夏の殺人
智子は運送会社の事務所で働いていた。
同じ事務所で働く佐藤とは普段は同じ時間に食事をとり、昼食の時間に入る電話などは適宜、手の空いている方が取るようにしていた。
今日は佐藤が先に昼食を取りに外出した為、昼の時間、智子も外に食べにいくことにした。
「行ってきます」
智子は外で食べる考えがなかったので、突然外で食べることになったので少し悩んでいた。
道道沿いに出て、周りの建物を見ると驚いた。
「警察署?」
よく見るとその建物は『似ている』だけで北見の警察署ではなかったのだが、そのせいで智子は香山が執拗に自分を調べていることを思い出した。
車に乗り込むと、智子はエンジンをかけた。
「こっちが事件を解いてしまえば」
車は警察署の近くの駐車場に止め、智子は警察署が見えるファミレスへ入った。
ランチメニューを注文すると、窓から警察署を眺めた。
心の奥にいる『ルビー』を呼び出す。
周りの席の人に聞こえないよう、小さな声で言った。
「(何か見えたり、聞こえたりしない?)」
ルビーの反応がない。
「(お願い、力を貸して)」
智子はそう言って気持ちを集中させ、外を見ていた。
軽い電子音と共にタイヤで自走するロボットが、智子の席に食事を運んできた。
「えっ?」
ロボットの頭に、ルビーの白い猫がのっていた。
「(いるなら早く返事してよ)」
『この中にも警察関係者が来てるみたい』
白い猫は智子のテーブルに飛び降りると、頭を振って方向をさし示した。
智子はそれとなく見てみると、その方向にある席に横田が座っていた。
「(警察署に近づきすぎた)」
とにかく、何か有効な情報を引き出せればいいが、更に自分が疑われるようになったらまずい。智子は横田に見つかった時の言い訳を考えた。
『智子は黙って食事をしなさい。私が可能な限りここで情報を収集する』
智子は、横田に気づかれないようにランチを食べることに集中した。
日替わりスープも付いていたが、取りに行くのはやめにした。そこで横田に見られるよりはマシだからだ。
少し時間は残っているが、これ以上ここにいると横田に気づかれそうだ。
智子は伝票を取って立ち上がった。
『この後、例の加田や神河社長の事件で会議があるらしいわね』
「(えっ、もう休み時間は終わっちゃうんだけど。今日休んだら、佐藤さん怒るよきっと)」
テーブルから白い猫が智子の肩に乗った。
『佐藤さんがどれだけ怒ったって、別にどうなる訳じゃないから放っておけばいいのよ。まあいい。壁谷に言って、状況を調べさせるわ』
「(ありがとう)」
智子は支払いを済ませると、こっそりとファミレスを出た。
事務所に戻ると、山村が昼休憩を終えて、午後の配達用に荷台を整理していた。
挨拶をしながら、通り過ぎようとすると呼び止められた。
「待って智子ちゃん」
慌てて近づいてくる山村。
「なんか、お客さん来てるんだけど……」
耳打ちしてくる。
「冴島とかいう、めちゃくちゃ怪しい男でさ。気をつけなよ」
その名前、確か、バンパイア・ハーフの男だ。
「そんなこと言ったら聞こえちゃいますよ」
「大丈夫だよ、今タバコ吸いにどっか行ってっから」
智子は周囲を見回した。
「ありがとうございます。気をつけます」
彼女はすぐに事務所に入って行った。
ここで殺し合いにはならないだろう。だが、何の目的出来たのか。
「佐藤さん、私、半休取っていいですか?」
「さっき来た男の人の件?」
「うーんと、直接的にはそうじゃないんですけど、ややこしいことになりかけてて」
佐藤は露骨にイヤな顔をしたが、仕方ないと言ってくれた。
「本当にすみません」
智子はロッカー室に入ると、私服をそのままバッグに入れて事務所を飛び出して行った。
駐車場に戻ると車に乗り、すぐさまエンジンをスタートさせた。
道道へ出ようとすると、駐車場の出口に車を塞ぐように人が立っている。
「逃げることはないだろう?」
車の前に立っているのは、冴島だった。
車の中で聞こえる音量だ。外では相当響いているだろう。
「話があるなら、乗って」
まっすぐ車の正面に向かってくると、ギリギリで避けるようにして助手席に回り込んだ。
「適当に走らせるわよ」
車は道道を網走方向に走り出した。
智子が言う。
「二度と会わないはずだったのに」
