【短編】十歳児魔王とメイド勇者
年末の大晦日、今日も田村崎村は平和だ。
メイド姿で加賀羅瞳は無表情に頷く。
絶好のお洗濯日和でもあるのだから、一気にやってしまうべきだろう。
「ねえ……」
「なんです、十歳児。そんな便秘十日目みたいな顔をして」
「どんな顔!? というか十歳児言うな、僕にはアレスって立派な名前がある!」
「そうですか、それは良かったですね」
「メイドのやる気が皆無……!」
「メイドの仕事の邪魔をしているのは十歳児です」
「むぅう……」
「はいはいアレス、いったいなんですか」
「聞いて」
「なんです」
「僕、実は魔王なんだ……」
「ええ、そうですね」
「……」
「……」
冬にして暖かい日差しだった。
空気は乾燥して空は高く、小鳥たちもこころなしかスイスイと軽快に飛んでいる。
ここに十歳児の「ば、ばかな!?」というショッキングエフェクトを背負った表情は似合わない。
「な、なんで」
「はい」
「なんでカガラはすでに知ってる感じなの!?」
「むしろどうして知らなかったのですか?」
「誰も教えてくれなかったよ!!?」
「出生の秘密というやつは、それとなく周囲がヒントを散りばめ、本人が薄々把握するものですよ、直接言うのは趣きに欠けます」
「難しすぎるよ!?」
「割と露骨でしたけどねえ、家の表札には魔王城と書かれているでしょう?」
「変わった名字だなとしか思ってなかったよ!!?」
「たまに家にスライムがうろついてますよね?」
「珍しい掃除ロボットだな、日本の技術ってすごいんだなくらいにしか思ってなかった、というか、それで僕は魔王だって確信する方がおかしいよ!!」
「言われてみればそうですね」
「でしょぉ!」
「だけれど、十歳児の頭に生えた角については疑問は持たなかったのですか」
「え、だってたまにつけてる人いるし……」
「この村ではですけどね、テレビやネットの中ではいなかったでしょう?」
「最近見た!」
「あれはハロウィンの仮装です」
「あれって嘘なの!?」
「人間って嘘つきなんです」
「それに、母様だってつけてる!」
「現魔王なんですから、当然です」
「前やった新年会だと、ほら、いろんな人が来てたし!」
「異次元回廊を通って見たものを一般的なものだと思わないほうがいいですよ?」
「けど、僕、神社の奥から扉をくぐっただけだよ」
「そこから絶海の孤島に行ってしまったことについて疑問を持った方がよかったですね、十歳児」
「けど、けど……」
「なんです?」
「だったら僕、悪いことしなきゃ、いけないの?」
「いいえ」
「え」
「そのような必要はありません、むしろしてはいけません」
「どゆこと?」
「だってここは「倒されてしまった魔王」の住む村なんですから」
+ + +
ここではない場所、今ではない時間、勇者と魔王の最終決戦が行われた。
激闘の末に勝利したのは勇者だったが、トドメを刺す直前に思うところがあった。
果たして、魔王とは倒すべき悪なのか?
あるいは、人間とはそれほどまでに救わなければならない善であるのか。
魔王、魔族、モンスターをすべて打ち倒した後で発生するのは、人同士の醜い争いではないのか。
なので――
「やっぱ倒すのやーめた、と放置して戻って、各国の技術力を結集して異世界転生ならぬ異世界放逐させることで決着としました。魔王もモンスターも割と抵抗したらしいですが、オラ、じたばたすんな、無理かどうかじゃねえ、行くつったら行くんだよ、とかやって日本に来て五百年くらい経過して今に至る、という流れですね」
「勇者って、ヤクザ?」
「似たようなものじゃないですかね」
「というか、それなら別に魔王が悪いことしてもいいんじゃないの? 追い出されただけだよね」
「いいえ」
「どして?」
「それをしたら自動的に勇者スイッチが入って魔王を滅ぼしてしまうのでやめてください」
「なにそのスイッチ!?」
「私も詳しくはわかりませんが、なんかそういうものがあるらしいです」
「ふわふわだ」
「かなり前の話ですが、以前に一度スイッチが入ったときにはここら一帯が焼け野原になったそうですよ」
「なにそれ、どういう状況?」
「自身のことながらどうなるのかは不明です。おそらくは能力的なリミッターが外れて魔王を倒すことに意識が染められるのでしょう」
「ん?」
「どうしました」
「いま自身のことながら、って言った?」
「ええ、私、勇者ですので」
「なんで?」
「私、察しが良いので」
「違う! そうじゃなくて、どうして勇者がメイドやって家で働いてるの!?」
「十歳児、知っていますか」
