7.現在-成長と逃走と闘争
あー、うん。
あの後に屑勇者と朝食女にはあっさりと消し炭にされた。
それからも屑勇者と朝食女と何度か戦闘をしたのだが、結論から言えば、屑勇者と朝食女を経験値にすることは一旦諦めた。
あいつらはやっぱり強過ぎる。
屑勇者にも朝食女にも勝てるイメージが微塵も湧かなかった。
しかも、どうやら朝食女は敵寄せ魔法『デコイ』で俺の所在を追っているらしい。
デコイって多分そういう魔法じゃないだろ、魔法がチートなのか朝食女がチートなのか。
朝食女の家は大樹海を形式上領土に持つ辺境伯で、大陸で一番の魔法使いの一族と称されるほどらしいから、後者かもしれない。
ちなみにデコイによる追跡についてはどうやって俺の所在を掴んだのかを尋ねた際に「冥土の土産に聞かせてやるよ」と屑勇者が悪辣な笑みを浮かべながら自慢げに話したことで判明した。
多少の脚色はあれどもおそらく本当のことを言っているのだろうとは思う。
さらに疑り深い俺は念のため別の場所に隠れるようにしてみたが、やはりほぼ同時刻で発見されたためおそらく真実だろうと判断している。
俺としては少なくとも一度くらいはヒックス君の無念を晴らすために屑勇者と朝食女に一泡吹かせたいところだった。
俺が被ったあいつらの所業に腹が立っていることももちろんあるが。
それに一度でもうまく裏をかいて位階の上昇が高まれば、次に逃げることも更に容易になる。
何よりもやられっぱなしは悔しい。
しかし、どうも現状では万一の勝ち筋も見えない。
このまま挑み続けてもヒックス君ボディを無駄死にさせているだけに思われた。
上手く屑勇者たちを迂回してラファータの下に辿り着ければ良いのだが、今のところどれだけ急いでも先に勇者たちに捕捉されてしまう。
どうもあいつら、俺がラファータたちに近付くと、行動を早めて俺を殺しに来るらしい。
殺意が強過ぎる。
そういうわけで全力で逃げることにした。
いずれ跪いて詫びさせ、命乞いさせてやるから覚えていろよ屑ども。
絶対に聞き入れてやらないが。
本気で大樹海の更に深層に逃げ込んで、『デコイ』が解除されるのを待てば逃げ切れるかもしれない。
俺の貧相な知能では他に有効な手立ても思いつかないため、ひとまずその方針を試してみよう。
逃亡するにせよ流石に武器は必要であると考えて、グレイウルフの群れをさくっと倒した後は、真っ直ぐにカマキリ人間のイクスキューショナの下に向かう。
屑勇者と朝食女には全く太刀打ちできないが、最初の頃と比べると俺もかなり戦闘慣れした。
それに屑勇者との戦闘は毎回業腹ではあるが学ぶことは多い。
俺が竜気を見せれば「相転移も知らねえ雑魚が」と言いながら竜気をまるで電撃のように光らせながら打ち込んできたり、「雑魚の癖に竜気回路と霊気回路を別々に使うとか馬鹿がよ」とか色々と示唆に富んだ情報を披露してくる。
ついでに自慢げに魔法も打ち込んで来るため、魔法についての観察や仮説も出来ている。
そして、既に使えるクリアランスを土台に研究を進めて、ついには小さい火を放つ魔法を使えるようになった。
そして試作魔法を放った際にも「ぎゃははは、それで魔法のつもりかよ! 霊気の扱い方も知らねえのか!? こうすんだよ! 死ね!」と笑いながら俺の使った魔法を基に、威力の上げる様子をわざわざ丁寧に実践して見せてくれた。
「不細工のくせに詠唱破棄して精霊に愛されるわけねえだろうが!」とか笑いながら魔法の詠唱について実践してくれたりもする。
屑勇者との戦闘は腹立たしいが非常に有用な知識と実践を得ることができた。
実践の度にヒックス君が亡くなっているため、やはり屑勇者は許せないが。
ちなみにこうして「冥途の土産だから」と知識と技能をひけらかす屑勇者の技術を盗みつつ、ヒックス君の有用性を色々と示すことで、屑勇者がヒックス君を生かすように気分転換しないかとも試したこともあったが、どうやら望み薄のようだ。
