祖父の友
ジェイが交渉した灰色狼はロアーグといい、この群れのボスだ。言われてみれば、後ろで控えていた狼達より若干大きいようにも見える。
「実は我々の仲間にも、昔大竜の試練にかかわった者がいる」
「へぇ、灰色狼でね。リーオンみたいなもんか」
普通の馬より大きなリーオンより、灰色狼達はさらに大きい。呼び出されたとしても、人間がその背に乗って移動することは造作もなかっただろう。
大竜の試練のために見習い魔法使いがカロックへ来るのは、複数回。その半分近くの回数を共に行動した。一緒にいる時間が長ければ、魔獣と人間であっても親しくなるもの。その見習い魔法使いが持っていた水晶を狼が「きれいだ」と言ったことで、魔法使いは最後にカロックへ来た時にそれを渡した。友情の証みたいなものかな、と魔法使いは少し照れながらくれたと言う。
人間の手の中にすっぽり収まるサイズの水晶。人間よりずっと身体の大きい狼にとっては豆粒にも等しい。それでも、ロアーグの仲間はその水晶をずっと大切にしていた。
ところが、さっきラディ達が出遭ったクードが、巣穴に置いていたそれを持ち出したのだ。いたずら好きなクードが水晶を見付けたのは、たぶん偶然。その水晶には特にこれという効果などなく、きれいだと思って盗んだのだろう。そこへ巣穴の主が戻り、鉢合わせする。
大切な物を盗まれたのだから、当然狼はクードを追う。クードもさっさと放り出せばいいのに、パニックになってしまったのか、抱きかかえて走り出した。大きさからすれば、追いつくのはあっという間だ。しかし、小さいクードはちょこまかとあちこち走り回り、なかなか捕まえることができない。
やがて、狼がそのしっぽを押さえ付けることでようやく捕まえた。しかし、しっぽを押さえられたクードはのけぞり、その勢いで水晶が手から転がり落ちる。両者がはっとした時には水晶は緩やかな坂を転がり、岩の割れ目に落ちてしまった。ゴルの森には所々に岩地の部分があり、運悪くそこへ転がり込んだのだ。
水晶は小さい。割れ目は細い。巨大な身体の狼には届かない場所だ。へたに岩を壊せば、一緒に水晶も割れてしまう。そこに見えているのに、どうしても届かない。いっそ粉々に割れていたり、消えてしまえばあきらめもつくのに。
このことがあって以来、ロアーグの仲間の狼はその岩地からずっと動かなくなってしまった。岩に根が生えたように、じっとしている。少しでも目を離せば水晶が消えてしまうのではと恐れて。
何も食べずに居続けているので、今では身体が一回り小さくなった。身体を小さくして取り出そうとでも思っているのか。しかし、これではその前に餓死してしまう。魔獣といえども、不老不死ではないのだ。無茶な状態を続ければ、身体が参ってしまう。
ロアーグは何度もあきらめるように仲間を諭したが、何を言われても群れに戻ろうとしない。今は水晶への執着心のみで生きているようなものだ。
「オレ達がクードに絡まれてる時、えらくぴりぴりした空気をまとって出て来たと思ったけど、それのせい?」
「ないとは言えんな。元々、奴らを歓迎していた訳でもない」
穏やかならぬ気配はラディも感じていた。しかし、それは自分の縄張で大騒ぎしていることに怒っているのだと思っていた。もちろん、それもあるだろうが、この仲間の件でクードに対して憎悪のような感情があるからだろう。クードが余計なことをしなければ、仲間は自ら餓死への道を進もうとすることはなかったのだから。
「ジェイ、大竜の試練ってこれまでに何度も行われてるわよね?」
「ん? そりゃ、大竜の数だけあるぞ。いつ行うかはランダムだけど」
「ラディ、覚えてない? ほら、おじいちゃんの話で、大きな狼が出て来たでしょ」
「出て来たけど……え、それって」
「ありえるわよ。カロックのことが本当だったんだから、狼の話も本当のはずだわ。ねぇ、名前覚えてない? 絶対、聞いてるわよ」
子どもの頃に聞いたものだから、話によっては記憶があいまいな部分がある。しかし、その中で狼は間違いなく登場していたのだ。狼は何頭もいる。だから、全然関係ないかも知れない。しかし、ヴィグランが話していた狼とその狼が同一魔獣だったら。水晶はヴィグランが渡した物ということになりはしないか。
「うん。主要キャラはちゃんと名前が出てたもんな。えーと……」