「なにを」
「人間って、働かないと食えないんですよ」
「え、うん」
「そして、勇者って魔王とかモンスターがいない平和な世界だと、まじでただの穀潰しです」
「勇者なのに?」
「勇者だからこそです」
「……ごめん、わかんない」
「戦力として見た時、勇者は銃が発明された時点でもう不要なんですよ、所詮はちょっと強力な技が使える人間でしかないんですから、煽てられて持ち上げられたところでやれることなんてたかが知れてます。つまり、現代勇者は戦力としてカウントできません」
「でも、強いんだよね……?」
「最強ですが? 誰も勝てやしませんが? けど、格闘技最強王者って現代戦で有益な存在ですか?」
「ええ……」
「もちろん、ちょっとだけ優秀な兵士になることはできます。いい曹長くらいにはなれるかもしれません。けれど、それは勇者の本質じゃないんですよ。勇者スイッチが入ったらそっちを優先しなきゃいけない事情もあります。なので、魔王に頭を下げてここで働かせてくださいをやったわけです」
「納得できるような、できないような……」
「すくなくとも、家のクズ親父はそう言ってました」
「メイドのお父さんって、今どうしてるの?」
「街に行っています」
「ああ、真面目に働きに」
「いいえ、パチンコをしに」
「え」
「無一文になっても一攫千金を夢見るのが勇者、とか言ってましたね、あのクズ」
「その勇気の方向、間違ってない?」
「十歳児にもわかることがあのクズ親父には理解できないようです」
「もう、なんか……」
「なんです?」
「苦労してるんだね、メイド」
「ええ」
「僕が魔王とかで悩んでるのが小さく思えて来た」
「立派になってと喜ぶべきところですが、それで納得されてしまう私の家庭環境が悲しく思えてきました」
冬の空は高かった。
メイドが上を向いて流れる涙を隠すのが自然なほどに。
+ + +
「けど、そっか、ここは魔王の村なんだ」
「ええ、そうですよ」
「じゃあ、駄菓子屋のみみっく屋も、ひょっとして本物?」
「ええ、本当にミミックが経営しています」
「あそこで宝箱とか見たこと無いけど、店の奥にあるのかなあ」
「いいえ、違います」
「けど、美人の店主さんがいるよね、たまに僕を見る目がおかしいけど」
「あれは擬態ですね」
「え」
「たしかに人に見えますが、構造としては舌にあたる部分です」
「どゆこと?」
「あの駄菓子屋自体がミミックです、巨大な一つのモンスターです」
「……初耳なんだけど」
「大丈夫ですよ、別に人は襲いません」
「そ、そうだよね」
「ただ万引きしようとしたら入口がバックリと閉じて犠牲者を閉じ込め決して逃さなくなるだけです」
「トラップえぐすぎない!? というかメイドって勇者なんだよね!? なんで放置してるの!?」
「犠牲者は出ていませんからね」
「あ、そっか、さすがに脅すだけで……」
「ちょっと色々とされてしまう上に、店主が極度のロリショタ好きなだけで」
「犯罪でしょぉ!?」
「平気ですよ」
「どこが!」
「手足を拘束されて身動きできないようにされた上で、延々と駄菓子を食べさせられ続けるだけなので、ほらほらそんなに食べたいのなら存分にお食べぇ、ってやるだけです」
「……それなら、ギリギリいいのかな……?」
「甘いジュースも散々に飲まされた上にトイレに行けないというオプションつきですが」
「駄目じゃん!?」
「意地をはったらそうなってしまうという話です、素直に謝れば許してくれますよ」
「そ、それなら、まあ……」
「ただ、ちゃんと涙目で謝ってくれないと誠意がたりない、さあ、もっと飲むんだ、膀胱の限界、否、その先にまで! という判定になるようですが」
「僕、もう絶対にあの店にはいかない」
「それが妥当ですね」
「うん」
「あの店主、ほんの少しでも怪しい動きをしてくれないかと、十歳児が入店するたびに荒い呼吸で見張っていましたからね」
「勇者、すぐ近くに倒すべき悪があるって思わない?」
「誰も人を倒していないのでセーフです、よいっしょっと」
ちょうどいい具合に洗濯が終わった。
メイドは水魔法を使う手を止める。
十歳児は家にある暗黒武器の数々に思いを馳せた。
友達の何人かが、虚ろな目をしながら足繁く通っていたのを思い出したのだ。
+ + +
野外に立てた物干し竿には、いくつものシーツがはためいていた。
太陽の熱を吸い込み、より白さを強くする。
「我ながらいい出来です」
「ねえ」
「なんです、十歳児」
「アレスだって」
「仮にも次期魔王なんですから、そうほいほいと真名を言わない方がいいですよ?」
