77.5.記録者の遠視-嫉妬
2021/04/23:誤字脱字報告をいただいたので修正しました。見つけてくださった方は誤字脱字チェックの天才だと思います。才能のない私に今後もお力を貸していただければ幸いです。
重魔レヴィは、元人間である。
彼がまだ魔物に成り果てる前の少年の頃、自分の生まれ育った村が流行病で全滅した。
家族や近隣の人間が病苦に苛まれる中、小柄ながらも生まれ付き強靭な肉体を持っていた彼だけは病に掛かることはなかった。
幼い少年の心は悲しみに満ちていた。
家族や村人は、時として彼を不気味な存在と扱うこともあったが、それでもそれなりに愛情を受けてきた。
どれだけ悲しみに暮れても腹は減る。
少年は食い扶持を得るため近隣の村へと向かった。
自分たちの村を見捨てた場所で、少年は農奴として働くことになった。
小柄ながらも人間離れした膂力を持つ彼は気味悪がられながらも重宝された。
重宝と言っても、あくまで労働に利用するための家畜と大差ない扱いであり、農奴として粗末な衣食住のみが与えられ、物のように扱われる日々だった。
彼は生きるために必死に働いた。
それ以外に彼は生きる術を知らなかった。
やがてその農村は盗賊の集団に襲われた。
子どもと農作物は奪われて、女は犯されて、男は殺された。
やがて少年も狙われたが、本能的な死への恐怖のままに、数人の盗賊を殴り殺している内に、盗賊の頭にその力を見込まれて、盗賊の手下になった。
それからは盗賊として、複数の村を破壊して、数多くの男を殺し、数多くの女を犯した。
強靭な肉体を持つ彼にとって、他の人間たちはあまりに脆弱で、自分はかつてこの程度の弱い存在に都合よく使われていたのかと、愕然とした。
いつの間にか力試しと憂さ晴らしのために人間と魔物を殺すことが彼の楽しみになっていた。
腹が減っては、魔物を殺して、その肉を調理して食べることを好んだ。
世界は自由で、強さがあれば何でも出来ると、血に塗れながら彼は満たされていた。
いつしか少年は、盗賊団の頭領となっていた。
彼を仲間に引き入れた頭領は少年を恐れて、彼を殺そうとしたが、腹心ごと少年が殴り殺した。
それ以来、少年に逆らう者はいなかった。
残りの盗賊たちを暴力と恐怖で自分の意のままに操る彼は己がこの世界の支配者となったように感じていた。
しかし、その恍惚は唐突に奪われた。
王国騎士団第一師団副団長第三席『賢者』・ヨセフ・スティグリッツ。
王国騎士団第一師団副団長次席『巨人』エターナ・セン。
王国が誇る最高戦力を二つ投入しての盗賊狩りなど、本来は有り得ることではなかった。
魔人族の接近が報告され、その情報が虚偽であると断定され第一師団が帰還途中でなければ出会う事はなかったのだから、彼は不幸といえた。
そうして少年は二人の老兵によって自分の生命以外の全てを喪った。
心と体に深い傷を負って、彼は鬱屈した。
人間と魔物を幾ら殺しても憂鬱は晴れなかった。
かつてはあれだけ楽しかった全ては空疎で彼を苛立たせるだけだった。
少年の頭には磨き上げられた力の美しさが焼き付いて消えなかった。
強力な力は美しく、己の弱さはどこまでも醜かった。
彼は嫉妬した。
世界は不平等である。
強い者は更に強くなることができ、全てを手に入れることができる。
貧しく弱い者は、更に貧しく弱い者から奪うことしかできない。
最も弱い者は奪われるだけである。
世界はその繰り返しで出来ている。
今までは己が全てを手に入れることができる人間であると思っていた。
しかしそれは幻想に過ぎなかった。
己の無力さを痛感して彼は苦悩した。
弱者の魂を喰らって、それでも己の強く美しいものへの嫉妬が止まなかった彼はもっと世界を知ろうと考えた。
この世界がいかに弱者で満ちていて、己が強き存在であるかを再確認するために。
彼の魂に刻まれたあまりに強い存在の美しさの呪いを消し去るために。
そうして、彼は王国の各地の街を吟遊詩人として転々としながら世界を巡った。
しかし彼の嫉妬は日々募っていた。
己よりも無力で脆弱な人間たちは、己よりも遥かに幸福に生きているように思えたからだった。
どうして自分には、強さがあるのに弱者の彼らよりも幸福になれないのか。
どうして自分がこれだけ自分の弱さに苦しんでいるのに、自分よりも無力な存在が幸せそうにしているのか。
彼はその力で、弱者の幸福を壊すことに執心した。
弱者の幸福が如何に表面的で脆いかを明らかにすることは彼の心を少しだけ癒した。
その仄暗い快感は癒し以上に彼の心を深く蝕んでいることを自覚しないままに。
そうした日々を過ごす内に少年から青年へと成長しつつあった彼は、とある男に出会った。
聖人に指定される以前の、聖職者となったニースンク・アローである。
施しと死者の安息を祈るために旅をしていたアローとの邂逅がその後の青年の人生を大きく変えることになった。
アローと同じ街に滞在した青年は初め、アローのことを噂に聞いて、彼を偽善者と唾棄していた。