「俺の仕事知っているか?」
「バンパイア・ハンターでしょ」
冴島は笑った。
ポケットからゴソゴソとタバコを取り出した。
「やめてよ、この車、禁煙よ」
「ずいぶんつまらないルール作ってるな。車の中なら誰にも迷惑かからないだろう」
「私がいるでしょ」
冴島はタバコをしまった。
「バンパイア・ハンターというのは仕事ではない。俺の『使命』なだけだ。俺の表向きの職業は『探偵』だよ。今回は警視庁から依頼があって」
「香山刑事からの依頼!?」
「正直そういう情報は機密事項だから言わないんだ」
いや、自分から『警視庁から依頼』とハッキリ言ったくせに。
智子はハザードランプをつけると、路肩が広がっているエリアに車を寄せた。
「あのおじさん、俺の事務所で殺した『黒峰』って男にずいぶん固執してるぜ。黒峰が、黒崎殺しと例の看護士変死事件の犯人だと思ってる。そして、黒峰の行方を知っているのがあんただって決めつけしている。まあ、正しいんだが、もう奴はどこを探してもいない訳で……」
「それを知らせにきたの?」
「ああ、そうだよ。吸血鬼の存在を『国家』に知られてしまうと、吸血鬼さんたちと同様、俺も困るんでね」
冴島はタバコを取り出すと、車を出た。
彼はタバコの煙を燻らせながら、軽く車の窓を叩いてきた。
智子は声を聞くため、仕方なく助手席側の窓を少し開けた。
「香山さんは、俺がクリムゾン・ヴェインとかいうバーに押し入る時、扉を壊して侵入したやり方が、こっちもでも行われてるって。誰がどうやるとあんな扉の破壊を行うのか調べろって言ってる」
「地下のバーの扉、やっぱり、あなただったのね」
「こっちにお前たち二人とは違う吸血鬼いるだろ? 俺がそいつの狙うのは勝手だよな?」
智子は首を横に振った。
「やめてよ」
「殺ってやるから金をくれっていうんじゃないんだ。どうせその吸血鬼、お前たちを狙っているんだろう? ただで仕留めたらお得じゃないか」
メルヴィンがとらえた眷属たちを救わねばならない。冴島の勝手でメルヴィンが処理されてしまっては、眷属を人間に戻す機会がなくなってしまう。
「本当にやめて」
「残念だが、俺はやるぜ。吸血鬼による被害が広がらないうちにな」
「……」
現状、まだメルヴィンおよび眷属が吸血したことによる死亡事故などは出ていないようだった。
だが、いつ過剰に吸血して人が死ぬことがあってもおかしくない。
智子が黒峰を殺しかけた時のように……
タバコを、持っていた携帯灰皿に押し込むと、冴島は言った。
「一応、筋は通したからな」
「どういうことよ?」
「ここでお前たちを含めた調査を行い、その過程で吸血鬼を見つけたら処理することだ」
智子の顔はこわばっていた。
「わざわざ教えてくれてありがとう。けど、こっちだって、あなたの好き勝手にはさせないわよ」
「それはこっちも同じだ。日中ならこっちが勝つことを忘れるなよ」
「……ここに置いて帰ろうかしら」
冴島は車の窓ガラスに手をかけてきた。
「それこそ、人殺しだぞ」
「……冗談よ」
智子は冴島を乗せ、車をユーターンさせた。
そのまま運送会社の事務所近くに戻ると、彼を下ろした。
冴島は挨拶代わりに軽く手を振ると、すぐにタバコに火をつけた。
智子はサイドミラーで彼の姿を横目で見ながら、警察署に向けて車を走らせた。
警察署近くの駐車場に車を停めると、智子は通り沿いの喫茶店に入った。
店内にいる大男を見つけると、彼は手を上げた。
「壁谷、何かわかった?」
「ええ、聞こえてくる限りの言葉は記録しました」
壁谷がテーブルの上に置いた紙を、押し出してきた。
智子はそれを受け取って読み始めた。
神河涼子と凶器となった銃の持ち主青海は不倫関係にあり、しばしば密会していること。
涼子と青海が会う時に、笹川つまり智子が尾行を巻いていたこと。
青海はタクシーと『代行運転』の会社を経営している。
加田もスナック店員の仕事のほかに、代行運転をバイトとして行なっていた。
加田は神河社長に指名されて代行運転することが多く、失踪した時期は個人的に付き合っていたと思われること。
また、そんな代行運転の一部の人間に良くない噂があった。
良くない噂は、組織ぐるみで行なっていたと思われる。
そこまで読んで、智子は顔を上げた。
