改めて
休み明けである月曜日は、天気がよくても悪くても気分がちょっとばかり滅入る。それでも、時間が経つにつれて身体がいつもの調子に戻って来るのか、滅入った気分も次第に消えてゆくもの。
授業もとどこおりなく終了し、ラディはフィールドへ行って自主練習をするべく、本や筆記具をカバンへと放り込んだ。
「ラディ、聞きたいことがあるんだけど」
そう声をかけてラディの足を止めたのは、クラスメイトのミュアだった。いつもであれば、美人と言われるその顔に笑みを浮かべてラディにあれこれ声をかけてくる彼女。
だが、ラディに声をかけてくるのは、ラディがロネールで一番の腕と言われるブラッシュの友人だからだ。高い技術力だけでなく、顔もトップクラスに入るとなれば女子が騒ぐのも必然。ミュアもそのうちの一人だ。ブラッシュに近付くための仲介役になってもらうため、彼女は笑顔を振りまいてラディに近付いて来た。
利用されるから気を付けるように、と別のクラスメイト・カーミルから一応忠告は受けていたし、ラディも薄々は感じていたのだが、先週とうとうミュアからブラッシュに紹介してほしいことを言い出して来たのだ。
紹介くらいならしても構わないが、正直なところ面倒。それに、紹介されたブラッシュも対応に困るのではないか。ラディよりは女の子の扱いに慣れているだろうが、それでも仕事で忙しいブラッシュに取り次いでいいのか考えものだ。
先週行ったカロックへは、ブラッシュも一緒に行った。ずっとラディが何か妙なことをしでかしているのではと疑っていたブラッシュだが、ラディからカロックの話を聞いた上、ラディに連れられる形で異世界へと足を踏み入れたのである。
そして、帰ってから話をしている中で、こんな子がいるんだけど……と、それとなく尋ねてみたのだ。ブラッシュの話では、彼の知り合いで他にも同じように仲介役を頼まれている人がいるらしい。
ミュア以外にも同じことを考えてる人がいるのかと驚いたのだが、とにかく結果としてブラッシュには好きな女性がいると聞かされた。彼曰く、いい感じという程度のようだが、とにかくブラッシュの目はその女性に向いているのだ。
さらにブラッシュは、紹介するように言われるのが面倒ならそのことを話しても構わないと言った。友人になりたいならともかく、恋人候補としてブラッシュの前に出たいと思っているならあきらめてラディに面倒なことを頼んでこなくなるだろうから、と。
だから、ラディはミュアが紹介を頼んで来た時にそのことを告げた。ラディははっきり「恋人」とは言わなかったが、休みはデートしてるかも、と言えば周りはその相手が恋人だと思うのも当然だ。
その話は一気にロネール修学部に知れ渡った。
あれからミュアはラディに話しかけて来ない。ブラッシュに紹介してもらう役目がなくなったクラスメイトに、わざわざ話しかける話題も必要性もないのだろう。ラディの方でもこれと言って話題などないので放っておいた。
ブラッシュの恋人の話をするまでは、いつも笑顔だったミュア。今は堅い表情でラディを見ている。
あの笑顔が「媚びを売る」という奴だったのかな、とラディは何となく思った。
「何、聞きたいことって」
「先週、ブラッシュに恋人がいるって言ったけど、あの話は本当なの?」
「は? 本当だけど……」
一週間経って、また蒸し返されるとは思わなかった。彼女にすればやはり信じたくない話だろうから、もう一度確認したいと考えるのも……まぁ、無理はない。
ラディはそう思ったのだが。
「他でそんな話はどこからも出て来ないわ。もしかして、あなたの作り話じゃないの?」
「はぁっ?」
ミュアの言いぐさに、ラディもさすがにかちんとくる。
「ブラッシュの作り話をして、俺に何の得があるんだよ」
「知らないわ。もしかして、ブラッシュがあまりに人気があってもてるから、その人気を落とそうとしたんじゃないの? 男の嫉妬なんてみっともないわ」
完全にラディの嘘だと決めつけている。これまでのミュアの態度は何だったんだろう。ブラッシュに近付くためだったとは言え、あんなににこやかに接していた彼女はどこへ行ったのか。
