笹川の家
横田が香山の車を路肩から引き戻すと、二人はそれぞれ車に乗って山道を進んだ。
行き着く先は『笹川』の家だった。
「一人暮らしにしては大きな家だな」
香山はインターホンのボタンを押した。
しばらく待つと声が聞こえた。
『はい?』
「笹川さん。香山だが、少し聞きたいことがあるんだが、いいかね」
返事がない、と思って待っていると扉が開いた。
「こんな夜にどうしたんですか?」
「ワカサギ釣りをしていた時に発見された遺体について、聞きたいことがあって」
「どうぞ、横田さんも、お入りください」
二人を家に入れてキッチンダイニングに通す。
そこにあるテーブルは、地下に向かう蓋を覆うように移動されていた。
智子は二人に言った。
「コーヒーで良いですか? 砂糖とかミルクはどうします?」
保温してあったサーバーを二人に見せるよう持ち上げる。
「俺はブラックで」
「砂糖とミルク、両方もらえるかな」
カップにそそぎ、横田にはポーションとシュガースティックを添えて出した。
二人とも、カップに口をつけると、香山が話し始めた。
「ちょっと聞きたいんだが、この近くに他に住んでいる人はいるのか?」
「えっ? いませんが」
「この近辺に家はここしかなかったはずです」
智子は顎に指を軽く当て、間を置くと言った。
「夜は流石に少ないですが、この家に訪問してくる人はいます。この家、共同出資者で使う家だったらしいんですが、出資者とか、出資者の友達とかが、まだこの家が使えると思ってやってくるんです」
「……歩いて?」
「流石に歩いてはないです。車に乗ってきますよ。ただ、自分たちのペースでくるので、夜中でもやってくる時はあります」
納得いったか、いかないかは分からなかったが、香山は話を変えた。
「そうそう。網走湖から見つかった死体なんだがね。横田くん、説明して」
「えっ!?」
横田が驚いたような声を出した。
直後から、テーブルの下で香山と横田で何かやりとりを始めた。
「あのさ、アーニャに確認してもらった加田さんのことなんだけど、笹川さんはどこまで知っている?」
「何も知りません」
「加田さんて、アーニャの知り合いで、スナックの従業員だったみたいだね。それと、代行運転って知ってると思うけど、代行運転のバイトもしてたみたい。この前亡くなった神河社長とも親しかったそうだから、君も知っているんじゃないかと思って」
笹川は首を捻った。
「私は加田さんとあったことはないです」
香山が割り込んでくる。
「じゃあ、アーニャから何か加田さんと社長の関係について聞いてないか?」
「それならアーニャに訊いた方が良いのでは? 共通の知り合いというわけでもありませんし」
香山は首を何度か縦に振ってから、また話題を変えた。
「この家、あの運送会社の事務だけで維持できるのかい?」
「ええ、確かに生活は厳しいですが、人口減少の対策で補助金などが出ますから、意外となんとなりますよ」
「本当? 給料以外に何か収入があるんじゃない?」
智子は一瞬、壁谷から現金を受け取ったところを警察に見られていたのではないかと考えたが、思い直した。
「いいえ」
「神河社長から援助を……」
つまりこういうことだ。
加田が神河社長と親しかった。その加田を殺して、智子が社長と親しくなり、この家を維持するためのお金を援助してもらっているのではないかということだ。
カチン、と頭に来た。
智子は感情的になり、声がうわずりながら、
「援助なんて何もありません」
と吐き捨てた。
「話の途中で気付いたようだ。そう、ここの維持費や君の所得などは調べればすぐにわかってしまう。君はこの家の維持費のため、加田を殺し、代わりに神河社長の愛人になった」
「そんなことしていません」
「そして何かしら神河社長を殺す動機を持った」
智子は立ち上がりかけたが、そのまま怒りを抑え込んだ。
「殺したりしてません」
「百歩譲って、神河社長は殺していないとしよう。愛人に収まったあんたは誰かに恨まれた、あるいは、加田が殺された復讐として、神河社長殺しの容疑者になるよう仕立てられたんだ」
半ば呆れたような口調で言い返す。
