なな。「私との婚約を王命で出してもらえませんかね?」(チェス)
天使のことを調べてもらうよう両親に頼んだ私は、両親から自分で調べればいい、と言われたが。
「忙しくて無理です」
自分が一目惚れした相手とはいえ、本当に忙しくて調べる時間が無かった。何しろ殿下の婚約者殿が来るに辺り色々調整することもあるし、海の向こうの国の慣習や食事など、あれこれ調べることもあったからだ。その国の情報を仕入れて精査する時間に取られてしまい、とてもじゃないが天使のことを調べる余裕が無かった。
調べられるのなら調べたかったけどな!
両親が仕方なく基本的な情報を一日で提示してくれた。この時の私も全く違和感に気づいてなかった。
いくら侯爵家とはいえ、他の令嬢だったのなら、一日で、名前やどこの家門の令嬢なのか、年齢や家族構成などの基本情報を提示出来るなんて簡単に調べられないということに。
「えっ、たった一日で名前もどこの家の令嬢かも家族構成も調べていただけたのですか? ありがとうございます、父上!」
「何を言っている、チェス。彼女のことなら社交場に出れば、直ぐに情報が入るだろう」
「はっ? 父上は天使のことをご存知なのですかっ」
「天使……」
私が名前を知ることが出来た、と喜んでいると父上は私のことを訝るように見てくる。まるで知っているような話し方に、いつ、彼女との接点が出来たのか、と首を傾げた。
天使、と私が呼んでいることに父上は顳顬を揉みほぐしている。なにか疲れていらっしゃるようだな。当主の仕事は兄上に譲られたのに、兄上の補佐が忙しいのだろうか。
「父上、だいぶお疲れのご様子ですが、兄上の当主補佐がお忙しいのですか。どうかお身体を労ってくださいね。ところで、なぜ父上が天使のことをご存知なのでしょうか。もしや天使のご家族と面識が?」
「無い」
父上を労っているというのに、なぜか、何を言っているんだお前は、と聞こえてきそうな視線を私に向けながら、天使のご家族との面識は無い、と一言で会話をぶった切った。
どことなく父上からとても冷たい視線を浴びているような気がして、首を傾げ理由を考えた。
「無いのにご存知とは……。はっ、もしや、天使がとても優しいことは社交場でも有名なのでしょうか」
父上の耳にすら入るほどの天使ぶりか、と意気込むと益々父上から冷たい視線を向けられているような気がしてならないが、その理由が思い浮かばない。
「はーっ。お前、彼女のことを見ているようで見ていないのか?」
父上のよく分からない質問に、ちょっと憤る。
「見ているようで見ていないって、私が天使に会ったのは、昨夜の一度きりですっ。父上も話を聞いてくださったのだからお分かりでしょう」
よく会っているような口振りをしないでもらいたいものだ。そんなに頻繁に会っていたとしたら、もっと前から天使の良さに気づいていたし、名前だって分かっていたのに。
「あー、分かった。お前、社交場に出ているだけで社交をしていなかったんだな。だから知らないわけだ。ただ社交場に出ていくだけじゃなく情報を集めろ。王子殿下の側近という立場でも情報は必須だし、そういうのも能力の一つだろう」
父上にちょっと反抗的に口にしたら、父上は物凄く大きなため息と共に、そんなことを仰る。そして私が社交場に出ても社交をしていないことをなぜか見抜いた。なんでこの会話でそこまで見抜けるんだろう。
ちょっと父上の思考が分からない。
「まぁ情報が武器になることは知っていますが……。ですから第二王子殿下の婚約者殿のことを知るべく隣国の情報を色々仕入れ、調べ、精査してますが」
「そこまで出来るのになぜ彼女のことを知らんのだ」
また父上がため息をついた。なんだというのか。
「そんなに天使は社交界では有名なのでしょうか」
「まぁ有名だな。かの前王弟殿下が気にかけておられるくらいだし」
よく分からないので、恐る恐る父上に尋ねる。天使が天使だということがそんなにも有名なのか、と。
父上の返事は前王弟殿下が気にかけている、というもので。えっ、天使のことを王族さえも知っているというのか、と驚く。それほどに天使は有名なのか。
「前王弟殿下はなぜ天使を気にかけていらっしゃるのですか。天使と面識があるのですか」
父上は私の問いに、本当にコイツは何を言っているのだ、という顔で私を見てまたため息をつく。
「そこまでは知らんが、気にかけていることは高位貴族なら皆が知っているな」
「ということは、天使は前王弟殿下にも知られているほど優しい天使なのですねっ。王族の方が天使をご存知ということは、いつ誰に狙われるか分からない。はっ、もしや、もう既に婚約者が?」
「いないことは調査書に書いてある」
「本当ですか」
「見ればいいだろう」
調査書は私の手元にあるけれど、父上が婚約者は居ないと仰るので、勢い込んで尋ねる。父上は疲れたように調査書を見ろ、と言われた。
基本的な情報が記されている調査書は一枚。その備考欄に婚約者無し、の文字が。調査書そのものは、サンドリン侯爵家の執事長の字で、備考欄には婚約者無しの文字があった。
「あ、本当ですね」
執事長が書いている時点で嘘は無いか父上も確認している、ということだろう。
「私たち親を頼ったのだから、調査書を確認してから発言くらいしろ」
どうやら調査書を見ずに婚約者が居るのでは、と焦った私に疲れたご様子。確かに目を通してから尋ねるべきだった。反省する。
それにしても、子爵家の令嬢で、取り立てて目立つ何かがあるように思えない調査書だが、それでなぜ天使は前王弟殿下に目を掛けられているのか。やはりそれだけ誰にでも優しいと評判なのだろうか。
「今は婚約者が居なくても、天使なのだから直ぐにでも婚約者が出来そうだ。そうだ、父上」
私は、ハッと良いことを思いついたように呼びかけたが、父上は無言で私を見る。反応が薄いな。
「父上、婚約者が直ぐに出来ると困るので、前王弟殿下がお気にかかるほどの天使ぶりなのであれば、王族の覚えめでたい、と考えて宜しいですよね?」
私の確認に、なにか思うところがあるのか、渋々同意する父上。
「私との婚約を王命で出してもらえませんかね?」
「何を愚かなことを言っている! そんな王命など出してもらいたい、など烏滸がましくて言えるわけがないだろう! 大体、そんな国の一大事でも無いことに王命など陛下が出されるわけが無いだろう!」
私は真剣に考えているというのに、父上が大声で叱ってきた。なんでですか。一大事ですよ、私の。唇を尖らせる私。
そのとき、父上の執務室に入室してきた母上から事情を問われ、父上が私との会話の応酬を聞かせると、氷のように冷たい視線を母上までも私に向けてきた。
「調査書を渡すだけなのに、あなたが旦那様の執務室に入室してから随分と時間がかかっていたからどうしたのか、と思い入って来ましたが……。チェス、あなたは殿下の側近も務められるほどに聡明とか世間で言われていますし、親ながらに聡明な息子だと思っていましたが、実はポンコツだったのですね。なぜ、我が家からの婚約の打診ではなく、王命などと一足飛びに思考がぶっ飛んだのですか」
笑顔なのに、圧が強い母上。
いや、だって、我が家からの打診じゃあ、天使を他家に取られてしまうかもしれないじゃないですか。それよりも王命なら誰も邪魔しないと思うんですが。
その私の内心を読み取ったのかどうか、母上までもそんなことで王命なんて陛下が出すわけが無いですからね、と釘を刺してきた。
私と天使の婚約をそんなこと、なんて一蹴しなくてもいいじゃないですか。
お読みいただきまして、ありがとうございました。