「確かに以前、そんなことも言われたような……」
「歴代の名前ありの魔王はそれだけ強力で、名による支配をものともしない人たちばかりでした、そのレジストが上手く出来ない内は隠しておくべきでしょうね」
「メイドは名前呼ばれても平気なの?」
「ええ」
「なんかひきょう……」
「人間なので」
「魔王差別だ!」
「手をブンブンと振られても困ります、というか防御結界にぶち当たると危険なので、ここでは攻撃をしないほうがいいですよ?」
「なにそれ?」
「野外における大敵はいろいろありますが、そのトップ3に入るのが虫なんですよ」
「僕も嫌い」
「私もしかめ面になってしまうほどに嫌いです」
「無表情にしか見えないよ?」
「気軽に飛んでるのであれば気にもしないのですが、外に干していると、良いねぐらがあるじゃねえかと入り込み、家のタンスの中にまでついてくることがあります。そうして侵入に気づくのは、着替えてる最中という最悪です」
「実際にそういうことあった?」
「あやうく勇者スイッチが入りかけました」
「いくらなんでもスイッチ軽すぎじゃない!?」
「人がピンチのときに神に祈るように、危険なときには魔王を憎めと教育されていますからね。どんな危険も魔王のせいです、きっと父親も今頃パチンコ台の前で魔王のせいだと喚いています」
「僕が言っちゃ駄目かもしれないけど、勇者の教育って根本的に間違えてない?」
「判断するより先に反射的にスイッチ入れとけ、それで危険には対処できるから、って話なんでしょうけど、そもそも現代日本でいまだに勇者を自称してる一族です。頭のネジなんでだいたい存在していません」
「いままで僕が魔王だって知らないことが申し訳なくなってきた、いくらなんでも自覚なさすぎた……」
「十歳児が気にすることもありませんよ。ともあれ、そうした事柄があって以降、洗濯場には結界を張るようにいたしました。これで虫とか入って来ません」
「そっか。ああ、でも、ちょっと前から不思議だったんだけど、洗濯については納得した」
「なにを悟りました?」
「メイドがよく洗濯物を頼まれてるのって、そういう理由だったんだ」
「ん……?」
「変なにおいもつかないし、すごくふかふかでいいってみんな褒めてたから、そりゃそうなるよね」
「……」
「なんでそんなに目を丸くしてるの?」
「……どういうことでしょうか、十歳児」
「そのままの意味。この結界を張れるのも解除できるのもメイドだけなんだから、洗濯がメイド専用の仕事になるのも当然だよね、って話だけど……?」
「おおう……」
「なんで顔を覆ってるの!? え、気づいてなかったの!?」
「洗濯ものを頼まれることが多くなったなあ、くらいは思ってましたが、まさか、私しか洗濯ができない状況になってるとは、つゆほども気づかず……」
「遅すぎじゃない!?」
「だって、虫とか嫌いだし……」
「うん、それはわかる、だからメイドは別に――」
悪くない、と言おうとした言葉は途切れた。
落雷が直撃したような閃光が、すぐそばで発生したからだった。
おそるおそる下方を見れば、黒焦げに焼かれた虫の残骸らしきものがあった。
どう考えても感電死確実の威力だった。
人間くらいの大きさのものでも。
「絶対に虫を入らせないよう滅殺級にまで威力を上げてしまいましたが、これもやはり悪かったのでしょうか……」
「……洗濯中のメイドに近づいちゃいけないって皆に伝えておくね?」
「なんで!?」
「事故発生を防ぐためだよ! 必要な措置だよ! というか洗濯場を覆うように地面に焦げ跡できてるし! なにこのミステリーじゃない必殺サークル!」
「ふかふかの洗濯物のためには必要な犠牲です!」
「そこまで命がけで洗濯したい人っていないから!」
「え、威力不足でしたか?」
「安全不足! なんで家事が命の危険と隣合わせになるんだよ!」
「だってシーツが白いんですよ?」
「だからなに?」
「二年ほど前、とても大きな世界地図がシーツに描かれた時であっても問題なくキレイにできたのはこの結界のおかげと言っても……」
「虫だらけになってしまえー!」
「やめっ!? 結界を壊さないで!?」
未覚醒勇者と次期魔王の対決は、取っ組み合いの末の泥だらけのドローで終わった。
+ + +
「ひどい目に逢いましたが、朝風呂に入れたことは幸いです。本当に万事塞翁が馬ですね」
「……」
「どうしました十歳児、鳩が究極魔法でもくらったような顔をして」
「なにその状況、いや、ええと、言いにくいんだけど……」
