炎の獅子
進級テストが終われば、新しいことを習う授業はない。進級前テストの後と同じだが、座学も実技も復習の時間だけとなる。上級クラスともなれば復習にも余念がないのだが、中級クラス以下だと進級組も残留組もこの期間は少しだらけてしまうのが常だ。
ラディもこれまではそうだった。しかし、進級テストを無事にパスできても今は真剣に練習を繰り返している。上級クラスになれば実技の時間がさらに大変だというのは知っているが、そのためだけじゃない。
カロックへ行った時、少しでも危険を回避できるよう、力をつけておきたいのだ。いつもなら授業が終わって自主練習をしているが、今なら授業時間も自主練習みたいなものだからありがたい。今までならった魔法を確実にできること、結界や壁をさらに強固なものにすることなど、自分に課した課題は多いものの、ラディはこれまでになく充実している気がした。
ジェイやファルザスには魔力が強いって言われたけど、それってテルラと比べてだよな。レリーナと比べられても、それでそれは複雑だし。
以前、大竜のジェイやロック鳥のファルザスから、ラディの魔力は強いと言われた。しかし、それは話の流れの都合上だ。
ロネールで上級クラスにいる姉のテルラより強いと言われ、聞いた時は嬉しかったが喜んでばかりもいられない。クラスが自分より下のレリーナが一番強い、と言われなかったのでとりあえずその点はほっとしたが、そもそもジェイ達の言う「強い」はどれくらいのレベルなのだろう。
竜は魔力のかたまりみたいな存在だ。本当に強いのは「大竜の試練」を終えた大竜なのだろうが、その竜から見て人間はどんなレベルなのか。
だいたい、人間が住まないカロックに棲むジェイは、ラディとレリーナ、そしてテルラ以外の人間を見たことはないはず。しいて言うなら、別の大竜の協力者をしていたダイルもいるが、比較する人数がたった三人しかいない。この話をしていた時はダイルがいなかったので除外するとして、彼女達と比べて一番と言われても、こうして考えると複雑になってくる。
ジェイがもしブラッシュを見たら「ラディとは比べものにならないなー」なんて言うのかな。正規の魔法使いと比べる方が悪いんだけど、そう言われたらやっぱりちょっとへこむかも。
ブラッシュはロネールでもトップクラスの魔法使い。当然、魔力は高いだろう。そんな人と見習いの自分を比べるのが間違っている、とわかっていても、それならどれくらいの差があるんだろう、という興味も出て来る。あまりにも果てしない広がりを感じると立ち直るのに時間がかかりそうだが、それでも知りたい気がした。どうすればその差を縮められるのか、追いつけるのかを知りたくなってくるのだ。
そこまで考えて、ラディはふと思い出した。そのブラッシュから全然連絡がない。
ブラッシュにはカロックで疑問に思ったことを質問し、そこから何かよからぬことを考えているのではと疑われている。ジェイにも承諾してもらい、カロックの話をちゃんとする気になったものの、今度はブラッシュが仕事の都合で時間を取れないでいる状態だ。
こちらから連絡する、という伝言を受け取り……気付けばもう一週間近く経っている。何も連絡がないところをみると、仕事が大変なのだろう。
ラディとしては、ブラッシュが信用するしないにかかわらず、さっさと話してしまいたい。それで頭から疑われたりすれば、テルラにも言われたが彼をカロックへ引っ張って行って……なんてことも考えている。
だが、話をするにもこんなに時間がかかるなら、カロックへ一緒に行くなんて無理かも知れない。ブラッシュが行けないまま、ジェイの試練が終了したら。
ラディとレリーナがカロックへ行けるのは、ジェイが世界をつなげる扉を出してくれているからだ。こちらからはコンタクトも取れない。最終的にはテルラを証人とするしかないだろうが、それでもちゃんとブラッシュに信じてもらえるかどうか。
そう考えると、何としてもブラッシュをカロックへ連れて行きたくなってきた。
早く連絡が来ないかな、と思いながら放課後を迎え、ラディは自主練習をするべく教室から改めてフィールドへ向かう。
「え……あれ?」
