66.過去‐精霊の口づけ
「わ、わ!? お兄ちゃん! 見て! ミドリの鳥さんがかたに止まった!」
タウンゼント卿とアセモグル少年と別れて、ミア鳥と地上のヒックス邸戻ったところで、シーフィアを見つけたミア鳥が颯爽と飛んでいった。
『シーちゃん! ミアね、ミアっていうの!』
「なき声? なんかしゃべってるみたい?」
『うー、代理人くん! ミアの言葉伝わってない!』
『ミアおねーさまはヤルゴン語は話せない?』
『ヤルゴン語? 何それ?』
『王国の人間が使う言語なんだけど』
『しらなーい。ミアね、他の言葉は分かんないよ?』
テトラくんちゃんやペンテお嬢様はいつの間にかヤルゴン語を覚えていたし、ヘプたん様も流暢に話していたが、全ての精霊が語学に堪能というわけではないか。
逆にミア鳥は俺が自動翻訳機となるから、ヤルゴン語は理解できる。
流石に俺とミア鳥の距離があまりに離れると機能しないようだが。
『んー、でもお歌を歌えば友だちになれるよね!』
そう言って、ミア鳥が歌い始めた。
毎回違う旋律で歌っていて、中々引き出しが多い。
「わー、おうた、上手だね」
シーフィアが歌い終わったミア鳥に拍手をした。
ミア鳥は嬉しそうに頭をシーフィアの頬に擦り寄せると、シーフィアもくすぐったそうに笑った。
「シーフィア、その子はミアっていうんだ。仲良くしてあげてくれ」
「うん。ミアちゃん! よろしく!」
『シーちゃん、よろしく!』
言葉は通じなくても気持ちは通じ合っているようだ。
朝食後に、クロード爺さんに呼び出されて、彼の部屋に向かった。
ミア鳥はシーフィアと一緒に庭に遊びに行ったし、テトラくんちゃんとペンテお嬢様、ヘプたん様はやはり地下帝国にいるようだ。
ハーフィンダール姉妹はアルテナが「話がある」と二人で部屋にいる。
「ジョーリ、来たか」
クロード爺さんは、背筋はぴんと伸びていて、この世界の同世代よりもずっと若々しい。
というか、歳を取るたびに元気になっているような気がする。
ヒックス君の記憶でももう少し老けていたような気がしたが。
「以前から話していた件だが、ミダス村に行く日取りや段取りが決まったよ」
「ああ、その件ですか」
農村に市場調査に行く話は以前もされていた。
ミダス村は新しく開墾途中の村らしく、オイコノ子爵領隣に位置するシュタッケルベルク領でも開拓が遅れている僻地だそうだ。
シュタッケルベルク領は小規模な領地だと聞く。
確か、アルテナやハーベルと同世代くらいの領主の娘が、冒険者として有名なんだったか。
領主の娘が冒険者って控えめに考えてもおかしいよな。
相当に貧しいか、変わった家なのか、領主の娘が変わり者なのか、はたまたその全てか、どれでもないのか。
日取りと行程を一通り打ち合わせたところで、クロード爺さんは俺に問いかけた。
「ジョーリ、私が何のために商売をして来たか分かるかい?」
クロード爺さんの唐突な問いにしばらく黙考する。
「……売り手良し、買い手良し、世間良し、の三方良しため?」
ヒックス家ならば近江商人とかESG経営とかと同じようなコンセプトだろうか。
クロード爺さんは噴き出した。
「それは大変よろしいね。エミールよりもやはりジョーリが当主になるべきかの?」
「跡目争いは望むところではないです。いや、本当に」
長兄も大概だが、ヒックス君に商売は向いてないと思う。
聖令教にでも入信して、社会奉仕している方がよっぽど向いている。
「残念だが、私はそれほど出来た商売人ではなかったさ。家族を養う、雇い人たちを養う。縁故で顧客を得て事業を大きくして、雇い人を増やす。基本はそれに終始していた」
「それで実際にヒックス家の商家としての地位は揺るがないものになったのだから、凄いことだと思います」
実際にクロード爺さんの代でヒックス家はますます発展したのだ。
中興の祖と言っても良いだろう。
「私は、私はね、ジョーリ。本当は孫にこんなことを言うのは憚られるんだがね」
