聞きたい
レリーナが教室に入ると、クラスメイトのメイラスが駆け寄って来た。
「ねぇ、レリーナ、聞いた?」
「え? 何のこと?」
いきなりこんな質問をされても、レリーナにはすぐに該当する話が浮かばない。
「ブラッシュのことよ。実は彼に恋人がいるって話!」
「あ……ああ、他の人達が話してるのをちらっと聞いた程度だけど」
ラディがミュアに話したことだが、クラスが違うので下級生のレリーナ達は一日遅れてその話を聞くことになった。
まずはラディ達のいる上級のクラスに噂が広まり、上級クラスに知り合いがいる中級や初心者クラスの一部の女子がその話を聞き……あっという間にロネール全体が知ることとなる。
もっとも、噂なので話されている内容について、どこまで正しく広がっているかは怪しい。
レリーナは、あちこちでその噂をしている女子達の話を漏れ聞いて「そうなんだ」と思いながら教室に入った。そこへメイラスが来て、この話を聞いたかと尋ねたのである。
「こんなの、悪夢よ。私、今日は授業を受ける気分じゃないわ」
メイラスはそう言って、レリーナに泣きつく。他でも似たような光景が繰り広げられているようだ。
「落ち着いて、メイラス。ブラッシュはあんなにステキなんだもん、恋人がいない方が変よ。仕方ないわ」
これまでメイラスとブラッシュの話をした覚えはなかったが、彼女も多分に漏れず彼のファンだったらしい。レリーナはよしよしと友人をなぐさめる。
「レリーナはずいぶん落ち着いてるのね。ショックじゃないの? ロネールで一番の魔法使いに恋人がいたのよ」
「あたしは別にショックってことは……。だから、ブラッシュに恋人がいないと思う方が変じゃない? 周りの女性が放っておかないだろうし」
「ショックじゃない人がいるなんて、私にはそっちの方が変に思えるわよ」
メイラスは拗ねたように言い返す。
「あ、もちろん魔法使いとしては尊敬してるわよ。あたし達より少し年上なだけの人が、魔法使い協会で一番の腕だって言われてるんだもん。すごいなって思うけど……その程度よ。確かに近くで見れば格好いいし、優しかったけど」
最後のセリフを言ってから、レリーナは「しまった」と思った。メイラスが目を見開いてレリーナを見ていたのだ。
「会ったこと、あるのっ? いつ? どうして会えたのよ」
怖い程真剣な表情で、メイラスはレリーナに詰め寄る。
「え、えっと……幼なじみがブラッシュと友達なの。で、二人が一緒にいる時にたまたま会って……」
語弊があるかも知れないが、レリーナにとっては本当に「たまたま」だ。ジェイに話していたし、ラディがブラッシュをいつかカロックへ連れて行くだろうというのはわかっていたつもりだ。それがこの前の土曜だった、というだけ。二人が世界をつなぐ扉から現れ、レリーナは彼らと会った。
人に話せるのはここまでだが、嘘ではない。
「いいなぁ、いいなぁ。ねぇ、やっぱりハンサムだった?」
「う……うん、ステキだったわ」
「何を話したの?」
「えっと……自己紹介して……何を話したかな」
人に話す程の会話をそんなに交わした覚えがない。カロックでの会話だからあまり人に話せる内容ではないし、では教えても問題のない会話の中身と尋ねられると……思い出せなかった。たぶん、何でもないような雑談を少ししたくらいだ。魔法、魔物、カロックについての話以外では、ブラッシュはもっぱらラディと話していたように思う。
ラディが倒れた時はブラッシュと言葉を交わしたはずだが、あの時のことは本当にほとんど覚えていない。
「緊張して覚えてないとか?」
「あ……そ、そう。見かけることはあっても、話をすることがあるとは思ってない人だから、いざとなったら自分の名前だけしか言えてない、みたいな感じ」
メイラスが口にした言葉に、レリーナは迷わず乗っかる。これで追求を逃れられるはずだ。あまり大っぴらにできない話だから、記憶が飛んだことにしておいた方がいい。
「それでも、レリーナはブラッシュと対面できた訳でしょ。いいなぁ」
これで、彼の魔法を間近で見た、なんて言ったら首を絞められるかも知れない。
