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迷宮の主  作者: 大秦頼太
1/3

前編

なにかの賞に応募するため12年前に書いたお話です。

アルファポリスでは2015年に公開。

新章(冬のあほうつかい)を8年ぶりに書いたのでせっかくなので色んな人に見てもらいたいなと投稿します。ホラー小説もやってます。


「ふざけるな!」

 王宮の主は王座より立ち上がり声を荒げた。振り上げた笏を眼下の二人組に向ける。頭の大きさに不釣り合いな王冠は斜めにズレており威厳はない。金の刺繍の入ったチュニックの上に宝石の入ったダブレット、赤いマントはいかにも重そうだ。立ち上がった拍子に首をそらした。真っ赤なカボチャみたいなパンツから突き出た金糸のホーズのその先は先端の尖った黒の革靴。どれもチグハグ感があって一国の王としての威厳は感じられなかった。

 王の見つめるその先には大理石の敷き詰められた謁見の間に控える二人の男。一人は大男だったがバランスの取れた体躯をしている。上は白いチュニック、下は黒のスエードパンツ。もう一人は若者で大男より頭一つ半ほど低いがそれでも一般的な男性よりも大きいことには間違いはなさそうだった。服装は大柄の男とほぼ同じような姿だったが、大男よりも黒のスエードのダブレットが一枚多いだけで同じような服装だった。優しく微笑む顔には明らかな余裕があった。商人かどこか近隣の国の外交官とその付き人であろうか。

 王は、二人の男を数段高い玉座に座り彼らを見下ろしている。王の顔は屈辱で歪んでいた。謁見の間の左右には儀礼用の槍を手に兵士たちが成り行きを探っていた。先の丸い槍は殺傷能力こそ低いだろうが、二人を捕らえることなど造作も無いことであろう。だが、王は次の指示を出すことが出来ずにいた。二人組に向けた笏が小刻みに震えるだけである。

「やはり迷宮よりの使者など迎えるべきではありませんでした」

 王の前に進み出る人間がいた。紫色の帽子とローブに身を包んだ年配の男だった。おそらくはこの国の大臣なのだろう。大臣は二人の男たちと同じ高さに立ち、彼らをにらみつける目には濁りが見えた。

「俺は言いたい事を伝えただけだ」

 若者は臆することなく言ってのける。王の目が見開かれると大臣はそれを感じ取って若者を指差した。

「貴様! 無礼であるぞ!」

 若者はくるりと王に背を向けると謁見の間を離れていく。大男がそれを見て鼻で軽く笑って若者についていった。

「殺せ!」

 王が叫んだ。兵士たちが槍を構えるよりも早く若者が振り返った。真っ赤に燃え上がる瞳の輝きが、謁見の間の空気を凍りつかせ、その場にいるものの動きを止めさせた。

 大男だけが悠然と歩いている。

「俺をただの使いだなんて思わないほうがいいぞ」

 そう吐き捨てると若者と大男は謁見の間から立ち去った。その場から二人が消えても誰一人身動き出来る者はいなかった。



 門を出るとまだ先に門がもう一つあった。石畳の道の両側には花畑が広がっている。

「どうだ?」

 若者が大男を振り返る。大男は言葉の意味がわからずに眉を少しだけ動かす。

「何がだ?」

「懐かしくないか、シビト」

 シビトと呼ばれた大男は鼻で笑う。

「ガキだな。こんなところは知らん」

 二人は石畳の上を歩いていく。

「ナサイン」

 ナサインと呼ばれた若者はシビトを見上げる。

「腹が減った。何か食わせろ」

 ナサインは頭の上で手を組む。

「ここの王様は思ったよりケチだったな。こりゃあ、代々ケチの家系かな」

「さあな」

 シビトのそっけない反応にナサインは舌打ちをする。

「何が食いたい?」

「焼いた肉が食いたいな」

 ナサインはシビトの背を叩く。

「デカイ体で想像通りの答えをしやがって」

 シビトはまた鼻で笑う。

「本当にやるのか?」

「拒否ならな。少しは待ってやるさ」

 先を歩いていくナサインを見て、シビトは城を振り返る。太陽の光に照らされた城は白く輝いていた。

「もったいないな」

「早く来いよ」

 ナサインが呼ぶとシビトはまたゆっくりと歩き出すのだった。



 薄暗い店内は昼間でもロウソクが灯されている。石レンガの壁に一定間隔で石レンガが突出していてそれを受け皿にロウソクが置かれている。壁際に向かい合うように座っているナサインとシビトは分厚い木製テーブルの上に並べられた料理を奪い合うように食べていた。

「シビト、お前はそんなに食う必要ないんだけどな?」

 ナサインはシビトのフォークが突き刺した肉を自らのフォークで押さえる。震えるナサインの手と顔にシビトは余裕の笑みを浮かべる。

「フフ」

 薄気味悪く笑ってみせると、勢い良く肉をひねる。ナサインのフォークが外れ宙をさまよった。ナサインの目が反射的にフォークを追いかけた瞬間、シビトは肉を口の中に放り込んだ。フォークを空中で掴むとナサインはシビトに目線を戻す。勝ち誇ったようなシビトに「こいつ」っと小さな声で抗議をするのが精一杯だった。

「こんなに旨いものを人に渡せるか」

 笑いながら勝ち誇った顔をしているシビトに、ナサインは下唇を噛む。

「主従関係がおかしいだろ」

「俺はお前の従者になった覚えはない」

「……何?」

 ナサインの鋭い眼差しがシビトを見る。だが、シビトも恐れることもなくナサインの視線を受け止める。

「お前は俺を縛っているだけに過ぎない。それだけだ。嫌なら捨てろ」

 シビトは手を上げて店の者に追加の注文をする。ナサインは机の上にフォークを投げた。

「どうした? もうおしまいか?」

「気分が悪い」

「食いすぎだな」

「うるせぇ」

「俺に当たるなよ」

 ナサインは片手を机に付いた。額から玉粒の汗がにじみ出る。

「本気で、やばい」

「おい、大丈夫か?」

 シビトは運ばれてくる料理を受け取りながら、横目でナサインの心配をした。ナサインは細かい呼吸でシビトにうなずいてみせる。

「やりやがった」

「何?」

 ナサインは机の上に乗っている皿を両腕で外に掻き出す。皿は床に落ちて割れる。シビトが床の料理を見つめ残念そうなため息をつく。店内の客が二人を見た。人だかりが出来始める前にシビトは立ち上がる。

「親父、悪いな。出る」

 シビトは懐から銀貨を取り出すと適当な枚数を置いた。そのまま全身を振るわせるナサインを軽々と抱えて店を出ていく。

 ぽかーんと二人を見送る店員だったが、はっと気がついてテーブルの銀貨を手に取る。

「なんだこれ? 見たこともない銀貨だぞ」

 店員は慌てて奥に声をかける。

「親父! 贋金で食い逃げだ!」

 奥からぬっと出てきた親父が見せられた銀貨に驚く。

「こりゃあ、相当古い銀貨だぞ。こんなもの滅多にお目にかかれねぇ。迷宮に巣食う悪霊どもが持ってるって噂のもんだ。うちの爺さんが半かけの一枚だけ持ってたのを見たことがある。冒険者が命からがら戻ってきて持って帰った財宝だってな。その冒険者はすぐに死んじまったそうだがよ」

 それを聞いた店員は震え上がって銀貨を親父に投げ渡す。親父は慌ててそれを掴み取る。

「馬鹿野郎! なんてことすんだ! 今の金貨より高いんだぞ!」

「だってよぉ、あいつら化け物だってことだろう?」

 店の親父は銀貨を眼の前でこねくり回しながら笑った。

「いやあ、あの大男が迷宮の深部に行ける相当な手練だってことだ」



「……路地に入れ」

 ナサインは荒い呼吸をしたままシビトに指示を出す。シビトは薄暗い路地に入るとナサインを路地の上に投げ捨てる。

「……てめえ」

 ナサインを見下ろすシビトは薄笑いを浮かべてる。

「これで俺は自由だな」

 この言葉に今度はナサインが笑う。

「残念だったな」

 ナサインは壁にもたれかかりながら立ち上がる。額の汗をぬぐうと、ゆっくりと呼吸を整える。

「お前は個人的に縛っているからな。今でも俺が主だ」

 シビトの笑みが凍りつく。

「そうだろうと思った。言ってみただけだ」

 苦々しく鼻を鳴らすと、シビトは小さく「くそ」と呟く。

「迷宮の主が変わったぞ。こんなことならロンドも出しておくべきだった」

 ナサインは拳を振り上げて脚を叩く。

「で、どうする?」

 シビトはナサインを見下ろす。その顔から笑みは消えていた。ナサインはシビトの腹部を拳で殴りつけると挑戦的に笑ってみせる。

「取りに行くに決まってるだろう。俺が次の主になるのさ」

「フフ」

 シビトは高い声で笑う。

「マソがないのにか? お前なんかまるで役立たずじゃないか」

「うるせえ。お前だってデカイだけだろうが」

「何?」

「マソが切れてる今、俺たちは子供よりも弱いってことを忘れるなよ。出来るのはハッタリをかますくらいなんだよ」

「え?」

「こんなことならマソを払ってくるんじゃなかったな。代理を立てればよかった」

「おい、子供より弱いって言うのは嘘だろ?」

 うろたえるシビトにナサインはさびしい笑顔を見せる。

「本当なのか」

「マソは魔の素だからな。普通の人間には毒でしか無い。だから魔素を除去しないと外には出られないのが欠点だよな」

「魔素使いなんだからすぐに集めろ」

「そんなに簡単なものじゃないんだよ」

「役に立たない奴め」

 悔しがるシビトのすねをナサインは蹴り上げる。シビトは平然とそれを受ける。

「痛くもかゆくもないな」

 ナサインはシビトの挑戦的な態度を無視して表通りを覗き見る。

「とりあえず人を集めないと……」

 ナサインはポケットをまさぐると二枚の金貨を取り出す。

「シビト、いくら持ってる?」

 シビトも懐から銀貨三枚と金貨を五枚出してみせる。

「俺のほうが金持ちのようだな」

 ナサインは舌打ちをしてシビトの金貨を二枚奪い取る。

「おい」

 ナサインは片手を上げてシビトを制する。シビトは忌々しげに残った金を懐にしまい入れる。

「戻ったら返すさ」

「戻れればいいがな」

「うるせぇ」



 その酒場は木造二階建てで、まだ昼間だと言うのに飲んだくれどもで賑わっていた。扉を開いた瞬間、ナサインは後に顔をのけぞらせた。シビトが後ろにいなければそのまま倒れてしまったかもしれない。

「酒は苦手か?」

 シビトはナサインの肩を叩いてさっさと店の奥に向かっていく。ナサインは鼻をつまみながらカウンターに向かった。

 カウンターの中では赤ら顔のグレイの髪の男がナサインをじっと見ている。ナサインが目の前にやってきても話そうとはしない。その身なりを眺めて品定めをしているような感じだった。

 ナサインはカウンターに手を置いた。グレイの髪の男の前にまで手を滑らせる。金属が木製のカウンターテーブルをこする音がする。ナサインは掌を見せるようにグレイの男に話しかける。そこには銀貨が一枚あった。

「剣士と坊さんがいたら紹介して欲しいんだけど」

 グレイの髪の男が銀貨に手を伸ばしかける。ナサインは銀貨を手で塞ぐ。グレイの髪の男はにやりと笑う。

「剣士と坊主か、腕のいい剣士ならアグバデの男がいるぞ。土人だが言葉も話せる。今は坊主にろくなのがいないぞ」

「どいつだ?」

 グレイの髪の男は、酒場の奥を指差した。床の上に座り込んでいる人影が見える。

「坊主はもう少ししたら増えるだろうさ。急ぐなら上に一人いる」

 ナサインは銀貨をグレイの髪の男に向かって滑らせた。

「どうも」

 食事をするだけなら最初の店で十分だったが、命の遣り取りをする冒険者を集めるなら単純に飯が旨い店は向いていない。酒と女の匂いがしなければ刹那の人生を楽しんでいるような命知らずには出会えない。依頼も斡旋も命の安い連中もこんなところだから紹介してもらえる。

 ナサインは店の奥に向かって歩いていく。酔っ払いが何度かぶつかってくるが、いちいち相手にしなかった。フードをかぶった人影は近づいてくるナサインに気がつき、顔を上げる。暗闇の中で白い目だけが光って見える。アグバデ人は肌が黒い。身体能力がとても高く優秀な戦士が多い。床に座り込んだアグバデ人の側には彼の荷物と武器である戦斧が見えた。