ロアーグ。それは目の前にいるボスだ。しかし、一度頭にその名前が浮かぶと、違う名が浮かんで来なくなってしまう。ジェイでもリーオンでも、ましてやカロックでもなく。
「ナ……ナから始まらなかったっけ。ナァス……違うな」
「でも、近い感じがするわ。ナ、ナ、ナ……」
事情が今ひとつ掴めないロアーグは、いきなり悩み出した見習い魔法使いを不思議そうな目で見ている。
「ナーノス!」
「そうよ、ナーノスよ」
「なぜお前達がナーノスの名を知っている?」
ロアーグの言葉に、今度はラディとレリーナが驚いた。
「え、本当にその仲間はナーノスだったのか?」
「じゃ、水晶をあげたのはおじいちゃん?」
まさか本当に同一魔獣とは思わなかった。とにかく、二人にとって知らない狼ではない。ヴィグランの話の中に、自分達の想像の世界の中に何度も現れていた。縄張に入れてもらう条件うんぬんより、ヴィグランと親しくなった狼を助けなければ。
「ロアーグ、早くナーノスの所へ案内してくれ」
何を条件に出してくるんだろうと不安にそうにしていた二人は一変、巨大狼へと詰め寄る。
「どうやら我々が動く必要はなさそうだな」
「うん。うまい具合に流れてくれたようで、助かった」
見習い魔法使いに迫られるロアーグを見ながら、ジェイとリーオンはこっそりそんなことを言い合った。
☆☆☆
リーオンがゴルの森へ降りた時、その場は木々が少なく、開けた場所だった。二人の見習い魔法使いに迫られ、ロアーグが連れて来た場所も開けている。地面が土ではなく岩になっていて、そんな場所だから木々が育たない。だが、岩の割れ目から生命力のたくましい雑草が青々と茂っていた。
そんな岩場の一角に、汚れた灰色の物体がある。巨大な毛布にも見えるそれが、ロアーグの仲間のナーノスだ。本当の大きさは仲間達と変わらないのだろうが、すっかりやせこけてしまい、そのせいで覇気が全くない。その場に伏せ、じっとしているだけだ。
「ナーノス」
ラディが声をかけながら、やせた狼に近付いた。いきなり牙をむいてくるのでは、などという恐怖心も警戒心もない。そんなことができる体力が残っているように見えない、と判断したのでもない。ただ、話を聞いた時点で助けたいと思った。それだけだ。
ナーノスの耳がわずかに動いた。半眼で宙を見詰めていた銀色の瞳が、ゆっくりと声のした方に向けられる。そして、ラディの姿を認めた途端、はっとしたように見開かれた。だが、すぐに視線をそらす。自分が見たものと見たいものが違ったと悟ったようだ。
「ヴィグランと間違えた?」
頭を前脚に乗せていたナーノスは、今度こそはっきり目を開いてラディの方を見た。
「お前、なぜその名を」
「俺はヴィグランの孫のラディだ。じいちゃんの若い時に似てるってよく言われる」
「ああ……確かにな」
相手の正体を知り、ナーノスは再び頭を前脚に乗せた。ラディに興味があるなしにかかわらず、じっと頭を持ち上げていられるだけの体力がないのだ。
「水晶をくれたのは、俺のじいちゃんなんだな」
「ああ」
ナーノスの答えは短い。だが、続きがあった。
「あいつはどうしている」
「……亡くなったよ、一昨日」
身体は動かなかったが、ナーノスの耳は確かに動いた。
「病気で、ものすごくあっさりだった。苦しむ時間が短くてよかったって」
よく考えれば、ほんの数時間前には彼の葬儀があった。ラディもレリーナも参列していたのだ。それが、今では異世界にいる。ヴィグランも来ていたこの異世界に。この不思議な状況は何なのだろう。
「ナーノス。じいちゃんがあげた水晶、大切にしてくれてたんだな。ありがとう。じいちゃんの代わりに礼を言うよ。でも、もういいんだ」
「いい? 何が」
「ナーノスがそんな身体になってしまうこと、おじいちゃんは絶対望んでないわ。仲間の所へ戻って。それがダメなら、せめて何か食べて。このままじゃ、おじいちゃんはあなたに水晶を渡したことを後悔してしまうわ」
ヴィグランは水晶を死守しろ、なんて絶対に言っていない。いくらナーノスに思い入れがあるとしても、死にそうになりながら水晶が落ちた場所を見詰める必要はないはず。
「同じようなことは、我々も言った。だが、ナーノスは聞こうとしない」