廊下を歩いて何かが視界に入った。通り過ぎてそれに気付き、振り返る。そこには廊下の壁しかないはずだが、ないはずの扉が現れていた。
ちょっと待て。今日は金曜日だよな? いつも扉が現れるのは土曜日で……。
そう思いながら、ラディは扉を軽くノックしてみる。いつも茶色の扉だが、少し薄い色に見えた。光の加減だろうか。
ノックすると、扉から生えるようにして小さな竜が姿を現す。
「よっ、ラディ。今日も頼むなー」
幻でも何でもなく、この口調は確かにジェイだ。
「ジェイ……今日は金曜日なんだけど。いつもより一日早いよ」
細かいことを言えば、一日の中では遅い時間だ。いつも土曜日の昼過ぎに扉は現れていたから。
「あ、そうなのか? じゃあ、ちょっとズレちゃったな。タイミング、外したか」
カロック時間で言えば、新月か満月に協力者を呼び出すらしい。きっとあちら時間では問題ないのだろうが、こちら時間ではほぼ一日のズレが生じている。
「今だとマズい?」
「いや、授業は終わったから、それはいいよ。俺は家に帰ればいいだけだし。でも、レリーナの方はどうかな」
「……似たようなこと、言ってるみたいだ」
どういう仕組みかわからないが、ジェイはばらばらにいるはずのラディとレリーナにほぼ同時でこの扉を出しているようだ。恐らく、レリーナ側でも代わり映えのしない話をしているのだろう。
とにかく、レリーナに問題がないのなら、ラディも特に問題はなかった。午後にも授業があった、という点で少し疲れがあるものの、深刻に考える程ではない。今までずっと練習していたと言っても、倒れる程に体力を消耗している訳ではないのだ。
「じゃあ、これから家に戻るよ。俺の部屋に扉……その点は大丈夫だよな?」
「ああ、間違いなく出すから」
その辺りはもう慣れたものなのだろう。軽い挨拶の後、ジェイが消えて扉もなくなる。ラディは急いで自宅へ戻った。
自室に入り、荷物を机の上に置いたところで扉が現れる。いつもながら、この点についてはいいタイミングだ。
カロックへ行くようになって持つようになった小さな水晶をポケットに入れると、ラディは扉を開けた。
☆☆☆
いつ来ても、ムーツの丘はいい天気だ。暑くもなく、寒くもない。青空に小さな白い雲が浮かび、この光景が異世界へ足を踏み入れていることを忘れさせる。でも、目の前にふわふわと浮かんでいるのが小さな竜で、その存在が異世界どうこう以前に非日常を感じさせるのだ。
「やぁ、ジェイ」
「一日ズレたって? 悪かったなー。やっぱ、調子にのるとタイミングを外すってことか」
「ジェイ、調子にのってたの?」
わずかに遅れてレリーナが現れた。
「いい加減にやってた訳じゃないぞ。細心の注意をちょっと怠ったって感じでさ」
「まぁ、たまにはいいよ。一日くらいならどうってことはないしさ。今はそんなに忙しい時期じゃないから」
「最初の頃なんて、三日くらいで次だったもんねぇ」
カロックの新月と満月に呼び出されるらしいが、ラディ達の世界とは時間の流れが違うらしい。なので、次はおよそ二週間後だろうと思っていた二人はいきなり呼び出されて戸惑った。
最初はそんな状態だったが、もう少し間を空けてくれとラディが頼み、ここのところうまい具合に土曜日の午後に扉が現れるようになったのだ。
しかし、それもジェイの微妙な調節のたまものだったらしい。ちょっと失敗すると一日も時間がズレてしまうことになるのだ。きっと試練を終えた大竜なら軽くできるのだろうが、力を抑えられている今のジェイには手こずる術なのだろう。
「俺達としても、あまり疲れてない状態でカロックに来たいんだよな。ジェイ、俺達の世界の時間や曜日ってそっちから見えてるのか?」
「いや、だいたいこの辺りかなって感じ」
「……大雑把だな」
「細心の注意を払った結果じゃなかったの?」
ついさっき、そういう意味のことを聞いたような気がしたのだが。ずいぶんざっくりしたやり方をしているように聞こえる。
「本当に適当にやってたら、今より時間の空く間隔がもっとめちゃくちゃになるぞ。この辺りって日時の目星をつけるの、結構大変なんだ」
そういう魔法はできないし、そもそも世界を超えての魔法なんて知らない二人にすれば想像の範囲を超えているが、竜でもかなり大変らしい、というのは何となくわかる。ジェイが話すと、その大変さが薄まるように思えるが。