青年にとってこの世界は奪うか、奪われるかである。
強い者が全てを手に入れて、弱い者は奪われて強き者の糧になるために存在しているのだ。
そうした価値観の中で、弱者の為に滅私奉公をするアローの姿は欺瞞にしか見えなかった。
表面的な善行の裏側では利己心と権益があるのだろうと決めつけて、青年はアローにそれ程関心を持たないまま、吟遊詩人として過ごしていた。
重大な転機を迎えたのはアローが滞在していた街を離れる時であった。
街の人々はその奇特な聖職者に感謝を覚えて、また大貴族である彼の覚えが良くなるようにと打算もあって大々的に彼を見送ろうと集まっていた。
そこでとある少年が、大衆の中から彼の前に出た。
その顔は唇が裂けていて、更に顔の骨が変形していた。
大衆は少年の外見の醜さに顔をしかめていた。
青年も醜い少年だなと、睨め付けた。
「あいがお! あいがお! あおーさま!」
少年は舌足らずで、滑舌が悪い発生でアローに礼を言った。
おそらく舌か口蓋にも異常があるようだった。
アローは穏やかな微笑みで少年に応えた。
「おく、うた、うたうね! あおーさまに、うたしかあげあえないかあ!」
少年はそう言って歌い始めた。
それは音階が外れた宗教歌で、それを少年が衆人環視の中で堂々と歌う様はあまりに滑稽であった。
見物人たちは、顔をしかめたり、苦笑したりしていた。
青年もあまりに聞くに耐えず、歌う少年をこの後にでも握り潰そうかと掌を握って開いてを繰り返していた。
「どうして笑うのですか。彼の歌は上手ですよ?」
しかし、アローは嗜めるような強い視線を周囲に送った。
一瞬にして場は緊迫した。
張り詰めた静寂の中で少年の調子外れの歌だけが響いていた。
少年が歌い終わるとアローは少年の側に歩み寄り、片膝を付いた。
「ありがとう。イール。私は君の」
そう呟くアローの顔は真剣で嘘偽りは無かった。
「あいがお!」
「美しい君には幸福と安息が待っているでしょう。私が保証します」
「うん!」
青年は、その光景に衝撃を受けた。
醜い少年の歌は、善意という名の押し付けがましい行為である。
アローの言葉は、その場しのぎの虚言である。
その場を離れながら、何度も何度もそう頭の中で繰り返していた。
なんてくだらない茶番だ。
しかし青年の眼からは涙が止まらなかった。
少年は醜かったし、聞くに堪えない歌だった。
それは確かだ。
しかしアローが本気で彼を美しいと言った時に、確かに醜い少年は美しくなり、その歌は素晴らしく上手いものになったのだ。
幾ら頭で否定しても、それを心で否定することはできなかった。
――一方の自分はどうだ?
最初から美しいものすら破壊することしか出来ない自分はどうなのだ?
一晩中、頭と胸をかきむしり、枕を涙で濡らし、嗚咽を漏らした後に、青年はアローを追いかけて顔を合わせた。
アローを殺さなければいけないと彼は心の底から考えていた。
力の強さだけが美しいことを示さなければいけないと考えた。
しかし、青年はアローに完膚なきまでに敗北した。
アローは全てを持っていた。
己を不可解な魔法で叩き潰すアローは美しかった。
彼は強くて美しいし、弱く醜い者すら美しくしてしまう。
――どうして、俺は彼ではないのだろう?
どうして、俺は家族も故郷も喪い、虐げられ、誰かから何かを奪うことしかできないのだろう。
彼のように美しく生きたかった。
アローは、倒れ伏した青年に手を差し伸べた。
「私は君のような人間を救う為にこの世に生を受けたのですよ」
その日、青年は聖令教に入信し、二度と消えぬ嫉妬を抱えて生きることになった。
やがて聖人指定され、また重魔スペルビアとなったアローからの手解きで青年は魔物になった。
「貴方まで堕ちる必要はなかったのに。魔物は救われませんよ」
聖人アローの——重魔スペルビアのその言葉が心地良かった。
彼は重魔スペルビアに救われるだけの存在であることに強い劣等感を抱いていた。
しかし、今の彼は重魔スペルビアと同じ立ち位置にいるのだと、魔物になったことを誇りにすら思っていた。
重魔スペルビアの主導する、一見は彼の理想と矛盾したような非人道的な行いも、嬉々として実行した。
重魔レヴィの中の嫉妬は、そのまま重魔スペルビアへの忠誠心となっていた。
己に無い全てを持つ、人類の幸福を願い、非人道的な振る舞いをする、聖人の魔物は、重魔レヴィにとって生きる意味となっていた。
彼のために全てを捧げることだけが、自分の存在することに意味を与えると思えたからだ。
己の全てを捧げることで彼は表面的に嫉妬から逃れることが出来た。
その他律的な生き方はより根深い嫉妬を引き起こす自覚もないままに。
正直に言えば重魔レヴィは、重魔スペルビアの理想には一切共感が出来なかった。
それでも重魔スペルビアのために、そして重魔スペルビアに特別であると思われたい己のために、彼は今日も生きるのである。