何度も説得した。ロアーグやナーノスと仲のいい仲間達が、入れ替わり立ち替わりで。しかし、ナーノスはその場をどうしても動こうとしない。
「ナーノス、小さな水晶一つで命を落とすなんて、そんなことしないでくれよ。じいちゃんだって、悲しむに決まってる」
「あいつは死んだんだろう。生きていたとしても、オレが生きるも死ぬもあいつには関係ない」
「関係なくなんかない!」
ラディはナーノスの正面でつい怒鳴っていた。
「自分があげた物が原因でナーノスが死んだりしたら、やりきれないじゃないか。ナーノスはじいちゃんと友達だったんだろ。友達が自分のせいで死んだとわかったら、どんな気持ちになるかわからないのか」
レリーナがナーノスの前脚をそっとなでる。人間の胴と同じか、それ以上に太い前脚を。
「おじいちゃんと……ヴィグランと仲良くなったんでしょ? 異世界の存在同士でもこんなに楽しくやっていけるんだなって、うんと盛り上がって話したって聞いたわよ。それはおじいちゃんの作り話じゃないわよね?」
「……」
「ナーノスがどう生きようと、それはナーノスの自由よ。だけど、死にかけてる原因がおじいちゃんだなんて、あたしは許さないわ。あたしは本当の孫じゃないけれど、本当のおじいちゃんみたいに大切に思ってるんだから」
「……わからない」
「え?」
ナーノスのつぶやきに、ラディとレリーナが聞き返す。
「オレ自身も、どうしてここまであの水晶に執着しているのか、わからない。ただ、あれを失えばオレの過ごした時間も何かもが失われるような気がする」
「思い出ってさ、偉そうな言い方かも知れないけど、物じゃなくて心に宿るものじゃないのかな。水晶が消えても、ナーノスがじいちゃんと過ごした日々が消えてなくなるって訳じゃないんだ」
「頭ではわかっている」
言葉にできない。理屈ではない。ナーノスにとってあの水晶は、ヴィグランと過ごした濃い時間の象徴なのだ。単純すぎる表現だろうが、ナーノスにとって宝物。
「本当に……大切にしてくれてるんだ」
両手を広げても抱えきれないナーノスの頭を、ラディは抱き締めた。
「水晶が落ちたのは、この割れ目なの?」
ナーノスがその場を守るようにしているすぐ前に、問題の割れ目がある。岩の地面がかなり広い範囲に渡ってひび割れているのだ。ただ、その幅は広くない。ラディの腕が何とか入るくらいの隙間だ。
その奥と言おうか、下の方に光る物がある。あれがヴィグランの渡した水晶だ。この幅では、太い四肢を持つ灰色狼がその前脚を突っ込むことなど不可能。無理をすれば割れ目を広げることはできるだろうが、同時に水晶がさらに下へと落ち込んでしまう。もしくは、余計な圧力がかかって割れることもある。ナーノスはそれが怖くて手を出せないままでいたのだ。
残念ながら、ラディが手を伸ばしたくらいでは届かない場所まで落ち込んでいる。棒や何かでつつけば傷付けるし、失敗すればさらに下へ落ちる。
「これは……難しいな」
「岩と岩の間に挟まってるのね」
二人で覗き込んでいると、ジェイもそばに来て覗いた。
「だけど、岩にがっしり捕まってるっていうのでもなさそうだぞ」
「手が届かないんじゃ、がっしりも何もないよ」
「何言ってんだよ、ラディ。お前、魔法使いだろ。……見習いの」
「わざわざ付け加えなくても、魔法使いだよ。それが何?」
「自力が無理なら、魔法を使えよ。こういう時に使ったって、誰も怒らないぜ」
「……そうか」
自分には魔法を使える、という強みがあるのだ。
「だけど、何の魔法を使うの? 手が伸びる魔法なんて聞いたこともないし」
「俺だって聞いたことないよ。そうだな……水ならいけるかも。下から噴水みたいに水を噴き上げさせて、手が届く位置まで浮かび上がらせるんだ。これなら、水が結界代わりになって傷もこれ以上は増えないはずだし」
「そうね。あたしも手伝う」
ラディは早速呪文を唱え、水晶の下から水が吹き上がるように仕向ける。自分の思う方向から水で攻撃できるようになったからできる技だ。レリーナはまだそこまで器用にできないので、ラディの力が強まるように援護だ。
ロアーグやナーノス達灰色狼は、見習い魔法使いのすることをじっと見ている。
最初は岩のわずかな出っ張りに引っ掛かっていた水晶も、吹き上がる水のおかげで徐々に動き始めた。やがて、吹き上がる水の上に乗っかかるようにして浮かぶ。