自分の想いが通じないとわかったら、その事実を突きつけた男に復讐をしかけてくるなんて思わなかった。特にミュアと仲よくなりたいと思ったことはなかったのでショックではないが、こんなことで疑われたことには愕然となる。
だが同時に。怒りや驚きを通り越してばかばかしくなった。こんな話でミュアとケンカする気にもなれない。彼女と同じレベルになりたくなかった。
「疑うなら疑えばいいよ。俺はブラッシュの口から聞いたし、この話をしても構わないって言われた。だから言ったんだ。ブラッシュしか証人はいないけど」
ブラッシュは「下心がありそうな子」という言葉を使ったが、さすがにきつい言い方になりそうだったので、ラディはその部分を伏せて言った。
ここは教室で、他にもクラスメイトの姿がある。ミュアを貶める言い方をしたら、さらに余計な恨みを買ってしまいそうだ。ミュアなら泣きわめく程度で終わるだろうが、元カレのアーディが代わりにラディを殴りに来そうな気がする。これ以上、こんな話に巻き込まれるのはごめんだ。
「そんなに疑うなら俺を介してじゃなく、自分で直接聞きに行けば?」
それを言うと、ミュアはぐっと詰まる。直接会いに行けないから、ラディのようにブラッシュと知り合いの人間を介して何とかしようとしているのだ。肝心なところで勇気が出ないタイプらしい。もしくは、自分を売り込んでもらっておいてから登場したい、という根回し型だろうか。
「俺はブラッシュの秘書や何かじゃないんだ。わざわざ仲を取り持つボランティアはしてないし、自分のことだけで手一杯だから」
「な、何よ。自分だけトップクラスの魔法使いと友達なんて、ズルいわ」
子どもか、と思う。好きな相手に近付きたいと思うのはわからないでもないが、自分の希望がかなわなかったからと言って他人を責めるのは小さな子どものすることだ。
「ミュアはブラッシュに何になってもらいたいんだ? 友達? 魔法のコーチ? 恋人?」
「……」
面と向かって言われ、ミュアは口ごもる。先週、ラディに言っていたのは友達になりたい、だったはずだが。
「コーチは仕事が忙しいから、まず無理だ。恋人に関しては、大事な子がいるってはっきり言ったから、二人が別れない限りこれも無理。友達は何とも言えないけど」
「その大事な子って、誰のことなの」
「俺は知らないって言ったと思うけど? どこからも話が出て来ないって言ったけど、誰からの情報だよ」
自称・情報通の見習いの誰か、といったところだろう。だが、そんな話は出て来ない、と言う時点でブラッシュとはつながってない人間だとわかる。
ブラッシュが想い人の存在をどれだけの人に打ち明けているかまでは聞いてないが、直接どうなんだと聞いて来た人間にならちゃんと答えるはずだ。そうでなければ、ラディに「直接言えって言ってもいい」なんて言わないだろう。
「た、確かな筋からよ」
「俺に言わせれば、全然確かじゃないけどね」
何をもってその情報通はミュアに恋人のことを嘘だと伝えたのだろう。もしかすると、その情報通もブラッシュのファンなのかも知れない。自分が信じたくないから、他にもそう言ってみんなで安心したい、という思いがあるのだろうか。
「とにかく、俺の話が信用できないならしなくていい。代わりにブラッシュとの間を取り持ってほしいって話、俺には二度としないでくれ。友達が欲しかったら、自力でがんばればいい。ミュアなら一人でもできるだろ」
それだけ言うと、ラディはミュアに背を向けた。これ以上話しても、何の進展もない。
ブラッシュにはさっさと職務部へ来いとプレッシャーをかけられているのだ。一緒にカロックへ行って魔法を使ったことで、魔法の相性がいいと感じたらしい。魔法の相性、というものがラディにはよくわからないが……。
とにかく、そのプレッシャーをはねのけるためにも、日々練習して認定試験を突破する必要がある。こんなくだらないことで時間を取るなんて、もったいない。
きっぱり言ったせいか、それ以上ミュアが追って来て話を蒸し返すこともなかった。
余計な敵をつくることはないってブラッシュは言ってたけど、まさかこんな状況で敵みたくなるなんてな。