「何、この『良くない噂』って」
「ルビー様や智子様に申し上げるのははばかれたので、このような表現にしていますが」
「わからないじゃない」
智子は、壁谷がこのような『執事』っぽい事を初めてしたように思った。
「こんな時だけ執事みたいな事言わないで」
「ハッキリ言うなら、売春ですよ」
智子は顔が熱くなった。
そしてそのすぐ後、青くなった。
智子は思った。
イヴァンナや久保田が、あの時、ハッキリと口にしなかった理由はここにあるのか。
この通り、加田と神河が『そういう』関係にあったのではないか。
何度も関係を持っている内、二人の距離が縮まり、愛人関係になった…… もしそれを涼子が知れば、嫉妬で加田を殺すかもしれない。
あるいは、神河社長が関係を涼子にバラされるのを恐れ、加田を殺したかもしれない。
「去年の夏、加田さんを殺した犯人は、神河夫婦のどちらか、という感じね」
「分かりませんよ。加田は青海と涼子の関係を知っていたフシもあるようですから、青海が殺したことも考えられます」
「総合的に考えて、一番得するのは涼子夫人かも」
壁谷は手のひらを智子の方に向けて、制止した。
「涼子が得をする場合、神河社長殺害の嫌疑は智子様にかかる可能性が高くなります」
「神河社長は、メルヴィンの眷属が殺したんだわ。つまり、どれだけ調べても人間の容疑者は誰も犯行を実行出来ない」
壁谷は頷いた。
「従って、第一発見者の智子様が容疑者にされてしまうと言うことです。会議の後半、捜査の方向性も、そのように受け取れました」
最悪のパターンだ。
どうすれば自らの無実を証明できるのか。
智子は壁谷のメモ紙を見ながら、震えた。
「壁谷、そう言えば冴島というバンパイア・ハンターを覚えている?」
「ええ、存じております」
「北海道に来てるわよ。あなたも十分注意して」
それを聞いて「ありがとうございます」と言い、壁谷は頭を下げた。
すぐ後で、彼は視線を横にずらした。
智子はそこに気づいた。
テーブルにのせている壁谷の手に触れる。
「何か、気になることがあるのね」
「申し訳ございません」
「謝るのではなくて、説明を頂戴」
彼は智子の執事ではない。
あくまでルビーの執事なのだ。こんな言い方をしていいのか、正直わからなかったが、壁谷の態度が一貫しているために、智子も自分の執事のように感じ始めていた。
「少々お待ちを」
壁谷がタブレットを取り出し、何か検索しているようだった。
彼が智子の方にタブレットを向けた。
そこにはネット配信用のニュースが掲載されていた。
『深夜の救急搬送、アナフィラキシーショックか』
智子が読んだのを見計らって、壁谷がタブレットを操作し、ある画像を見せる。
そこには倒れている男性の首筋が映っていた。
「見えますか?」
智子はじっと見ていると、その首筋に吸血鬼がつけたと思われる牙の跡が見えた。
どういうことだろう。血を吸い過ぎて死んだ訳ではない。アナフィラキシーショックと記事にはある。
「どういうこと?」
「この画像、ニュースと関連付けされて掲示板などで拡散されています。通常、鏡に映った吸血鬼が見えない人間はこれにも気づかないでしょうけど、バンパイア・ハーフの彼なら気がつくでしょう」
「じゃなくて、吸血行為ってアレルギーが発生するの?」
唖然とする智子を見つめたまま、壁谷はゆっくりと頷いた。
「個人差がありますが、蜂に刺されてアレルギーショックが起こるのと同様、吸血が二回目の場合、このような症状が発生することがあります」
冴島がなぜメルヴィンの存在に気づいていたのか、これで納得がいった。
智子が吸血鬼の存在を知らなかった時にも、同様の事故は沢山あったかも知れない。
だが、知ってしまったからには、この状況を野放しには出来ない。
残る眷属四人を早く人間に戻さないと、メルヴィンをやられてからでは遅い。
眷属たちの吸血で人が死ぬとすれば、その意味でも急がないと。
そしてメルヴィン。
彼に恨みはないが、消えてもらうしかない。
「智子様、メルヴィンはあなたが思っている以上に手強いですよ」
「えっ?」
「あまり無茶はなさらないでください。ルビー様の力にも限界はあります」
そう言うと壁谷は立ち上がり、深く頭を下げる。
智子も立ち上がり、店を出た。




