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2.現在-代理人の初の戦闘、初の――


「……森?」 


5歳ヒックス君になって就寝したと思っていたら、今度は大人ヒックス君になって森の中を彷徨っていた。

夢でも見ているのか。

それとも過去にいたというのが夢だったのか。

胡蝶の夢?



「いや、どういうこっちゃ……」


 一日に二度もトリップをして、頭が酷く混乱するが、思考停止しても時間は待ってはくれない。

 まずは周囲の観察をする。

狩猟採集民族は、周囲を観察して情報を得ることを本能的に好むものである。


「あれ?」


 そうして観察をしていると、ここが見覚えのある森の中であることに気付いた。

 そうだ、今立っているこの場所は17歳の善人ヒックス君と道化の神が契約を交わしたところだ。


「……現在に戻ってきたのか?」


 夢かとも思ったが、この現実感はとてもそうとは思えない。


 じゃあ過去に戻っていたのが夢かとも思ったが、それも感覚的に違うと断言できる。

 

 世界は5分前にできたとか、実は俺は水槽に浮かぶ脳だけの存在だと言われても、俺は感覚を重視するため全く耳を傾けないタイプだ。


 ――道化の神がヒックス君に言っていた言葉を思い出す。


『君には強力な力を授けて過去に戻してあげるよ。さらに大判振舞いで現在にも戻って来られる親切設計だ!』


 ……つまりこれは現在に戻ってきたということだろうか。

 俺は過去と現在を行き来できるようになったということか?

 条件は? 再現性は? そもそも本当に事実なのか?


 ……疑問は尽きないが、ここで立ち止まって悠長に考え事をしている場合ではない。

 赤の女王よろしく進み続けることでしか同じ位置にいられないような状況だ。


 今いる森は王国では『大樹海』と呼ばれて恐れられている。

 重魔イノーマシを始めとして凶悪な魔物も多くひしめく人間の居住外地域であり、人類の脅威が出現する地ともされている。


 不本意だが、単独でいるよりは屑勇者たちと合流した方が身の安全のためには良いだろう。

 本当に不本意だが。


 どこまでも不本意ながらもそう判断して森の中を慎重に進む。

 貧弱ヒックス君も半年以上は勇者たちの乱痴気に巻き込まれているため多少は冒険の心得がある。


 無力なりに屑勇者パーティの役に立とうとしたのか、斥候も多少は実施していたし、出来る限り頭を使って効率的な方法を考えていた。

 もっともハーレム要員に天才斥候がいるため、彼の斥候は残念ながら価値はほぼ無かったのだが。

彼が実はパーティを支える重要な柱だったなどという展開があっても良かったのに、この世界はヒックス君、そして俺に優しく無い。


 ヒックス君はかなり虚弱だし、進む道としてはやはり魔法だろうな。

 『クリアランス』は初歩的な魔法とはいえ、同じく素人のラファータの指導でもすんなり習得できたのだ。

 それにはラファータも驚いていたくらいだ。


 まあ、ラファータの指導が素人でも丁寧で良かったということもおおいいにあるのだろうが、ヒックス君には魔法の才能がある……と思う。あってくれないと代理人の俺が困る。


 何とか魔法の指導を受けたいところだ。

 

 屑勇者のハーレム要員の貴族の娘たちの誰かにでも頼み込めば教えてくれないだろうか。

 いや、あの女たちは厳しいか。

 どいつもこいつも性格がドブを煮詰めたような有り様だ。

 その中でも性悪な天才魔法使いはハーレム要員の中でも勇者にとりわけ執着しているし、平民を同じ人間とも思っていない典型的な傲慢貴族である。

 

 そもそも魔法は貴族が貴族たる証らしいから、常識的な感性の持ち主だとしても、やはりよほどのことがない限り教えてくれないだろう。


 魔法を覚えたい。魔法を覚えたいな。


 そうぼやきながら森を歩いているうちに魔物と遭遇してしまった。


「……嘘だろ」


 それはグレイウルフと呼ばれる名前の通り、灰色の体毛の狼の魔物である。


 一匹でも非戦闘員の人間の手に負えないこの魔物は、集団で狩りをすることで知られる。

 大規模な群れは人間の村落をも襲い根絶やしにすることもあるという。


 目の前にいるのはヒックス君の知るグレイウルフの中では小柄だ。

 おそらくまだ幼い個体ではあるのだろうが、それでもその全長はヒックス君よりも大きい。


 とりあえず目を合わせたままジリジリ下がる。

 これは熊と遭遇した時の対処法である。


 やっぱり最後に頼れるのは現代日本の知識である。

 あってよかった現代日本の知識。


 しかしグレイウルフは問答無用で飛びかかってきた。

 現代知識の敗北である。そもそも敵は熊でなく魔物の狼であった。俺の判断ミスか。

いや、そんなこと考えている場合じゃない。


 一撃で仕留めようと考えたのか、グレイウルフは首を狙ってきた。


 あまりの恐怖に身が竦むが、ほぼ反射的に右腕を上げて噛み付かせる。


 肉を破る音と骨を砕く音が聞こえて、ひしゃげた感覚があった。

 痛みはそれほどでもないが、それはおそらく脳が恐怖でマヒしているからだろう。

 真っ白になった頭の中で、やけに冷静な部分がそう分析していた。

 もう少し脳の大部分が冷静になって負傷を自覚したら死ぬほど痛むだろうな。


 呆然としながらももう片方の手で、狼の顔を押してみたが全く動きそうにない。

 毛がめちゃくちゃ硬くて刺々している。やはり大型の野生動物の毛は硬い。


 紅い瞳が獲物を見下すような目で見てきて腹が立ったため、勢いよく指で刺突してやった。


 ぶちゅっという指先の感覚と、甲高く鳴く狼の声が響く。

 グレイウルフは噛み付いた腕から離れて距離を取った。


 右腕はぼろぼろで、もう使いものにならない。

 遅れてきた痛みがようやく伝わってきて、その洒落にならない痛み具合に汗が大量に出てきた。


 ……は? 死ぬほど痛いんだが?