逆恨みで何かされないとも限らないが、ミュアがまたラディにちょっかいをかけてくるとも思えない。下手に手を出し、それをブラッシュに告げ口でもされたら、逆に自分の評判を落としかねない……くらいのことは考えてもらいたいのだが。
こんなことは忘れ、練習に集中しようとフィールドへ向かって歩いていると、ラディの名前を呼ぶ声が聞こえた。ミュアではない、女性の声。
「久しぶりね」
呼んだのはターシャだった。彼女もカロックへ行った仲である。氷のターシャの異名を持つ彼女はブラッシュと同じく、ロネールのトップクラスの魔法使いだ。
こんな所を見られたら、今度は男連中にひがまれるな……。
ターシャはレリーナと仲がよく、レリーナがジェイと話しているところを見たことでカロックへ連れて行かれた。そこで顔を合わせることになったのだが、行動を共にして何もしゃべらない訳にはいかないし、実際アドバイスももらった。これで単なる顔見知りと言ったら、絶対に怒られる。
「こんにちは。仕事、終わったところですか」
「ええ。聞いたわよ。ブラッシュをようやく連れて行けたんですってね」
ターシャが言うのは、もちろんカロックのことだ。
「先週、一緒に行きました。そう言えば、ターシャがブラッシュに少し話してくれてたんですよね。頭の柔らかさがどうのって」
ラディからカロックの話を聞いた時にどう思うか。それはブラッシュの頭の柔らかさ次第。
ターシャはカロックについては一切しゃべらず、でもそんなことをブラッシュに言っていたらしい。先にカロックへ行っていたから言える言葉だろう。話だけなら、普通はそう簡単に信じられる内容ではない。
「そうよ。ふふ、ブラッシュもまさかああいうことになるとはって言ってたわ。普通に暮らしていたら、まず経験しないことだものねぇ」
確かに異世界へ行き来するなんて、ラディだって想像もしなかった。しかし、考えてみればラディ達と同じ経験をしている見習い魔法使いが複数、他の魔法使い協会の中にもいるのだ。大竜の数だけ、見習い魔法使いが呼ばれているのだから。知らないだけで、案外ロネールにもいたりするのかも知れない。
「それで、レリーナとはうまくいってるの?」
「はい。……って、今のはどういう意味で」
答えてから、何がうまくいっているのかを聞かれたのだろう、と遅ればせながら思う。
ターシャが意味ありげな笑みを浮かべた。今のは誘導尋問だ。そして、ラディは見事に引っ掛かった……気がする。
「あっちで何かあったらちゃんと守ってあげられてるかって意味だけど」
「ぜ、絶対違うでしょう、それ」
「あら、それじゃあラディはどういう意味にとって、はいと返事したのかしら」
それまでカロックの話をしていたということもあるし、何せ昨日の今日なので、ラディはあっさり「はい」と言ってしまった。実際、うまくいき始めているから、そういう返事になったのだが。
「うまくいってるなら、喜ばしいことよ。レリーナもだけど、ラディも素直でいいわねぇ」
赤くなって言葉に詰まるラディを見て、ターシャはくすくす笑う。年上の人間というのは、どうして年下をからかって楽しむのだろう。
街へ戻ってからレリーナを家まで送り、その後キスしたことまで見られていたような気になってしまう。
「ふふ、レリーナとまた話ができる日が楽しみだわ」
「な、何を聞く気ですか」
「それは女同士の話よ。あら、話されて困ることでもある?」
氷のターシャと呼ばれる理由がわかった気がする。彼女に何か言われると、どう答えていいか思考が凍ってしまうのだ。ラディ限定だろうが、効果絶大。
「ちゃんとレリーナを守るのよ。何かあったら、私が承知しないからね」
笑いながら言われても、ますます凍ってしまうような気がするラディ。
「じゃ、また。レリーナにも無理しないでがんばってって伝えてね」
「は、はい」
ぱんっと軽く肩をはたかれ、ラディはターシャを見送った。
その後、ラディはフィールドへ入ったものの集中しきれず、早々に自主練習を切り上げたのだった。
☆☆☆