 できたら盾を扱える奴が良かったのに。

 軽く舌打ちをする。それが聞こえたのか、男の目が鋭くなった。

「なんだおめえ。用がないならあっちに行け、ぶっとばすぞ」

 言葉のイントネーションはおかしかったが、はっきりとしゃべっていた。ナサインは両手を出して男の前に片膝を付いた。

「失礼、戦士さん」

 戦士と呼ばれ、男は身体をびくつかせた。

「ふざけんなよ。俺は戦死じゃねえ。まだ生きてるんだよバカ」

「戦死じゃなくて、戦士」

「俺は剣士だこの野郎。見ればわかるだろうが」

 ナサインは眉を寄せる。

 どこの世界に戦斧を持って剣士だって名乗る奴がいるんだよ。お前の頭は牛並みなのか? うっとうしいしゃべり方をしやがって、素直に俺の話を聞きやがれ。

 と言いたいのをこらえ表情を笑顔に変えながら、自称剣士の男に話しかける。

「剣士さん。俺たちと迷宮の深部に行かないか?」

 すると自称剣士の男は目をギョロ付かせてわめき出す。あまりの勢いに何事かと視線が集中する。

「深部? ふざけんなよこの野郎。そんな危ないところに行ったら、命がいくつあっても足りないだろうが。俺の命は後一つしかないんだぞ」

 ナサインはため息をついて自称剣士に背を向ける。すると、すぐに素の腕をつかまれた。

「もう少し粘れよ。俺行ってもいいからよ」

 めんどくせー。ナサインはその言葉を飲み込んだ。

「わかった。ついて来い」

「お前一人なのになんで俺たちって言うんだ。お前バカ?」

 ナサインはため息交じりの笑いを吐き出した。

「連れは準備をしているんだよ」

 ナサインは金貨を一枚取り出した。

「あんた名前は?」

「人に名前を利くときは自分の名前から言うんだぞ。お前、常識ねえな」

 ナサインは拳を握り締める。ぶっとばす。そう心に決めて、金貨を男に差し出した。

「俺はナサイン。俺がリーダーだ」

「頼りないリーダーだな。俺様はネジフ。お前、守ってやるよ」

「お前はやめろ。俺が雇うんだからな」

「ふざけんな、俺は呼びやすいように呼ぶ主義なんだよ」

 自称剣士のネジフは金貨をもぎ取るようにナサインから奪い取った。



 二階に上がると酸っぱい酒の匂いの中に、花の香のような別の匂いが混じってきてナサインは鼻と口を右手で塞ぐ。混ざると頭がくらくらするような威力があった。二階は一階の騒音などまるで子猫のケンカくらいに盛り上がっていた。

 廊下の中ほどくらいまで歩いてくると部屋のドアが開いた。そこが騒ぎと匂いの元凶だったのか部屋の中から匂いや音が目に見える強風のようにナサインに襲いかかった。その瞬間、白い網が目の前に落ちてきて立ちくらみを起こし、部屋から出てきた劣情的な下着姿の女の胸に顔を押し付ける結果になった。

「お前、スケベ」

 すぐ後ろで嬉しそうに手を叩くネジフのニヤケ顔を見て意識を取り戻すと、女の肩を押して部屋の中を覗き込む。女は終始笑ってナサインに抱きついてくる。ナサインは女をネジフの方へ放り出すと部屋の中に入っていく。

「ここに坊さんが……」

 そう言いかけてナサインは口を開いたまま立ち止まった。

 ハゲ頭の裸の男が数人の下着姿の女を追い掛け回している。部屋の奥の真ん中には大きなソファーが置かれ、そこでこの乱痴気騒ぎを拍手して楽しんでいる大男の姿も見えた。両側に女を抱えながら、女の勧める酒を逆らいもせずに飲み干していた。

 ナサインの体が震える。目の奥から赤い光が一気にあふれ出てくる。

「てめえ、何してんだ! 今がどんな時だかわかってんのかよ!」

 燃え上がるような騒ぎは一瞬で鎮火した。下着姿の女たちはそそくさと自分の服を取りに戻る。ハゲ頭の裸の男は所在なさげにナサインを見つめている。そうしてゆっくりと周囲を見回し、自分の顔を指差した。

「……私? 今、なんでしたっけ?」

 ナサインはハゲ頭の裸の男を押しのける。女の身体を盾にして隠れている大男の前にまで歩いてくると、その腕をつかんだ。

「シビト。お前だよ」

 引っ張られるままシビトは女の影からゆっくりと立ち上がる。

「まぁ、そんなに怒るなよ」

「このお方は悪くないですぞ!」

 ナサインが振り返るとハゲ頭の男はまだ裸のままだった。女たちはこっそりと部屋の外に出て行くのだった。

「私の悩みを解放してくれたのです」

 ナサインは部屋の中を見回す。部屋の中にはシビト、アグバデの剣士、裸のハゲ頭の男。

「坊さんがいるはずなんだけど? 違う部屋か?」

 ハゲ頭の男は腕を組んで胸を張ってみせる。

「私が僧侶のモンテールであります」

 その瞬間、ナサインの心に冷たい風が吹いた。ハズレを引いたかも知れない。だが、時間がない。

「あんた僧侶だったのか。ただのスケベ親父かと思ってたよ」

 シビトは大笑いをして部屋の外へ出て行こうとする。

「シビト。どこに行く」

 シビトは引きつった笑いを見せて廊下の外を指差す。

「トイレ」

「必要ないだろ」

 シビトは舌打ちをしてソファーに戻ると転がっている酒瓶を拾い上げて中の酒を飲み始める。

「あ、俺も飲みてー」

 ネジフがシビトの真似をして酒瓶を拾うがどれもはずれでビンを振っては捨てる。

 ナサインは裸のまま微動だにしないハゲ頭の男モンテールに向き直る。

「モンテールさんは迷宮に興味はあるかい?」

 モンテールは片手で顔を隠す。

「恥ずかしながら、今は破門となった身。お役に立てるとは思えませんな。しかしながら、ここに来る兄弟たちとはまだ縁がありますから、ご紹介くらいは……」

「いい。祈れるんだろ?」

「それはまぁ」

「とりあえず服を着てくれ」

 モンテールは部屋の隅に転がっている下着と長衣を拾ってくる。

「今は時間が惜しいから、あんたで十分だ」

 ナサインの声にモンテールの下着を引き上げる手が止まる。

「そうですか。では、よろしくお願いします」

 太ももに下着を挟んだ男がナサインに頭を下げた。ナサインは小さくため息をついた。

「おい、紹介しろよ」

 シビトがネジフをあごで指す。

「こっちはネジフ。フードを取って」

 ネジフはナサインに促されるとフードを取る。その出てきた頭を見てシビトが大笑いする。

「なんだハゲが二人か。白と黒のハゲだな」

 ネジフが腕を振り上げて激高する。

「ふざけんな俺はハゲじゃねえよ。剃ってんだよ。このハゲと一緒にすんな」

 モンテールは下着姿で苦笑いする。

「私だって好きでハゲたんじゃないんですけどね」

 ナサインは頭を抱えた。先が思いやられる。

「何だ? 頭痛かお前?」



 ナサインたちが一階に下りてくると、カウンターで一人の少年が騒いでいるのが見えた。薄汚れたチュニックと粗い麻のズボン、布の靴を履いている。肩から袈裟に布袋を下げている。誰かの使いだろうか必死にグレイの髪の男に話しかけているが相手にしてもらえていないようだった。

「頼むよ! 見習いだけど盗賊の技能はしっかり持ってるんだ。紹介してくれよ」

 嫌な予感を感じつつナサインは少年の側をすり抜ける。これ以上面倒に巻き込まれるのはごめんだった。知らないフリがいいだろう。

「父さんを探しに迷宮に行きたいんだ!」

 ほら見ろ。面倒は向こうからやってくるものだ。だが、余計な声をかけなければ、それは大抵の場合、やり過ごすことが出来る。

「おい」

 ネジフがナサインの背中を突く。

「あいつも迷宮に行きたいってよ」

 ナサインはネジフをにらむ。余計なことを言うな。

「メンバーは決まった。もう追加はない」

「盗賊がいれば罠は怖くないんだぞ。お前素人か?」

 罠なんかどうでもいいんだよ。迷宮に入ればそんなものはどうにでも出来るんだから。

「そうだな。だが、もう決定したんだ」

 歩き出そうとしたナサインの前に少年が走りこんでくる。

「あんた迷宮に行くのか? 行くんだろう?」

 ナサインは少年を無視して脇を抜けようとする。

「なあ、頼むよ。一緒に連れてってくれよ」

 再び前に現れる少年はナサインとぶつかって床に倒れる。ナサインは倒れた少年を見下ろした。軽い。盗賊という職種にしても軽すぎる感じがした。

「お前、女か?」

 ネジフがそれに反応する。

「女? 子供の男だと思った」

「どれどれ」

 モンテールが覗き込もうとするが、それをシビトが押しのける。ナサインを見て意地の悪そうな笑みを浮かべる。

「良く見れば可愛いじゃないか」

「私、ウイカ。父さんを探しに迷宮に連れて行ってくれるだけでもいいんだ。邪魔はしないから」

 ナサインはまっすぐ下から見つめてくるウイカの視線に耐え切れずに目をそらした。それを見たネジフが笑う。

「ナサイン、照れてるのかお前」

 シビトがさらに笑いを乗せてくる。嫌な笑い方だ。人を馬鹿にしたような。

「童貞だからな」

「てめえは黙ってろ!」

「お願いします」

 ナサインは頭をかくと歩き始める。ウイカの頭がうなだれる通り抜けざまにウイカの頭をナサインの手が軽く押した。

「勝手にしろ」

 ウイカが顔を上げるとモンテールがうなずいてみせる。

「キモ」

 ウイカは立ち上がってナサインを追いかけた。肩を落とすモンテールをネジフが笑う。

「キモだって。ウケルな」

「ハゲ同士仲良くしろ」

 シビトが二人の脇を抜ける。ネジフが目を見開いて全力で抗議をしてくる。

「ふざけんな。俺はハゲじゃねえよ。剃ってんだよ」



「それでなんで俺が荷物持ちなんだ?」

 シビトは大きな荷物を背負いながら林の街道を歩く。前方にはナサインとネジフ、ウイカがいる。後ろにはやや遅れ気味のモンテールがいた。

「お前、奴隷の癖に威張るな」

 振り返ったネジフが白い歯をむき出しにして笑った。後ろからモンテールが息切れしながら声を絞り出す。

「すみませんな。私、重いものはちょっと……」

 シビトはそれを無視して歩きを続ける。ウイカはシビトの方をチラチラ振り返り、手をどうしたらいいのかわからない様子で開いたり閉じたりして、少し進んだところで立ち止まってシビトが来るのを待っていた。

