11.5.記録者の遠視-剣鬼と呼ばれた男
剣鬼ジーク・ソルファ・ハーフィンダールはその人生の全てを剣に捧げてきた。
ハーフィンダール家は初代から数多くの剣聖を輩出してきた武家の名門である。
そして同門への苛烈な鍛錬でも知られている。
宗家たるソルファに至っては兄弟の中でも鍛錬で死ぬ者の方が圧倒的に多いことで、彼ら曰く腰抜けばかりの分家に恐れられている。
ジークはソルファの嫡男にして、兄弟の中で最も才に恵まれた。
齢10にして竜気を習得し、鍛錬を通して兄弟全てを斬り殺し、相伝の四星剣を継いだ。
そして先代の剣聖であった実父を斬り殺した。
全ては最強の剣士となるためである。
その人間としての幸福を全て捨てたような生き様から、いつしか彼は剣鬼と呼ばれるようになった。
彼はその異名を誇りにすら思っていた。
貪欲に強さを追い求める鬼として生きることが、自分に課せられた使命だと一切疑わなかった。
王国の仇敵とされる北方の大山脈に住まう魔人を数多く屠れるようになった頃、現存する最強の剣士は己自身だと彼は自負しており、次代の剣聖となることを目標としていた。
しかし、彼は負けた。
年老いた無名の剣士だった。
天衣無縫の剣術は人間ではなく魔物との斬り合いによって原型が生まれ、やがて剣の神をも狩る剣術となったと男は語った。
老人はアレクセイと名乗った。
その名は傲岸不遜な見分の狭い剣士が決まりのように名乗る名だが、しかしその実力は確かに伝説の英雄アレクセイに相応しかった。
当代の剣聖である。
やがて彼は剣聖の称号と共にハーシュマンの家名を賜った。
アレクセイ・ハーシュマンは剣鬼ジークの倒すべき巨大な壁となった。
剣鬼は何度もアレクセイ・ハーシュマンに挑んだ。
挑んでは負けた。
やがて、彼はアレクセイ・ハーシュマンに弟子入りした。
アレクセイ・ハーシュマンを殺し、最強になるためにアレクセイ・ハーシュマンの教えを乞うた。
来るもの拒まずであるアレクセイ・ハーシュマンの隔絶した剣技を取り入れ、四星剣を七星剣にまで昇華した彼は、しかし自分では最強に至れないことを悟った。
剣聖アレクセイ・ハーシュマンは、もはや彼の中で自分の手で殺めても、勝利を得られない存在となっていた。
そこで、彼は自分の分身である子に自分の果たせなかった使命を預けることにした。
そのために強い子を産む母体として、拐ってきた魔人の女を孕ませ、子を産ませた。
魔人の強さを足せば自分の限界を超えるだろうという考えによるものである。
しかもその魔人の女は野蛮な魔人の中で貴いとされる血筋であるらしく母体にはこの上なく望ましいといえた。
しかし誕生した長女ハーベルは出来損ないだった。
竜気をまともに纏うことすら出来なかった。
それどころか自身の竜気が身を灼いてしまう体質で、彼に言わせれば愚かな生命であった。
もしかするとそれはハーベルが母乳を必要としなくなってすぐに始末した母親の呪いかもしれない。
彼を失望させる誤算もあれば、喜ばしい誤算もあった。
予備として傍系の女に産ませた次女アルテナは、ジークをも凌ぐ天才であった。
6歳にして竜気を修得した天才である。
これはハーフィンダール家に旧い時代に取り込まれたとされる剛人族の性質にもよるだろう。
実際にその身体的特徴の一部がアルテナには発現している。
しかしそれだけでなく、齢10にもならず四星の剣を習得したのである。
これは純粋に彼女個人の特異な才能によるものだった。
しかしアルテナは天才ではあるが、剣への執着は薄かった。
故に、彼はアルテナの母親を遠ざけた。
彼女を最強にするためにはアルテナの心を剣だけに向ける必要がある。
母親がアルテナに向ける甘さは障害になったのである。
斬り殺しても良かったが、それはもう少し自我が大きくなってからの方が効果が大きいと先延ばしした。
アルテナに、もっと強くなれば母親に会わせるといえば鍛錬に打ち込むようになった。
しかしまだアルテナには剣への執着が未だ足りていないと彼は感じた。
さらに剣に依存させるようにしなければいけない。
故に、彼にとって愚かな異母姉の生命を人質に取ることにした。
放っておけば竜気に灼かれていずれ死ぬところを、薬によって延命させる。
霊気の増強薬であり魔法使いが好んで用いる薬らしいが、どうやら副作用で竜気の発生を抑えるらしい。
しかしあくまで対症療法であって根本的な治療にはならない。
竜気とは人間の生命力から変換されるであり、一度竜気を変換するようになれば無意識に行うのであるから当然である。
それでもアルテナは、ハーベルの延命のために尽力するようになって、その剣の成長は著しい。
あとは、いずれジークの実力を超えて、剣以外にもはやすがるものがなくなったと判断した際に、アルテナの母親とアルテナの姉の首を掲げてアルテナと戦う。
彼の剣を継ぎ、魂を食らって位階を上昇させ、さらに成長を遂げる真の剣鬼が誕生するだろう。
それが彼の野望であった。
このままであれば成就したであろう。
しかし、その計画に大きな歪みができた。
ジョーリ・ヒックスという5歳児である。
5歳にして、驚くほど卓越した竜気に、事実上アルテナを完敗させるほどの身のこなしを見せた。
さらには魔法も使うなど、あまりにふざけている。
