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12.過去-甘く苦い誤算

 

 ……剣聖の爺さん、屑勇者よりも遥かに強くないか?


 剣聖があんなに強いなんて聞いてないんだが。


 あれに勝たないといけないって本当に?


 ……無理じゃない?


 剣聖アレクセイ・ハーシュマンとの決闘を考えると、悩みのあまり脳が処理落ちする。

 現時点でどうしようもないことに悩むことは無益で辛い。


 おかげで、昨日は重魔ブルートと交戦してすぐにやられてしまった。

 犠牲となったヒックス君に申し訳がない。


 先延ばしにしておこう。

 まだまだ時間はある……うん。




 多くの波乱があった交流試合からしばらく経ったが、その間に本当に様々な出来事があった。

 正直今でも状況が呑み込めていないことがあるくらいだ。


 それでもまずはアルテナ嬢との試合直後から振り返りたいと思う。




 アルテナ嬢との試合後、俺たちは、アルテナ嬢の姉であるハーベルを救うと決めた。

 そのためにもアルテナ嬢から彼女たちの事情を根掘り葉掘りと聞き出していた。

 しかし俺たちだけでなく、心配して追いかけてきたヒックス君パパもアルテナ嬢がぽつぽつと語る言葉を聞いていたのだ。


 アルテナ嬢パパの所業に怒ったヒックス君パパは、俺たちに半ば強引についてきてハーベル嬢を救出した。

 平民が貴族の家に押し入ってその娘を勝手に連れ出すなど身分制が絶対であるこの世界では極刑に値する。

 それでも一切の躊躇をしないヒックス君パパの豪気には恐れ入るばかりである。むしろ小心者の俺の肝が冷えた。


 貴族の大きな屋敷の、狭い物置として設置されただろう湿った小部屋の粗末なベッドにハーベルという少女は横たわっていた。

 全身が火傷したように火脹れしていて、さらに暴力も日常的に受けていたのか青痣や切り傷が多くあった。この状態でも人間は生き続けることができるのかと、人間の生命力のしぶとさを恐ろしくさえ感じた。

 彼女の身体から流れる血や汗とも違う半透明な体液が部屋の中で臭った。


 そして、俺の中で剣鬼への怒りが限界を超えた。

 どんな手段を使ってでも、アルテナ嬢と、このハーベルという少女を剣鬼の呪縛から解き放ってやろうと覚悟を決めた。

 親が自分の子どもを自分の私物のように扱うなど、この世界でも許されるべきことには思えなかった。


 小部屋に広がる惨状にラファータやヒックス君パパが泣き出したり取り乱したりするかと思ったが、彼らは殊の外気丈であった。情けないことに俺の方がずっと動揺していた。


「もう大丈夫」


 そう宥めるように言うラファータの癒しの力は5歳でも絶大で、どう見ても助からなそうなハーベル嬢を瞬く間に救い出した。奇跡としか表現できない光景だった。

 ハーベル嬢の火傷も内出血も嘘のように消えて、今にも死にそうだった少女はすっと立ち上がった。


 これにはアルテナ嬢とヒックス君パパも大いに驚いた。アルテナ嬢は泣き出して、ハーベル嬢は体から流れ出た膿が付着して臭うのにも構わず抱き着いていた。


 ヒックス君パパが書き置きを残し、俺たちはハーフィンダール家の邸宅を後にした。


 過去の改変があまりに大きく、今後への影響はもはや測りしれない。しかしそもそもアルテナ嬢と会った時点から全てが予想の範囲外で、ここに至って俺はもう開き直りを始めていた。

 毒を食らわば皿までの心境である。捨て鉢ともいう。

 過去を大きく変えるならば救えるものは全て救って、悪は絶対に消し去る気概になっていた。


 その後は、ラファータの家族とヒックス君の家族で話し合いをした。多少の口論はあったが、全体としては驚くほど俺たちに都合良く話が進み、以下のことが合意された。


 ハーベル嬢とアルテナ嬢を剣鬼から保護する。

 ラファータの癒しの力について口外しない。

 ラファータの今後については、ラファータとラファータの家族で決めることであり、ヒックス家は干渉しない。

 ラファータの家族が支援が必要ならヒックス家は支援する。


 改めてヒックス君の代理人である俺にどこまでも都合の良い内容だ。


 また、俺の年齢不相応の強さや特異性にも言及されたが、現代日本知識を活用して「天才ですから」と説明して解決した。

 ヒックス君は実際に天才だと俺は思う。


 さて剣鬼をどうしようかという話になり、剣鬼の師匠である剣聖に助けを求めたが、あの爺さんはとぼけた顔をして、取り合おうとしなかった。


 ヒックス君パパが自分の弟子なのだから責任云々と言っていたが聞く耳を全く持っていなかった。


 それから、俺をジロリと見て、俺が13年後の誕生日に成人したら戦うことを条件にするなら色々と協力してもいいと提案してきた。


 あのジジイ、剣鬼とかいうくそったれ以上のサイコパスで、とんでもない戦闘狂だった。


 ヒックス家もラファータ家も大反対だったが、現時点の実力で剣鬼と戦闘したら、家族を守り切る自信もないし、必ず勝てるとも限らない。


 決闘が3年後なら12年後現在の死に戻りが発生しなくなるとう事態もないだろうし、この場で剣鬼ジークと戦うよりはリスクが小さいと考えて勝手に承諾した。今になっては己の浅慮さを呪いたくなる。


 それから書き置き読んだ剣鬼が今夜中に訪れるだろうと篝火をつけて修練場で待ち構えた。実際その夜に剣鬼は恐ろしい形相で現れて、自分で戦わずにすむ選択をして良かったと、この時は考えていた。