勇者からすればラファータの自分の女にするためには、ヒックス君はとても邪魔らしい。
今回屑勇者から逃走する選択を取ったのには、ひとまず屑勇者から現在可能な限りの技術と情報を入手できたと考えたこともある。
それらを活用しながらイクスキューショナを狩る。
『陽光の精霊よ。愚かで脆弱な私の眼前に立ちはだかる強き魔物の眼を眩ませたまえ。光の導きあれ!』
「『フラッシュ』!」
詠唱して、霊気――竜気の類似エネルギーである――を込めて生成した閃光魔法でイクスキューショナの視力を閉ざす。
そして、隙だらけのイクスキューショナのカマを傷付けないように注意しながら、風属性に相転移した竜気を短剣から二つ飛ばして両腕を切断した。
そのあとすぐさま風属性の竜気を纏って素早く近づいて首を斬り落とす。
うん、やっぱり屑勇者のアドバイスのお陰で、信じられないくらいにヒックス君イン俺は強くなった。
ちなみに魔法の詠唱には古代精霊語と呼ばれる言語を用いるのだが、俺は何故か理解できて自由に話せる。
これが何故か分からずしばらく考えたが、おそらく道化の神が喋っていた言葉がこの古代精霊語だった。
そのため、道化の神が理解できるように俺またはヒックス君に細工をしたのかもしれない。
ちなみに光の精霊はこちらがへりくだって、最後に『光の導きあれ』というフレーズがあると一番力を発揮する。情報源が屑勇者なのはとことん気に入らないが有用な情報には違いない。
しかし、ヒックス君は基本的に天才な気がする。知識の吸収が早く、それを実践するのも異様に円滑である。
者覚えが異様に良くて、しかも名家の生まれで性格も良いというのだから本当に恵まれている。
これが関わりの薄い他人だったら嫉妬しているところだ。いや、ヒックス君ほど善人だと嫉妬している自分に嫌気が差すかもしれない。そもそも誰であれ他人に嫉妬している自分が嫌いな気がする。
まあ、今はそんなことはどうでもいいや。
ヒックス君は、天才である。
そして、天才のヒックス君と比較して、改めて屑勇者パーティの人外ぶりに思い至るわけでもある。
嫌になるねぇ。
さて、逃走計画だが、非常に単純だ。
とにかく大深層に避難する。
そしてデコイの魔法が消えた後に、隙を見てラファータたちに合流する。
そうすれば少なくとも今すぐ屑勇者たちに殺されることはなくなるだろう。
……うん、計画と呼べるほどのものでもないな。
もしも逃走が上手くいって、そしてラファータと無事に合流ができたら、いつまでも殺す気満々の屑勇者たちと一緒にいたくないしラファータを連れて二人で逃げられないだろうか。
しかしラファータは聖女としての使命感があるようだし、そもそもヒックス君ファミリーを助けるのを条件に加わっていることもあるから、やはり説得は難しいだろうか。
責任感がないと見損なわれるかもしれないし、それはヒックス君としても望むところではないか。
過去を何とかヒックス君が苦しまない未来へと変えるために、この17歳ヒックス君の現在で取るべき方策は何だろうか。
まずは屑勇者たちと共に旅しながら実力をつけて存在価値を示すことだろうか。
そして実力も磨いて、さらに過去改変のための実力と情報を得るべきか。
……あれ、そういえば死なないと過去に戻れないのだろうか。
今のところ死ぬ以外で過去に戻ったことはない。
もしかして過去に戻るためには毎回死ななければいけないのだろうか。
想像するだけで精神が摩耗する。
まあ、それを考えるのは後回しでも問題ない。
まずは逃げる。
逃げて、逃げて、逃げまくってやる。
近くの一番高い樹の頂上付近の枝に飛び移って、そこを起点にさらに飛び上がり、霊気を湧出させて詠唱する。
『疾風の精霊よ、一緒に音を置き去りにしてぶっ飛んだ景色を見よう』
「『ハイウインド』!」