次の日以降、ミュアはラディが近くにいても見ようともしなくなった。
そのことに気付いたマイズが「何かあったのか?」と尋ね、ラディは「用がなくなったんだろ」と真実を淡々と答えるだけ。ラディの方からミュアにこれ以上関わる気は全くなかった。
一日の授業が終われば、いつものようにラディは自主練習するべくフィールドへ向かう。
全体的に攻撃魔法はずいぶん練習の成果が上がってきたように思うが、カロックへ一緒に行ったブラッシュの魔法を思い出すにつけ、自分はまだまだだと感じるのだ。ロネールでトップクラスの魔法使いと一緒にする方が間違いだと言われそうだが、それでも彼くらいの力に少しでも近付かなければ認定試験の合格などできない。
カロックでのブラッシュは、力を殺がれていた状態だったから、本来ならもっと強い魔法が使えるはず。そのシーンはまだ見たことがないが、正規の魔法使いになりたければ最低でもカロックでのブラッシュと同じくらいの魔法を使えなければならない、と思うのだ。
動く的を魔物の姿になるよう設定し、攻撃魔法の練習を始める。火、風、水、土と攻撃を繰り返し、的となる魔物が全て撃破された。
ラディは軽く息を吐く。以前は今と同じ設定で練習をしていても、もう少し時間がかかっていた。毎日の練習の成果がそれなりに出ているようで、少し安心する。だが、満足はしていられない。
「ラディ」
次の的を出そうとした時、声をかけられて振り返る。ちょうどフィールドに入って来たらしいレリーナが、こちらへ来ながら手を振っていた。
「レリーナも練習?」
「うん。またこの前みたいな魔物が出たりしたら……考えたくないけど、とにかく少しでも早く目の前から消せるようになりたいもん。それで、今日は土を重点的に練習しようと思って」
魔法使いになる修業をしているからと言って、誰もが魔物退治に赴く訳ではない。魔法に関わる仕事は他にいくらでもあるし、レリーナのように魔物の姿によっては苦手と感じるものがあるという女子はたくさんいる。
そういう見習いは、あえて的を魔物の姿にしようとはしないし、それどころか練習もおざなりになったりするのだ。ラディのクラスにもそういう見習いは男女に関わらずいる。
レリーナが魔物退治をするつもりでいるかは聞いたことがないが、それでもがんばって苦手を克服しようとする彼女の態度にラディは好感を覚えた。
もちろん、カロックのことがあるので、何もしないではいられない、というのもあるが、いやなものはいやと拒否する人間がいることを考えれば、レリーナは偉いと思える。これは恋人だから、というひいき目ではない。同じ魔法使いを目指す者としての目だ。
「ストーレの森にいた魔物は、大したスピードじゃなかっただろ。今のレリーナでも十分に対応できてた。またああいう状態になった時、少しでもレリーナにとってやりやすいようにしようと思うなら、スピードじゃなくて広範囲に土を降らせる練習なんてどうかな。ジェイや俺も近くにいる訳だし、とどめを刺すのは俺達がやるって分担してもいい。まぁ、連続であんな森へ行くとは思えないけど、湿気の多い場所はいくらでもありそうだし」
「うん……。できれば二度と行かないで済むといいんだけどな。でも、広範囲にっていうのはありよね。今までそんな方法、考えたこともなかったわ」
いやなものを見ないで済むなら、それに越したことはない。
「やってみるわね」
レリーナが土魔法の呪文を唱える。これまでレリーナができていた土を降らせる魔法は、せいぜい猫や小さな犬の身体を隠せる程度だった。意識して使った今の魔法は、それが三つ分隠れるくらいまで広がっている。
「んー、これだと広範囲って感じじゃないわね」
「最初からそううまくいくなら、すぐに認定試験を受けられるよ。少しずつでいいんだ。ある程度のダメージだってほしいし、与えるダメージを減らさないようにしつつ範囲を広げるようにしないと、広げるだけじゃ意味がないだろ。単にいやがらせで土をかけてるだけ、みたいになるしさ」
「うん、そっか……。そうよね。最初からうまくできたら、誰も苦労はしないわ」