クロード爺さんは苦笑しながら、口の中に言葉を溜めるように少し沈黙し、やがて口を開いた。
「ステラに、私の愛する妻に、誇らしく思って欲しかっただけなんだ」
ヒックス君の祖母か。
確か文官貴族の生まれで、生まれつき病弱だったか。
「今もそうだが、ヒックス家は裕福な平民に過ぎない。しかも当時では、ステラの一族がそれほど有力でなく貴族との婚姻など、普通は考えられなかった。ステラの体が弱く、女としての価値が低いと思われていなければね」
こんな時代だし、やはり女性の価値は子どもを残すことに重きが置かれている。
そうすると、ヒックス君の祖母はそういう扱いになるか。
「私がステラと結婚できたのはあまりに私が幸運に恵まれていたからだよ。あらゆる縁が巡ったからだ。一風変わった事情で義理の父に気に入って貰えていたこともある」
クロード爺さんは故人を懐かしむようにしばし目を細めた。
それから、再び話し始めた。
その口ぶりは幾分か若返っているように感じた。当時の青年時代に戻ったかのように。
「話がずれた。とにかくステラはヒックス家には到底不釣り合いな貴い女性だったんだ。それでも彼女が嫁いでくれるならば、私はヒックス商会を揺るがぬ大商会にしようと考えた。彼女がヒックス家であることを誇りに思えるように」
「誇りに思っていたと思います」
「確かに規模は大きくなったのう。少し膨らませ過ぎてアレハンドロには苦労をかけている気もするが」
「大きさもですが、何よりも、貴方にそれほど深く愛されたことを誇りに思っていたと思います。そして、幸せだったと思います」
「……ふふ、青い坊主が言うようになったのう」
クロード爺さんは俺の目を見つめて微笑んだ。
クロード爺さんは、本当の俺の祖父ではないけど、それでも俺は彼を尊敬しているし、家族のように思っている。
だからこそ、自分の正体や、本当のヒックス君のことについて話したくなる時が来るが、それは俺のエゴの押し付けだ。
俺は自分が消えてしまう時まで自分の代理人であることを墓場まで持っていく。
代理人である俺に墓なんてものはないだろうが。
「何故、こんな話をしたかといえば、お前は私以上にその手に持てるモノが多いと思ったからだ。愛する人を幸せにできるだろう、ヒックス家をより豊かにできるだろう、それだけでなく、関わる人間を様々な手段で不幸から救い出せるだろう」
目利きに優れたクロード爺さんにそう言って貰えるとお墨付きを貰えたようで自信が出るな。
それでも、身内の欲目が多分に入っているようと言わざるを得ないが。
「そういったことを初めから諦めて欲しくないんだ。滅私奉公や自己犠牲はして欲しくないが、お前には多くの人間を幸せにすることができると私は確信しているよ。そして私たちの家族は、お前が心配するほど弱くはない」
「…………」
「ジョーリ、私は商人として多くの品物、多くの人間を見てきた。クロード・ヒックスの鑑定眼を信じてみてはどうかの?」
そう言って、クロード爺さんは自分の眼を指差し、ウィンクした。
そのお茶目な姿に思わず頬が緩んだ。
ヒックス君ならまだしも、俺はクロード爺さんの言うような人間にはなれないと思う。
それでも、クロード爺さんがそういうならば、もっと考えなければいけないのかもしれない。
部屋に戻れば、ベッドが膨らんでいた。
相手はどうやら背中を見せて丸まっているようだが、細く柔らかそうな茶髪がのぞいているのが見えた。
何となく、初めて出会った時のことを思い出した。
受肉したテトラくんちゃんが、寝返りを打ってこちらに顔を向けた。
じっとこちらの顔を凝視している。
まだ不機嫌なのだろうか。
「……こっち来て腰掛けなよ」
テトラくんちゃんが自分の寝そべるベッドの側をぽんぽんと叩いた。
彼女……彼? ……彼女の頭の側である。
言葉に従って座ったところで、テトラくんちゃんが俺の膝の上に頭をのせた。
「……甘えたい年頃か?」
「うっさいよ」