洗濯場での戦いの結果、二人してごろごろと泥だらけになってしまったため、風呂に入ることになった。
それ自体はとくに問題なく終わったが、アレスは眉間にシワを寄せてメイドを見ていた。
いつものメイド服ではなく、シャツにジーンズという格好だった。
「メイドの性別って、どっち?」
「いやですねえ、見ればわかるでしょうに」
「そうだよね、うん、馬鹿なことを言った、ちょっとまさかと思っただけで……」
「どうみても男です」
「まさかがまさかだった!?」
「気づいていなかったんですか?」
「割と筋肉質だなあ、体型フラットだけどこれって触れちゃ駄目だよね、くらいは思ってだけどそれだけで疑う方が無理だよ!」
「はっはっは、ナイスジョーク」
「無い。どこにもジョーク要素とかない!」
「いやいや、けれどこれを着た当初は誰もが私を指差し笑っていましたよ、その内に皆が慣れたのか触れることもなくなりましたが、きっと今でも変わっていません」
「慣れたのは周囲じゃなくて女装の方!」
「しかしながら、私は特に何かをした覚えもありません、ありえるとしたら勇者の特質ですが……」
「なにその特質って」
「勇者とは、人類の代表であり希望です。なので、その姿かたちは人々の希望に沿ったものになると言われています。影響としては微々たるものらしいですけれどね」
「絶対に、それだ……ッ!」
「周囲の人達が、私のことをメイドであると思い込むことで、私の姿形がメイドとして相応しいものになった? ふむ、なるほど、理屈としては合っていますね、辻褄は整っています」
「でしょうお? ちゃんと自覚してよ、人心を弄ばないでよ……」
「けれど、そこには、ひとつ致命的かつ論理的な欠陥がございます」
「どこに、どんな、どういう風な」
「先ほどから、なに初恋が砕け散ったみたいな顔をしているんですか? いえ、仮に私がメイドとして周囲に認識され、そのような誤認が起きているのだとしましょう。けれど、その場合、勇者の剣も召喚すらできなくなります」
「勇者の剣?」
「当代の勇者だけが使える装備です。そう、先代ダメ親父ではすでに使えない装備……こうして召喚した剣こそが、私が勇者であり、男の中の男であると――」
「ねえ……」
「……なんでしょう……?」
「派手なエフェクトと共に出てきたもの、剣じゃないように見えるよ?」
「……とても奇遇ですね、私もです。こんなに軽かった覚えもありません……」
「どっからどう見ても、それ、ハタキだけど……?」
「少しお待ち下さい、たちの悪い幻影魔術ですね、酷いことをする奴がいるものです、今すぐレジストいたします」
「メイド……」
「破邪魔法が効かない……? いえ、共有幻想ですね、湯あたりです、心理的な何かが危ない」
「ねえ、もう諦めよう? 勇者の剣ですらメイドのことをメイドだって思ってる……剣からふさわしい形へわざわざ変えたくらいに……」
「やだー! 私、勇者! 勇者なの!」
「言いながら暴れるんじゃなくて、涙目でパタパタと汚れ落とし掃除してる時点で、きっともう駄目だよ」
「はっ!?」
ちなみに勇者の鎧もメイド服になっていた。
ロングドレスのヴィクトリアン風であった。
+ + +
「どうして、いつの間にか、私が身も心もメイドに……なんで……?」
「どうどう」
「うう、十歳児に慰められるの屈辱なはずなのに心が和んでしまう自分が悔しい……」
「だいたい無表情なのに唇だけ噛み締めてるの怖いからやめて?」
「気分としては血涙を流したいのです」
「うん、たぶん、メイドがメイドを頑張りすぎたんだよ」
「今からでも上半身裸で腰ミノ一丁の姿になるべきでしょうか?」
「それで上手く行っても蛮族にならない?」
「究極の二択ですね、悩ましい」
そこで執事服とかじゃなくて極端な方向に行くから駄目なんだろうなあ、と思いながらアレスは進んだ。
二人が向かっているのは蕎麦屋だった。
年越し蕎麦用の、生麺を取りに行くためだった。
メイドは買い物袋を片手にしずしずと歩きながらも、悲壮な顔で言う。
「十歳児、いえ、アレス様」
「なに? 改まって」
「ここは一つ、私のことをメイドやカガラではなく、ガラと呼んでみてはくれませんか?」
「なんで?」
「少しでも勇ましい名前になれば、周囲の見る目も変わるかもしれません」
「わかった、ヒトミ」
「名前呼びで誤解を促進させないでいただけませんか?」
「だってガラってイメージないし」
「私、そこまでメイドですか?」
「生まれてこのかたそうじゃなかった姿を僕は見たことがない」
「そのイメージを破壊しなければなりません」
「ちょっとヤダなあ」
