奴隷の行方 23~さよならバンジャマン
「ではそろそろ支度をする。船の出航は明日の朝だが、一杯飲みたいのだ。オロールの船内には酒も御馳走もある。祝いの酒だ。お前も連れて行きたい所だが、船内には黒人商人は入れんからな。一緒というわけにはいかん。ハハッ! ルーガまでの長旅もいささか疲れ果てたわ。ハハッ!」
そう言うとバンジャマンは崖の岩場をトントンと駆け下りて行った。
サールは崖の上に一人になった。
空はオレンジから、淡い紫に徐々に移り変わった。まだ風が強いのであろう、少しずつ浮き出た星も雲の流れに見え隠れを繰り返した。胸のポケットから葉巻を取り出すと、シュポと火を点けた。
上から見下ろしていた事など知らぬバブエの蒸気船は、ポンポンと音を立てオロール号から離れて行った。ダカールの港に舵を切った。
(バンジャマンの終わり。それは俺の始まりだ。)
サールは葉巻を胃の中まで吸い込んだ。そして吐き出した煙もまた星を見え隠れにした。
雲が切れると、月は桟橋を照らし出した。フランス人の男が渡り始めた。バンジャマンだ。
彼もまた葉巻を燻らしていた。惜しむ気持ちを微塵も見せずスタスタと奴隷船に歩を進めた。
(俺はもう二度とこの国には戻らん。マルセイユで大儲けだ。悠々自適に暮らすのだ。)
バンジャマンは船まで辿り着くと振り返り、崖の上のサールに無言で手を振った。
(サール、元気で。)
「バンジャマン殿~!成功を祈っておりま~す!」
サールはバンジャマンの振られた右手に向かい大声で返した。
するとバンジャマンの左手から何か紙の様な物がヒラヒラと放たれた。
風に乗ったそれは、彼の頭の上に舞い上がると船上を越えた。塒に返るカモメがその紙をサッと啄むと、食い物では無かったのかすぐさま嘴から放した。
波の上に落ちたのは、この国の奴隷商人としての入国許可証であった。
バンジャマンの決意はこれすらも捨て去った。
フランス人バンジャマンは船内に消えた。
辺りはドップリと濃紺の宵に落ち、オロールの船内には煌々と灯りが燈った。
(さらば。バンジャマン。それはカジュの木箱ではございませんよ。ポルンという名の棺です。)
サールは崖から降りると、ゴレ島に一つだけあるモスクに向かった。
(出棺には祈りを、そして願いを。)
ヤッサ売りも消しバンジャマンも消し去ったこの男は思った。
(残るは本物のカジュを占めるだけ。この国最強の奴隷狩り部隊セレールの本領だ。彼らにジョラを襲わせるのみ。)
翌朝、黄金色の日を浴び終わった奴隷船オロールは大海に舳先を向けた。
大西洋の荒波の沖に出た。