本当は全然緊張しなかったんだけどな。それって、ブラッシュに失礼だったのかしら。少しはどきどきしたけど、カロックにいたらそれどころじゃないし。ああいう場所じゃなかったら、あたしも緊張してまともにしゃべれなかったのかしら。ラディがそばにいたから、気にせずに話ができたのかもね。
ロネールの敷地内で二人きりなら、レリーナもそれなりに緊張してまともに話もできずに終わるかも知れない。でも、あの時はラディがいてジェイがいた。むしろ、レリーナがどきどきするべき相手は竜であるジェイだろう。……全くどきどきしていないが。
あたし、すごすぎる存在と一緒にいる時間が長いせいで、感覚が麻痺してるのかしら。
そのあたりも、緊張せずにいられた理由かも知れない。
「幼なじみの友達かぁ。ブラッシュが友達なんて、うらやましすぎるわ。……幼なじみって、もしかして前にロネールでグリフォンを呼んだ人?」
ラディはグリフォンのカイザックと契約している。そのカイザックがロネールに現れ、一時騒然となったのだ。レリーナは気楽に「あたしも会いたかった」とラディに話していたのだが、あのグリフォンは幼なじみに会いに来ていたらしい、ということをメイラスに話していた気がする。
「そうよ」
「グリフォンを呼べるくらいなんだから、レリーナの幼なじみってすごいのね、なんて話してたっけ。そっかぁ、そういう人だからブラッシュと友達になれるのね」
ブラッシュと友人関係になったのは、カイザックと契約するずっと前と聞いているが、メイラスはそう納得しているようなのでレリーナは黙っておいた。それに、そんな細かいことまではレリーナも聞いていないので、これ以上何か尋ねられても困る。
「私、その人に会ってみたい。レリーナ、紹介してよ」
「え……?」
まさかそう来るとは思わず、レリーナは言葉に詰まる。
「どんな人? 格好いい? グリフォンを呼べるんだから、魔法の腕もあるわよね。上級の1? 2?」
「1だけど……その……」
どう答えればいいのだろう。ブラッシュからいきなりラディに乗り換えようとしているメイラスの軽さにも驚きだが、こんな依頼をされる日が来るなんて考えたこともなかった。
ラディとは幼なじみであり、今は見習い魔法使いの先輩後輩の仲。関係と言えば、それくらいだ。紹介してくれと言われ、断る理由は特にないように思われる。
だが、レリーナはうんと頷けなかった。
もし、ラディとメイラスがくっつくことになったら……そんなの、やだ。
一瞬考えた「もしも」は、レリーナをおおいに焦らせた。ブラッシュに恋人がいる、という噂より余程ショックだ。
「メイラス、ごめんね。同じロネールの中にいても、あんまり顔を合わせる機会ってないのよ。クラスが違うとなかなか……ね」
気付けば、レリーナはそう言っていた。遠回しに断っていたのだ。
「えー、そうなの? んー、確かに上級と中級じゃ、講堂に集合させられる時くらいしか顔を合わす時がないものねぇ」
幸い、メイラスはしつこく食い下がってくることはなかった。存在は知っていても顔も知らない人をどうしても紹介してほしい、とまでは思わないのだろう。心の中でレリーナはほっとする。
やがて始業の鐘が鳴り、それぞれが自席についた。
あたし、こんなにラディのこと……。
メイラスに限らず、誰かがラディの隣で笑っていることを考えると、自分でも信じられないくらい苦しくなる。そんな光景は絶対に見たくない。
前に先輩魔法使いのターシャが、ラディはレリーナをとても大切にしている、と話していた。レリーナ自身も、ラディがカロックで守ろうとしてくれているのは十分に感じている。
ただ、それは自分より弱い者を守ろうとする優しさなのか、別の気持ちがあるからなのかはわからない。
聞きたい気はする。だが、単に優しさだけで、先輩の義務としてレリーナを守ろうとしているだけだったとしたら。
そんなことを知ってしまったら、今までのように笑えない。カロックにいる間だけとは言っても、ラディと顔を合わせるのがつらくなりそうな気がした。
もし何も言わないまま、地図が完成してジェイの試練が終わったら……。
いつもラディが復元するカロックの地図は、もう半分以上が元に戻っている。かけらの大きさにもよるので回数があとどれだけになるのか予測はつかないが、間違いなく時間は迫っているのだ。
ラディ……あたしは……。
☆☆☆