「具体的には一升瓶を片手にウェッへっへぇ、おんやあ、出ていった女房がメイド姿だぁ、おら酒買ってこーい! とか言い出して腹を出して眠るようなことをしなければなりません」
「ねえ、その見てきたような具体的な描写がリアルな家庭事情なら、メイドは今すぐ家を出た方が良いよ? 母様に口添えくらいは僕もできる」
「さすがに誇張してますよ」
「そっか、良かった」
「ほんの一割ほどの誇張が……」
「よし、母様に直談判する、もうメイドは家に住んでいい」
「もうすでに週の半分ほどは住んでいるのですからあまり変わらないのですが、ともあれ、ごくたまにの話で毎日のことではありません」
「本当?」
「ええ、週に3日くらいしか見かけていません」
「……メイドが家に戻るの、週の半分くらいだよね? 目撃率100%じゃない?」
「メイド、むずかしいことよくわかんない」
「次期魔王として、家庭問題にはガンガンに突っ込んで行く所存」
「その自覚の発生、今日からじゃないですか」
「跡取りだって自覚は前からあったし」
「まあ、だいたいは泣き言をいうクソ親父を踏みつけて解毒魔法かけて簀巻きにしてそのまま寝るので本当に平気ですよ、しくしくとした泣き声がうるさいですけどね」
「うん、僕は家庭問題にはガンガンに突っ込んでいく所存」
「いつの間にか守る対象が変わっていません?」
「家族と身内と配下と村民は守るものだ、って母様から言われてる」
「その区分、私はどこに入っているのでしょうか」
「あの店、すごく繁盛してるなー」
「話を強引に変えましたね、まあいいです、どこの店ですか?」
「あの写真館、あれもモンスターがやってるの?」
「ああ、あれですか……」
四角くそれなりに大きな建物だった。
誰もが気軽にスマホで撮れる現代、衰退の一途をたどっているはずが、この村では人で賑わっていた。
「あの店は、ドッペルゲンガーの連中が経営しています」
「なら、本当はそこまで繁盛してないのかな、同じ人が姿を変えて行き来してるだけとか」
「いいえ、実際に儲けてますよ、千客万来です、年末のこの時期でも、なんとも忌々しいことに」
「なんで嫌そう?」
「少しばかり嫌な思い出があるんですよ、あの店に」
「割とめずらしいね」
「まず、ここのドッペルゲンガーにはそこまで強くありません」
「弱い?」
「雑魚です。仮に十歳児があの店に行ったとします、その場合、ドッペルゲンガーが変身できるのは十歳児だけです」
「それって当たり前じゃない?」
「写真の相手を見せたところで無理なんですよ、あくまでも当人である必要があります」
「僕が二人に増えるだけ?」
「ええ」
「あんまり楽しくなさそう」
「ですが、これにより完全な自撮りができます。いろいろと着飾った自分が撮れるんですよ。店の内部にはちょっとしたスタジオもありますからね、そこで用意した衣服に着替えさせて撮影してます」
「あー、自撮り棒とかいらない自撮りか」
「あとは、バージョン違いのパターンもありますよ」
「バージョン違い?」
「当人自身に変身、と言ってもいくらかアレンジを加えることができるんです。たとえばダイエット目的の人が「痩せた自分自身」を知ることもできます」
「さすがにそのくらいの変化はつけてくれるのか、けど、そういうの知りたい人っているの……?」
「目標が現実的な方がやる気が出るそうですよ」
「へえ」
「まあ、中にはこれじゃ痩せても変わんねえ、いつも通り飯食った後に卵かけご飯食うぞオラァ! って人もいるようですが」
「ある意味、残酷だ」
「あと性転換もできますね」
「え」
「コスプレ写真を取る人や、興味本位でやってみる人が多いらしいですよ、一番の人気コンテンツだそうです」
「メイドがこの写真館を嫌がっていたのって、ひょっとして……」
「なんです?」
「ねえ、突然にっこり笑わないで、怖いから。なにがあったの?」
「……単純に、興味本位で性転換した自分を撮ろうとしただけですよ……」
「どうなったの?」
「どうにもなりませんでした」
「……ああ」
「何を納得しました? どんな推測しました? いったい今どうして深く頷きましたか十歳児?」
「つめよらないで」
「いいから言ってください?」
「ただ、性転換したドッペルゲンガーとメイドが並んでる写真があったら、すごく難しい間違い探しになりそうって思っただけだよ」
「なにピンポイントで正解を言い当てているんですか」
「だってメイド、これだけ近くで見ても喉仏すらない」
「ありますよ、出ていますよ、よく見てください」