 グレイウルフは右目から血涙を垂らし、充血した瞳で睨みつけてくる。

 とんでもなく怒っている。


 こちらからすれば逆切れもいいところだ。

 なんて自分勝手な生物だ。

 根絶やしにしてやる。


 そういえば、一応小剣も持っているのだった。

 さっきこれで突き刺してやれば、殺せたのにな。失敗した。


 俺はぎこちない動きで左腰に刺している小剣を左腕で抜いた。


 瞬間、グレイウルフが突進してきた。


「……ぐっ!」


 グレイウルフは右脚に噛みつき、俺が剣で刺す前に一度距離を取った。


 ……本気で俺を狩りに来ている。


 俺はここで死ぬのか。


 何もまだ変えられていないのに。


 俺はヒックス君の記憶を追体験した。

 その中で、ヒックス君の懸想相手のラファータや妹のシーフィア、ヒックス君の家族にも愛着を抱いたのだ。


 彼らはこのままでは不幸なままだ。


 ラファータにも不幸な運命が待ち構えているらしいし、ヒックス君の家族は既に不幸のどん底にいるのがこの現在だ。


 代理人として俺はそれを変えてやりたい。


 それなのに、こんな出だしで、本当にこんな出だしで躓いて、起き上がることができないのか。


 悔しい。


 意識の初めでは、無力なヒックス君を傍目から面白おかしく鑑賞していた。

 しかし、今では自分がその無力の当事者である。


 しかし俺は本当のヒックスなんかよりも遥かに弱い。

 心があまりに弱い。


 悔しい。


 ……グレイウルフは俺が抵抗を諦めたと思ったのか、飛びかかって俺を押し倒した。


 爪が食い込み、肩の肉が引きちぎれる。


 グレイウルフは今度こそ俺を絶命させようと喉笛に噛みつこうとしてきた。


 悔しい。


 ……おい、犬っころ。


「ヒックスの身体をてめえなんかに食わせるかボケぇぇッッッ!!」


 狼の鼻っぱしらに頭突きをかました。

 そして一瞬怯んで力が緩んだ狼の喉元に、無力でも最後まで手放さなかった小剣を突き刺した。


 火事場の馬鹿力で動かした右腕も使って硬い毛と皮膚を突き破って刃を埋め込んでいく。


「おぉぉおおおッッッ!」


 絶叫するグレイウルフと同じくらいに叫ぶ。


 やがて耳が痛くなるほどの静寂が訪れて、グレイウルフが倒れ込んできた。


「うっ……」


 グレイウルフの重みに潰されて思わず呻いた。


 グレイウルフは舌をだらりと出して、血液も止めどなく垂れ流している。


 明らかに絶命していた。


「……やった」


 正直、勝てるとは思わなかった。


 ヒックス君、お前には絶対に勝てない戦いに勝ってやったぜ。


 グレイウルフの身体を何とか退かして、よろよろと起き上がると途端に体に力が溢れてきた。


 ……おそらくこれは位階の上昇だ。

 

 ヒックス君の知識によれば、この世界では、数多くの戦争を経た英雄や、あまりに多くの人間を食らった魔物は異常なまでに強くなると言われる。

 この世界の生物は自分が殺した生物の魂を取り込むことで強くなるらしいのだ。


 ……まあ、要するに経験値によるレベルアップのある世界なのだ。


 ヒックス君に武道の才能はないが、それでも位階を上げればそれなりに戦えるようにならないだろうか。


 それに魔法を覚えたら位階が上がるごとにおそらく魔法も強力になるのではないだろうか。

 この世界の魔法は使い手によって効果が変わるようだしな。


 腕力がものをいう野蛮で殺伐とした世界である。


 ……それにしても体が痛い。


 早くラファータと勇者たちと合流しなければいけない。


 ラファータには魔法とも違う特別な異能があって、他人の傷を癒す力があるのだ。

 死んでさえいなければ外傷は綺麗に治してもらえる。


 これだけの重傷でもラファータにさえ会うことができれば、治療してもらえるはずだ。

 ラファータはヒックス君の味方である。彼女ならきっと治療してくれる。


 幼馴染なのに、ヒックス君のような善人を見放すようだったら、もうヒックス君のヒロインには俺がさせない。


 とにかく手遅れになる前に合流しなければ。



 ——しかし、ヒックス君の不幸体質は簡単に俺の努力を無に帰すのだ。


「……いや、これは無理だ。うん、無理。悪いなヒックス君」


 いつの間にかグレイウルフの群れが俺を囲んでいた。

 倒したグレイウルフよりも大きくて、その瞳は同胞を殺された怒りに冷たく燃えていた。




 ――おい、道化の神よ。




 お前はこの結末で満足かよ。


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