広い範囲に土をまくだけでは、魔物だってすぐに反撃してくる。反撃できないように、もしくは反撃ができてもそれが遅れるようにしなければ。
「偉そうに言って、俺もどこまで広範囲に力を及ぼすことができるか怪しいけどさ」
見本になる程うまくできるとは思えなかったが、提案した手前もあって、ラディは土の呪文を唱えてみた。
「わ、すごい……」
ラディが降らせた土は、教室一つ分くらいだろうか。レリーナの犬猫三匹分に比べれば相当な広さだ。この前行った森でこの魔法を使っていれば、かなりの魔物が埋められたはず。
「広さはまあまあだけど、与えられるダメージがどうかな。降ってきた土の量が少ないし、単に魔物が土まみれになるくらい……ってところか」
「ふふ、最初からうまくできないって言ったの、ラディじゃない」
「うん、まぁ……そうなんだけどさ」
先輩として、少しくらいは格好をつけたい部分もある。でも、そう簡単にいかないのが魔法の難しいところだ。
それに、魔法は見せびらかせるために使うのではない。ラディとレリーナに関して言えば、一歩間違えば命の危険がある場所へ行くのだから、遊び半分でやれば自分の寿命が縮まるのだ。
本当に危険な時は竜のジェイが動くだろうが、竜だって万能ではないから頼り切ってはいけない。聞けば「大竜の試練」は、力が強大な竜が己の魔力を過信して傲慢にならないように、という戒め覚えさせることを主としているらしい。竜の力を過信してはいけないのはラディ達協力者も同じこと。
ラディがレリーナに少しアドバイスをしつつ、二人は次にカロックで挑むことを想定しながら練習に打ち込んだ。
そろそろ切り上げようか、となって、二人でフィールドを後にする。
「今日が木曜日だから、ジェイが予定通りに扉を出してくれるなら明後日か。早いな」
「そうね。ターシャやブラッシュが一緒だったの、そんなに前じゃないと思うけど」
週一で異世界へ行く。こんな状況の見習いが、他にどれだけいるのやら。
「あ、ターシャにこの前会ったよ。レリーナに無理しない程度にがんばれってさ」
「応援してもらえるって嬉しいわね。あたし達がしてることを知ってる人がいるって、何だか心強い感じ。……おじいちゃんはカロックへ行ってる時、そのことを知ってる人はいたのかしら」
レリーナの家の隣に住んでいたラディの祖父ヴィグランは、レリーナを本当の孫のようにかわいがってくれた。ラディと一緒に、彼はカロックでの話をよく聞かせてくれたのだ。
「そういう話って聞いたことがなかったな。いつもカロックでの話だったし」
それも子どもの頃に聞いた話だ。忘れている部分もかなり多いはず。だが、誰かと一緒にカロックへ行った、という話は聞いた覚えがない。
「いつも呼び出した魔獣の話や、カロックでこんな魔物が出たって話だったもんね。あ、そうだわ」
レリーナはカバンからごそごそと一冊のノートを取り出した。
「あたしが描いたの」
ノートは罫線のない自由帳だった。そこに翼の生えた黒猫の姿が描かれている。
「これ、シュマ?」
前回カロックへ行った時、レリーナが呼び出した翼のある猫のシュマだ。鉛筆だけの絵ではあるが、かなりリアルに描かれている。
「うん。わかる?」
「そりゃ、わかるよ。すごいな。レリーナってこんなに絵がうまかったんだ」
二人でお絵かきをして遊んだ記憶がないので、レリーナの力量は知らない。だが、こうして見るとかなりのハイレベルだ。かろうじて猫とわかる程度の絵しか描けないラディは、素直に感心する。
もちろん、プロの画家レベルとまではいかないが、それでもレリーナのシュマに対する優しい気持ちが表れているように思えた。これはレリーナにしか描けない絵だ。
「ありがと。あたしね、こうして魔獣の絵を描いて、その解説を書いていくような仕事ができたらなって思ってるの。もしくは研究みたいなことをね。ターシャには少し話したことがあるんだけど」
魔獣に関わる仕事は色々ある、とターシャに教えてもらった。まだ具体的に決めた訳ではないが、とりあえずの方向は決まりつつある。
「そうか。レリーナは魔獣方面の仕事がいいのか」
「ラディは魔獣の絵がある図鑑を見たことはある?」