「ひょっとして、上を向いて喉を突き出さなきゃわからないくらい小さいこれのことを言ってる?」
「それでも喉仏です、英語で言えばアダムのアップル」
「食べたの、ずいぶん小さな林檎だったんだね?」
「そもそも連中、最初に私になんて言ったと思います? 性転換ということは男性化したいんですねとか言い出しやがったんですよ。仮にもプロでしょうに、一体どんな節穴ですか」
「プロの写真家の、種族ドッペルゲンガーでも誤認するんだ……」
「やはり、考えてみればみるほどあの邪悪な店は滅ぼすべきです」
「町中で魔法準備やめて! オーラとか纏って光球出さないで! 勇者スイッチはオフにして!」
「だって考えてみれば、店先に私の写真もあるんですよ。現状の一因はあの店にもあります」
「え、あの清楚な感じで立ってるメイド写真?」
「ええ」
「たしかに加工がひどいかもね、それならメイドが言いたいことも……」
「いえ、あれは普通に写真撮影したもので、無加工です」
「……」
「な、なんです、十歳児、そんな冷たい眼をして」
「当人?」
「ええ」
「性転換もしていない?」
「はい」
「あの写真、割と若く見えたんだけど」
「中学生の時なので二年くらい前ですかね」
「その頃からあの完成度なら、あの店に責任とかない。メイドはメイドだってもっと自信を持っていいんだ……」
「あの、どうして私のことを白鳥を自称するアヒルのような目で見ているのでしょうか? まるで私が根本的な勘違いを堂々と主張しているみたいじゃないですか、そんな変なこと言ってませんよ?」
「はっはっっは……はあ……ほら、いいからこれも危ないから消すよ」
「これは、魔術阻害の魔王オーラ……!?」
「いくよー」
「引っ張らないでください、なんか力まで強くなっていませんか、そもそもこんなきっかけで魔王の力に目覚めないでくださいよ……っ」
「僕、十歳だからむずかしいことよくわかんない」
「せめて、せめて店先の破壊だけでもおねがいします、私がメイドであるという誤解の主原因となった写真の滅却を……!」
「メイドって割と昔から隠し撮りされてるから、もう今更だよ」
「それ初耳ですが!?」
十歳児に引きずられる向こう、写真館に飾られているメイドは、とても美しく微笑んでいた。
+ + +
年越し蕎麦を食べて、つまらない年末特番をなんとなく家族で眺めて、眠い目をこすって0時にあけましておめでとうを言い合えば、だいたいの年末行事は終わりだ。
明日からあいさつ回りなどがある、きっと忙しくなるだろう。
アレスは眠気に素直に負け、ベッドで横になった。
「ん?」
気分としては瞼を閉じて開けたらすぐに、現実的には四時間ほど経過した後に物音を聞いた。
巨大な魔王城の玄関が、重々しく開こうとする音だった。
「ぬあ……?」
上半身を起こして意味のない言葉を言ってしまうくらいには、それは大きな音だった。
どうやら静かに開けようとしているらしいが、もともとが規格外の門だ。
あまり成功していない。
ふらふらと窓へと歩くアレスが二階から見下ろせば。
「メイドだ……」
いくらか着込んだ格好で扉の間をくぐる姿があった。
人目を気にするような素振りを見せながら、隙間を通り抜けて夜へと溶け込み、同じくギギギと音を立てて扉は閉じた。
「……」
考え込んだのは、しばらく。
「よし!」
後をつけることにした。
勢いよく脱いだ端から冬の寒さが肌へと滑り、盛大に身震いする。
同じ村、見知った場所でも昼と夜とではまるで違う。
年始の、正月の夜だからというだけでは説明がつかないものだった。
「なんだろう、なんか……?」
うまく説明できないが、それは「大人」の雰囲気だ。
誰もが子供から遠ざけようとする、暗く陰鬱な空気だ。
たとえばそれは、漂うように濃いアルコールの臭いだった。
街のそこかしこは静かなのに、その奥底には騒がしさがある。
ふらふらと歩く人影たちは、吸い込まれるように、あるいは捕食されるかのように店と吸い込まれた。
まるで誘蛾灯だ。意思とは無関係に、本能的な反応を利用して罠へと誘い込む。
その内の一つには駄菓子屋もあった。
実はミミックだという地点へと、中年男がふらふらと近づいた。
両腕で自身を抱くようにしながら、おぼつかない足取りで、酩酊以外の理由で眼を虚ろにしながら、接近し、踏み入れ――
店に入った途端に閉じた。
シャッターが降りるかのように、前面が壁へと早変わりした。
出口どころか隙間すらないのっぺりとした壁面。もう決して出られない。
閉じきる直前、男が悲鳴を上げた。
歓喜の声だった。
――あら、お久しぶりね?