「警察は加田さんを殺した犯人についても、目星がついていない、ということですか? 私が加田さんを殺す訳がない。だって知らないんですから」
「だって、知らないんですから。そんな言葉で容疑から逃れられば警察はいらないんだ」
「これは取り調べなんですか? 令状もなしに強引に入ってきたと言って訴えますよ」
横田が慌てた顔をすると、頭を下げた。
「コーヒーご馳走様。さあ、香山さん、そろそろ帰りましょうか」
そう言うと香山の脇の下に腕を差し込み、強引に引っ張り上げた。
怒ったように横田の腕を振り払うと、香山は玄関に向かいながら口を開いた。
「看護師の変死事件だって……」
「やめましょう! あ、笹川さん見送りは無用です」
二人が扉から出ていくと、智子は苛立ち気味に玄関扉のロックをかけた。
横田と香山は、笹川の家を出ると凍るような寒さの中、車に急いだ。
「なんでこっちの車に乗ってくる?」
「ちょっとさっきのは強引すぎます。本当に容疑がかかっているなら尚更です」
「とにかくあの女が何か握ってるんだ。それは間違いない」
「寒いからエンジンかけて下さいよ」
横田は上着を合わせるとそう言った。
「何か手がかりを引き出さないと、未解決のまま事件だけが増えていくことになる」
「どう見ても普通の女性ですけどね。クセのある感じがない」
「……それは俺も感じる。長年、事件に接していると、事件を起こす人間の特徴のようなものがわかるようになる。だが、笹川にはそれがない。向こうでも調べれば調べるほど、普通の派遣社員だった」
香山は思う。
けれど、笹川が、消えた黒峰の居場所や、事件の核になる部分を握っている。
そんな気がしてならないのだ。
「香山さん。とにかく。笹川のことは、一旦忘れませんか。加田を包んでいたゴムシートやら縄などが結構特殊だったそうですから、きっとそこから犯人が浮かび上がります。加田殺害の容疑者がわかれば、事件は順番に解決していくような気がするんです」
「だが、俺は看護師の変死事件の調査の為『笹川』を追ってきているんだ」
「じゃあ、一旦、警視庁に引き上げて下さい。こちらでも笹川が逃げないように注意はしますので」
「……」
横田は、香山が言うことを聞いてくれるだろう、そう思って車を下りた。
自分が乗ってきた車に乗ると、エンジンを掛ける。
「香山さん、道外さないように私が前走るんで、後ろついてきて下さい」
香山が手で分かったと合図をする。
横田は先に山道に車を走らせた。
香山が一旦帰ると言うことで、横田はホテルから女満別空港まで車で送っていった。
直行便は取れなかったようで、一旦、新千歳まで小型機で向かうらしい。
別れ際、二人で喫茶店でコーヒーを飲んでいる時だった。
「今頃思い出したんだが、あの鍵の開け方、どこかで見た気がするから、警視庁で資料を見つけたら転送する」
「確かに特殊な切り方ですからね。分かれば有力な手がかかりになると思います。ありがたいです」
「ああ、こっちこそ、本当に世話になった」
横田は飛行機までは見送らず、そこで別れると車で北見に戻った。
とにかく、こんなことをしていると移動だけで一日が終わってしまう。
車を走らせながら、幾つも電話を受け、各々に指示を入れる。
複数の失踪事件の中の一つの遺体と神河社長の殺害、別々なのか、香山が考えるように繋がりがあるのか。
そして笹川は何を握っているのか。握っていないのか。
横田は長い道道を車で走りながら考え、署に戻った。
横田は署内で情報をまとめていた。
神河が殺された日。
第一発見者の笹川、神河社長からの謎の呼び出しメッセージ。
散弾銃の盗難。青海の家と、神河宅の不自然な扉の鍵の破損。
後日、神河の妻の車が、青海宅に入っていたこと。
ワカサギ釣りの時神河社長が呼び出された農場の方向を、笹川が見つめていたこと。
おそらく神河社長の前の愛人だった加田の死体が湖から見つかったこと。
事柄の大小ではなく、意味とその事実の価値で書き綴っていく。
神河社長が死んだことで一番得をしたのは、妻の涼子だろう。
涼子と青海の間に強い繋がりがあるとしたら、青海も怪しい。