「レリーナ、力を強めて」
ラディの指示で、レリーナが吹き上げる水の力を強める。水晶は次第に地表へと近付いて来た。ラディは服がぬれるのも構わず、袖をまくった腕を岩の割れ目の中へ伸ばす。
「あと……少し」
指先が水晶に触れた。だが、まだ掴める所まで来ていない。
「レリーナ、もう少し強く」
言われるまま、レリーナは水の力を強めた。これ以上は無理、と思った時、ラディの指が水晶を掴む。その感触を得た途端、ラディは腕を引き上げた。
「取れた!」
割れ目に右半身を突っ込むようにしていたので、髪まで含めてラディの右半身はすっかりずぶ濡れになっている。だが、ぬれたその手には確かに水晶が握りしめられていた。
「おー、やったな」
ジェイが小さな手を叩き、二人の見習い魔法使いを賞賛したのだった。
☆☆☆
ラディが取り戻した水晶は、この割れ目に落ちた時についたのであろう傷がいくつかあった。しかし、割れるところまでいくような致命的な傷はついていない。
「ほら、ナーノス。取り戻したぞ」
ラディは、ナーノスの両前脚の間に水晶を置いた。オレンジよりもやや小さいので、狼にとっては本当に豆粒レベルだ。ナーノスは匂いを嗅ぐように鼻を近付ける。
「これでいいんだろ? 手元に戻って来たんだから、ここに居続ける理由はなくなったんだ。仲間の元へ帰れるよな?」
「……ああ。まさか本当に戻って来るとはな」
そう言いながら、ナーノスは目を閉じる。
「ナ、ナーノス? 死んじゃダメよ!」
「そう簡単に死ぬつもりはない。勝手に殺すな」
苦笑を含んだような口調で、ナーノスは再び目を開く。
「よかった。一気に気が抜けたのかって、俺も思ったじゃないか。目を閉じるタイミングが悪いっての」
「ちゃんと食べるようになれば、すぐ元気になるわよね」
とにかく、問題は解決したのだ。ほっとした途端、ラディがくしゃみをする。
「ぬれたままだと、風邪ひくぞ。ここで具合が悪くなられても困るからな」
暖かな風が吹いたと思ったら、ラディのぬれていた右半身はすっかり乾いていた。
「ジェイ、乾かしてくれたのか?」
「自然乾燥には時間がかかるしさ。そのままリーオンに乗ろうとしたら、拒否られるぞ」
「確かに。乗っている間に雨が降るならともかく、ぬれたままで乗る気なら落とす」
「すましてそういう怖いことを言わないでくれよ。ただでさえ普通の馬より乗る位置が高いのに」
「あの……ねぇ?」
緊張感のない会話に、レリーナが声をかける。
「あたし達、ロアーグが出す条件をクリアしなきゃいけなかった……のよね?」
大竜の試練に仲間がかかわったことがある、とロアーグが話しただけで、ナーノスの所まで来ることになった。それはともかくとして、まだロアーグの出す条件を何も聞いていない。
「あー、そだっけ」
ジェイが小さな手をぽんと叩く。
「俺もナーノスのことに気を取られて、すっかり忘れてた」
「……もういい」
ロアーグがぼそりとつぶやく。
「もういいって、何が? オレ達、まだなーんにもしてないぞ。しなくていいなら、こっちも助かるけどさ」
「さっきは何か適当な条件を考えるつもりだった。だが、この二人が仲間を救ってくれた。それで十分だ。かけらか何か知らないが、勝手に探し回るがいい」
縄張の中をよそ者がうろつくことをよく思わないのは事実。だが、相手は自分より力の弱い小さな者達。すぐに出て行くと言っているし、それが嘘だとしてもその時に放り出せばいい話。
本当のところは、害のなさそうな彼らが縄張を歩き回るくらいは構わなかった。それでも、建前として何か条件を出して彼らがそれを飲み、結果を出せば他の仲間達から不満が出ても、こいつらはこれをしたから、と理由付けができる。
しかし、条件を出す前から小さな見習い魔法使いは仲間を助けようと動いた。全くの無縁ではないようだが、知らん顔で放っておいても責める者はいないだろう。それなのに、彼らは仲間を説得しようとし、問題を根本から解決しようと必死に動いた。
最初から感じ取っていたが、二人の魔力はそう高くない。実際に魔法を使って、そのことが証明された。それでも、魔法使いは懸命に魔法を使い続けた。その結果、仲間の心は救われたのだ。