そんな店主の声も聞こえた気がした。
内部で何が起きているのかを知るには、十歳児ではきっとまだ早すぎる。
覗き見するのも趣味が悪い。
だから野太い嬌声とか聞こえない。
なんだあのオットセイみたいな声。
ただ、ひとつ思った。決意した。
友達連中が通うのを止めなければならない。
手遅れになる前に。
よく知っていたはずの店のすべてが違った。
蕎麦屋ですら、表看板に「男専用」というよく分からない文字がある。
内部は暗すぎてなにも見えない。
おもちゃやでは玩具の類は一切なく、レジャーシートや布が大量かつ高値で売られていた。
見たところ防寒機能や虫よけ(超強化)や視線を逸らす魔法陣が描かれていたが、何に使うのかまるで分からない。
写真館はもっとカオスだった。
よく似た男女が連れ立って歩いていた。
二人の男に挟まれてご満悦の女がいた。
同じ性別の同じ顔同士が並んでた。
全員が、不自然なくらい密着していた。
「うん、僕はなにもわからない」
そういうことにしておく。
ただなんとなく、この村が僻地の割に裕福な理由の一端がわかった気がした。
勇者がそうであるように、現代は魔王やモンスターというだけでは儲けられない。
「……」
早足になった。
メイドがどこにいるのか気になった。
知らなければならないと思えた。
今のこの村のどこかにいて欲しくはなかった。
なかったが恐る恐るそれらのどこかにいやしないかと観察した。
少しばかり覚醒した魔王の力は、十歳児を夜闇に溶け込ませて周囲から姿を隠した。
そうして「何人かのメイド」を見かけたが、どうやらドッペルゲンガーのようだった。
造形としてはそのままのはずだが、なんとなく違いはわかった。
「そっか、目の前に本人がいれば、変身できるんだっけ……」
きっと、メイドがこの周囲を通り過ぎた際に写し取ったのだろう。
やたらと人気になっている様子にとても嫌な気分になったが、自分の心の嫌な部分を見ないようにしながら通り過ぎる。
メイドはあんな風に笑ったりしない、わかってない――
「あ」
そうして、本物を一瞬だけ見た。
山へと行く道だった。
エプロンドレスが吸い込まれる様子があった。
「……」
夜である。
夜中である。
当然、暗い。
その中でも山道はなおさらだ。
暗闇に溶け込むようにしていても、それでも見えないことに変わりはない。
「――僕、魔王」
ぎゅっと両手で角をつかみ、言い聞かせた。
強く閉じていた両目を開き、無明の山道へと向かった。
+ + +
とても静かだった。
それでいて、騒がしかった。
町中にあったような、人の気配がどこにもない。
生きているものがいるのは、ここでは自分一人じゃないかとすら思える。
気づかず肌で感じ取っていたぬくもりが剥がされ、山肌を滑る風の冷たさに攫われた。
一人ぼっちであると、これ以上なく実感できた。
自分たちが住む領域から、少しずつ離れて行く。
知らず守られていたものが消えていく。
一歩踏み出すたびに、音がした。
しつこく残る枯れ葉がカサカサと、とても耳障りな音を鳴らした。
メイドが先を行っているはずだが、その様子はつかめない。
ひょっとして、何か騙されているんじゃないか。
ただの勘違いだったんじゃないか。
そもそも、メイドがこんなところになんでわざわざ来るんだ?