「やっぱり手伝おうか?」

 シビトは首を横に振った。

「今、俺に出来ることはこれくらいだからな」

 シビトは唇の一端を上げて笑って見せると、荷物の位置を直して歩みを再開する。

「おじさん」

「なんですか?」

 後から来ていたモンテールがウイカに笑顔を向ける。ウイカはチラッと見ただけですぐに走ってシビトを追いかけた。

「今度は無視ですか」

 前の方からネジフがモンテールを押しに来て大きな声で笑った。

「あははは、お前嫌われてるみたいだな」

「言われなくてもわかってますよ。私みたいな人間はね、誰も救うことは出来ないんです」

 前方のナサインが手を振って二人に早く来るように促した。モンテールとネジフは慌てて走り出すのだった。

「ねえ、おじさん」

 ウイカがシビトの隣までやってくると口が開くくらい上を見上げてシビトの顔を見る。

「おじさんってば」

 シビトは目だけをウイカに向ける。

「あの人なんなの? すごく偉そうだけど、おじさんのほうが歳上でしょ?」

「フフフ」

 シビトは甲高い笑い声を出した。

「あいつは小物なのさ。本当に偉い人間は決して偉そうにはしない。この俺のようにな」

「ふうん。おじさんも十分偉そうだけどね」

「……」

 シビトの顔から笑みが消える。

「おじさんはなんなの? 武器も持ってないから、拳闘士? それとも奴隷なの?」

「俺は」

 シビトは言いかけた言葉を飲み込んで、寂しげに言葉を吐く。

「俺はただの荷物持ちさ」

「おじさん?」

 覗きこんでくるウイカを避けるようにシビトは歩く速度を上げる。ウイカも負けじとそれにあわせて付いてくる。

「ガキは嫌いだ」

「うん、うるさいもんね」

 ナサインの側に来るとシビトはウイカを押し付けるようにナサインを間に入れた。

「俺は偉そうなんじゃない。偉いんだ。覚えておけ」

「そう。それはわかったから、何で偉いのか教えてよ」

 いまいちわかってねーよな。とナサインは思っていたが、それを顔には出さないようにしていた。それでも少しの間がウイカにしゃべらせる隙を生んだ。

「金持ちなのか?」

 ナサインはウイカを小バカにしたように笑う。

「金持ちなんて金の奴隷だろ、全然偉くもないさ」

「じゃあ、何でだよ」

「俺は迷宮の主になる」

「なるって決まってんのかよ」

 ネジフが横槍を入れるが、ナサインは気にしなかった。

「俺にはその器がある」

 そう言い切るナサインの側でシビトは終始ニヤニヤしている。

「迷宮には沢山の罠や魔物がいるんでしょう? 私、恐ろしいです」

 モンテールが情けない声を出す。それにネジフが同意する。

「俺も、ナメクジとか出てきたら最悪だろ」

「大丈夫さ」

 ナサインは自信たっぷりに言ってのけるが、ウイカたちの不安を取り除くことはできなかった。



 森の中に隠れるようにそれはあった。淡い水色の石で組み上げられた大きな古城が聳え立っている。その外壁は蔦が広がり、陽の当たらない陰にはコケが生えていた。

 大きく開いた正面の入り口から闇が外にもれ出てくるような気がする。

「これが迷宮ですか?」

 モンテールは唾を飲み込んだ。戦斧を両手にネジフが古城を見て笑った。

「これ城って言うんだぞ。そんな簡単なことも知らねえのか」

「中に入ると、下に伸びてる」

 ウイカがナサインを見る。シビトの服を引き注意を引くとシビトはウイカを見下ろす。

「あいつ何であんなことを知ってるの」

「俺たちは最深部まで行ったことがあるからな」

「本当に?」

「そこ、話を聞け」

 ナサインは全員を側に集める。

「ある程度の魔素を溜めるまでここで待機する」

「何でだ。さっさと中に入ればいいじゃねえか」

 ネジフが抗議すると、モンテールが続く。

「そうですよ。夜になったら、魔物が出るかもしれない」

「ハゲお前バカだな。中に入ったら魔物が出るだろうが」

「あぁ、そうでした。ここで待機しましょう」

「さっさと倒した方が安心だろうがよ」

「ハゲ同士仲良くしろ」

 シビトが鼻で笑うとネジフがすぐに反応する。

「うるせえバカヤロウ。俺はハゲじゃねえって言ってんだろ」

「私だって、ハゲって言われるたびに心が折れていきます」

「あ、自分で言ったぞ」

 ネジフが嬉しそうにモンテールを指差す。

「あぁ」

「聞け」

 ナサインは軽くため息をつきながら一行を見る。

「俺は魔素を貯めることでいろんなことが出来るようになる。だから魔素の補給は中に入っても何度か行う。ただ、魔素を貯めている間は俺は動けない。そこでお前たちが頼りになる」

「めんどくせえなぁ」

「黙れ。その代わりそれ以外のところでは楽をさせてやる。要するに深く入れば入るだけ、俺は強くなるってことだからな」

 自信に満ちたナサインだったが、ウイカはシビトを見上げる。

「今は?」

「子供以下だそうだ。それなのに偉そうにしやがって、子供は子供らしくしろってんだ」

 シビトが甲高い声で笑う。ナサインはシビトをにらむ。

「お前もだよ」

「おじさん弱いんだ?」

 シビトは小さな舌打ちをする。

「だから荷物持ちさせられたんだ」

 ウイカの声がシビトを刺激する。シビトは何かを言いかけるが結局口をつぐむ。

「前の迷宮の主なら、無駄に魔物を解き放たなかったが今のやつはどう出るかな。ネジフは周囲の警戒を怠るな。モンテールはシビトと野営の準備をしろ。お前は……」

 ナサインはウイカを見て思案する。

「なんだよ」

「お前もネジフと一緒に見張りだな。何か見つけたら何もせずにすぐに人を呼べよ」

「人を半人前みたいに言うな」

「お前はおまけ。嫌なら帰れ」

「こんなところから一人で帰れるかよ」

「何だ。怖いのか?」

「怖くなんか無い」

「じゃあ、見張って来い」

 ナサインが背を向けるとウイカは舌を出して顔をしかめた。

「何さ、偉そうに」


10


 ナサインは開けた地面に木の枝で円を描く。外側と内側に模様を描くと、枝を投げ捨て円の中心に立った。

「何をすんだ?」

 ネジフがナサインを見ると、ナサインもネジフをにらむ。苦笑いするネジフの後からシビトが声をかける。

「邪魔すると生贄に使われるぞ」

「まじかよ」

 ネジフは目をギョロ付かせてシビト見る。シビトはにやりと笑う。

「嘘だ」

「てめえ、この野郎」

 シビトはネジフの肩を叩いてテント張りの手伝いに戻っていった。

 ネジフも気になりながらも見張りに戻る。

 ナサインは両手を広げる。手のひらを地面に向けて深く息を吸い込むと、くぐもった低い声と耳の奥に残る高い声を合わせて出し始める。

「何?」

 ウイカは耳を押さえて振り返る。円の中で立つナサインの手に黒い煙のようなものが吸い込まれて行くのが見えた。

「何か出てきたぞ! おい、どうすんだよ」

 ネジフが叫び声を上げた。ウイカが振り返ると古城の入り口から肉片のこびりついた骸骨たちがおぼつかない足取りで歩いてやってくる。手には錆びてボロボロになった幅広の剣が握られていた。

「臭い!」

 モンテールがその場から離れていく。ネジフも片手で鼻をつまみながら戦斧を構える。

「なんだよ。お前ら、やんのかよ」

 戦斧を振り上げると骸骨たちが一斉にネジフを見る。

「気持ちが悪いんだよ」

 ネジフのその言葉に抗議するかのように三体の骸骨が手に持ったボロボロの武器をネジフにめがけて振り下ろしてくる。ネジフは一本、二本と幅広の剣を避け三本目を戦斧で受け止める。

 横からシビトが突進して骸骨の一体の頭部に拳を打ち込む。骸骨は一瞬よろめいただけで、すぐに体勢を立て直しシビトに剣を振り回す。大きな身体を器用に使ってシビトはそれを避けるのだが、その顔には不満が浮かんでいた。

「こんなに弱いのか」

「ふざけんなよ」

 ネジフは二体の骸骨を相手に戦斧を振り回して距離を保っている。シビトは骸骨に追われながら逃げ回っていた。

「どうすればいいの?」

 ウイカはナサインの側に駆け寄る。ナサインはずっと両手を広げて音を発しているだけだった。

「役立たず!」

 ウイカは言葉を吐き捨てると、骸骨に向かって走り出す。

「おじさん!」

 ウイカはシビトを追いかける骸骨の脚を蹴り飛ばし転倒させる。

「ふざけんな。普通はこっちを先に助けるだろうが」

 ネジフが悲鳴に似た声を上げる。シビトはウイカを抱えると地面に倒れてもがく骸骨から離れていく。

「坊主を連れて来い。それで逆転だ」

「あっちで戦ってるよ」

 ウイカはネジフを指差す。ネジフは戦斧を振り回しているだけにしか見えない。片手で振り回している分、威力も無く当たっても骨を削ることも出来ていなかった。

「両手を使え!」

 シビトの声にネジフは泣き声で応える。

「こいつらくせえんだよ! 鼻が取れるよマジで」

 シビトはウイカをおろすと、ネジフに向かって走り出す。

「おじさん!」

「もう一人の坊主だ。つれて来い」

 ウイカは小さくうなづくと辺りを見回す。森の中にはモンテールの姿は見えない。

「もう!」


11


 ウイカの耳に何かが聞こえてくる。側を見ると半分だけ完成しているテントが小刻みに震えている。ウイカが入り口の隙間から覗くとモンテールのお尻が見えた。

「こら!」

「ひぃ!」

 モンテールはウイカの声に叫び声を上げる。ウイカはモンテールの衣服をつかむと外に引きずり出した。

「殺さないで!」

 ウイカはモンテールの頭を平手打ちして叱り付ける。

「しっかりしてよ。おじさんが呼んでるから来て」

 走り出そうとするウイカを見上げながらモンテールは立ち上がろうとはしない。

「何?」

「死体が動くなんて……、初めてだったもんで」

「あたしだって初めて見たよ」

 ウイカはモンテールの手を取ると無理やり立たせる。そして後ろに回りこんでモンテールを押して歩く。

 シビトは三体の骸骨の脚を順々に払い、起き上がってくるたびに骸骨を地面に転がしている。

「おじさんやるなぁ」

「私なんて何の役に立ちませんよぉ」

 モンテールの声には涙が混じっていたが、ウイカはその背中を押し続けた。

「知らないよ。おじさんが連れて来いっていったんだから」

 近づいてくるモンテールを横目に見たシビトが手を上げて二人を止める。転がった骸骨にネジフが戦斧を振り下ろすが片手のそれは骨を砕くことは出来ず、その表面を削り取るだけだった。

「祈りの言葉を叫べ!」

 シビトがモンテールに指示を出す。

「さっきから叫んでますよ! 神様、お助けください!」

「経典の祈りの言葉だ!」

「ああ、あの祈りの言葉? 何の何章でしょうか?」

 完全にウイカに寄りかかるような形のモンテールはうわずった声を吐き出した。シビトは起き上がった骸骨の脚を蹴り飛ばす。

「知るか! 何でもいい。とにかく言え」

 シビトの言葉にモンテールはもごもごと小さな声で何事かを呟きだす。すると、骸骨たちの動きが鈍くなりやがて立ち尽くしたまま止まってしまう。

「こいつら死んだのか?」

 ネジフが動かなくなった骸骨を戦斧で叩く。だが、やはり片手では砕けなかった。体勢を崩しても骸骨たちはゆっくりと立ち上がり、そのまま立ち尽くすだけだった。先ほどまでのような反応を見せない骸骨にモンテールが拍手を浴びせる。

「やった!」

 その瞬間、骸骨たちが再び動き出してネジフに襲い掛かる。

「なんだよ。ふざけんなよ」

「やめるな!」

 シビトの言葉でモンテールは慌てて祈りの言葉を呟く。骸骨たちはまた動きを止める。

「それで、どうするの?」

「ネジフ。今のうちに鼻に布を詰めろ」

「なんでだよ」

「臭いんだろ」

「あ、お前頭いいな」

 ネジフは荷物が落ちている方へ駆けて行く。

「あの、私はいつまで?」

「だからやめるな! ネジフが骨を砕ければ終わりだ」

 その言葉にようやく落ち着いたのか、モンテールは衣を正しながら祈りの言葉に集中した。

「まったく」

 シビトは軽くため息をついてナサインを見る。ナサインは手のひらから黒い煙を吸い込んでいるままだった。

「あれ、何してるの?」

 ウイカが不満そうに言葉を吐く。シビトはその肩を叩き骸骨に向き直る。

「魔素を貯めてるのさ」

「魔素? って何?」

 そこへ鼻に布を詰め込みながらネジフが戻ってくる。

「お前、魔素のこと知らねえのか? 頭わりいな」

「だから何なんだよ」

「ただじゃ教えねえよ」

「セコイ奴」

 ウイカは戦斧を構えるネジフの背中を見て、首をかしげる。

「あんたも知らないんだろ?」

 ネジフは驚くべき速さで振り返り、目を見開き大声でウイカに応える。

「ふざけんなよバカ。俺様は知ってるに決まってるんだろ」

 そう言うと骸骨に向かって走り出すそして勢い良く両手で戦斧を振り下ろす。戦斧はうなりを上げて骸骨の身体を断裁する。ネジフは楽しげに骸骨たちをグシャグシャにするのだった。

「死ねよ、この骨野郎共め」

「すでに死んでるけどな」

 シビトは骨の中から石のような黒い塊を手に取ると、それを拾い集めてナサインに向かって放り投げる。石はナサインに命中する前に煙になって彼の両手に吸い込まれていった。

「これが魔素さ」


12


 ナサインは両手を閉じ円の外に出る。すでに外は暗くテントは完成しているようだった。シビトが迷宮を見つめて立っていた。そこまで歩み寄ると、側にウイカが座っているのに気がついた。

「どうだった?」

 ナサインの問いに答えたのはウイカだった。

「誰かさんはまったく役に立たなかったけど、みんなすごく活躍してたよ。誰かさんにも見せてやりたかったよね。おじさん」

 シビトはウイカの問には答えなかった。その代わりにちらりとナサインを見る。

「そっちは?」

「バッチリさ」

「なんだよ」

 二人に無視されてウイカはその場を離れていった。テントの中からモンテールとネジフの文句が聞こえた。

「二階までは補給無しでもいけるだろう。一日にそう使えるわけでもないしな」

 そう語るナサインに背中を向けてシビトは跪いた。服を脱ぐとそのままの姿勢で待機する。

 ナサインはシビトの背中に右手を押し当てる。ナサインの目の奥から赤い光が生まれ、徐々にそれが大きくなってくる。周囲は赤い光に照らされて若干明るくなった。ナサインの右手は黒い影に包まれ、影は波打ちながらシビトの体の中に吸い込まれていく。

