雪山
大きな魔獣に乗れば、当然視界も高くなる。その魔獣が空高く飛べば、もっと高い。
ターシャは自分が仕事の関係で魔獣に乗り慣れていることに感謝した。でなければ、声も出せないまま、前に乗っているレリーナにひたすらしがみつくしかできなかっただろうと思えるからだ。
ラディの姉がロック鳥に乗って怖がっていた、という話を聞いたが、当然だろう。これは正規だろうと見習いだろうと、慣れていなければ相当怖い体験だ。自分達の世界で行う通常の魔獣召喚とはレベルが違う。
「氷って呼ばれてるんだろ。どうして氷の山が嫌なんだよ」
いつものように、魔獣の頭にちょこんと乗ったジェイが、わずかに振り向きながら不思議そうに尋ねる。
「ジェイ、別に私は氷って呼ばれてるんじゃないわ」
「だけど、来た時に氷のターシャって、ラディが言ってただろ」
「そういう通り名が勝手につけられたのよ。たまたま私が氷魔法を一番得意としていたから。魔法で氷を使っても、実際に寒いのは苦手よ。色々な場所に行くんでしょ。どうして私が来た時に限って、氷の山かしら」
「色々な場所に行くから、いつかはそういう場所に行くんだろうなぁ、とは思ってたけど。とうとうって感じよね」
レリーナはきっと行くことになると予想はしていたものの、覚悟するのと現実に行くのとではやはり違う。
いつものようにラディが結界を張ってくれているし、多少は寒さもしのげるはずだが……行く先がわかっていれば、たとえ薄手のコート一枚でも持って来たかった。
「人間というのは、寒さに弱いのか?」
女性二人のため息が深いので、デアゼルトは不思議そうに尋ねる。
「個人差はあるけどね。俺達が住む地域は冬でもそんなに冷え込まないからあまり慣れてないし、どちらかと言えば弱いかも」
「冷え込まないなんて、嘘よ。寒い時は寒いわ」
ターシャが言い切り、ラディは苦笑するしかない。本当に寒いのが嫌いのようだ。
「デアゼルトは平気なのか? どこに行っても堂々と立っていそうな感じだけど」
「私達の体毛は、外界の刺激をある程度遮断するからな。極端な場所はともかく、普段はあまり暑さや寒さを気にすることはない」
うらやましい~、と後ろの女性二人。
「オレにはそういうこと、聞いてくれないのか」
「だって、ジェイは火の中に手を突っ込んでも火傷一つしないじゃないか。だったら寒さも全然気にならないんだろ?」
「ラディのそういう対応が、オレの心を冷えさせるんだ……」
「竜が拗ねるなって」
「竜だって、拗ねる時は拗ねる」
そのやりとりに、小さな笑いが起きる。
そうこうするうち、空気が冷たくなってきた。結界を張っていても、肌寒い。直接外気に触れれば震えてしまいそうだ。恐らく、十度は完全に下回っている。目的地へ近付く程、寒暖計の目盛りもマイナスに近付くのだ。
やがて、目の前に白い山が現れる。頂上からふもとまで、全て真っ白だ。ふもとからさらにしばらく歩かなくては、土色の地面は見えない。つまりは雪原が広がっている。どれだけ寒いかは想像したくもなかった。
「ジェイ、どの辺りへ行けばいい?」
「んーと……もう少し左。あ、あの木がある辺りでいいや」
「こんな所にも木が育つの?」
ジェイの目のよさに追いつかないレリーナが目をこらしてみたが、それらしい影は見えない。
「普通の木じゃないけどな」
その点ではいつものこと。
「まさかその木が動き回る、なんて言わないでくれよ」
「ここでは動き回るのは見たことがないな」
それを聞いて、他ではあるんだ、とラディやレリーナは思ったが、それは実際に遭遇する時まで聞かないことにしておく。
「氷の木だよ。氷が普通の植物と同じように育つんだ。山が持つ魔力がそういうのを育てるんだろうな」
「普通の植物みたいに……。じゃあ、まさかと思うけど、実がなったりとかするの?」
「なるぞ。氷果実はあの山に棲む小物な奴らの大好物だ」
レリーナは冗談のつもりだったが、軽く返された。氷の果実はともかく、やはり魔物がいるのだと知らされて「やっぱり……」と少しテンションが下がる。いや、気温が下がってきたとわかった時から下がっていた。
「さすが異世界ね。人間が知らないだけかも知れないけど、私達の世界にそういう物はないもの」
「探せばあるかも知れんぞ。世界のあらゆることを知っているのは、竜以外にほとんどないからな」
「あたし、麒麟はものすごく物知りだって聞いたことがあるけど」
と言っても、本当に麒麟と会ったことがあるかもわからない人達が書いた図鑑である。何を基準にして物知りと表現したのか、怪しいものだ。
「他の魔獣に比べればそうかも知れない。だが、竜に比べれば、その数など大した量ではない」