今日はこれくらいで終わっておくか。
ラディはいつもより少し軽いメニューにして、魔法の練習を終わることにした。
今日は金曜だ。いつものようにジェイがうまくやってくれれば、明日か明後日にはカロックへ行くことになる。あまりがっつりと練習して疲れてしまっては、カロックでいざ戦うとなった時に失敗しかねない。
魔法の練習場であるフィールドなら、現れる魔物は幻影なのでケガはしないが、カロックで現れるのは本物の魔物。今日はちょっと調子が悪いからと言っても、手加減してくれないのだ。
ラディはフィールドを後にし、門へと向かう。その途中で、見覚えのある後ろ姿を見付けた。
「レリーナ」
ラディが呼び掛けると、すぐにこちらを振り返る。ラディの顔を見ると、レリーナは笑顔を浮かべた。
「今帰り?」
「うん、図書室へ寄ってたの」
そのまま自然に、二人は並んで帰り道を歩く。
「ラディは練習?」
「そう。予定通りなら、明日には呼ばれるだろうからさ。体力は温存しておこうと思って。ブラッシュがいた時は少し楽ができたけど、今度はそうもいかないだろ」
「そうね。これまで通りのはずだけど、一人増えて楽を覚えると次が大変だわ」
カロックで現れる魔物は、こちらの人数などお構いなしだ。そんな状況の中に腕利きの魔法使いがいれば、助けになるし安心もできる。
ただ、その状態はイレギュラーなのだ。慣れてしまっては、自分が苦しくなる。
思えば、ラディはレリーナと二人でカロックに行っているが、本来の協力者はだいたいが一人なのだ。それだけでも、ラディ達は楽をしていることになる。他の協力者達はかなり苦労していることだろう。二人で組めるだけでもありがたいことなのだ。
「一週間って、早いよな。授業だけでも精一杯なのに、毎週リアルなテストを受けてる気分になるしさ。しかも、失敗したら死にかけるかも知れないっていう過酷なテストだし」
「毎日が充実しすぎね。……ラディ、あれから具合はどう? 痛みが出たりしてない?」
「痛み?」
「木にぶつかって、意識がなくなったでしょ」
前回カロックへ行った時、植物系の魔物に捕まってしまい、逃げられたはいいが木に投げつけられる状態となってしまったのだ。
「ああ、忘れてた」
「何よ、それ。あの時、すっごく心配したのよ」
恐らくは全身を打ち付け、頭も打っていただろう。ジェイが治してくれたからいいものの、そうでなければ具合がよくなるまでカロックに足止めされてたかも知れないのだ。
「レリーナに言われるまで、本当に忘れてた。だから、全然何ともないんだよ」
「そう。それならいいけど」
「ありがと、心配してくれて」
「ジェイが治してくれたけど、一時的に意識がなくなるのって後から何かありそうで怖いもん。でも……やっぱり竜の力は完璧ってことね」
「あ、それ。俺だけがジェイの手を見てないんだよなぁ」
状態が少し深刻だったらしく、ジェイは手だけを本来の姿に戻してラディに治癒を施した。レリーナとブラッシュはその光景を見ているが、当事者であるラディは意識がなかったので知らないのだ。後で話を聞かされ、見られなかったことをひどく悔しがって。
「ラディだけはおあずけね。あたしだって、ジェイの本来の姿だって言われても見たのは手だけよ。角度によっては、ジェイが手のような物を持っているとしか思えない感じで。地図が完成すれば、ちゃんとジェイの全身が見られるわ」
「楽しみだけど、それを見たらカロックには行けなくなるんだよなぁ」
ジェイの本来の姿を見る時、それは別れの時となる。すぐに来ないでほしいと思うし、でもジェイの姿は見たい。ジレンマである。
「ブラッシュと行って、もう一週間になるのね。あ、そう言えばブラッシュの噂……あれって本当なの?」
噂というものは、どこまで信憑性があるのだろう。その中身にもよるだろうが、ブラッシュの恋人、というのは本当にありそうだから判断に困る。
「恋人がいるって奴? 本当。俺がブラッシュに直接聞いたから。……ってか、あれを言ったのって俺なんだよな」
「え? ラディが噂の発信元なの?」
「言いふらしたって訳じゃないんだけど」