「久しぶりだな。この感覚は」

「生きている気がするだろ?」

 ナサインの目の赤い輝きが消え、右手の影は夜の中に掻き消える。

「もう終わりか?」

「総量が少ないんだから贅沢を言うな」

「ふん」

 シビトは起き上がると上着を捨てた。両手を胸の前で組むと力んでみせる。すると黒い靄がシビトの体から噴出し、シビトの吐き出した空気とともにそれが集まって革鎧のような形状となってシビトの身体を覆った。黒が基調となっていて両の拳までしっかりと包まれている。

「とりあえずはこんなものか」

「あんまり無駄遣いするなよ」

 ナサインはテントに向かう。テントの入り口に回りこむと明かりが漏れている。中を覗くとカンテラの明かりの下でモンテールとネジフが数本の枝を使って賭け事に興じていた。奥にはウイカが背を向けて横になっている。

「行くぞ。テントをたため」

 それだけ言うとナサインはテントから離れていく。後を付いて来たのはネジフだった。夜の中で目だけが存在感を主張する。

「ふざけんなよ。寝かせろよ」

 ウイカも飛び出してきてネジフに加勢する。

「そうよ。何もして無いくせに威張らないでよ」

 ナサインは振り返り後頭部を激しく掻く。

「じゃあ、お前らもういらねえよ。帰れ」

「ふざけんなてめえ」

「ここで必要な魔素は手に入れた。お前らなんてもう必要ない。邪魔なだけだ」

「では、私は帰らせてもらいます」

 モンテールがテントの中から顔を出してくる。

「こんなリーダーでは命をかける気にはなりませんからね」

「俺も帰るぞ」

「あたしは……」

「おい、何してる」

 ナサインと三人がにらみ合っている間にシビトが入ってくる。ウイカはシビトの変化にいち早く気がついた。テントの中に戻り明かりを取ってくると、外を照らす。

 一瞬だけ明かりを手でさえぎったシビトだったが、すぐにナサインの方を向く。

「どういうことだ」

「寝かせろってさ。ふざけてるぜ」

 ウイカがシビトの側にやってくる。その身体を覆う革鎧に触れて感動している。

「おじさんカッコいいね」

「そうか?」

 嬉しそうなシビトのすねをナサインは蹴り飛ばす。

「おじさんも休みたいだろ? ずっと見張りで立ってたんだから」

「ずっと?」

 怪訝な表情をするナサインにばつが悪そうな顔をするシビト。

「それならお前らの休憩は十分だろ。さっさと用意をしろ」

「嫌だね」

 ナサインが言い終わらないうちにウイカの言葉がかぶさってくる。ウイカはシビトの腕を取って、

「おじさんがリーダー。おじさんの言うことならあたしたちも文句は無いよ。ね」

 そう言ってウイカはテントを振り返る。ネジフもモンテールも力強くうなずいた。

「勝手にしろ!」

 ナサインはテントに向かって歩いていく。シビトは愉快そうにそれを見送る。

「どこに行く?」

「寝る」

 ナサインはシビトの問いに片手を振ってテントの中に入っていった。ウイカがシビトを見上げる。

「おじさん。これからどうするの?」

「一箇所にずっといると魔物が感知しやすくなるからな。中に入ろう。城の中で良い部屋を見つければ、そこで休める」

「わかった。みんな出発しよう! 荷物をたたんで」

「わかりました」

「わかった」

「お前ら、一体なんなんだよ!」

 ナサインの声が夜の闇を切り裂く。


13


 古城の中は真っ暗闇で何も見えなかった。ウイカが手に持ったカンテラで奥を照らそうとするが、それをシビトがさえぎった。

「消したほうがいいぞ。弓を撃って来る魔物は光をめがけて撃つからな」

 ウイカはカンテラを下に置いてシビトを前に押し出した。石の床にはコケが生え木の葉が半ば腐りかけているのが見えた。シビトは後に呼びかける。

「ナサイン」

「へいへーい」

 ふてくされた感じでナサインが返事をした。

「いい加減諦めろ。お前には人を統べる力は無い」

「うるせえ。俺がいなけりゃお前はただのでくの坊だろうが」

「フフ。負け惜しみか」

 ナサインはうなってカンテラの明かりを消す。急に暗くなったことにウイカとネジフが驚いた。

「おい」

「急に消すなよ」

 しかし、辺りは徐々に明るくなってくる。見れば今までカンテラの灯がともっていたところに黒い炎が燃え上がっていて、それが辺りから黒い粒を吸い込んでいるように見える。

「何だこれ」

「あまり離れるなよ。明かりと違って闇を吸い込んでいるだけだからな」

「なあ、どういう仕組みになってるんだよ」

 ウイカの疑問をナサインは鼻で笑うと、

「行くぞ」

 と指示を出す。しかし、誰もそれに応えようとしなかった。

「あのなぁ」

「ナサインさん。あなたは何者なんですか? 只者ではないようですが」

 モンテールが声を絞り出す。ナサインは少しだけ機嫌を直して笑ってみせる。

「だから、この迷宮の主になる者だって」

「こいつはバカだからそれ以上の答えは出てこないぞ」

 シビトがナサインの手からカンテラを奪い取ると奥へと進み始める。するとナサイン以外はそれについていく。

「ふん」

 ナサインは左手の手のひらを上にすると、そこにカンテラと同じ黒い炎を生み出した。ナサインの周囲も明るくなっていく。

 古城の内部はところどころが崩れている。二階へ上る階段は中二階で崩れ、その先に見える柱はひび割れ廊下の脇に見える部屋への入り口と思われるところには、砕けた扉やもたれかかった扉が見えた。

「これじゃあ、財宝なんかねえぞ」

 ネジフがぶつぶつと文句を言う。

 二階へと上る階段の脇を進んでいくと奥へと続く廊下が見えた。人が二人も並んで歩けば一杯の通路だった。

 シビトが立ち止まる。前方から近づいてくる物音がする。

「少し俺から離れてろ」

 シビトはカンテラをその場に置くと、ウイカたちをその場から下がらせる。

 軽く息を整えるシビトの前に、槍の穂先が突き出される。避けると同時に数本の槍が同時に襲い掛かってくる。

「おじさん!」

 駆け寄ろうとするウイカの手をナサインが引きとめる。

「シビトの邪魔をするな」

「でも、おじさんは弱いのに」

 シビトに襲い掛かってくるのは槍を持った骸骨兵だった。その数、全部で五体。次々に繰り出される槍を避ける一方でシビトは少しも後退していない。骸骨兵たちはその体の隙間さえも利用して槍を突き入れてくるのにシビトにはかすることさえも出来なかった。

「おじさん、避けるの上手い」

「シビト、避けるだけじゃないところを見せてやれ」

 ナサインの掛け声を受けて、シビトは「ふん」と鼻で笑って応える。一本目の槍を交わすと同時に背中に回し、二本目を右拳で上部に跳ね上げる。続いて前の骸骨兵の首筋から出てきた三本目を右の肘で打ち壊し、骸骨兵の最初の一体目の頭部に右拳をひねりこんだ。

 ガシャーン。

 陶器が壊れるような音と共に前にいた骸骨兵の頭が吹き飛んだ。それをシビトがしたり顔で浸っているとそこに次々に骸骨兵たちの反撃が繰り出されてくるのだった。

 変な踊りを踊っているかのようにきわどく避けるシビトを見て、ナサインは大声で笑った。

「おじさん! 広い場所まで下がろう!」

 ウイカは必死で声をかける。それをナサインが止める。

「冗談。あの骸骨たちとの戦いはこれでいいのさ」

 その瞬間、シビトの左肘が骸骨兵の二体目の頭部を破壊する。シビトは転がっている槍を拾い上げて三体目の槍を受けると同時に鎖骨の間にくぐらせ廊下に引っ掛ける。すると骸骨兵たちは進むことも出来ずにもがくように届かない槍を繰り出し続ける。

 シビトはその間に廊下を戻りカンテラを拾い上げて少し前にまで運んでいく。ナサインたちも少しだけ前に進む。

「おじさんすごい」

 再びカンテラで明かりを確保すると、廊下に引っかかる三体目の骸骨兵の頭部を右拳で粉砕する。そのままの勢いで繰り出した蹴りが廊下に引っかかった槍の柄を折る。すると、そこに待ってましたと言わんばかりに残りの骸骨兵の槍が二本同時に突き出されてくる。

 シビトは上体をそらせながら、脚を大きく開きその槍を首のすぐ横でやり過ごす。流れに乗り骸骨兵たちの足元に滑り込むと逆立ちをするように両腕で立ち上がり、広げた両足でそれぞれの頭部を破砕した。


14


「そこら辺りに落ちている黒い石には、シビトと俺以外は触れるなよ」

 ナサインは骸骨兵の倒れているところから石を拾い上げる。

「触るとどうなんだ?」

「死ぬ」

 ネジフが拾いかけた手を止める。ナサインはネジフの側に落ちていた黒い石を拾い上げる。

「いや、……それも違うか、病気になったり、なりやすくなるっていうのが正解かな?」

「これ何なんだよ」

「魔素だろ」

 ウイカがネジフに言うと、ネジフは目を丸くして反論する。

「わかってんだよ」

「何故、あなた方は平気なんですか?」

 モンテールがこわごわ近づいてくる。ネジフも大きくうなずいた。

「そうだよ。変だよ」

 ナサインはシビトの手からも黒い石を受け取ると左手の中で燃える炎の中に全てを投げ入れた。

「俺は魔素使い。で、シビトは俺の従者。それだけさ」

「魔素使い……」

 モンテールは独り言のように呟く。

「ですが、魔素使いなんて魔法使いよりもマイナーなもので、古い文献にしか出てきませんよ。まさか実在してるなんて」

「マイナーで悪かったな」

「あ、すみません。魔素の無いところではその強さは子犬にも劣ると言われてますからね。そんな珍しい方と一緒になるなんて、これも奇跡ですな」

「一つも褒められてないな。フフフ」

 甲高い声でシビトが笑う。

「魔素って何なんだよ。教えてくれてもいいだろ?」

 ウイカの問いに一瞥投げてナサインはシビトの背を叩く。するとシビトは一向に指示を出すのだった。

「もう少し進もう。こんな通り道でゆっくりと話をしてるとまた出てくるからな」


15


 古くなった木製の机をバラバラにして部屋の中央の焚き火の中にくべる。部屋の扉をしっかりと閉めると、ネジフとモンテールの顔に安堵が広がった。

 ナサインは壁にもたれながら焚き火に机の破片を運ぶウイカを見ている。

「魔素って言うのは、魔物を動かす原動力だな。魔素使いはそれを除去したり精製したり出来る。シビトには精製した魔素を渡して、シビトはそれをエネルギーに戦闘能力を高めるってわけだ」

 ネジフが入り口側に立っているシビトを疑った目で見る。

「じゃあ、こいつは魔物なのか?」

「違う。シビトはシビトだ。精製した魔素を使っている以上、魔物にはならない」

「そっか。何かわかんねえけど、わかったぞ」

 ネジフは焚き火に目を戻す。少し離れたところにウイカが座った。

「昔は……。今よりももっと昔の話ですが」

 モンテールが小さな声で話し始める。

「この世界は箱の外にあり人間は神と全てを分かち合っていたと言われていました。しかし、神の力さえも望んだ悪しき人間たちの勢力に神は倒され、神は最後の力を使い善なる人々を箱の中に入れ隠したのです。時が過ぎ、世界の底に七つの禍穴が開き悪は我々を見つけました。悪は箱の中にどんどんと染み込んでくるのです。私は怖いのです。この迷宮の底で外側の悪と繋がってしまう事が怖いのです」

「裸踊りしていた坊さんの言うことじゃないな」

 ナサインが笑った。モンテールは頭を下げた。

「そうでもしなければとてもじゃないが耐えられません。正気ではいられなかったでしょう。そうですとも。死者が生き返ることなどあってはならないのですから」

「なぜだ?」

 シビトの声はひどく部屋の中に響いた。モンテールの恐れを倍増させるには十分すぎた。

「神の決めた自然の摂理に逆らうからです。死者は土に還り新たな命をつむぐ糧になります。その均衡が崩れれば、死者によってこの世は蹂躙され生きる者はいなくなります。神は我らに深い悲しみを与えることにより、命の尊さを学ばせようとしたのです。神は」

