①
Paul Desmond
Summertime
を 聴きながら
**
……その人の幸福を他人が……正確に推し量ることなど不可能なように、その方の不幸を他人が推し量ろうとすることも不可能だからこそ、迷いがあった方がよいのか、それともそれは深読みに過ぎないのか、奇妙な境界線がある
……例えば、……これは、極端な例だが、……必ずしも、世間一般に幸福とされている基準を皆が皆、嬉しがって享受したい訳ではない。
……人によっては、……世間一般的には、不幸だと思われる出来事を、喜んで受け入れ享受したい人間も一定数……居るのだろうな、と、私は思う。……正確に統計をとる方法など知らない。……だから、これは妄想のような私のような一個人の想像に過ぎない話だけれど。
……私たちは、……常に心の安定を保ちながら生活をしている。……もし、そういったことを意識もせずに行えている方がいらっしゃるとしたら、……私のような者にしてみれば、そういった方は、ひどく幸福な人間に見えるけれど、その方にとっては、その幸福さにすら気づけてはいない類のそれはそういったものだろう。
……不幸を自らの心の(精神の安定の為に)取り入れたい、自らに取り込みたい人間は、……はたから見れば、喜んで自らの身を傷つけ、不幸の海に潜り込もうとする。……そこに至上の幸福があるとそう信じて疑ってはいないかのように。
……自らを傷つけることは、……心の安定をはかろうとする者にとっては、大事な(自らを癒す為に必要な代替え行為)であり、それら全ての過程含めて、……自らが必要だと思い、行っている。自らの意思のもとに。飽くまでも自らを救う為に。時にはそれは、身体を守ることよりも精神を守ることの方を重視する。脳はそれほど、きっと自分至上主義だ。身体の部位それぞれも全て、生きたがっている筈だが、それを脳は無視出来る。
**
……タイトルにも書いたように、……創作者は自らの創り上げたものをきちんと宝物のように保管できる訳でもない。保管出来る状態と出来ない状態を常に心の縁に持ち合わせているものが創作をするような人間であり、それは宝物でもあり、ストックでもある。……何のストックかと言われれば、私は、即答しよう。……それは、心のストックであり、思考のストックであり、記録と記憶のストックである。
……私は、私のような創作者をモデルとしてこの雑文を書いているから、……私のようなタイプではない創作者のモデルを想像することは出来ない。もし違っていたとしたら、違っているとそう、感想欄で批判して下さって構わない。