ラディはブラッシュとの話、ミュアとの会話についてレリーナに説明した。ブラッシュは「いい感じになっている子」という言い方をしていたが、ラディはその言い方をしなかった。恋人とはっきりも言わなかったが、あいまいな状態の関係を口にすれば面倒なことにもなりかねないので、ミュアが恋人という言葉を出した時にあえて否定はしなかったのだ。
彼女の中には「奪い取る」という選択肢も浮かんでいるかも知れないが、それをするためにまたラディを利用する、とまではしないだろう。その気持ちを隠して「やっぱり友達になりたい」などと言って来ることはありえるだろうが。
「ブラッシュから苦情は来てないから、あの噂も甘んじて受け入れてるんだろうと思う。いいとは言ったけど、こんなに早く噂になるとは思ってなかっただろうけどさ」
あの噂からつながって、レリーナがはっきり自覚したラディへの想い。レリーナへの気持ちを知る本人が隣にいるが、真実は聞き出せないでいるレリーナはただ歩みを進めるだけだ。
「あ、そうだ。レリーナ」
「な、何?」
会話が途切れていた訳ではないが、不意に名前を呼ばれてどきっとする。
「次にカロックへ行った時のことなんだけど……いつも俺がやってる召喚、レリーナがやってみないか?」
「え、あたしが?」
カロックへ行った時、最初にするのが魔獣を呼び出すこと。そうしないとカロックでは移動もままならない程に広い。それは今までずっとラディがやっていた。
「レリーナも召喚ができるようになったんだろ。だったら、そろそろいいんじゃないかって思ってさ。ほら、シュマを呼び出すって約束したんだろ」
「うん、そうだけど……」
カロックへ呼び出されるようになってまだ間がない頃。ラディは翼のある猫のシュマを呼び出した。それから数回目にカロックへ行った時、レリーナだけがよその場所へ飛ばされてしまうというアクシデントが起きたのだが、その時にシュマが現れて助けてくれたのだ。
まだレリーナは召喚を習っておらず、本来なら術者ですらないレリーナの依頼に耳を貸す義理はなかったのだが、シュマは召喚術ができるようになったら最初に呼べ、という条件を出してレリーナを助けてくれた。
シュマが本気で待っているかは知らないが、レリーナはやるつもりである。今のクラスに進級して召喚も習い、実際に授業で炎馬のフィーアを召喚して契約までした。それだけの力があれば、シュマを呼び出すことも可能のはずだ。
ラディはレリーナがいつかシュマを呼び出すつもりでいることを知っているし、いつ地図が完成するかわからないところまで来ているのでそろそろ……と思ったのだ。協力者は二人いるのだし、どちらが召喚をしても構わないのだから。
「ジェイなら文句は言わないだろ。タイミングを外すと、いつシュマを呼び出せるかってことになるし。やってもいいと思うんだ。もしうまくいかなかったら、その時は俺がやるからさ。どう?」
突然の提案に、レリーナは戸惑う。確かに召喚は習ったし、実際にやったこともあるし、契約もできた。でも、それはまだ一回だけなのだ。カロックで何度も使ったことのある攻撃魔法や結界とは全然違う。でも……。
「うん。あたし、やってみるわ」
以前、シュマを呼び出したのはラディ。だが、ターシャに言われたこともあって、シュマとの相性はきっといいはず、とレリーナは思っている。誰が現れるかわからない術ではなく、特定の魔獣を呼び出すなら、きっとシュマは応えてくれるはずだ。
「よし。じゃ、決まり。この魔法に関しては練習できないのがつらいところだけど、レリーナなら絶対にできるから」
「ありがとう、ラディ」
楽しみ半分、不安半分。でも、ラディがそばにいてくれるならできそうな気がする。
ふと気付けば、レリーナの家の前まで来ていた。当たり前のように歩いて、着くまで全然気付かなかったレリーナは驚いてラディを見る。
「もしかして、送ってくれたの?」
「もう明るい時間じゃないから。家がそう離れてる訳でもないしさ」
やっぱり大切にされてるなと思う。その行動の奥にあるのは、優しさだけなのか、それとも……。
思い切って聞いてみようかと、レリーナが息を吸った時。
「じゃあな」
ラディは軽く手を振って、去って行く。
「ありがとう、ラディ。気を付けてね」
レリーナが吸った息は質問にはならず、礼と見送りの言葉に変わったのだった。