「へえ~。それじゃ、ジェイって本当にすごいのね」
「おう。すごいんだぞ」
拗ねていたジェイも、レリーナの言葉であっさり復活した。その様子に、ターシャがくすっと笑う。
やがて、ジェイが言った木が人間達の目にも見えるようになり、デアゼルトはその近くへと降り立った。背は高いがレリーナの身体より細い幹の木が五本ばかり立っている雪原地帯だ。
「どう見ても木の形をした氷みたいだけど……これが本当に育つの?」
ターシャが木に近付いて、まじまじと見詰めた。表面こそ氷だが、枝葉の伸び方茂り方は木そのもの。幹の部分も角度を変えれば節があったり樹皮が見えたりする。
「ほら、この辺りにつぼみがあるぞ。これが咲いて、その後で実がなるんだ」
確かに枝の先にぷっくりとふくれている部分がある。透明だったり白だったりでわかりにくいが、色があればそれがつぼみだとすぐにわかるだろう。本当にこの氷の木に実がなるのだ。
「今回、氷の木に用はないからいいとして……悪いけど、今回使う魔法は火なんだ」
雑談からいきなり本題に入られ、ラディとレリーナは戸惑う。
「ええっ?」
「火って、ここでか? また対照的な魔法を選んでくれるよな」
「火の山の時は水だったわよね。逆ならよかったのに」
ジェイの責任ではないが、わざと追い詰めるように仕組まれている気になる。
「余計な魔物を刺激しない方がいいと思うが」
デアゼルトの意見はしごくまっとうだ。こんな場所で火の魔法を起こせば、テリトリーに侵入した敵とみなされて襲われるのは目に見える。実際、火の山でもそういうことがあったのだ。
「オレが魔法の種類を選べたらいいんだけどなー。要は邪魔する奴らを取り除きながら行けってことだよ」
「……まぁ、いつものことだけどさ」
文句を言っても始まらない。ジェイが火の魔法と言った以上、それを使わない限りここから動けない。かけらの気配はどうがんばってもジェイにしかわからないし、そのためにはラディ達が指定された魔法を使わなくてはならないのだ。
「小さくてもいいんだよな」
ラディはロウソクの火を点ける程度の火を出した。しかし、長くは出さない。すぐに消せば、寄って来る魔物もそれだけ減る……ということを期待したい。
「こっちだな」
かけらの気配を感じ取り、ジェイはそちらへ進む。
「あれでわかるの?」
「そうみたいです。あたし達にはさっぱりなんだけど」
ターシャが驚くのも無理はない。レリーナ達もいまだに不思議な感じがするくらいだ。
ジェイが進む方へ、ラディ達もついて行く。
雪と氷の山と聞いたが、こうして実際に来てみれば雪は氷の木に少し積もっているくらいだ。少なくともこの周辺の地面にはそんなに積もっていない。どちらかと言えば、固めのシャーベットといった感じだろうか。
少し傾斜があるのはここが山だから仕方ないとしても、想像していたよりは歩きやすい。腰まで埋もれるような雪や、つるつるの氷を歩くよりはずっといい状態で進める。
「本当に寒いわね。もう少し結界を強めておきましょうか。何もしないよりはいいわ」
一応、来るまでにラディがレリーナと自分に、ターシャも自身に結界をかけている。
「あー、そうだな。無駄にはならないだろ。不意打ちして来る奴がいても、それなら守れるだろうし」
「ジェイ、そういう怖い可能性、言わないでよぉ」
心づもりがある方がいいのだろうが、聞きたくないというのも本音だ。
「……なるほどね。ジェイの言ってた意味がわかったわ」
不意にターシャが納得したような言葉を口にする。
「ん? 何言ったっけ」
「魔力が落ちてるって話よ。さっきはそんなに思わなかったけど、改めて少し強めの結界をかけようとしたら、手応えをあまり感じないの。妙な重さがあるって言うか」
「俺くらいのレベルにまで落ちてるとか?」
「ラディもずいぶん強くなってるからな。んー……でも、ターシャの方が若干上って感じか。元々あった差がかなり縮まったってところだな」
「ラディは上級1って言ったわね。ということは、私は2ってところかしら」
魔力が落ちたとわかっても、ターシャに悲壮感はない。黙っていれば深窓の令嬢にすら見える彼女だが、思っていた以上に肝が据わっているようだ。
「白ばっかりで目がいたーい。デアゼルトがいてくれて、すごく助かるわ」
レリーナの気持ちはラディやターシャにもわかる。空は曇っているが、たまに太陽が顔を出したりすると反射してひどくまぶしい。そうでなくても、同じ色をずっと見ているのは結構つらいものがある。白以外は地形による影の暗い青や黒くらいだ。
「私が選んだ身体ではないが、役に立つものだな」
「すごくきれいな黒よね。艶のある黒って本当にステキだわ」