「もちろん、あるけど」
「説明部分はともかく、絵に関して言うなら悪意を感じない? すごく怖そうな顔で描かれてるのよ。あたしが見た図鑑がたまたまそうだったのかも知れないけど。だから、あたしはあたしなりの絵で、こんな怖い顔の魔獣ばっかりじゃないってことを伝えたいの」
「怒ってる時ならともかく、素の表情もあってしかるべきかな。あ、そうだ。翼のある猫はハネコと言ったら怒る、とかも?」
「解説部分については……そうね」
シュマは羽のある猫を省略した「ハネコ」という言い方をひどく嫌っていた。羽ではなく翼だと言い、それを省略するな、と。同じ種族のミューネも似たような反応だったし、レリーナはこういった誤解を解いた図鑑を作れたら、なんてことを思ったりもしているのだ。
「具体的にどの点に集中するかは、まだ決めてないんだけど」
「時間はあるんだから、ゆっくり考えればいいよ。あ、キュラナだ。デアゼルトにクオード……みんな、よく描けてるなぁ」
ノートにはシュマだけでなく、これまでにカロックで協力してくれた魔獣が描かれている。特徴がよく捉えられているし、見ていると懐かしく思えてきた。
「レリーナ、これは誰? 炎馬、だよな?」
その中で、ラディに見覚えのない魔獣がいた。形は炎馬だが、少し幼い感じがする。ラディがカロックで最初に呼び出したのは炎馬のリーオンだったが、この絵はリーオンではなさそうだ。
「うん。その子はあたしと契約したフィーアよ。まだ子どもなの。とってもかわいくって。真正面から懐いてくれるから、なおさらそう思っちゃうのよね。リーオンは青いたてがみだったけど、この子は朱色なの。お父さんは赤なんだけど、フィーアは少し他の子と色が違うらしいわ」
「へぇ、これがレリーナと契約した炎馬か。あれ、ジェイは?」
ラディはノートをぱらぱらとめくったが、これまで会った魔獣は全部描かれているのに、これだけ魔獣と会うきっかけになったジェイの絵がない。
「ジェイの絵は家にあるの。もし見られたりしたら、これは何? って話になっちゃうでしょ。竜の想像図、とでも言えばいいんでしょうけど、突っ込まれて聞かれたりしないようにって」
「ああ、なるほど」
竜の存在は認められていない訳ではないが、現在では目撃例が皆無に等しい。昔は時々見られることがあったようにも言われるが、それでもわずかな回数だ。しかも確かな証言かも怪しいということで、ほとんど架空の生き物に近い扱いになっている。
「このノートだって、クラスメイトに見せびらかすために持ってる訳じゃないの。ラディやターシャと会った時に見せられたらいいなってだけだから。どこでこれだけの魔獣と会ったんだって言われたら、それも言い訳が大変になっちゃうでしょ」
炎馬や炎獅子くらいなら呼び出す魔法使いもいるが、麒麟やグリフォンなどはそうそう会える魔獣ではない。グリフォンに関しては、ラディが契約したカイザックだと言えば何とかゴマかせるだろうが、色付けをしたらその言い訳は難しくなる。
「そうだよな。このノート、見せられるのってブラッシュとターシャと……テルラくらいか。この魔獣全てに会ったことを信じさせるためには、カロックへ連れて行かないといけないもんなぁ」
いくらジェイが飛び入り歓迎と言ってくれても、まさかクラス全員連れて行く訳にはいかないだろう。このノートは限られた人数だけしか見られない貴重な資料だ。
「ねぇ、ラディ。ここにカイザックも入れていい?」
会ったばかりということもあり、この前の日曜に話をしたグリフォンはまだ描かれていなかった。
「もちろん。見せれば絶対喜んでくれるよ。次にカロックの話をする時は、このノートがあればもっと話しやすくなるよな」
まだカイザックにはカロックでのできごと全てを話せた訳ではない。ラディが一人前の魔法使いになって魔物退治に行くようになり、カイザックに同行を求めるようになるまでにはもう少しかかるだろう。話をする時間はまだある。
「それまでに描いておくわ。ダメ出しされないよう、気を入れて描かなきゃ」
そう言って、レリーナは笑った。