アルテナがいずれ越えられる壁ならば良い。
だが、もしも越えられない壁ならばどうする。
アルテナの心が壊れた後に、そんな存在が出てきたら、あの娘は強く依存するだろう。
おそらく剣の成長もしない。
さっさと殺してしまいたいが、アルテナが完膚なきまでに敗北した直後に殺せば彼にとってのアレクセイ・ハーシュマンのようになってしまいかねない。
いつものように血を見て落ち着くために罪人を斬る剣鬼であったが、考えが上手くまとまらなかった。
それでもひとまずアルテナに活を入れるためにも、ハーベルを痛め付けることにした。
しかしハーベルはいつもの場所にいない。
そして走り書いた置き手紙があった。
『前略。御息女様のご容体がお優れにならないと伺い、大変勝手ながらもお世話のためにお預かりいたしました。
つきましては、お話したいことがございますため、明日朝にアレクセイ・ハーシュマン剣聖の修練場にてお待ちしております。草々』
差出人の名はアレハンドロ・ヒックスである。
彼はすぐさま昼に交流試合が行われた修練場に舞い戻った。
修練場は既に薄暗かったが、複数の松明が燃やされて煌々と照っていた。
修練場には剣聖と、アルテナ、それからジョーリ・ヒックスがいて、剣鬼から言わせれば出来損ないの愚図である剣聖の弟子やら孫弟子、あとはおそらくヒックスの家族であろう有象無象がいた。
「お早いお着きですね。明日の朝と申し上げたはずですが」
中年の男が落ち着いた声音でジークに声をかけた。
この男がアレハンドロであると彼は当たりをつけた。
「貴様がアレハンドロか。貴族の屋敷に勝手に押し入るとはそれほどに斬首を望むか。まあ、私は寛大だから許そう。さて、あの滓--ああ、娘を返してもらおうか」
「お断りいたします」
ジークは殺気を飛ばした。
剣鬼の殺気は一流の剣士ですらも冷や汗をかき、死を予感する代物であるが、アレハンドロは身じろぎどころか表情一つ変えない。
ジークは疎ましく思いながらも中々の胆力に僅かばかり感嘆の念を抱いた。
「どのご家族にも様々な事情がございますでしょう。それについて私は口出しする権利は当然ございません」
アレハンドロは剣鬼の瞳を見据える。
「しかし私も人の親です。子どもが傷付き、苦しんで、ましてや死の淵にあるのを知って見過ごすことなどできません」
「ふん、戦う力も権力もないお前に何ができるというのだ? 剣聖にでも頼るつもりか?」
ジークは確信している。
剣聖はこの場に居合わせても干渉はしない。
剣聖もまた剣に全てを捧げて、人の情などというものには興味のない男である。
特に剣聖は強敵と戦うこと以外には本当に関心を持たない、生粋の戦闘狂である。
今でこそ師匠然とした態度を取ることもあるが、それは自分を楽しませる有望な戦士を見つけ、育てるためであり、本質は剣に狂うもう一人の鬼である。
「私にできることは嘆願だけでしょう」
「貴様は口だけの無力な男だ。貴様の愚行のためにこの場で貴様の家族と知人は全員死ぬ。ああ、小僧だけは生かしてやる。こいつはアルテナのために生きなければいけないのでな」
そう口にしてジークが剣を抜こうとしたところで、剣聖が立ち塞がった。
「……何故?」
ジークには剣聖が邪魔する理由が分からなかった。
最強の剣士を生み出そうとする彼の行動は剣聖にとっても、都合の良いものだというのに、何故剣聖は邪魔するのだろうか。
「ジョーリ・ヒックスと契約した。13年後の成人を迎えたら殺し合うことをな」
子どもじみた笑みを見せる剣聖だが、その目は純然たる狂気に染まっている。
ジークは激怒した。
彼の作り出す予定の新たな剣鬼アルテナよりも、その少年との戦いを優先するというのは彼にとって甚だ許しがたいことであった。
しかし、剣聖は浮かれた様子でこう続けた。
「ワシ、今めちゃくちゃ気分が良くてな。ほんに久しぶりに楽しい殺し合いができそうで浮かれとる」
そして続けた言葉は彼の逆鱗をむしるような言葉であった。
「いつもみたいに手加減つきのお遊びができんから、剣を抜いたらお主を殺すぞ」
剣聖アレクセイ・ハーシュマンはジーク・ソルファ・ハーフィンダールの不倶戴天の敵である。
しかし、同時に剣に全てを捧げた同志と思っていた。
一番近い道を歩む剣士とも思っていた。
しかし剣聖アレクセイ・ハーシュマンはジークのことを剣士とすら見なしていなかった。
剣鬼の中で何かが砕ける音がした。
そして剣鬼は剣を抜いた。
『終之剣――』
七星剣の終之剣は一之剣から六之剣までを修めた時に体得する剣である。
それは使い手の有り様を体現する剣であり、使い手の数だけ存在する。
「『虚無』」
ジークの終之剣は『虚無』。
それはこの場の誰もが知ることではないが、12年後の剣姫アルテナの終之剣と同一であった。
敵を必ず殺し、そして自分も死ぬ。
言うなればそれは『概念の攻撃』である。
ジーク・ソルファ・ハーフィンダールは天才である。
しかしアレクセイ・ハーシュマンは天衣無縫である。
「ジョーリ・ヒックスよ。これが13年後に再びお前が見る剣だ」
抜くは神の一振り『塵劫』。
その技は『無明』。
修辞を取り払い、純粋に根幹を断つ絶技である。
人智を超えた死闘は、傍目には非常に原始的で単純な斬り合いに見えた。
そして、一匹の鬼がこの世から去った。