「そんなカミカミ言ってるからハゲるんだ」

 シビトは甲高く笑う。

「フフ、言っておくがな」

「シビト黙れ」

 ナサインが手を上げる。

「何?」

 ウイカが立ち上がりかけるのを、ナサインは手のしぐさでやめさせる。

「静かにしろ」

 近づいてくる音がある。ドアノブが激しく揺さぶられる。ナサインはゆっくりと壁から背中を離す。


 16


「シミュラ様、シミュラ様! 閉まってますよ。ここ、閉まってますよ」

 暗闇の中に落ち着きの無い男の声が聞こえてくる。続く女性の声には鋭く深い響きがあった。

「うるさいわね。ガリクソ、レフスを黙らせなさい」

「はい。シミュラ様」

 落ち着いた声の男が返事をすると同時に鈍い音が響く。

 ゴン。

「痛い! 殴られたら痛い!」

「だから静かにしてるんだよ」

「うん、わかった! ねえねえ、シミュラ様!」

「だからうるさいって」

 ゴン。

「痛い! 殴られたら痛い!」

 騒がしい声を切り裂いて可愛らしい声が聞こえてくる。

「ねぇ、シミラ様」

「カーナ。ワタクシの名前はシミュラ。何度言えば覚えてくれるの?」

「だって言いにくいんだもん」

「まぁ、そこがカーナの可愛いところね」

「えへへ」

 愛くるしい笑い声をかき消すように落ち着きの無い声が響く。

「でも閉まってるってことはさ、財宝があるってことじゃねぇ? ことじゃねぇ?」

「うん、だからってうるさくしていいってことじゃないね」

「その通りだね! そのとーり!」

「だからうるさいって」

 ゴン。

「痛い! 殴られたら痛い!」

「こんな低層に金目のものなんて無いわよ」

「俺は低脳じゃない!」

「だからうるさいって」

 ゴン。

「痛い! 殴られたら痛い!」

「すみません。うるさくて」

「いいのよガリクソ。死ぬまでしか騒げないんだから、ワタクシは楽しんでますよ」

「それ見ろ! バーカバーカ」

「カーナ、お前ならどうする?」

「はいな。シミラ様、あちしなら顎が形をなくすまでぶん殴り続けます」

「カーナ、怖いこと言わないの。でも、そこがカーナの可愛いところね」

「えへへ」

「財宝! 財宝!」

「だから、罠があったら大変だからやめときなさい」

「えー、そうだね。罠があったらやめるよ。財宝! 財宝!」

「レフス。黙ってそこに座りなさい。消しますよ?」

「はい、シミュラ様!」

「すみません。シミュラ様」

「ガリクソ。二人はセットなんだから、もっとお前も努力なさい」

「はい」

「やーい、怒られた!」

「黙れ」

 鋭いシミュラの声が静寂を生むとすぐにやわらかい響きに変わって聞こえてくる。

「カーナ」

「はいな」

「賢いお前ならどうする?」

「はいな。あちしの亜法なら開けなくてもわかります」

「まぁ、素敵。カーナは本当に賢くて可愛いわね」

「では、ナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカ、中みーせて」

「どう?」

「何か変な感じです。黒い渦が見えますよん」

「黒い渦?」

「あいつわかんねーから適当に言ってるんだぜ」

「そういうことを言わないの。悪口みたいだろ」

「だって、悪口だもん」

「ガリクソ」

「はい」

 ゴン。

「痛い! 殴られたら痛い!」

「やーめた。渦しか見えないから飽きちゃった」

「じゃあ、やめておきましょうか」

「はいな」

「ほら立て」

「あーあ、財宝があるのになぁ。もったいねーもったいねー」

「ガリクソ」

「はい」

 ゴン。

「痛い! 殴られたら痛い!」

「えい」

 ゲシ。

「痛い! ちびでも蹴られると痛い!」


17


 まったくの暗闇。遠ざかる人の気配。次第に部屋の中に明かりが戻ってくる。ナサインは部屋の中央で手を頭上にかざして立っていた。その手の中に闇が吸い込まれていく。

「何?」

 ウイカはシビトの側によるとその腕を取った。ナサインが頭を抱える。その額から汗が流れ落ちる。

「くそ。厄介な奴が来た」

「知ってるの?」

「ああ」

「だったら入れてあげれば良かったのに」

「冗談じゃない。相手は二百七十年も生きてる化け物だぞ」

「え?」

「バカかお前、そんな長生きの奴はいねーよ」

「まさか、シミュラって」

 モンテールが驚きの表情を見せるとナサインはしっかりとうなずく。

「そう。一時は光の聖女とまで言われたが、白の教団に突如反乱を起こし何万人もの信徒を虐殺して渦に落ちた魔女さ。北部の迷宮の主となって不老不死を楽しんでいるはずだったんだけどな」

「そんなにヤバイ人なの?」

「まず坊さんは殺されるな。間違いなく」

「いやだぁ」

 モンテールはうずくまって全身を震わす。

「魔素の足りない俺たちもアウトだな」

「あたしは?」

「俺は?」

 同時にウイカとネジフは自分を指差す。ナサインは思わず苦笑いをする。

「気に入られれば死ぬまでお供できるさ」

「何だ。危ないのはお前らだけか。カワイソだな」

「何か引っかかる言い方なんだよね」

 シビトが甲高く笑う。

「死なない限りは側を離れられないってことだ。どっちにしても地獄ってことさ」

「もう帰ろうぜ」

「帰りましょう」

「あたし、ここで帰るなら向こうに付く」

 ウイカの真面目な表情を見てナサインは笑いをこらえる。

「向こうが先を歩いているからって、俺たちが先にたどり着けないわけじゃない」

「そうだな」

「どういうこと?」

「前に言っただろ。俺たちは最深部まで行った事があるってな」

「うん」

 ウイカは「あっ」と小さな声を上げる。

「近道を知ってるのね」

 ナサインが指を鳴らしてウイカを指差す。

「その通り」

「そうだ。もう一つ聞いてもいい?」

「何だ?」

「アホウって何?」

 ネジフが手を叩いて喜ぶ。

「アホウもわかんねえのかよ。お前、アホウだな」

 シビトも甲高い声で笑う。

「フフフ。その答えをしているお前が一番アホウだな」

「ふざけんなよ。俺はアホウじゃねえよ」

「亜法って言うのは魔法に近いものだけど、術者の想像力でどうにでもなる無茶苦茶な魔法だって覚えておけばいいかな」

「意味がわからない」

 ナサインは額を押さえる。

「魔法には術式と発動するための媒体が必要になる。例えば火を起こすためには火の術式を媒体で空間に描き、その上で必要なコストを魔力で支払わなければならない。しかし、ただの魔法使いは魔素を魔力に変換することはできない。多くの魔法使いが杖を持っているのは杖が魔素を魔力に変換できる媒体だからだ。ただ魔法使いだからってすべての魔法が使えるわけじゃないんだぜ。複雑な魔法を覚えている杖がなければその魔法が使えないっていうのはそういうことなんだな」

 ナサインは軽くうなずきウイカたちを見る。モンテールだけが「なるほど」と納得しているようだったが、ウイカとネジフにはさっぱりだったようだ。

「わかりやすいように説明してるんだが、やはり無理か」

「もっとわかりやすく言ってよ」

 ウイカの抗議にナサインは少しだけ考えたがすぐに思いついたようだ。

「亜法には難しい手順も術式も要らないってこと」

 ドアノブに手をかけに行ってナサインは急に振り返る。

「お前、父親を探してるって言ってたか?」

 ウイカは小さくうなずく。

「いついなくなったんだ? お前の父親」

「三年前よ」

「三年か。ここには五万と沢山の魔物がいる。三年も帰ってこないってことは……」

「わかってるよ。でも、行けばわかる。そんな気がするんだ」

 ナサインは両手を振って見せた。

「勝手にしてくれ」

 ドアノブを再びつかむとその手の中に黒い粒子が吸い込まれて鍵が開く音がした。


18


「地下一階」

 階段を下りていくと青い岩肌が現れる。土の匂いが鼻につく。

「迷宮と言うよりも洞窟ですね」

 一番最後に降りてきたモンテールが呟く。

「地下三階まではこんな感じだ」

 ナサインは闇の先を見つめる。地下一階は階段を下りて小さなホールがあり右手側に通路が延びている。

「地図書こうか?」

 ウイカが荷物の中に手を入れる。ナサインはそれを見下ろす。

「紙だけ出せ。地図が欲しい奴は、布でもいいから出せ」

 ウイカは折りたたまれた紙と羽根ペンとインク壷を出す。

「紙だけじゃ書けないの知ってる?」

「シビトこっちに来い」

 ナサインはシビトを呼び左手の炎を消す。明かりがシビトのカンテラだけになる。モンテールが軽く悲鳴を上げた。

「紙を広げろ」

 ナサインが命令口調でそう言うとウイカはしぶしぶ紙を広げる。そして、ナサインに押し付けるかのように目の前に突き出してくる。

「ガキだな」

 ナサインの右手が紙の上に触れると黒い染みが広がっていく。

「何するんだよ! 貴重な紙なんだぞ」

 ウイカは慌ててナサインから紙を引き離す。しかし、紙には黒い染みがこびりついてしまっていた。

「お前!」

 非難一杯の視線をナサインに向けるウイカだったが、黒い染みが動き出した瞬間、紙を地面に放り出した。自ら動き出した染みはきれいな線を描き、絵のようなものへと変化した。

「五階までならそれが役に立つ。他は?」

 ネジフはすぐに布を取り出すが、モンテールは手ごろな布を見つけられずにいた。ナサインは笑ってモンテールの背中に右手をつけた。長衣に地図が描かれる。

「それを脱いで確認すればいい」

「は、恥ずかしくて町を歩けませんよ」

「安心しろ、外に出れば消える」

 ネジフの布にも地図を描き、ナサインは左手に再び黒い炎を生む。

「さて、この階の注意だが、青く輝くコケを見かけたら、むしれ。ポケットにでも入れておくと後で役に立つ。それから、黒い石については前にも言ったとおりだ。後、何かあるか?」

 ナサインはシビトに顔を向ける。シビトはうなずく。

「ああ、ここの虫はデカイ。そして趣味が悪い。気持ちが悪いからそのつど驚くな。吐きかけてくるモノは絶対に避けろ」

「脅かさないでくださいよ」

「俺、虫苦手なんだよ」

「あたしも」

「一見、可愛く見える動物にも注意だな。それと、モンテールは美女を見たら殺されると思え」

 モンテールは不安げな表情をナサインに向ける。

「ど、どうしてですか?」

「幻影か死霊の類だからな。付いていけば死ぬ」

「お前、スケベだからな」

「フフフ」

 シビトが甲高い声で笑う。

「情けない坊主だな」

「人のことが言えるのか」

 ナサインが鼻で笑うと、シビトも舌打ちで応戦する。

「昔のことをいつまでも言うんじゃない」

「えー、おじさんもそういうのに弱いの? がっかりだよ」

 ウイカは荷物を背負う。

「じゃ、行こう」


19


 ネジフが振るう戦斧が丸蟲の外殻を押しつぶす。赤黒い液体が周囲に飛び散る。通路は五人ほどの人間が歩きまわれるほど広い。四方にナサインが置いた黒い炎が燃え上がり周囲の闇を吸い込んでいた。その炎の中心にナサインたちは立っている。前後からうずくまった大人くらいの大きさの硬い外殻を身にまとった丸蟲が無数に集まってくる。

「飛んで来たら打ち落とせ。噛まれるなよ。痛いからな!」

 ナサインの声は叫び声に近かった。黒い長い棒を両手に丸蟲の接近を阻んでいるが、その顔には余裕は無かった。一匹払う側からもう一匹が飛び出してくる。それを避けると味方に当たる。