疾風の精霊は、フランクに誘う感じで、魔法詠唱が良いようだ。
魔法で体が異様に軽くなる。
それから空中を蹴りながら移動していく。
さらに竜気を風属性に相転移させて体に纏わせて、現時点での最高効率での移動を目指す。
加えて地属性の竜気を纏って硬度を上げた『イクスキューショナのカマ』で目の前に現れた障害となる飛行する魔物等を刈りながら移動した。
『デコイ』につられた愚かな経験値どもに感謝。
そうして空中走行に夢中になった後、再び着地した時には辺りはすっかり暗くなっていた。
全力で移動した結果、俺は大樹海の人跡未踏であろう荒地に辿り着いていた。
霊気も竜気も使い果たして、もう疲労で動けないところまで来た。
勇者たちが追ってこないことを考えると、いい加減デコイが解けたのだと思いたい。
霊気の枯渇でもはや闇の精霊の力を使って隠密魔法を使うこともできないため、気休め程度に物陰に身体を隠す。
眠気に身を任せて目を瞑った。
……過去で眠れば現実に飛ぶが、そういえばこちら側で眠るとどうなるのだろうか。
その疑問に答える間もなく、疲労でもうろうとした俺の意識は溶けていった。
「……あっちで眠ると、こっちで起きるのか」
気付けば過去に戻ってきた俺はそう独り言をもらした。
どうやら、死亡以外だと、睡眠が過去と現在の移動手段となるらしい。
いや、睡眠中にあちらで魔物か勇者にでも殺された可能性は大いにあり得る。
もしそうならば眠らないように注意しなければいけない。
とにかく、もう一度過去で一日を過ごして17歳の現在に戻って確かめたいところだ。
5歳の過去で平穏に一日を終えて、17歳の現在に舞い戻った俺は、いつもとは違って朝日に照らされながら、荒地に立っていた。
いつものグレイウルフの群れの遭遇から始まる森の中ではない。
どうやら俺は12年後の現在でも新たな一日を迎えたらしい。
本来のヒックス君が迎えることがなかった夜明けだ。
この一日は小さい変化かもしれないが、それでも俺にとっては大きな価値のある一日だろう。
「……それにしても、現在でも睡眠で時が進むのか」
おそらくこの仮説は正しいように思われる。
しかしそうなると、これからは下手に気絶したりして、中途半端に瀕死状態になったり死んではいないが生きてもいないような窮地に立たされたりしないように注意しないといけない。
いわゆる『ハマった』状態になりかねないからだ。
進んだのが一日かは分からないが、時が進んだ以上、ラファータもますますヒックス君を心配しているだろう。
注意して竜気で全身の状態を注意深く走査してみたところデコイもようやく消えたようだし、さっさと引き返してラファータたちと合流したいところだ。
大樹海の更なる深層は人間がうろついてよい場所ではないだろう。
大樹海の奥に荒地が存在するなんてヒックス君の記憶に一切ないし、もしかしたら人跡未踏地かと思うと恐ろしいな。
どんなバケモノがいるか分かったものじゃない。
「……ん?」
ふと、遠くで何かが動いているのを見つけた。
『それ』は人間のような輪郭をしているが、それにしては少し巨大な気がする。
竜気で視力を強化すると、『それ』が確かに人間でないことが分かった。
緑色の鎧のような甲殻に覆われた怪物である。
その瞳には高い知性が宿っているように見えたが、同時にこちらを獲物としてしか見ていない無機質な残虐さを帯びていることも見て取れた。
おそらく戦闘は避けられないだろうと、竜気を纏おうとして、自分の目線が不自然に下がっていくのを知覚した。
それはゆっくりと世界が落ちてくるようであった。
地面がゆっくりと近付き、徐に顔を打ち付けた。
視界の片隅に首が無い人間の身体があり、近くには先ほどの緑の巨体があった。
……あのバケモノ、この一瞬であの距離から俺の首を刈り取ったのか。
――まだまだ大樹海の底が知れない。