 それにしてもヒックス君パパが格好良かった。

 あれだけの殺気を飛ばしても動じなかったのは、こっそり闇属性の幻惑魔法『ディスタバンス』で剣鬼の恐怖を少し和らげていたのも要因だと思うが、それでもあの胆力はたいしたものだった。

 ヒックス家のような善良な人たちが商人という魑魅魍魎の世界で何故やっていけているのかと常々疑問に思っていたが、今回のヒックス君パパを見ていたら疑問は氷解した。


 それで、剣聖の強さだが……まあ、もう予想を遥かに超えていたとしか言えない。

 剣鬼と剣聖の戦いの場にシーフィアがいなくてよかったなぁとか、現実逃避してしまうくらいには超常的な戦いだった。


 ヒックス家やラファータ家の人々は多分何が起きたか分からなかっただろう。

 俺もよく分からなかった。『概念攻撃』とかいうとんでもない攻撃が出たと思ったら、剣聖がそれを斬り捨てて、一撃で剣鬼を両断にしたのだから、本当に意味が分からない。


 剣聖に勝てる姿が屑勇者以上に想像がつかなかったが、審判の神とやらの加護が付与された魔道具で、血を用いた契約を交わしてしまった。

 ついでにその魔道具の価値はヒックス家の全資産をゆうに超えるとかいう世知辛い情報も聞いてしまった。


 記憶の限りだと12年後の死に戻り開始時点からヒックス君の18歳の誕生日まで逆算すると35日しかない。

 いや、イノーマシにやられた日から1日は経過しているから34日か。

 5週間弱である。


 剣聖が寿命や、勇者あたりにでも戦いを挑んでくたばってくれていないだろうかと淡い希望を抱くが、ベンチマークとなる本来の歴史でも剣聖が代替わりしたという噂は聞いていない。


 13年後または34日後に超常的な強さの剣聖と決闘という新たな不幸ができてしまった。

 すまねえ、ヒックス君。




 今回、大きく過去が変わった。


 いずれは過去を改変するにせよこれほど急激に未来を変えるつもりはなかった。


 蝶の羽ばたきが世界の裏側で嵐を引き起こしうるのだから。


 恐ろしくも救いであるのは、過去の改変の更なる改変はできないことだろう。

 後悔はすれども、そこで立ち止まることはできない。


 しかし、やはり誤算というものは予想外の形で現れるものである。


 しかも、その誤算は、非常に、非常に厄介なのである。


「ジョーリ様?」


 椅子に座ったハーベルがぼうっと回想にふけっていた俺に呼びかけた。


 12年後で勇者の仲間となる剣姫アルテナと、本来の歴史ではとっくに亡くなっているだろうハーベルは、姉妹ともヒックス家で面倒を見ることになった。

 最初はハーフィンダール家が特にアルテナ嬢を渡すよう高圧的に指示してきたが、俺と決闘の契約を交わしてからは多少親身になった剣聖が交渉の場に出たら、非常にしおらしくなった。やはり剣聖の影響力は絶大らしい。


 ハーベルは、自らの竜気で体を灼いてしまう体質だそうだ。

 竜気というのは一度回路を体の中で構築されれば、自動で生産されるため、彼女の体質は不治の病である。

 ただし、貴族でも中々手が出せない高価な霊気増強剤を飲めば一時的に延命できるという話だった。


 アルテナ嬢とハーベルは沈鬱の面持ちでそう語った。


 しかし、俺はその話を聞いて仮説を立てた。


 霊気増強剤で少女が緩和されるのは、彼女にとって有毒だった竜気が霊気に変換されているためではないか。


 竜気と霊気は根本が同じ生命エネルギーである。

 霊気回路と竜気回路もペアであり、本来は竜気回路と霊気回路を独立に使うよりも、竜気回路に霊気回路を統合、または霊気回路に竜気回路を統合した方が、出力や効率が上がる。


 竜気回路と霊気回路を同時に使うというのは非常に非効率で、勇者みたいな規格外でもない限りは愚か者のやることらしい。


 ちなみにこれは屑勇者と死に戻りレッスンをした際に罵倒と煽りを受けながら教わったことだ。


 結局、俺は生き残るために両方を使わざるをえないと判断したが。


 そういうわけで、ハーベルの霊気回路を起動するための訓練中である。

 ヒックス君ボディから微弱な霊気を流し込んで、ハーベルの霊気回路の覚醒を促す。同時に彼女の体内の竜気を取り込んでいく。

 俺がこうしてハーベルの竜気を回収していれば、ラファータの癒しの力が無くても、顕在的な症状は出ないようだ。

 死に戻りの中で培った、天才ヒックス君ボディだから可能なこの繊細な技術は、アルテナ嬢曰く変態的らしい。やかましいぞ、屑勇者の女。


 ハーベルの霊気についての理解と体得は非常に早く、この調子ならばじきに霊気回路が起動、竜気回路をそちらに統合できるのではないかと思われる。

 ただし、どちらか一方に統合しても微量は発生してしまうようだから、定期的にラファータの癒しの力か、俺の竜気回収が必要だと思うが。


「ジョーリ様とこうしている時間は、心が温かくなって、安らぎます」


 互いの両手を結び合わせて霊気と竜気のやり取りを終えるとハーベルはそう微笑んだ。


 星のない夜に仄かな光をたたえる月のような銀髪と、夜明け前の凪いだ海のような濃く蒼い瞳が俺を見つめている。


 たおやかな指から伝わる柔らかな体温と鼻腔をくすぐる甘く爽やかな微かな匂い、耳に染み渡るような落ち着いた声。


 この真綿で締め付けられるような、苦しくて心地よい感情は、ヒックス君本人のものなのだろうか、それとも代理人である『俺』のものなのだろうか。


ラファータ「…………ん?」

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