「クソ、前の連中が巣をいじりやがった!」

 シビトは飛んでくる丸蟲を拳で打ち落とし、脚で踏み抜く。反対側ではネジフが戦斧で丸蟲を両断するのであった。しかし、その数は一向に衰えなかった。

「死にたくねえよ。死にたくねえんだよ」

 ネジフは涙と鼻水を目一杯溜め込みながら戦斧を降り続ける。モンテールは荷物で虫を避けるのに必死だった。

「どうにかならないの!」

 ウイカの叫びも必死だった。転がる丸蟲の上を飛び跳ねながら、攻撃を避け自分に注意を向けさせていた。

「もういや!」

 そう叫ぶウイカが見ている方向には、人一倍大きな丸蟲が見える。

「こんなところで」

 ナサインは手に持っていた長い杖を床に突き刺す。そして両手を広げると長い杖は霧散し、代わりに手のひらに黒い鋭い矢じりのようなものがいくつも生まれ出でる。

「死んだら節約もないか。ネジフ下がれ!」

 ネジフが振り返り地面にうずくまったところに丸蟲が飛び掛る。ナサインは両手をネジフの立っていた方向へ向けると黒い鏃を一度にすべて放出した。

 固い金属同士がぶつかり合うような音がしてネジフは顔をゆっくりと上げる。目の前に丸蟲の顔があり、驚いて飛び退るが、戦斧が何かに引っかかり抜くことが出来ない。

「ちくしょう! 何なんだよ」

「ネジフ早く来い!」

「斧が、俺の斧が!」

 後方の丸蟲たちは黒く細長い糸によってその場に縫い付けられていた。その硬い糸の間に戦斧の刃が巻き込まれ抜けなくなっていたのだ。

 呼びかけるナサインの額には汗がにじみ、ふら付きながら前方からやってくる丸蟲を避けていた。

「さっきのもう一度出来ないの?」

 ウイカが丸蟲を蹴り飛ばしながらナサインに近づいていく。

「今は無理だ。ネジフ! 早くこっちに来い」

「武器が引っかかってるのよ!」

 ウイカはネジフの元に走る。ネジフは戦斧を引き抜こうとするが先が引っかかり、押しても引いても抜くことは出来なかった。

「先祖から貰った大事な斧なんだぞ。手放したら殺される」

 そこにウイカがすべりこんで来る。

「ネジフ。落ち着いて」

「これが落ち着いてられるかよ。バカヤロウ」

「ネジフ。斧はあたしが絶対にここから取り出すから、みんなを助けてあげて」

 ネジフはウイカと戦斧を交互に見る。

「でも」

 ウイカはネジフの手に自分の手を重ねる。

「信じて。あたしを信じて」

「武器がねえよ」

「斧を届けるまで、あいつらをボールだと思って蹴飛ばしてればいいのよ」

「……ボールか。丸いもんな」

 ネジフは笑った。ウイカも笑った。

「任しとけ」

 ネジフは立ち上がってモンテールを追いかける丸蟲を蹴り飛ばす。それは物凄い勢いで他の丸蟲に命中する。

「こりゃ、おもしれえ」

 ウイカはそれを見てから、戦斧を見る。糸に縫い付けられた丸蟲たちはまだうごめいている。下手に腕を入れれば食いちぎられるかもしれなかった。

「難易度高いな」

 ウイカは舌をちろっと出して、戦斧を持ち上げる。丸蟲の口と黒い糸を交互に避けながら、戦斧を取り出せる隙間を探す。

 黒い糸に縫い付けられた丸蟲たちのその奥に、新手の丸蟲が見える。丸蟲は身動きの出来なくなった仲間の身体を食いちぎり出していた。その光景に思わず手に持っていた斧の柄を取り落としそうになる。

「落ち着いて」

 ウイカはそうやって自分を落ち着かせる。蠢く丸蟲、上部に大きな隙間を見つけたが、ウイカの背では届きそうに無かった。他にはそんな隙間は望めそうにも無かった。唇を噛む。

「壁を蹴り上げて、それで……。ダメだ。失敗したら斧は向こうに行っちゃう」

 ウイカは悔しさに顔を歪ませる。

「やっと見つけたのに!」

 丸蟲の共食いはさらに進んでいる。黒い糸が食い切ることが出来ないと知ると丸蟲たちは迷宮の壁をかじり始めた。

「神様……」

 ウイカがはっとする。

「モンテール! モンテールこっちに来て」

 突如呼ばれたモンテールは逃げ回りながらウイカを見る。背伸びをして斧を持ち上げているのが見えた。

「ははあ、あれを取れと言うのか。しかし、私とて僧侶の端くれ。刃物をこの身に持つことは許されぬことなのです」

 ウイカは何度もモンテールを呼ぶ。モンテールはウイカの元に走っていく。

「ですから、僧侶の端くれですからね……」

「そこに四つんばいになって」

「え?」

「早く! 乗るよ!」

 促されるままに四つんばいになった瞬間、ウイカがモンテールの背中に乗り隙間から戦斧を通し、その腕の中に取り戻した。そのままの勢いでネジフの元に駆けて行く。

「モンテール、ありがと!」

「なんの!」

 顔を上げると丸蟲の顔が目の前にあってモンテールは叫び声を上げて後ろに飛びのいて壁に後頭部を打ちつける。


20


 ウイカは転がった丸蟲を避けながらネジフに向かっていく。ネジフは丸蟲を楽しそうに蹴り飛ばしながら楽しそうに叫んでいる。

「ホウ! ホウ!」

 丸蟲はうなりを上げながら通路の奥に消えていく。それを見ていたシビトも真似をして丸蟲を蹴り始める。しかしシビトが蹴り上げると丸蟲は粉々に砕け散ってしまう。

「ふん」

「ネジフ! 斧!」

「ありがとよ!」

 ネジフはウイカから戦斧を受け取るとそれを担いで丸蟲を蹴り続けるのだった。

「斧、使わないんだ」

 ウイカははっとしてナサインを探す。ナサインは壁にもたれながら座り込んでいる。

「何、休んでるのよ!」

 ナサインの側にやってくると、ウイカはぎょっとした。ナサインの顔色が明らかに悪い。

「大丈夫?」

 その声にナサインはゆっくりと顔を上げて、前方の通路を指差した。ウイカが見ると前方の通路でも大きな丸蟲が黒い糸に縫い付けられていた。後方に比べると黒い糸の本数は圧倒的に少なかった。その間から、丸蟲たちがぞろぞろと涌き出てくる。

「ごめん」

「いい。当然のことをしてるだけだ」

「ナサインって結構いい奴なんだね」

「勘違いするな」

 ナサインは壁に手をついて立ち上がる。

「魔素の量が増えれば、こんな奴ら……」

 ナサインは通路後方を目指して歩き出す。

「そうだ。横から穴を開けてくるつもりみたいよ」

「あれはあれで終わりじゃない」

「え?」

 ウイカはナサインを支えようと手を出したが、ナサインはそれを振り払う。

「モンテール離れろ。お前もだ」

 頭を押さえながらモンテールはナサインの背に回りこむ。ナサインは左手を突き出しながら黒い糸に触れる。それに丸蟲たちが反応して一斉に身動きを開始する。

 糸が振動を始めると黒い糸に触れた丸蟲たちがボロボロと形を崩していく。その開いた隙間めがけて他の丸蟲が飛び込んできて黒い糸にその身を喰われていく。

「丸蟲は魔素の量が少ないから嫌いなんだ」

 ナサインは床に膝を付く。ウイカがそれを支えに行く振り返り、モンテールを呼ぼうとするとモンテールはすでに背中を向けてその場を離れようとしていた。

「ちょっ……」

 ウイカはモンテールの背中の地図を見て言葉を止める。

「ナサイン! 下に行く階段がある。近いよ」

「……知ってる。丸蟲の巣は地下一階の最後の出し物だ。騒がずに進めば誰だって安全に通り抜けることが出来る。それがこんなに過敏に反応するってことは先を行った連中が悪戯に騒ぎ立てたか全滅したかだ」

 メリメリメリ。

 壁に穴が開く。丸蟲の頭が壁を食い破りながら出てくるのが見える。ウイカはナサインを支え起こす。

「先に進もう!」

「こんな雑魚相手に逃げられるか! ふざけやがって!」

 ナサインはウイカを振りほどき両手を頭上に掲げる。

「あのバカ」

 シビトがナサインの声に気がつき、通路中央に向かって拳を突き立てる。

「ふん!」

 シビトの気合で床が盛り上がり壕が作られた。

「全員ここに入れ! 荷物も入れろ」

「ナサインが!」

「あいつは大丈夫だ」

 シビトはモンテールを中に放り投げる。その上にネジフが荷物を放り込んでくる。

「ちょっと、もう少し優しく」

「わりいな」

 最後は飛び込んできたネジフの下敷きになる。

「おじさんは?」

「俺も無事だ」

「じゃあ、あたしも」

「ダメだ」

 シビトはすぐにそう言うとウイカを壕の中に押し込む。

「きちんと隠れていないと吹き飛ばされるぞ」

 壕の側に寄ってくる丸蟲をシビトが駆逐する。ナサインは頭上にあった両手を左右にゆっくりと開いていく。黒い稲妻が両手の中に発生し、ナサインの背中と胸を焦がす。それを下に向け両手を合わせる。瞬間、ナサインの両手は大きく弾かれて彼自身も大きく吹き飛ばされ宙を舞う。そこで生まれた黒い衝撃波が丸蟲たちを吹き飛ばし、天井や壁に激突させその身体を押しつぶす。

 ナサインも同じように壁に激突し地面に叩きつけられた。そのままピクリともしない。

「行くぞ」

 シビトはナサインを抱えるとウイカたちに指示を出した。


21


「地下二階」

 坂道のような階段を下りると緑色のコケに覆われた地面が現れる。水が腐ったような魚が腐敗したような生臭い匂いがする。シビトはその中にあった青く光るコケを毟り取るとウイカに渡した。

「何?」

 シビトは軽く笑った。

「後で役に立つ。他にもあったら拾っておけ」

「死んだのか?」

 床の上でピクリとも動かないナサインを見てネジフが言った。

「生きてるさ」

「あの」

 モンテールが不安げに話しかけてくる。

「まだ進むんでしょうか? 一度仕切りなおしたほうが……」

 モンテールの声は尻すぼみになる。

「おじさん。どうする?」

「ナサインが目を覚ますまでは進まないし戻らない」

 シビトはモンテールを呼ぶと後ろを向かせる。地図を見ると地図の形状が地下一階のものから地下二階へと変化していた。

「ここは確か蛙とか半魚人とかそういうのが出る。蛙は毒に気をつけろ。半魚人は槍が得意で、水辺からいきなり槍を出してくる。兵士の多くが水の中に引きずり込まれた」

「人魚もいるんですか。いいところだ」

 振り返るモンテールをシビトは突き飛ばす。

「人魚はいない。半魚人だけだ」

「何だ男だけですか」

「雌もいる」

「なんだ人魚もいるんじゃないですか」

「人魚はいない」

「半魚人の雌は、人魚なんですよ」

「見ればわかるが、ここには人魚はいない」

「ですから、雌は人魚なんです」

「ねえ、おじさん」

「なんだ?」

「兵士を連れてたの? 騎士だったわけ?」

「いや」

 シビトは押し黙る。

「おじさん?」

 ピタ。ピタ。

 何かが歩み寄ってくる。

「モンテール。お待ちかねの人魚さんだぞ」

 暗闇の中からやってきたのは大きな目玉、口の広い魚の頭をした全身鱗だらけの不恰好な人間のような生き物だった。全身が何か液体で覆われていて、猫背で胸にひれのような棘を持ち、垂れ下がった乳房が四つあった。その水かきの付いた手には、大きなナイフが握られている。

「こんなの人魚じゃありません」

「だから言っただろ」

 半魚人の雌は、口を大きく開いた。ギザギザに突き出た小さな歯が細かく振動している。

「仲間を呼んでるな」

 シビトはゆっくりと身構える。

「俺はまだ死なねえぞ」

 ネジフが半魚人の雌の横から戦斧を叩きつける。しかし、戦斧は鱗の上ですべり地面に突き刺さる。

 半魚人の雌が大きなナイフでネジフに切りかかる。ネジフは身体をひねって避けるが、ナイフはネジフの左肩を大きく切り裂いた。

 シビトはネジフの襟をつかむと後方へ引き戻した。

「モンテール見てやれ」

 モンテールよりも早くウイカがネジフの肩に布を当ててやる。

「これ、俺の地図だぞ」

 ネジフはウイカに抗議をするが、その顔にはまだ余裕があった。

「生臭い奴め」

 シビトは甲高い声で笑う。それが気に入らなかったのか半魚人の雌はナイフでシビトを切り裂く。シビトはそれを余裕でかわし、ナイフの背を右肘で強打する。そうして体が宙を泳いだ半魚人の目玉に向かって左拳を突き刺す。そのまま左の腕を回転させ壁に向かって半魚人の身体を放り投げる。痙攣を続ける半魚人の身体はそれ以上の動きは出来そうになかった。

「何をしたの?」

「こいつらは鱗が硬い。粘液が身体を覆っているから打撃も斬撃も通りにくい。弱点は大きな魚の目だ」

「ぐっ!」

 突如飛んできた三叉の槍がシビトの腹部に突き刺さる。シビトはそれをすぐさま抜くが傷口から血が出ることは無かった。

「大丈夫、おじさん!」

「身体を低くしてろ」

 暗闇から次々に投げこまれてくる槍をシビトは手に持った槍を使って地面に叩き落す。

「ネジフ」

「なんだよ」

「槍を拾って目玉に突き刺せ」

 ネジフの左肩は布が縛り付けられてた。

「そんな難しいこと出来るわけねえだろ」

「文句は言うな」

「文句は言うためにあるの」

 槍を拾ったネジフめがけて暗闇から飛び出してくる人影。それも半魚人だった。固まるネジフの代わりにシビトがその目玉に槍を突き入れる。そのままの吹き飛ばされて半魚人は壁に激突する。