「俺達、ジェイに無理なことを頼んでる?」
「そうでもないぞ。どっちかと言えば、オレの方が無理なことをさせてるようなもんだしな。次は気を付けるけど、一日や二日の誤差があっても勘弁してくれ」
「わかった。あ、そうだ。この前来た時、進級テストがあるって話をしてただろ。俺達、二人とも合格したんだ」
前回カロックへ来た時は、進級前テストがあった週だった。ジェイにすれば進級なんて関係なく、かけら探しに付き合ってもらえるだけの実力があればいいのだろうが、それはそれ。カロックへ来るようになって力がついたのだから、ラディやレリーナにとっては無関係ではない。
「へぇ、そっか。おめでとう……で、いいんだよな?」
「うん、いいのよ。あたし、カロックへ来なかったらまた残留してたかも。怖いこともあるけど、協力者になってよかったって思ってるのよ」
「そう言ってもらうと、ほっとする。たまーにだけど、あまりいい顔しない協力者ってのもいるらしくてさ。一応、やるべきことはやってくれるけど、明らかに面倒くさいって思ってるのが一緒にいるとわかるらしいんだ。それでも回数を重ねるごとに打ち解けたって聞いたけど、オレの協力者がそんなタイプでなくてよかったー。オレの場合、二人いるだろ。二人が面倒だって顔してたらオレ、この試練を放棄してるぞ」
幸い、ラディとレリーナはヴィグランから話を聞いていたこともあって、大いに乗り気だった。しかし、そんな話を聞いてなかったとしても二人ならやる気になっただろうし、ラディとレリーナが選ばれなかったとしても、ジェイの協力者になる見習い魔法使いはきっと性格が明るいタイプが選ばれるだろうと二人は思う。
「ジェイ、今回の行き先は?」
「シイアって山だ。でさ……ラディ、今回は特定の魔獣を召喚してほしいんだ」
カロックで地図のかけらを探し回るには、魔獣の力なしでは無理だ。その魔獣を呼び出すのはラディの役目だが、珍しく……いや、初めて注文がついた。
「特定のって、何だ?」
「火に属する魔獣を呼び出してほしいんだ。シイアは火の山だから、呼び出された奴が水や氷に属する魔獣だと、間違いなく行きたくないって拒否される。好奇心旺盛すぎる奴なら行くって言ってくれるかも知れないけどさ。そうなると、今度はシイアにいる魔物に目をつけられることになるからな」
火の山にいる魔物だから、ほぼ全部が火に属するだろう。少し土属性が交じるくらいか。そこへ相反する水や氷に属する魔物や魔獣が来たら。
ただでさえテリトリーに入って来れば追い返そうとする魔物達が、加えて反感もしくは憎悪の感情を持って襲ってくる。土や風に属する魔獣が入って来るより激しく抵抗される可能性は非常に高い。こちらにその気がなくても、殴り込みに来たと思われかねないのだ。
「事情はわかったけど……」
近くにいて、ラディの魔法に反応した魔獣が現れる……という呪文をいつもは唱えている。つまり、近くにいる誰かがこの声を聞いたら来てくれ、と言ってるようなもの。誰でもいいということなら、選択肢は無限だ。そういう呪文だからこそ、これまで呼びかけに応えてくれた魔獣はバラエティに富んでいた。
でも、火の魔獣に限定するとなると難易度が上がる。火の魔獣にのみ聞こえる呪文を唱えなければならないからだ。そして、ラディは今までそういう魔法の詠唱をしたことがない。呼び出したはいいが、失敗して火に属さない魔獣が現れたりすれば帰ってくれと言わなくてはならなくなる。下手をすれば、それで気分を害した魔獣に襲われる、なんてことも考えられるのだ。もしくは、呪文を唱えても反応が一切なかったり……ということも。
しかし、ここでちゅうちょしてはいられない。魔獣召喚は協力者が最初にしなければならない魔法だ。レリーナはまだ召喚を習っていないし、ここではラディしかできる人間はいない。そして、カロックでの移動は魔獣の力なしでは無理なのだ。
「俺、この属性の魔獣限定っての、やったことがないんだ。もし違う奴が現れて帰すことになったら、ジェイも取りなしてくれよ」
不快をあらわにされたら、ジェイに頼るしかない。ジェイの軽い口調だと、ますます不機嫌にさせそうな気もするが……。
