこまではついてこないだろう。
智子は分岐する山道が近づいてきたこともあって、走行スピードを落としてみた。
北海道の雪道とは言え、普通のドライバーならオーバーテイクするだろう。
智子はさらに速度を落とした。
ウインカーを出して、智子の後ろの車両が追い越していく。
白い猫は智子の反対の肩へと素早く移動した。
智子は抜かしていく車両のドライバーを見た。
「見えた?」
『ええ。ただ、声と同じで記憶にはないわね』
智子はそのまま山道へと曲がり、自宅へと帰っていった。