「さっきの虫のほうが楽しかったぞ」

 ネジフはシビトの後に隠れるようにして飛び掛ってくる半魚人の目玉をめがけて片手で攻撃を繰り出す。

「肩がいってえ」

 動きの鈍いネジフに半魚人の一匹が狙いをつける。その目玉に槍が突き刺さる。ウイカが体ごと突進してきたのだ。

「モンテール! お前もやれ!」

 シビトが叫ぶ。モンテールは座りこんだまま槍とシビトを交互に見る。

「私、僧侶ですから刃物は持てないんですよ!」

 半魚人と取っ組み合いながら、シビトはその目玉を抉る。

「良く見ろ! その槍は刃物じゃない!」

 モンテールが視線を落とすと槍の穂先が見える。

「確かに三つに分かれて尖っているだけですな」

 槍を拾ったモンテールの前に半魚人が立っていた。半魚人は首をかしげる。モンテールも首をかしげる。そして、走って逃げ出す。

「やっぱり私には無理ですよー」


22


 シビトはカンテラの前に座り込み時折黒い石をカンテラの中の黒い炎の中に入れる。

「どうだ?」

 シビトの言葉にウイカは首を横に振る。

「まだ起きない」

 横たわるナサインは身動き一つしない。胸の上下する動きが呼吸をしていることを教えてくれるが、他の反応は無かった。モンテールはネジフの傷を見ていたが、静けさに耐えられなくなって口を開く。

「やはり帰りましょう。もう無理ですよ」

「俺もこんなとこ長くいたくねえぞ」

 ネジフも壁にもたれながらモンテールに賛同した。

「だが、ナサイン無しでは戻ることも出来ない」

 シビトの言葉にモンテールはひどく動揺する。

「どうしてです。なんでなんですか?」

「退路が塞がれてるからさ」

 シビトはモンテールの肩を叩く。

「坊さんなら祈りの一つでも唱えてな」

 ウイカはシビトの腹を見る。半魚人の槍が刺さったはずなのに皮の鎧には傷一つ付いていなかった。

「おじさん。おじさんは何者なの?」

「何者?」

「あのキモイ魚人間の槍が突き刺さってたじゃない。でも、傷が付いてない。変だよ」

 シビトは甲高い声で笑う。

「この鎧の性能がいいだけだ。刺さっているように見えたか」

 シビトは立ち上がる。

「みんな少し眠るといい。俺がここで見張っていよう」

 ウイカは納得していない顔だったが、シビトがそれ以上何も言わないのであきらめて壁に背中をつけて身体を小さくしてうずくまった。

 シビトは物陰に歩いていく。誰も来ないのを確認すると、両手を握り深く息を吐いた。息を吐き切ると同時に革鎧が霧散する。腹部には三つの穴が空いていたが、出血は無かった。