笹川が何かを得ることは考えられないが、もし愛人だったとしたら、関係を断ちたかっただけでも殺す動機になる。
「あっ」
土産物販売会社の社長と、神河社長が言い争っていたと言う証言もある。
そして土産物販売会社の社長と涼子夫人が二人きりであっている話も出ている。
涼子夫人の愛人が、青海と土産物販売会社社長の、どちらなのかによっても話は変わってくる。
新しい情報に埋まれていき、謎だけが残っている。
横田は座ったまま体を反って背伸びした。
署内でシャワーを浴び、肌着を替えた。
そのまま、私服を身につけると署を出て行った。
彼が向かった先は、飲み屋だった。
アーニャは店を開けると、机に上げていた椅子を下ろした。
店の清掃は昼間帯に業者が行うのだ。
奥のスタッフルームに入って服を着替え、店に出ると扉が鳴った。
多少、時間は早いが、開けてしまおう、とアーニャは判断した。
「三日月へ、ようこそ〜」
可愛らしく首を傾げながらそう言ったが、全く反応がない。
「……」
その男性客は扉口で、じっと立ってアーニャを見ている。
背が高く、容姿から判断すると外国観光客のようだった。
開けたまま扉の外は真っ暗で、飲み歩いている人たちが歩いている。
なんとなく、この客に見覚えがある。
アーニャは言った。
「どこかでお会いしましたか?」
「……」
まるで足を出さずに前に進んだように思えた。
扉が誰かに操られているような半端なスピードで閉まった。
アーニャは変な客だと思いながら、席を案内する。
「お一人でしたら、こちらへどうぞ」
カウンターにあるスツールを示すと、彼女は客に背を向けてしまった。
「!」
どうやったのかわからないが、その男性客が一瞬で間を詰めてきた。
冷んやりと寒気を同時に感じ、飛び退くように振り返ると、彼女は目を見開いた。
危険だ、この男、何かする気だ。
「こん、ばん、わ〜」
再び扉が鳴ったかと思うとそう言いながら、人が入ってきた。
両手を前に突き出して、アーニャの方に手のひらをクルクルと振っている。
「横田さん! 横田さん、いらっしゃい!」
固まったように動かなくなった外国人男性客の脇を、するりとかわして、アーニャは横田に抱きついた。
「おい、どうしたどうした!? 今日はめちゃサービスしてくれるの?」
「いつもの席空いてますよ」
アーニャはそのまま横田の腕を引っ張って、ボックス席に案内する。
「……」
横田は先に店にいた客に気づいた。
アーニャの状況などから何かを察した。
「あんたも一人なら、こっちで一緒に飲むかい?」
横田は声を掛けたが、反応がなかった。
それは言葉がわからない以上の壁があるように感じた。
アーニャが、カウンターの客に酒を出してから、横田の席に来て水割りを作った。
彼女は横田に顔を寄せて小さい声で言った。
「ちょっと怖いの」
横田は感じ取った何かが間違いでなかったことを知った。
下手をすると彼が失踪事件関係者の可能性だってある。
「うん、気にして見ておくから」
横田は注意力が下がらないよう酒は飲むふりだけにして、水を飲んだ。
カウンターで飲んでいた客は、ゆっくり時間をかけて一杯飲み終わると、チェックと言った。
現金を取り出すと、アーニャに手渡した。
お釣りがあると言うのだが、手で抑えるような仕草をするとそのまま去って行ってしまった。
アーニャは素早くレジを操作してお釣りを掴むと、扉を開いて外をみた。
慌てて横田がアーニャについていく。
「待て、一緒に行こう」
「いないわ……」
繁華街ではあるが、人混みに消えれるほどの人数は歩いていない。
最初の角を曲がるにしても、それほど時間はなかったはずだ。
横田はアーニャからお釣りを受け取ると、店を出て走った。
最初の方向を間違ったのか、客を見つけられずに横田は三日月に戻ってきた。
「アーニャ、ごめん、見つけられなかった」
「お釣り、どうしましょう」
「チップとしてもらっておきな」
横田はアーニャに現金を渡してそう言った。
明らかに飲むのとは違う目的で店に入ったのだろう。
今日の事は、今回の件だけにおさまらない、横田はそんな気がしていた。