「おう。何だったら、そいつに紹介してもらうってのもありかな」
「魔獣を紹介って……」
ジェイの発言は前向きと言っていいのだろうか。
「そんなこと、頼めるのか?」
「さぁ、やったことないし、何とも言えないけどさ」
拍子抜けする言葉に、ラディは苦笑する。だが、ちょっと肩の力が抜けた気もした。
やったことはない。でも、呪文は授業で習っているから一応知っている。それを口にするだけだ。
ラディは軽く息を吐き、それから火の魔獣限定で召喚の呪文を唱えた。
「え……火の玉?」
ラディが呪文を唱え終わってすぐ、彼らの前に紅蓮の火の玉が現れた。火の攻撃をした訳でもないのに火が現れたので、レリーナは思わずそうつぶやいたのだ。
「何だ、うまくできてるじゃんか。不安そうにしてたの、思わせぶり?」
ジェイがラディの肩をつんつんとつつく。
「そ、そういう訳じゃ……」
そんなことを言ってる間に火の玉は次第に大きくなり、火花を飛ばしながらはっきりした形になっていく。
やがて現れたのは、火の玉と同じ色をした炎のたてがみを持つ大きな獅子だった。
「お前か、俺様を呼び出したのは」
迷うことなく、獅子はラディを真っ直ぐ見た。誰に呼び出されたかをちゃんと把握しているのだ。
「あ、ああ……。俺が呼んだ」
カロックへ来るようになって何度も召喚はしているが、現れた魔獣と最初に言葉を交わす時はいつも緊張する。現れていきなり襲いかかってくることはまずないが、相手の機嫌が悪ければどう動くか予想できないのだ。
まして、ラディが呼び出す魔獣はラディとレリーナが乗れるよう、いつも大きい体格をしている。力を使わなくてもその身体で簡単に押さえ付けられかねない。ジェイがそばにいてそんなことを許すはずはないが、常にジェイがそばにいる訳ではないのだ。かけらを捜すうちに何かあってジェイがその場を離れた途端に……ということがないよう、呼び出したラディが現れた魔獣としっかり対面しなければならない。
「俺はラディ。大竜の試練で協力者をしている。俺とこのレリーナがカロックにいる間、お前の力を貸してほしい」
「試練? あーあ、よその世界からわざわざ魔法使いを呼んで何かするっていう、あれか。ほぅ、お前みたいな若造が協力者か」
相手の年齢は知りようもないが、声だけで判断するなら獅子は二十代半ばの青年というところか。もっとも、こういう魔獣は百年を軽く超える年月を生きているだろう。そんな相手から見れば、ラディなど本当に若造かひよっ子でしかない。
「試練で呼ばれるのは、見習い魔法使いだからな。若くて当たり前だ」
恐らく、獅子にはラディの力量など、正面に立った時点でわかっているだろう。だから、ラディもはっきり自分の身分を明かす。何もかもさらけ出す必要はないが、へたに隠し事をすると相手の心証が悪くなって後々面倒なことにもなりかねないのだ。
「まだ見習いでしかない奴が、この俺様を呼び出したか。いい度胸だ」
獅子のラディを見る深紅の瞳が光った。どきりとはしたが、ラディはそれを表には出さない。ここで怯えた様子を見せれば、たとえ一時契約に同意はしてくれても肝心な場面で言うことを聞いてくれない場合もあるのだ。尊大になってはいけないが、毅然とした態度で向き合うこと、と魔法書にも書かれている。
「あのさ、行き先がシイアの山なんだ。だから、炎獅子のお前なら楽勝だろ?」
「シイア……なるほど。それで、火の魔獣を召喚したか」
緊迫しかけた空気を、ジェイは見事にあっさりと破った。これは大竜の力か、ジェイのキャラクターのおかげか。
「協力してくれないか。いやなら戻って構わない。俺も別の魔獣に頼む」
「続けて俺様レベルの魔獣を呼べるのか? 無理しなくても、この俺様が手伝ってやる。少し退屈していたところだ」
偉そうな態度ではあるが、ジェイが炎獅子と呼んだ魔獣は協力を受け入れてくれた。彼の言葉でラディは、そしてレリーナもほっとする。
「では、行くか。シイアの山だな。ほら、さっさと乗れ」
「あ、ああ、わかった」
渋っているのかと思ったが、結構やる気らしい。さっき瞳を光らせたのは、ラディの度胸を試すつもりだったのか。
炎獅子にせかされ、ラディとレリーナは急いで魔獣の背にまたがったのだった。