俺の軽口に軽い口調で返答するあたり、それほど機嫌は悪くなさそうだ。
「ペンテお嬢様は?」
「地下で住民たちに説法してるよ。ペンテは愛の伝道師だからね」
「ペンテお嬢様は元気だな」
「陽光の精霊だからね」
その後もだらだらと会話を交わす。
「いつもこうして代理人君と話しているけど、何だかこうして話すのは新鮮だよね」
「まあ、いつもは俺の中で会話しているからな。実際には声にしてないし」
「この状態だと君の感情もあまり分からないからね。喉から発せられた波が僕の鼓膜を刺激して、それを脳が変換して意味を解釈しているんだ」
まあ、普段は思考を読み取られているという究極のプライバシーの侵害をされているからな。
「こうして少し離れると分かることがあったんだよね」
「ほう? それは?」
「ボクってさ、自分が思っているよりも、ずっと君のことが好きなんだ」
………………。
「ふふ、君って、自分が上手く表情を取り繕っていられると思っているけど、君が思うよりずっと顔に出ているよ」
「……そうか」
「ハーベルが、ヘプたんの提案をすぐに棄却しなかった時に、ボクってすごく腹が立ったんだよね」
「ああ」
確かに不機嫌だった。
「それで何故か分からなかったんだけど、すごく単純な理由だったんだよ。ボクってキミのことが好きなんだなって」
「……嬉しいよ」
誰かに信頼されること、好かれることというのは非常に有り難いことだ。
テトラくんちゃんは俺の膝から起き上がって、俺と向き合うように座った。
彼女の端正な顔が俺のすぐ目の前に広がる。
元が、ミクスゲルの産み出したキマイラが原料とは思えないほどに美しい。
彼女が俺の頬に手を添えた。
「キミが、ヒックス君が本当に戻ってきた時に消えてもいいと思えているならば、ボクがキミの存在しなければいけない意味になってあげるよ。ハーベルじゃなくて、ボクがね」
「…………」
俺は……。
「テトラくんちゃんは、俺の一番の友だちだよ」
「…………」
「俺は、自分のことをこんなに思ってくれる相手がいて、本当に嬉しいよ。これから先、どうなるかなんて分からないけれど、俺は、俺の全力を尽くすよ」
「……そっか」
「あと、一つ勘違いしてるぞ」
「なに?」
「テトラくんちゃんは、既に俺が生きる意味になってる。確認してもらえれば本心だって分かると思うが」
「……確認しなくても分かるよ。さっきも言ったでしょ。キミって思った以上に分かりやすいんだって」
「そうか」
「……はあぁああ! なんか疲れちゃったな。まさかこのボクがフラれるなんて」
「ボノボだもんな」
「はいはい、ボノボですよ」
そう笑い合って、唐突にテトラくんちゃんが俺の頬に顔を寄せた。
頬に触れた柔らかい感触に戸惑う。
「唇は勘弁してあげるけど、ほっぺはボクが貰ってやるもんね」
テトラくんちゃんはいたずらっぽい笑みで舌を出してみせた。
心なしかその頬と耳は赤かった。
後になって、俺の記憶や感情を読み取ったペンテお嬢様たちに冷やかされた。
『愛ですわね! 人間と精霊! そういうのもありますわね! 良い! 良いですわ! ワタクシはアルテナさん推しですけれど!』
『人間にここまで入れ込むとは精霊の恥じゃ! まったく!』
『ねーねー、ヘプたんはなんで何回もテーちゃんと代理人くんのやりとりを見直してるの?』
『や、ややや、やかましいわ!』
『あら! あらあらあら! これは適性がありますわね!? 愛の伝道師に任せるのですわ!』
『あまり茶化さないでよ。あー、流石に恥ずかし』
『ふん、爆発しろ!』
ヘプたん様の言葉通り、6年後の現在で今までにない規模の大爆発を起こした。
爆発直前に周囲を観察したところ、明らかに雪山で、リスタート地点が完全に上書きされていた。
この時は大変ながらも、充実した気持ちを俺は味わっていたんだ。
しかし、運命というものは道化師の戯れで、如何様にも変化してしまうことを俺は忘れていた。
そして、俺は一生涯の後悔をする。




