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風鈴の音

作者: 啝賀 絡太

 私の職場は窓のない空間でした。


 もともとサーバ室だった場所を、昨今のクラウド化に伴い自社内でサーバを持つことをやめ、その空間を新しい部署の場所として使われるようになったそうです。


 倉庫にしてしまえば良かったのですが、それよりも業務改革に伴い新しく出来た係の配置場所がなかった為、その部屋を新しい係の執務室にあてられたそうです。


 外からの音は聞こえて来ないし、同僚や来客等が来ることがほとんどない部屋なので、誰も喋らなければ空調の音しか聞こえてこないような場所でした。


 ただ、あまりにも静かだとかえって息が詰まりそうで、私の上司はその場所で仕事をする際には私語も厭わないと言いました。


 その日も数人がその部屋で仕事をしていました。私は対面に座っている同僚と好きな料理の話をしながら、先日行われた打合せの議事録を作成していました。


「なぁ、そこの漫画雑誌を取ってくれん?」


 少し離れた席にいた先輩が、私のすぐそばに置かれた漫画雑誌を指しながら言ってきました。


 どうして私がそんな事をしなければならないのだろう。自分で取ればいいのに、横着な人め。そんなことを思いながら、私は漫画雑誌を取り、先輩のもとに持っていきました。


「先輩どうぞ」


「おー」


 私は先輩の近くまで漫画雑誌を持ってきましたが、彼は対面の机を凝視しながら生返事をしました。


 彼の視線の先には、十円玉ほどの蜘蛛がいました。蜘蛛にはおよそ八本の足が生えていると思いますが、その蜘蛛の足は七本でした。


 先輩はどうやら、その蜘蛛を追い出そうとしていたそうです。手に持っていた下敷きを蜘蛛の下に敷こうとしました。しかし蜘蛛は下敷きとは反対の方向に跳んでいきました。


 何度も敷こうとしても、蜘蛛は逃げていくばかり。ついぞ机の端まで追い詰められた蜘蛛は、私の方目掛けて跳んできました。驚いた私は持っていた漫画雑誌を振り動かし、その蜘蛛をどこか遠くに飛ばしてしまいました。


 蜘蛛がどこかに跳んで行ってしまった時、とても細い何かが床に落ちました。おそらく、蜘蛛の脚の一本でしょう。


 一連の流れを見ていた先輩が「あーあ、やっちまったな」と零しました。


「ああいう足の少ない蜘蛛っていうのは、昔手足が不自由になってしまった軍人の生まれ変わりなんだそうだ。その蜘蛛を邪険に扱うと、手足を求めて電話してくるらしいぞ」


 静止した私を見て、先輩は知らなかったのかと煽ってきました。


「うちの地元じゃ有名なんだがな」


「どうして早く言ってくれなかったんですか」


 私は大きな声で訴えた。


 私は昔から怪談話が苦手で、そういった話は聞かないようにしていました。聞いてしまうと、実際に我が身に降りかかりそうな気がして怖かったからです。


 冗談じゃない、と憤慨の意を唱えました。そんな事情しらずに漫画雑誌を取るよう頼んできて、こっちは巻き込まれ損ではないか、と。


「ま、伝承みたいなもんだ。俺の地元の話だしな。気にしなくていいんじゃないのか?」


 私があまりにも、まくし立てていたからか、先輩はおずおずと言い訳を並べていました。けれど幽霊というのは、人間の脳に異常が発生し見えてしまう幻覚、バグのようなものだと聞きます。


 こんな話を聞かされてしまっては、想像したくなくても、想像してしまうでしょう。


 その日の夜、私は案の定夢を見ました。


 職場内でいつも通り仕事をしていました。あの閉鎖的な部屋の中に、私ひとりでした。


 書類作成に悩んでいると、どこからともなくリーン……リーン……と、風鈴の音が聞こえてきました。


 前述したとおり、私の職場には窓がありません。風鈴を吊るす場所もないので、私は気のせいだろうと思い、仕事を続けてしました。暫くすると、机に置かれている固定電話が鳴りましたので、私は受話器を取りました。


 いつもどおり自分の部署名を名乗りましたが、暫く声が聞こえて来ませんでした。何度かもしもしと応対を待っていると、


「あァの、俺の手足脚アシあし……」


 か細い男の声で、そう訴えて来ました。瞬間、私は受話器を落としてしまい、机から遠ざかりました。そしてすぐに受話器をもとの場所に戻しました。


 これは間違いなく先輩の言っていた幽霊の話だろう。私は恐怖で腰を抜かしてしまいました。


 どうしてこんな事になってしまったのだろう、と俯いていると、部屋の入り口からふたつの音が聞こえてきました。


 ひとつは重たいものが這いずる音、もうひとつはびたん、びたんと何かが叩き付けられる音。はじめこそその音の正体がわかりませんでしたが、私はそれらふたつの音が、片腕と足をなくした軍人が、自身の身体を引きずる音だと想像してしまいました。


 本当に幽霊が来てしまった。どうしよう。


 鼓動が速くなり、息が荒くなる。どうしようもなくて、どうにかしなければならない。その何かが私の視界に入る直前、私は瞼を強くつむりました。


 暫くすると、スズメの鳴き声が遠くから聞こえてきました。ゆっくりと瞼を開くと、私は自宅の寝室にいて、ルームメイトがシャワーを浴びているようでした。


 とんでもない恐怖体験をしたと、私は先輩のことを恨みました。恨み節のひとつくらい、言いたくなるものです。


 先輩は、伝承だと言っていましたが、眉唾物とも思えなかったので、後日お寺に行ってお祓いしてもらおうと決心しました。


 ふと、喉が乾いている事に気がついた私は、水を飲もうとベッドから立ち上がりました。その時です。


リーン……


 一度だけですが、確実に、夢の時と同じ風鈴の音がしました。


 冗談じゃない。これは幻聴だ。私が臆病なあまり脳内で再現してしまったのだ。こんな音は実際には鳴っていない。


 私は頭を振り言い聞かせましたが、胸の内からはじわりじわりと生ぬるい気持ち悪さが湧き上がり、次第に悪い方向に思考がよっていきました。


 夢では、この後電話がかかってきました。ならば今度は自分の携帯に……


 おそるおそる自分の携帯を確認しようとしたその時、今度こそ私は夢から覚めました。どうやら先ほどまでの出来事まで含めて、夢のようでした。


 勢いで起き上がり窓を見ると、まだ太陽が姿を見せていませんでした。


 一連の流れが夢だと気がついた私は深く息を吐きました。随分と恐怖感を煽られる夢だったと。念のため頬をつねってみると、痛覚を感じました。


 あぁ、ようやく現実に戻ってきたのだと、私はぼんやりと安心感を抱くことが出来ました。


 風鈴の音は普通だったはずなのに、とても怖く感じたなと思いました。余裕を持つことが出来た私は、その風鈴の音を頭のなかで想像しました。そうして何の気なしに自分の机を見ると、六本足の蜘蛛がいました。


 私は驚き、壁際に張り付いてしまいました。その蜘蛛はもとから六本足という風には見えず、二本分の脚がかつてあったかのような生え方をしていました。


 息も忘れて、その蜘蛛を凝視していると、蜘蛛は開けっ放しの窓から外へ出ていきました。


 蜘蛛を見送った私は、乱れた呼吸を整えながら、その場に崩れ落ちました。


 あの夢は、ただの夢だったのでしょうか。風鈴の音は、幻聴だったのでしょうか。やはり私は、許されていないのでしょうか。


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― 新着の感想 ―
こういう先輩どの職場にも1人はいるわ(笑) 主の足が取られなくてよかった。
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