そんな彼らに条件を突きつければ、灰色狼はどれだけ器が小さいのだと噂になりかねない。それがどんなに簡単な条件だとしてもだ。
ロアーグはくだらないそんな噂を気にするまでもなく、ナーノスを助けようとしてくれたことで条件をちゃらにするつもりだった。
「そうか。回り道に思えても、案外近道だったりするんだな。いい仕事してくれるじゃん、オレの協力者。さすがは地図が選んだ見習い魔法使いだな」
「ジェイ、間違ってないけどさ……ほめる時くらいは見習いってつけないでくれよな」
ラディはすねたように言い返し、レリーナはくすくす笑う。とにかく、これで改めてかけらを探し回ることができるのだ。
「何の魔法を使えばいいんだ?」
ジェイが指示する魔法をラディが使えば、かけらの気配が強くなる……らしいが、その仕組みはラディ達にはいまいちわからない。とにかく、言われたことをするだけだ。
「んー、今回は……」
ラディに尋ねられ、ジェイは目を閉じて何かの気配を探っている。
「火だな」
「火を使うのか」
ジェイの言葉に、ラディより先にロアーグが反応する。
「森の中で火の魔法か」
森に棲む者にとって、天敵と同じくらい危険なのが火だ。ここに棲むのは何らかの魔力を有する魔獣がほとんどだが、やはり火事は避けたい。
「だからぁ、ロアーグは心配しすぎだって。この二人や今のオレに森を火事にするような火は出せないってば。この森に来た時だって、ラディがたき火をしたけど全然危険じゃなかったぞ。リーオンは……どうかな。見た目からして、火が出てるけど」
「森を焼いてここの魔獣達を敵に回す程、私は愚かではない」
炎馬は相変わらずクールな物言いだ。
「だってさ。それに、火の魔法を使ってもらうのはこの二人のどちらかだ。小さな火種が森を焼き尽くすことは確かにあるだろうけどさ。森が全焼する前に、オレがちゃんと消火するよ。その点については責任持つから」
「……わかった。一度許可を出してしまったからな」
この世界でたき火をする魔獣などいない。故に小さな火でも、森の魔獣達にとっては危険なもの。そんな火を使われるとあっては心穏やかではないが、今更許可を取り消すのも考えものだ。
「ただし、火を使うと知った以上、放置はできない。お前達が火を使わなくて済むようになるまで、私も同行する」
「え、ロアーグが? ん、わかった」
ジェイはあっさり受け入れた。戸惑ったり、わずらわしそうな素振りは一切ない。
「いいの? ロアーグは群れのボスなんでしょ。群れから離れることになるのに」
「ボスだから、なおさらだ。私には仲間を守る義務がある。同行するのは、そのためだ」
ロアーグの言葉に、リーオンが納得したように頷く。
「なるほど。確かに危険な行動をする可能性が高い侵入者を放っておいて、後で事故が起きれば責任問題だ」
「まるで人間の世界みたいだな」
ラディはロアーグやリーオンの言葉に内心驚く。魔獣の口から「責任問題」なんて言葉が出るなんて思ったこともなかった。
「群れを作る魔獣は仲間を大切にする。雑魚はそうでない場合も多いようだがな。ロアーグの責任感は、群れのボスであれば当然のことだ」
「そっか。ボスの肩にみんなの命がかかってるのよね」
リーオンの言葉に、レリーナも納得したように頷く。
ただ身体が大きいだけじゃない。仲間を守ろうとする強い気持ちがあるから、ボスとして群れを統率できるのだ。
「よーし。じゃ、お許しも出たことだし、ラディ、頼むぜ」
「わかった」
火の魔法は基本的に攻撃魔法だが、ゴルの森に来た時のようにたき火をする時にも使うことができる。ラディはたき火の火だねを出すつもりで呪文を唱えた。
「どう?」
「んー……」
ジェイが目を閉じ、気配を探っている。これで本当にかけらのある場所がわかるのかな、と思いながらラディが待っていると、ジェイが目を開けた。
「こっちの方向だな」
ナーノスがいるこの場所へ来るまでにいた方角だ。まずは戻ることになるらしい。
「よーし、行くか」
ジェイがかけらの気配を感じた方へと進み始める。ラディとレリーナも歩きかけ、もう一度ナーノスへ近付いた。
「早く元気になれよ、ナーノス」
「もう無茶しないでね」
二人はナーノスの身体を軽く叩くと、ジェイ達が向かった方へと走った。その後ろ姿をナーノスはずっと見送ったのだった。