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Paul Desmond
Summertime
を 聴きながら
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……投稿するものを完結するか完結しないか、極端に言えば、続けるか続けないか、について、全ての選択肢を基準を握っているのは、……趣味で行っている限りは、創作者が握っている。……私は、……自らの作品を子供と表現することを……実は、嫌がっていて苦手だが、……そういった表現をされる創作者の方も多いように感覚的には思う。
私は、子供というそれを創作物と重ねたくない理由の一つに、……私自身が、創作物をよく殺そうとしてしまう(削除してしまう)ことが起こりやすいからだ。精神状態によっては、簡単にデリートするくらいに時には軽いものになってしまう、それが、私の私自身が生み出したものに対する評価であり、仕打ちであって、……それを子供と置き換えられる程、私の精神は太くはない。……いつでも消せると思うからこそ生み出せるものも存在し、それらの心の状態そのものは微妙なベクトルの上に成り立っているデリケートなもので、……簡単に安定を崩す。形を保てないことそのものは、その精神世界に置いて致命的である。ストックできなくなってしまう程、(壊れて)(崩れてしまったのであれば)それは創作者にとって、ストックする必要性のないものとなり、自動的にデリートされてしまう。
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……私が何を言いたいか、それは、
……誰も、その作品を消す一瞬に『後悔するような人間は』『そもそもその作品を殺せない』。
その一点のみだ。……創作物を燃やす、デリートする、抹消する、どのような方法や、媒体、やり方何でも構わないが、そういったことを行う心理として、よく衝動的殺人みたいなアレ。犯人がやってしまった後、それを後悔し、後から良心の呵責によって苦しむ描写は、犯人が普通の感情を持った人間であるなら当たり前の反応だと思うけれど(サイコパスのような、元々、遺伝的素質(良心、共感性の欠如)や環境的要因があるような方ではない普通の方の)
自らが創り出したものを消してしまった後から悔やむことは、あっても、……その一瞬は、その創作物を生み出した創作者が自らの意思で不要なものとして消すことを踏み切っているのに変わりはない。そこには紛れもなく作者本人の意思が介在している。……だから、その作品は、作者にすら愛されなかった創作物ということになってしまうのだろう。……薄々、そこは、削除をしがちな創作者なら解っていることでもある。心の縁で残すことと消すことが常に選択肢として寄り添っているのだから。