はち。「本当ですか? ありがとうございますっ」(チェス)
翌日、父上からもらった調査書を持参して、仕事の合間に読み込む。昨夜も読み込んだが見落としているところもあるかもしれない、と思ってのこと。
(ここにチェスの両親がいたら、たった一枚で見落とすようなことがあるか、と突っ込みが入ったかもしれないが、幸か不幸か誰もそんな突っ込みをする者は居なかった。)
天使はセンヌ子爵家のナチカ嬢という。
殿下の側近として貴族は全て名前を覚えているし、領地を持つ貴族ならばその領地の特産品も頭に入れてあるが、センヌ子爵家は綿の生産地であるが、取り立てて目立つ貴族家ではないことは確か。
センヌ子爵家の隣の領地でも綿は生産されているから、センヌ子爵家だけの特産品でもない。センヌ子爵は堅実な領地経営をしていて、子爵位としてなら可もなく不可もなしの財を持つ。領民たちの意見をよく聞いて尊重することも出来る当主のようだ。
夫人は夫の助けとなれるように家政をきちんと取り仕切り、社交もそれなりにこなしている。センヌ子爵自身が社交を苦手としているので、夫人の方が社交をこなす回数が多いらしい。
ナチカ嬢には歳の離れた双子の弟妹がいて、夫人が自分の仕事に精を出す間は、ナチカ嬢が弟妹の面倒を見ると調査書に書かれていて、やはり天使は家族に対しても天使、と納得した。ナチカ嬢に婚約者は居ないもののそろそろ成人年齢を迎えるにあたり、相手を探し始めたようだ、とも書かれていたが、積極的では無い様子とも書かれていて、天使は奥ゆかしいのだろうか、と想像する。
取り敢えず基本的なことは分かったが、ここから先どうするべきか悩む。
いや、有体に言えば父上からセンヌ子爵家に婚約打診をしてもらうのが一番いいのだろうけれど。我が家以外からの婚約打診があって、そちらの方がいい、とでもいうことになったら立ち直れない。
ハァッ。
仕事中でも関係なく大きなため息をついていた所為だろう。主人である第二王子・ワーデン殿下がどうした、と声をかけてくださった。
理由を打ち明ければ恋煩いか、と笑われた。
「相手は?」
「センヌ子爵家の」
「ああナチカ嬢か」
「殿下まで天使をご存知ですかっ」
「は? 天使?」
そこで詳しく天使との出会いを話せば、殿下は、ああなるほどな、と呟き頷いた。
「それで婚約打診を悩んでいる、だったか? 打診すれば良いだろうに」
「いえ、その、我が家からの打診だけだと他にも狙っている家があるかもしれないので、断られてしまうかもしれない、と思いまして。その、図々しいとは思いますが、王命で婚約してもらう、というわけにはいきませんか」
さすがに昨夜両親からそんなことくらいで王命が出せるわけがない、と叱られ。まぁそうだよな、とは思ったけれど、万が一を考えてワーデン殿下にちょっと言ってみた。断られるとは思うけれど、物凄く低い確率でも、ものは試しと言うから。
「そんなことで王命が出せるはずないだろう。軽々しく使えるものじゃないし、父上だって王命を宣言することの重さを知っている以上、気軽に出すわけがない」
ダメで元々ではあったけれど、案の定ワーデン殿下が呆れたようにスパッと断られた。まぁそうだよね。両親に叱られて、それもそうだと思ったし。ただ前王弟殿下が気にかけていらっしゃるご様子だから、ちょっと期待してみただけなんだ。
「そ、そうですよね」
私があからさまに落ち込んだ様子だからか、ワーデン殿下が少し考える素振りを見せる。
「王命は無理だとは思うが、まぁ父上に口添えくらいは出来るものか尋ねてみる。チェスがそんなに落ち込んで使い物にならないのは、こちらも問題だからな」
ワーデン殿下が慰めるようにそう言ってくれ、この日はそれでこの話は終わった。天使のことばかりではなくきちんと仕事はしなくてはならない。
そういえば父上は社交場に出たのなら情報も集めるように仰ったっけ。天使のことだけじゃなく、色々な情報を集めるのは必要だ。近いうちにどこかの家が開催するだろう夜会にでも行ってみようか。
そんな感じで数日が経過し、海の向こうの国の情報を仕入れるためにもその国と交易の取引がある伯爵家が開催する夜会に出席しようかと思っていたその日の前日のこと。
他の側近たちに少しだけ外に出ているように命じて私と二人だけになってから、殿下が切り出した。
「チェス。婚約の件だが、父上に話をしたら叔父上に連絡する、と仰ってくださってな。大叔父上が王命でもいいかもしれない、というより、寧ろ今まで関係が無かった家同士の婚約に、父上が口添えする方が余計な噂を呼び込みそうだから、王命での婚約の方がいいかもしれない、ということになって。父上がセンヌ子爵家へ婚約するように王命を出した。急だが明日婚約の締結をして、一ヶ月後に結婚だな」
「えっ、本当ですか? ありがとうございますっ。でも早い展開ですね」
殿下の話はとても嬉しかったが、私も驚くほどに早い展開で、ちょっと信じられない。
「私もそう思ったが大叔父上が、彼の国から私の婚約者が来る前に、結婚しておく方が問題が起きないのではないか、と父上に仰ったらしい。父上は叔父上が仰るのなら、と決められたそうだ。だから、チェスもそのつもりでいてほしい」
そんなに早急に物事を進めなくてはならないほどのことなのか、よく分からないままに天使と私の婚約が決まり、一ヶ月後、結婚式を挙げた。
前王弟殿下が早い方が問題が起きないのではないか、と仰ったが、その予想を裏切って結婚までの一ヶ月間で問題が起こるなんて、陛下の前でセンヌ子爵にお会いして婚約締結した時は、全く思ってもみなかった。
お読みいただきまして、ありがとうございました。