 シビトは舌打ちをする。

「回復力が低いな」

 両手を胸の前で組んで力むと黒い霧が体から噴出し、シビトの息と混ざり再び黒い革の鎧に変化する。

「丸蟲に半魚人、こんなに厄介だとはな」

 シビトはその声に振り返る。ナサインが壁にもたれかかりながらやっとのことで立っていた。

「起きたか」

「少し前からな。うるさくされるとまた意識を失いそうなんでやめてたのさ」

「照れ屋だな」

「戻ることも考えたが、地下四階まで行けば俺達が圧倒的に早い」

「だが、そこまで下りればもう戻れないだろうな」

「俺たちは戻る必要は無い」

 ナサインは立っているのが辛いのか手で膝を押しながらゆっくりと地面に座り込む。

「蛙地獄はまだ越えてないのか」

「フフフ、地下二階はまだ始まったばかりだ」

「むかつく笑い方しやがって」

 ナサインも笑顔を見せた。

「通路を通すぞ。予定外だが魔素を補給する」


23


 ウイカが顔を上げる。ナサインが黒い円の中で両手を広げている。すぐに立ち上がってナサインに声をかけようとすると、側にいたシビトが手を出して止めた。

「眠れたか?」

「あんまり」

 辺りを見回すウイカの目にモンテールの穏やかな寝顔が映る。

「のんきな人だよね」

「ネジフを見てやれ」

 チラッとシビトを見上げると、シビトもそれに気がついて視線を落としてくる。

「何だ?」

「なんでも」

 ウイカはネジフの元に歩いていく。壁にもたれながら小さく細かい呼吸を続けるネジフに声をかける。

「大丈夫?」

 ネジフは目を大きく見開く。

「大丈夫なわけねえだろう。バカなのかお前」

「そうだよね、ごめん」

「謝るなよ。俺が悪いみたいだろ」

「あ、ごめん」

「また謝った」

 ネジフが笑った。ウイカも釣られて笑った。

「俺の荷物の中に薬が入ってる」

「もっと早くいいなよ」

 ネジフは不思議そうな顔をしてもう一度同じことをさっきより早くして言う。

「俺の荷物の中に薬が入ってる」

「そういう意味じゃなくて」

「どういう意味だよ」

「もっと早く言えば、仮眠する前に薬を使えたってこと」

「しょうがねえだろ。忘れてたんだから」

 ウイカはネジフの荷物袋を覗き込むが、それらしいものが見つからないのか手を入れては中の物を引っ張り出す。

「これ?」

「違うよ。恥ずかしいからしまえよ」

 続いて取り出されたのは木の根っこ。

「じゃあこれ?」

「それはお祝いの時に使うんだろ。ふざけてんのか」

 ウイカはむくれた顔をしてネジフの荷物袋をひっくり返し地面の上に広げる。

「何すんだよ!」

 慌ててウイカの手から袋をひったくると、ネジフは散らばった小物を袋の中に大急ぎで入れていく。

「痛えよ。覚えてろよ」

 ネジフは太く長い葉でくるまれた包みをウイカに投げて渡す。ウイカは手に取ると、思わずそ臭いをかいだ。そしてすぐに鼻を遠ざける。それを見てネジフが笑った。

「効きそうな臭いだろ?」

「何これ?」

「婆さんに作ってもらった薬だ。剣士の切り傷に良く効く」

「本当に?」

「効くんだよ」

 目を丸くしてネジフは力説した。ウイカはそれを膝の上において、ネジフの左肩の布を取る。固まっている血が傷を引っ張り、ネジフが悲鳴を上げる。

「もっと優しくしろよ」

「無理」

 ウイカが笑顔で答える。布を取ってしまうと、ネジフに薬の包みを渡す。

「塗ってくれねえのかよ」

「その臭い嫌い」

「はぁ? ふざけんなよ」

「右手が空いてるんだから使いなよ」

 ネジフはしぶしぶ包みを開いて中に入っている黒い練り物を傷口に塗りたくる。その度に顔が歪み、大きな目から涙がこぼれる。

「いい?」

 ウイカの問いにネジフがうなずくと傷口には布が押し当てられ、きつく縛られる。ネジフは目を見開いたまま地面を見つめて動かない。

「何て顔してるんだよ」

「だって痛えんだもん」


24


 ナサインの両手が黒い円を吸収する。

「なげえな」

 ネジフが大きなあくびをする。ナサインは軽く笑って、シビトを呼ぶ。

「全部補充してくれ」

「無理だ。この階じゃ、そんなに沢山は精製できない」

 ナサインはシビトの背中に手を当てる。その目が赤く光り始めると、ネジフが飛び上がって驚いた。

「目が!」

 その声にウイカとモンテールが顔を上げる。

「どうしたんですか? ゴミでも入ったんですか? 大きな目ですからね」

 モンテールは見開かれたネジフの目を念入りに見る。

「何も入ってませんよ」

「俺じゃねえよ」

 ネジフの視線の先を追っていくモンテールも驚きの声を出す。

「目が!」

 ナサインの右手から生まれた黒い影は波打ちながらシビトの体の中に吸い込まれていく。同時にナサインの目の赤い光も消えていく。

 黙ってみているウイカにナサインが気付く。

「なんだよ」

「魔素を沢山集めたら、またあんな風になるの?」

「あんな風?」

「具合が悪かっただろ」

 ナサインは笑う。シビトがウイカの肩を叩き、ナサインの代わりに応える。

「あれは腹が減ってるようなもんだ。気にするな」

 ナサインは左手に黒い炎を出す。

「行くぞ。寄り道はしないで一気に三階を目指す」

 歩き出したナサインが足を止める。

「青く光るコケを見つけたら拾っておけよ」

「何度も言うけど何で?」

 荷物を持ちながらウイカがたずねる。ネジフが階段の上を覗き見る。

「上がうるせえな」

 ナサインは身構える。

「シミュラか?」

 その声にシビトも反応し、ゆっくりと階段の下に歩んでいく。階段の上に広がる暗闇を見つめながらシビトは言葉を吐く。

「先に行ったんじゃないのか?」

「丸蟲の巣の荒らし方を見るとそう思うんだけどね」

 ナサインは両手を合わせると、力強く腕を外に開いていく。すると、そこに黒く長い棒が生まれた。

「出来れば四階以降で会いたかった」

「私どうしましょうか?」

 モンテールが荷物を抱えてうろうろし始める。それを見てナサインが叫ぶ。

「こんな時に他のが来たら対処できないからな。階段の脇の影にでも隠れてろ!」

「俺も腕が痛いから隠れてていいか?」

 ネジフもモンテールについていく。

「シミュラが相手じゃその方がいい」

「ナサイン!」

「お前も隠れてろ」

 ナサインの顔に緊張感が増す。シビトもそれを感じたのか両拳を握り締める。シビトの体からあふれ出た黒い霧が腕を取り巻くとあっという間に黒光りする手甲に変化する。

「もう少し強化できると嬉しいんだがな」

「贅沢言うな」

 階段の上に明かりが見えた。橙色に揺れる光はたいまつのものだ。それが広がるにつれ人の気配がしてくる。


25


「なんだなんだ?」

「お前らか? 独占をしてたのは?」

「つまんねー真似をしやがって」

「ここを誰の縄張りか知っての所業だろうなぁ」

「兄ちゃんショギョーって何だ?」

「仕業ってことだよ」

「ああ、ぞうか。シワザって?」

「仕業は所業のことだろ」

「ああ、ぞうか」

 怒号と罵声を上げながら坂のような階段を下りてくるのは三人の男たちだった。金属鎧に身を包む彼らはメイスや大斧を肩に担いでやってくる。

「返答次第では、生きて帰さねえぞ」

 一番前を来た髭面で髪を一本にまとめた男はメイスを肩から下ろすと、階段の上でシビトと目線を同じに合わせた。段数で言えば五段の高さの違いがあった。

「独占?」

 ナサインが脇から声を上げると髭面の右横に立っていた赤ら顔が大斧を振り上げて威嚇する。振り乱した長い髪が炎のように揺らめいている。

「してただろうが! 独占だ」

「兄ちゃんドクセンってなんだ」

 赤ら顔の男に尋ねるのは眉毛の無い三つ編みの男だった。男たちは背丈も表情もどこか類似していた。赤ら顔が眉無しに顔を向ける。

「独占って言うのは、独り占めだ」

「ぞうか、独り占めか」

 ナサインが後の二人にかまわずに前の男に話しかける。

「俺たちはここで休んでただけだ。ここにずっといるつもりは無い」

 髭面が大声で笑った。

「あんなに荒らしやがって、しらばっくれるつもりか?」

「あれじゃあ、復旧に三日はかかる」

「兄ちゃん、フッキュウって?」

「復旧は元通りに再生するってことだ」

「ああ、ぞうか。サイセイって?」

「復旧のことだ」

「ああ、ぞうか」

「緊急だったんだ」

 ナサインの言葉に髭面が笑いを止める。

「で、出たのか?」

「何が?」

「大丸蟲だよ」

「普通のより一回りくらい大きいのなら」

「ふうむ」

 髭面は考え込む。赤ら顔が周囲を見回す。

「兄貴」

「なんだ?」

 赤ら顔は階下を顎で指す。髭面はすぐに表情を和らげた。

「なんだよ。悪かったな、俺たちはお前たちに危害を加える気なんて無いんだよ。そんなに身構えるなよ」

「兄ちゃん、キガイって?」

「お前は黙ってろ」

「教えてよぉ」

「危害って言うのは、暴力だ」

「ぞうか、暴力は知ってるよ。兄ちゃんたち得意だもんね。特に相手が後ろを向いたときとか」

 髭面と赤ら顔が眉無しを見る。眉無しは不思議顔でそれを見返す。髭面と赤ら顔の拳が同時に眉無しの腹に命中し、眉無しは階段に座り込む。

「痛いよぉ」

 眉無しは一瞬無言になった。

「鎧着てるから大丈夫だった」

 そう言って頭をかく。髭面が咳払いをして仕切りなおす。

「大丸蟲はまだ出てないんだな?」

「俺たちが見たのは一回り大きい奴だけだ」

「そんなにデカイのか?」

 シビトが口を開く。ナサインがそれをにらむが、シビトは無視した。

「デカイなんてもんじゃないぜ。家だなあれは」

 ナサインはシビトに耳打ちする。

「俺はそんなの知らないぞ」

「何だ?」

 髭面に指を指されてナサインは口を開く。

「そんな丸蟲が出ることなんて知らない」

「レアモンスターだからな。知らなくても当然だ」

「書き換えなんて出来ないはずだぞ」

 ナサインは独り言を呟く。

「兄貴、二年か三年前にも同じようなことが無かったか?」

「なに?」

 髭面は顔を抑えながら考え込む。ナサインが声を上げる。

「おい、大丸蟲っていつからいるんだよ」

「昔からに決まってんだろ」

 赤ら顔が吐き捨てるように言うと、ナサインも腕を組んで考え込む。髭面とナサインのうなり声が不愉快なハーモニーになって辺りに響いていく。

「や、こいつは俺の勘違いだったようだ」

 髭面が急に笑顔を作った。

「戻るぞ」

 そう言うと赤ら顔と眉無しの肩を叩いて坂のような階段を上っていく。

「待て」

 ナサインは男たちを呼び止める。止まらない男たちになおも声をかける。

「おい」

「大丸蟲なんかいねえよ。冗談だー」

 声は立ち止まっていないことを教えてくれる。

「え? いないの? 俺見たことあるよ」

「お前は黙ってろ。俺たちが独占出来なくなるだろうが」

「え? ドクセンっていけないんじゃなかったの?」

「俺たちはいいんだよ」

 声はやがて聞こえなくなった。

「ミクモの野郎、嘘ばっかりじゃねえか」


26


 足元のコケが足場を悪くする。岩の上に乗っているだけのものもあり、足を取られて転がることもある。地底湖のようなものが右手に広がり、その奥にはあばら屋が見える。かがり火のような光がそれを照らしていた。

「あれが半魚人たちの家さ」

 モンテールは前を進むウイカの荷物を掴む。

「気付かれませんか?」

「気付かれてるさ」

 ナサインは冷ややかに笑った。モンテールはその声を聞いてナサインを振り返る。荷物が引かれてウイカが体勢を崩しそうになる。ウイカはモンテールの手から荷物を引き剥がし、シビトのそばにかけていく。

「人間だとは思われていないだろうから、襲われることはほとんど無いさ」

 そのナサインの言葉にモンテールはほっと小さく息を吐き出した。

 前を歩くシビトは時々立ち止まり青く光るコケをむしってはネジフとウイカに渡すのだった。

「これ美味しくなさそうだな」

 ネジフは溜まっていくコケを見ながら文句を言った。

「そろそろか」

 シビトが立ち止まる。ウイカがその背に顔を詰まらせる。

「何が?」

 シビトは唇に指を当てると水辺に耳を向ける。皆同じように静かに耳を澄ます。

 静けさの中に蛙の鳴き声が聞こえた。

「モンテール」

 ナサインはモンテールを呼ぶと背中の地図を眺め見る。

「私、微妙な立ち位置なんですが」

「役に立ってるよ」

「そうですか?」

「ああ」

 モンテールはナサインの言葉に胸を張った。だが、ナサインは強い口調でモンテールの肩を押す。

「かがんで」

 その勢いにモンテールは急速にしぼんでいった。

「この先は半魚人よりも蛙の方が厄介だ。水の中に落ちたら、もう助からないと思ってくれ。それに連中は無音で忍び寄ってくる。背中からは毒を出す。触るな。触ってしまったら青いコケをそこに押し付けるように塗りこんでくれ。少しはマシになる……」

 シビトはナサインは突き飛ばす。その瞬間、そのシビトの腕にピンク色の粘着質のロープが巻きついた。

「来たぞ。水の中に引き込まれるなよ!」

 ナサインは湿った地面に身体を押し付けるように寝転がると、闇の中に目を凝らす。

「おじさんが」

 走り出そうとしたウイカの脚をナサインは掬い上げる。一瞬遅くウイカの頭があった場所をピンク色のロープが通過する。

「地面に転がって動くな! 連中は目が悪い。動かなければ、運が悪くない限り大丈夫だ」

 ウイカは叫ぶナサインに顔を近づける。

「おじさんが」

 目で合図をするとナサインもシビトを見つける。腕にピンクのロープを巻きつけながら、シビトは腰半分まで水に浸かっている。

「シビトは死なないから安心しろ」

 ナサインはゆっくりと仰向けになると、胸の前で両手を合わせる。少しずつ両手を左右に開いていくと黒い弓が現れる。

「どうするつもり?」

 ウイカがナサインに声をかける。

「蛙の舌をたどって撃ち殺す」

「蛙の舌?」

 ウイカはシビトから伸びるピンクのロープの行く先を闇の中から見つけることが出来た。

「何アレ」

 ナサインはゆっくり起き上がると、片膝をついて弓の弦を引き始める。

「ちょっと、矢は? ふざけてないで、おじさんを助けないと」

 ウイカの言葉に答えずにナサインは弦を引ききる。するとナサインの吐いた息が黒い矢に変わっていく。

「撃ったらすぐ地面に転がれ」

 ウイカが聞き返すまもなく放たれた矢は、シビトを縛る舌の先にある物体に命中する。ナサインはそれを確認することも無くウイカを抱えるように地面に転がった。さっきまでいたところにピンクの舌が数本交差する。

 激しい水音がして顔を上げると、シビトが巨大な蛙と格闘しているのが見えた。

「うわぁ!」

 モンテールの叫び声だ。ナサインが振り返るとモンテールの身体を蛙の舌が拘束していた。

 ナサインは身体を起こし、闇に目を凝らす。モンテールに伸びた舌の持ち主を探す。

「ひぃ!」

 闇の中に白い影が走りすぐに見えなくなった。

「モンテール!」

 ナサインは闇の中に叫んだ。脚を叩き歯を食いしばる。

「モンテール……」

「はい」

 側から聞こえた声にナサインは顔を向ける。裸のモンテールが水で濡れた地面の上でかすかに震えながら手を振っていた。

「そこから動くな!」

 ナサインは笑顔になると立ち上がって黒い弓を投げ捨てた。そして、胸の前で両手を合わせる。その脚を蛙の舌が強かに打ち巻きついた。ナサインは顔を歪ませたが、地面に脚を踏みとどまらせる。その首にも舌が巻きつく。それさえも無視してナサインは両手を広げた。そこから現れるのは一振りの長剣だった。ナサインの身の丈を優に超えるほどの長さだった。次々に飛んでくる舌で左手も右手も縛り付けられ、長剣はナサインの前で浮かんでいる。

「ナサイン!」

 ウイカが立ち上がろうとするのをネジフが止める。ナサインは首を振った。その目が赤く光ると、長剣は切っ先をナサインに向けてすさまじいほどの速度で深々と突き刺さる。

「ぐあああああああ」

 口から吹き出る黒い血が、蛙たちの舌に降り注ぎ黒く染める。ナサインの姿さえも黒い塊に変えてしまう。

 蛙たちが自らの舌を迎えにナサインの元へとよたよた巨体を振りながらやってくる。

「ナサイン」

 ウイカはネジフとモンテールによってその場から離される。蛙たちは黒い塊の中にある自分の舌を取り出そうともがくが、黒い塊はびくともしなかった。

「おじさん! ナサインが」

 シビトを見るウイカの肩をナサインが叩く。

「俺がなんだって?」


27


「地下三階」

 地面はしっかりと乾いていた。静かに歩かないと土埃が上がるほどだった。壁は岩だったが、驚くほど広いスペースにここが迷宮の中だと言うことを忘れさせる。

「夜なのか?」

 ネジフが上を見上げる。星こそ無いが光の届かない天空の闇はどこまでもつながっていそうなほどだった。

「ここをまっすぐに進んでいけばいよいよ地下四階だ。すんなり行くのもいいが、ここは他の階とは少し意味が違う」

 ナサインの説明にネジフは首をかしげる。

「外なのか?」

「そうじゃない。ここの階は食料の補給が出来るってことさ。とは言っても野草くらいしか無いけどな」

「何でだよ?」

「迷宮の主だったミクモと言う魔法使いにはいくつかの軍勢があった。大きく分けると魔物と人間。人間を迷宮の中で養うには食料が必要だった。ミクモは地下に地上のようなものを作って農作業なんかをさせて強力な軍隊を養っていたってことさ」

「じゃあ、今もその軍勢が?」

 ナサインは首を横に振る。

「いないだろうな。ミクモが死んだ時にほとんどの連中が逃げ出すか死ぬかしたらしいからね。農民もいない。ひょっとしたら野生化した家畜がいるかもな。ただ、この階は無人になってそのままさ」

「何故ですか?」

「主が死んでも、主が変わっても、すでに作られた階層は変えることが出来ない」

「ナサイン殿は、良くご存知なのですね」

 モンテールの感心する様子にナサインは上機嫌だった。

「まあね。さて、そろそろ行くか。最低限の物資補給をして下を目指そう」

 ナサインは一同を見る。ネジフは首をかしげ、モンテールは口を開け閉めするだけ、シビトはまるで興味が無い様子であくびばかりしている。ウイカはふくれた顔を外に向けていた。

「お前、まだ怒ってるのか?」

「怒ってない」

 そのウイカの言葉には明らかな怒気が含まれている。

「あれはああいう術なんだって」

「怒ってません」

 ナサインは軽くため息をつく。それを聞いたウイカの眉が歪む。

「使う前に説明なんか出来るわけないだろ」

「そうね。こんなに説明大好きなのにね」

「手の内は全部明かさないのが生き残るための手段なんだよ」

 ウイカはナサインに顔を向ける。

「じゃあ、一人で行けば? 一人ならずっと生き残っていられるんでしょ?」

「あのなぁ」

「あなたは何かを隠してる。あたしたちは仲間じゃないの?」

 ウイカの言葉にナサインは押し黙る。

「全部話してとは言わないけど、自分が何者かくらいは言うべきよ」

 ナサインは唇を噛んでしばらく考えこんだ。やがて、小さくうなずきながら声を出した。

「わかった。奥の砦に休めるところがある。そこまで行ったら話す。ここじゃ長い話は出来ないからな」


28


 迷宮の中に建つ砦。当たり前のようにその場にあり続ける石の建造物は外壁に大きなヒビこそあれ砦は堅牢そのものだった。

 ネジフが戦斧を構えながら入り口をくぐる。モンテールとウイカがそれに続いた。ナサインはため息をついてそれを追う。

 シビトは後方を振り返り闇の中を見つめた。

「どうした?」

 ナサインの声にシビトは闇を指差す。

「結構な数の人間が来るようだ。どうする? 迎え撃つか?」

 ナサインはシビトの脇から暗黒に目を凝らす。

「冗談。入り口を閉めてさっさと行こう」

「了解」

 シビトとナサインは入り口をくぐる。すると右脇に鎖の巻いてある車輪が見えた。鎖は入り口の上にある穴まで伸びていた。シビトは何の迷いも無くその車輪を左に回転させる。すると鎖がするすると上部に流れ穴の中に吸い込まれていく。同時に入り口には格子状の分厚い金属の戸が下りてくる。

 ナサインは金属の戸が降りきるとそれに両手で触れて黒い粒子を付着させる。黒い粒子は格子に開いた穴を埋めていった。

「ナサイン、どっちに行けばいいの?」

 ウイカが左右に分かれた階段の前で待っている。モンテールは階段に座り、ネジフはすでに右側の階段を上っている。

「どっちも同じだ」

「何してるのよ」

 ナサインの側にウイカが近づいてくる。

「後から何か来るっていうから用心の戸締りだよ」

 ウイカはシビトを見る。

「何か来るの? シミュラって人?」

「違うだろうな」

 シビトは両手を胸の前でこする。

「連中はもっと先にいるはずだ。フフフ」

 甲高いシビトの声が砦の壁に反射する。モンテールが不安そうな顔をする。

「それでは、退路がなくなるのでは?」

「そうじゃない」

 ナサインがそう言うと、ナサインとシビトは同時に笑う。

「俺たちには近道がある。向こうはそれを知らない」

 ウイカは自慢げなナサインの肩を叩くと、右手の階段を駆け上がる。

「さあ、ゆっくり休めるところに案内してよね」

 ナサインはため息をついて、階段に足を乗せる。

「こっちだよこっち。誰か来てるよ! シミュラ様!」

 背中から聞こえた声にナサインは身構えた。


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