4.現在-代理人VSグレイウルフ
今日も5歳ヒックス君はすやすやと眠りに着き、俺は17歳ヒックス君となって12年後の大樹海の森に立つ。
そして、いつものように若いグレイウルフと対峙する。
若いグレイウルフは予め剣を握らないでいた方が油断して襲い掛かってくる。
そのため腰の剣は意識しながらも余計な動作をとって警戒させないように努めている。
こうすることでこの若いグレイウルフは毎回確実にヒックス君の経験値になってくれる。
今回もそうなる心算だった。
しかし、今日の若いグレイウルフの行動はいつもと違った。
警戒した顔付きで最初から吠えて仲間を呼び出したのである。
「ええ、なんで……」
今までにない行動に困惑するが、若いグレイウルフは油断なくこちらを見据えたままである。
「……位階の上昇のせいか?」
ある程度レベルが上がったことで、若いグレイウルフは俺が簡単には倒せない相手と判断するようになったのかもしれない。
どうやら今までのボーナスタイムは終わりのようだ。
俺は急いでグレイウルフから距離を取り、昨日の死に戻るまでの探索で見つけた断崖となっている地形に移動した。
これで最低でも後ろ180度からは攻撃されない。
上手くグレイウルフを崖から落とせたらトドメも楽に刺せる。
もちろん俺自身も落下のリスクを伴うが、それでも俺が今とれる最善手だと考えられる。
そして、お馴染みのグレイウルフの群れが俺の前に現れた。
何回もヒックス君の身体を切り裂き、噛み殺したくそったれの狼どもである。
若いのも合わせて13匹だ。
お前たちに死ぬまでボコボコにされたおかげで竜気が発現してその扱いも上達したぞ、この野郎。
これまでのヒックス君と俺の痛み、お返ししてやるから覚悟しろ。
グレイウルフたちの動きを精確に捉えるために竜気でまず視力を強化した。
それから、腕と脚の筋力を順番に強化する。
全身を一気に強化すると負担が大きい。
こうして部分ごとに竜気を巡らせている方が負担も少なく消費量も効率的である。
そうして竜気を巡らせ終えると同時に2匹のグレイウルフが突進してきた。
挟み込むように回り込んで来ているが、いつもの四方向から囲まれた場合に比べたら負担は単純に考えて2分の1以下である。
しかも崖の近くで恐怖があるのかグレイウルフの動きも目に見えてぎこちない。
突撃してきた1匹の動きを完璧に捉え、竜気で強化した筋力で、グレイウルフを噛みつかんと開かれた口から裂くように両断した。
その流れのままにもう一匹の噛みつきは回避して、その横腹を蹴り飛ばしてやる。
蹴り飛ばされた個体はかなり長い間、中空を泳いだが、やがて吸い込まれるように急崖に落ちていった。
落下でグレイウルフが死んでも俺の経験値になるのだろうか?
残りの狼たちは怒りに燃えながらも二の足を踏んでいる。
今のところはかなり有利に戦えているが、大きな問題がある。
俺はまだ竜気を長時間では使えないのである。
このまま、膠着すると消耗して、いずれ竜気が切れてしまい、いつもどおりこのくそったれ狼どもに噛み殺されて餌にされるだろう。
……仕方なく、敵を煽ることにした。こいつらはかなり知能が高いため煽りが効くのである。
切り捨てた狼の亡骸を蹴り飛ばして、唾を吐き掛けた。
それから不敵な表情を作って狼たちに笑いかけてやった。
まさに外道の所業である。
戦略とはいえ嫌気が差す。
狼たちは怒り狂い、今度は3匹で突進してきた。
その表情には崖や俺への恐怖はなく、侮辱された仲間の誇りのために戦う高潔な戦士となったのである。
狼のくせに知性も品格もオイコノ領当主や勇者よりもずっとある奴らだ。
同じように斬り捨てようとするが、先ほどまでの狼よりもレベルが高いのか、硬くてあまり剣が通らない。
もう一方からも同時に襲い掛かってきているため、慌てて腕を覆う竜気を高めて、肉体を硬化させる。
竜気の練度が未熟なためか噛みつかれると強い痛みが走るが、そればかりを気にかけていられない。
逆にこちらも毛皮を掴んで無防備な喉元に刃を思いきり突き刺して始末した。
さらに突っ込んできたもう一匹に手元にある死体を投げ捨て、グレイウルフがそれに対応している間に構え直した。
焦りと痛みで乱れた竜気を再調整して、再び迫ってきた狼を斬り捨てる。
今度は竜気で膂力を先ほどよりも強化した。
斬る。斬るッ。斬る……ッ!
無心で襲い掛かってくる狼たちを斬り捨て続けた。
無心のままに狼殺しに没頭し、気付けば残ったのは若い狼と群れのリーダーらしき大きな狼である。
ここまで斬り捨てて同胞が斃れているのに、それでも最後まで襲い掛かってくるとは仲間想いで高潔な狼たちだ。
牙を剥くならば最後の一匹まで狩り尽くしてやるが。
命の応酬で俺のただでさえ未だに少ない竜気はもう間もなく尽きようとしている。
目の前の2匹と戦うためにもう一度竜気を練り直して神経を研ぎ澄ませる。
一番強そうなリーダーが残っているのだから、まだまだ踏ん張らないといけない。
やがてリーダーが突進してきた。
すぐには飛びかからず、地を滑るように接近しながらも俺を出し抜くための機を窺っている。
――何度も死に戻った俺と死ぬのが初めてのお前じゃ、死線の見極めの経験値が違う。
俺は瞬間的に竜気を全身に纏わせて、思い切り前に飛び込んだ。
狼のリーダーはたじろいだが、それでも全力で食いかかった。
一瞬の隙が生死を分けた。
剣が砕けた。
そして、俺の全力の一撃は狼の頭を消し飛ばした。
「はあはあ……うおおおおおおおオオオッッ!!」
群れのリーダーを斬り倒した俺は勝利の雄叫びを上げた。
温和ヒックス君なら絶対にそのような振る舞いはしないだろうが、俺の野蛮な本性が思わず顔を出してしまった。
死に瀕して、頭の中は燃え上がるように熱くなり、命を賭けた戦いの勝利は、息が切れるほどに俺を興奮させた。
位階の上昇も達成して、勝利と成長の高揚感、全能感がヒックス君の体を満たし、俺の心をこの上なく満たした。
血に塗れた歓び。あまりに原始的な歓びである。
最後の若いグレイウルフが、怯えながら雄たけびを上げた俺を睨んでいる。
武器は無くなったが、竜気さえあれば、最初から倒せた若い狼に負けるわけがない。
俺は勝利を確信したまま若い狼に近づこうとして、近くの狼の亡骸に足を引っ掛けて転んだ。
「あ、あれ……?」
慌ててすぐに起きあろうとしても、体に力が全く入らなかった。
先程の群れのリーダーとの対峙で竜気が完全に切れてしまっていたのである。
「や、やべ……」
若いグレイウルフは俺が策を弄してるのを警戒してか油断なく観察していたが、やがて本当に俺が動けないと気付いたのか、憤怒の形相で俺に噛み付いてきた。
「て、てめえ……次は、てめえも殺してやるからな」
あと少しで勝利を掴めたのに、今まで一度も負けたことのない若く未熟な狼によって、俺は再び死に戻ることになった。
無様な負け犬の遠吠えを残しながら。
良くも悪くも大地の精霊が登場してからが本番な気がします