5.過去-再会であり初対面
グレイウルフの群れをあと一歩で全滅させるところまで追い詰めたのにしくじってしまった。
朝から気分は悪いが、気持ちを切り替えなければいけない。
何故ならば今日はヒックス君にとって特別な日なのだから。
そう、今日はヒックス君の命の恩人であり、彼の片思い相手でもある後の聖女、ラファータと初めて出会った日なのである。
ラファータはこの地方に新しく訪れた薬師の娘だ。
ヒックス君とは幼馴染みであり、彼とは妹も交えて一緒によく遊ぶ仲だった。
ヒックス君の記憶の中のラファータは物静かで、少し気が弱そうな少女である。
しかし今から7年後の12歳の頃、とある一件でラファータには負傷や病気を癒す力があることが周囲に知れ渡った。
それ以降はそれを聞きつけた教会に引き取られて聖女として扱われるようになる。
ちなみに知れ渡るきっかけにはヒックス君が大いに関わっている。
非常に珍しい事態ではあるが、街中に魔物が現れてヒックス君が大怪我を負ったのを衆目の前で癒したのである。
その時が、ヒックス君がラファータに特別な力があることを知った最初であったし、長い間彼女が片思いをする原因でもあるのだ。
それは罪悪感であり恋心でもある。
ヒックス君は苦い恋を味わった男なのである。
青春していて何よりだ。
もしもラファータが聖女として周知されなければ、勇者に見初められることもないかもしれない。
しかしヒックス君の記憶によればヒックス家が咎人の烙印を押された際に、聖女である彼女が庇ってくれたからヒックス家は処刑を免れたようだ。
聖女というのは政治的な発言力が強いらしい。この世界では宗教分離されておらず教会の持つ政治権力は大きいからなおさらである。
ラファータ関連では過去を改変することで12年後の現在に大きな影響を及ぼしかねない。
過去にあまりに大きな影響を及ぼすと12年後にはどうなっているのだろうか……下手したら大樹海到達前に死んでしまって時間跳躍が発動しない可能性もあったりするのか。
何にせよ、下手なことをしないように気を引き締めておこう。
……正直に言って、ラファータとヒックス君のロマンスについては俺はあまり自信がない。
俺には恋愛のわびさびは分からない。人間の心は複雑なものである。
おそらく微分方程式を解いたり、近似解を数値計算で求めたりしているほうがよっぽど単純ではないだろうか。
恋心は飛行機を空に飛ばすよりも難解だ。
12年後のラファータは聖女としての使命に目覚めているようで、恋愛についてはあまり関心がないようだった。まあ、傍目からは勇者に多少は靡いていたような気もするが。
それを考えるとやはりヒックス君のままでも駄目なのだろう。
ヒックス君の代理人としては、一番注意すべきポイントであろう。
どう注意すればよいかとんと分からないが。
昼下がりに使用人に呼ばれて客間に行けば、ラファータパパが家族連れで我が家に挨拶に来たところだった。
元々、ラファータグランパがしばらくヒックス商会で働いていたそうで、彼ら一家はヒックス家に恩があるそうだ。
ラファータパパは親元から独立して別の地に出て薬師として働いていたそうだが、ラファータグランパの体調が芳しくないこともあってオイコノ子爵領に戻ってきたそうだ。
さて、そんなことよりもラファータである。
……美人というのは5歳時点でもその片鱗があるものだな。
17歳になる頃には儚げな雰囲気のある清純な美少女という印象で、その印象は今も子どもながらに感じられる。
亜麻色の髪をした少女は濃い翠色の瞳でヒックス君代理人の俺を見つめている。深い色をしていてまるで海の底を思わせる瞳である。
うーむ、何を考えているか分からないこの瞳が、ヒックス君を惑わすのだろうな。
そうは言っても、記憶の中のヒックス君も「すごく可愛い子だなあ」とは思ったものの、別に一目惚れというわけではなかった。
わりとヒックス君と俺は感性が合うのかもしれない。
「ジョーリ、シーフィアを連れて、ラファータちゃんと遊んできたらどうだ」
ヒックス君パパからの粋な提案である。
パパさん達も積もる話があるのだろう。
ヒックス君パパの言葉に有難く従って、シーフィアとラファータを連れて、客間を出た。
「よろしく、ラファータ。僕はジョーリだよ」
「……うん。それにしても、大きな家だね」