「生まれた時からこうだから、私にはよくわからないが」
「自分じゃわからないって、よくあることよね。デアゼルトが人間の姿になったら、きっと見事な黒髪になるわよ。神秘的でとてもかっこいい男性になると思うわ」
横で聞いていたターシャは、いつもレリーナが魔獣の話をする時に目をきらきらさせていた理由がわかった気がした。
こうして美しく強い魔獣をカロックで何度も見て、彼女は彼らの姿に魅せられているのだ。本来持っていた趣味嗜好の部分を刺激された、というところか。
ラディがデアゼルトを呼び出した時にまるで臆してなかったように、レリーナも普通に会話している。根底で好みが同じなのかも知れない。だから、二人で協力者をやっていられるのだ。レリーナがもし魔獣を苦手にしていたら、ジェイに呼び出されても彼女はあの扉を開けようとしないかも知れない。魔獣に対し、こうして素直に好意を向けられる彼女だから、うまくいっているのだ。
「ところで、ジェイ」
レリーナにほめられ、少し気恥ずかしくなったのか、デアゼルトは何気に会話の方向を変えた。
「さっきからこの周辺の地面が気になっているのだが……コースを少し変えられないか」
「変えることは可能だけど、遠回りになるぞ。んー、でも、やっぱりマズいかな」
彼らの会話に、事情がわからない三人は不安になる。
「何がどうマズいんだ。ジェイ、ちゃんと言っておいてくれよ」
「この辺りの地面、ぐちゃぐちゃな状態で凍ってるだろ。他の所はもっとなめらかなんだよな」
「つまり、その点が何かよくないことを表している……ってことか。魔物?」
聞くまでもない。こういう場所に来て不安材料と言えば、魔物だ。
「私が察するところ、雪牛だろう。私より大きい身体で、群れで行動する」
「それ、すごーくマズいだろ。デアゼルトより大きくて団体行動かよ。そいつらが地面を踏み荒らして、そのまま凍った状態がこれってことか」
歩く度に足の下でじゃりじゃりと音をたてる雪と氷。魔物によって踏み砕かれた氷がまた凍り、さらに雪が積もる。その足下は当然平らではなく、歩く度に不安定な形で凍った氷や雪を踏み砕くことになり、音が出るのだ。本当ならもっと静かに歩けるはずなのだが、魔物の仕業でそうなってしまう。
「恐らく、私達を襲って来ることはない。奴らの主食はさっき話していた氷果実だからな。だが、テリトリー内をよく突進する。この地面を見る限り、ここは奴らのテリトリーであり、突進コースらしい」
「あ、突進タイムみたいだ」
「ええっ!」
ジェイは何でもないように言うが、巻き込まれたら魔物に襲われるようなもの。いくら喰う気がなくても、こちらにすれば危険きわまりない。
どこから来るのかと思ったが、すぐに後方で雪煙が舞い上がっているかのように白くなったのが見えた。
「あいつらはオレ達のことなんて構っちゃいない。コース内にいたって、止まる気はないし。ほとんど曲がらないらしいんだよなー。当たりたくなかったら、オレ達がコースから外れるしかないんだ」
「つまり、地面がなめらかな所に移動すれば、その雪牛ってのにはね飛ばされないで済むのね」
ターシャの言葉で、ラディ達はすぐに移動を開始する。雪煙を上げながら、白い巨体が群れでこちらに近付いているのだ。ぼーっとしている暇はない。かけらのある方へ向かうコースへは後で軌道修正するとして、今は逃げる方が先。
その場からそれぞれが左右に分かれ、その中央を突進してきた魔物が走り抜けて行く。
見た目は少し毛深い牛、という姿の魔物が、百頭以上はいるであろう群れを作って走る光景は圧巻だ。多少の壁や結界では、簡単に破られてしまうだろう。相手にケンカする気がないのなら、傍観するのが最善策。
それしても、目の前を通り過ぎる光景は、ほとんど白い壁。その壁が高速で動いているようなものだ。
雷のような地響きをあげながら、やがて雪牛達は通り過ぎって行った。向こうに襲う気がなくても、あの迫力は十分な脅威だ。
「おーい、誰も踏まれてないかぁ?」
「ジェイ……あんなのに踏まれてたら、絶対に死んでるって。俺達はジェイ程に頑丈じゃないんだから」
緊張感のないジェイの言葉に、ラディは脱力する。いつものことだが。
「……レリーナはどうした」
「え? いないわ。はぐれたのかしら」
デアゼルトに言われ、ラディとターシャは慌てて周囲を見回す。だが、一面の雪原のような光景の中に、レリーナの姿はない。
「血の臭いはしないから、踏みつぶされたのではないだろうが……」
ラディ達より視線の高いデアゼルトが見回しても、レリーナを見付けることはできない。
「レリーナ!」
ラディの声だけが、無情に響いた。