さあ、馬鹿なことをしていないで、引き返そう――
どこかから、そんな声がした。
きっと、心の弱さだった。
同時に、理性の声だった。
弱さと理性は、ときに似ている。
自分自身では見分けがつかないくらいに。
思わず、立ち止まる。
風すら止み、足音もなく、瞼は開いても閉じても変わらない。
それだけ、暗い。
目にも耳にも情報が伝わって来ない――
「怖……」
言ってから、しまった、と思った。
巨大なおそれが、恐怖が、バックリと口をすぐ傍にいた。
実体のないそれが、森の奥から、山道の向こうから、あるいは周囲一体から迫ろうとしていた。
見えないことがイメージを無限に増幅させた。
「怖――くはないッ!」
反射的に角を握り、そう叫ぶ。
そのままズンズンと歩き出す。
「がるる〜!」
気分としては去年見た獅子舞だった。
獅子なので暗闇とか怖くない。
だって獅子なのだから。
己を強くする馬鹿な声にアレスは従った。
弱い理性ではなく、強い愚かさで山道を登った。
見えない木の根に足を取られそうになりながらも、構わず歩く。
少しでも止まれば、また強さに掴まれると思えた。
力強い足取りは、怖さの裏返しだった。
そうして――
「お」
視界が、開けた。
まだ山頂ではない。
中腹の休憩地点のような場所だった。
「なにをしているんです?」
そこにメイドはいた。
厚着をした姿で、月夜に照らされながら、変わらない無表情で振り返っていた。
「……獅子舞やってた」
「正月気分が早すぎませんか?」
「かもしれない」
ああ、ここって、安全なんだ――
勇者を前にした次期魔王は心からそう思った。
+ + +
「……メイドは、なにしてるの?」
「初日の出待ちです、山頂よりもここのほうが空いているんですよ。ギリギリまで寝ていられますしね」
「あ、そっか……」
「なんだと思っていたんですか?」
「わからないから追いかけた」
「私を?」
「うん」
「出発前に一声くらいは声をかけてから行くべきでしたね」
「僕、叱られるかな」
「さて、報告はたしかにしなければなりませんが……」
メイドは言いながら手招きした。
なんだろうと思いながら近づくと、背後からショールに包まれた。
大きめのマフラーのような形状のそれは、2人分を包んでも余りがあった。
「ここで風邪を引くようなことになったら、間違いなく私は叱ります」
「うあ」
「普通に身体が冷えていませんか?」
「そうだったみたい」
「夜道を戻るのも危険ですからね、このまま朝日を待ちましょう」
「うん……」
今更のように、全身が震えだした。
寒かったことを、ようやく身体が思い出したかのようだった。
つつむ暖かさにすがりながら、少しずつ明るくなっていく山裾の様子を見つめる。
「ねえ」
「はい」
「初日の出、ってなにかを祈るものなの?」
「どうでしょう、決まった形式はないように思います」
「そうなんだ」
「ええ」
「単純に、ありがたいものを見ようというノリです、きっと」
「いい加減だ」
「実は世の中の大半はそうみたいですよ?」
「僕が魔王として正さないと」
「そうしますか?」
その声は、平坦だった。
背後から囁かれた声には、けれど、冗談の要素が一切なかった。
いつもの調子で、ただ静かに言葉は続いた。
「アレスがそれを望むのであれば、私はそうしましょう」
「……カガラヒトミは勇者じゃないの?」
「ええ、勇者です。けれど、誰にとっての勇者であるのかは、まだ定められていません。勇者スイッチも、その気になれば逆方向に倒すことだってできます」
誰にとっての勇者か。
魔族の侵攻から人間を守るための勇者か。
あるいは、その逆か。
この世界における弱者は、人と魔族、いったいどちらか。
村では人間相手の商売が繁盛している。
けれどそれは、モンスター本来のあり方ではない。
勇気を持って助けるべき対象は、果たして本当に人なのか。
「そっか」
「ええ」
次期魔王は後ろを振り返った。
湖面のように静かな瞳が見下ろしていた。
「僕は、まだ決めていない。このままがいいのか、それとも違うのか」
「ええ」
「けれど、決めなきゃいけない、魔王として」
「そうですね」
「だから――」
なぜか言うのが気恥ずかしかった。
「それまで、僕のメイドでいてくれる?」
「――」
瞳が軽く見開かれ。
ゆるやかに朝日が照らす。
「はい、喜んで」
初日の出が、メイドのその笑顔に差し込んでいた。
一年が、始まろうとしていた。
アレスの方の性別は決め損ねたのでシュレディンガー。