まあ、ヒックス君の家はこの領地でも有数の商家だしな。
「寛いでいってよ。あーラファータは普段どんなことをして遊ぶの」
この世界の少女の遊びってなんだろうか。やはりごっこ遊びだろうか。
「……追いかけっことか木登りとか?」
ラファータ嬢は結構お転婆な女の子のようである。それにしても何故疑問形なのか。
まあ、実際のヒックス君の記憶の中でも外で遊ぶ事は多かったな。
この世界で家の中で遊べる娯楽はない。
それでも日常生活の中の一部を娯楽に変換できるのが子ども心というものなのだろう。
子どもとは生粋の創造家である。まさにホモ・ルーデンスとでもいうべきか。
「ラーちゃんは遠くから来たの?」
ヒックス家の愛らしい末娘であるシーフィアはラファータに興味津々である。
「ら、ラーちゃん? ……うん。遠いところから来たんだ」
シーフィアの問い掛けにラファータは遠い目をした。なんだか5歳にしては神秘的な色気のある雰囲気だった。
聖女ラファータではなく魔性ラファータなのではないだろうか。
ヒックス君はこういうところに徐々に惹かれていったのだろうか。
ヒックス君も男だねぇ。
まあ、子どもに長旅は大変だったろうし、故郷から離れるというのは遠いことに感じるだろう。
そんな郷愁に浸っている彼女を少しでも楽しませるため、ラファータとシーフィアでもできる遊びを行った。
ヒックス君の記憶にある遊びと現代日本の遊びを組み合わせて少女たちの年齢を基に遊びやすく改変したものである。
達磨さんが転んだ、指定した動きを素早くする遊び、影絵だとかで、この世界にも類似した遊びはあるのだが。
シーフィアが非常に楽しんでくれたようで何よりだった。愛らしい妹だ。
この少女のことを、不思議なことに俺はなんだか無条件で愛らしく思ってしまう。
「ジョーリ、影絵じょうずだね」
最初はあまり馴染めていなかったラファータもだいぶ打ち解けたようだった。
俺の作った渾身のグレイウルフの影絵を褒めてくれた。
そうだろうそうだろう。
あいつらのことを毎日殺しくなるほど愛しているからな俺は。
やがて使用人が俺たちの下に来て、ラファータパパがそろそろ帰ることを告げた。
「また一緒に遊ぼうよ。シーフィアもラファータと一緒に遊びたいよね?」
「うん! ラーちゃん明日も遊ぼうよ!」
「……うん。私もシーフィアちゃんと、それにジョーリとも遊びたいよ」
ヒックス家の愛すべき妹シーフィアの晴天よりも澄んだ笑顔に、ラファータも微笑み返した。
仲良きことは美しき哉。
「おや、仲良くなったようだね」
ラファータパパはちょうど帰りの支度をしたところのようだった。
「うん」
「お父様! シーはまたラーちゃんと遊びたいです!」
「お父様、僕もぜひラファータちゃんと仲良くしたいです」
ヒックス君のために、ラファータとの仲を深めておかないとな。
毎日とは言わないが、習い事などがない時に積極的にラファータと遊びたいと告げる。
恋愛は正直よく分からないが、好感度を上げるためには、接触回数を増やせば良いと現代日本のシミュレーションゲームは教えてくれた。ついでに心理学でもそういった話があったような気がする。
大切なことは全て現代日本のゲームが教えてくれたよ。
ヒックス君パパは子どもたちのお願いを快諾した。気さくで良い父親である。まあ、シーフィアにあんなに可愛らしくねだられたらそうなる。俺も快諾すると思うし。
逆にラファータパパは少し複雑そうな顔をしていた。
おそらくラファータパパは娘の特別な癒しの力に気付いているのではないだろうか。このくらいの年にはラファータはその力の一端を見せているだろう。
実際にヒックス君がきっかけでラファータは聖女として認知されて、その後は修道院で暮らすことになった。
ヒックス君との関わりが少なくなるのと同時に、ラファータは家族と触れ合う時間も少なくなったのであろう。
しかし、ラファータパパも、俺たちが遊ぶのを少なくとも表面的には喜ぶことにしたようだった。
特別な力があっても同年代の子どもと遊んでほしいというのが親心なのかもしれない。
こうしてラファータとのファーストコンタクトは上々の出来に終わった。
ヒックス君とラファータのハッピーエンドへの道を敷き詰めておこう。
ふと『地獄への道は善意で敷き詰められている』というフレーズがよぎった。
ははは、まさか。