喰われたジェイ
目が利かないと別の器官がよく働くようになる、と聞いたことがある。もっとも、それは状況によりけりなのかも知れない。
ジェイは地面が緩やかな下り坂になっている、と話していた。来る前、ジェイはかけらが地下にあると話していたのだし、下へ向かうのは必然。
しかし、こうして歩いている限り、そんな感じはしない。と言うより、自分達が真っ直ぐに立っているのかも微妙な気がする。方向感覚も平衡感覚も、ここへ来てからおかしい。自分の身体が斜めになっているような、でもやっぱりちゃんと立っているような感じだ。周囲を見るために変に首を巡らせでもしたら、酔ってしまいそうに思える。
平らな道ではないので転ばないように注意しながら歩くものの、ずっと下ばかりを見てもいられない。以前、砂漠に向かった時は足を取られて歩きにくかったが、明かりがほとんどない場所を進むのもかなり歩きにくかった。
「あんまり光を強くすると、ここにいる奴らを刺激するからな」
と言いながらも、ジェイはぼんやりと光らせていた自分の身体をもう少し強く光らせる。暗い場所でその光はとても明るく感じられた。シャルゼアの体毛も、柔らかな光を放っている。これなら多少離れてしまっても、この光を目印にすぐ合流できるだろう。ラディ達の出す灯りくらいでは、お互いが離れてしまうとわからなくなってしまうので助かる。
しかし、この光を嫌う魔物もいるようで、小さな魔物達が何度もぶつかって来た。暗くて正体がわからないので、さっきの魔物と同じかどうかも怪しい。ラディとレリーナには、似たような黒い魔物、程度にしか認識できなかった。とにかくそれらの魔物を風で蹴散らしながら先を進む。
「水の匂いが強くなってきましたね」
「シャルゼア、それは周囲の壁の水以外ってことか? 水を使う魔物がいるって意味じゃないよな?」
湿った空気はここへ入って来た時点でずっと感じていた。壁や足下がしっとりしているせいだ。それと別なら、シャルゼアが言うと何かかなり面倒な存在がいそうに思える。
「魔物の気配なら、どこまで進んでもあります」
「うわ……やな現実だな」
聞くだけで気が滅入る。事実だから仕方がないが、シャルゼアは少しもオブラートに包んでくれないので憂鬱になってしまうのだ。
「それとは別に、水がたくさんあるってことだよ。たぶん、もう少し行った先に地底湖があるんだろうな」
「地底湖って……洞窟の底に湖があるの?」
「そ。場所にもよるけど、かなり深い湖もあるらしいぞ」
「その辺りに見えてるくぼみにたまった水とは、また違うってことか」
「そんなちゃちい水たまりじゃない。元の大きさに戻ったシャルゼアが余裕で泳げるくらいの広さはあるぞ」
「付け加えるなら、わたくしの仲間が大勢集まっても狭いと感じない。そういう広さの湖もあります。この洞窟の地底湖がどれだけの広さかはまだわかりませんが、この感覚だと小さくはないでしょう」
「はあ……」
もうため息しか出ない。壁を濡らす水が地面のどこかにたまる、というのは想像できても、湖と呼ばれるまでに広くなるというのは想像しにくい。つまり、相当広い地下空間がある、ということだ。
「あの……やっぱりそこにも魔物がいるのよね? さっき、シャルゼアがどこまで進んでも魔物の気配があるって言ってたし」
「いるだろうなぁ。そいつが好戦的かどうかは、まだ何とも言えないけど。まぁ、どこへ行っても友好的ではないな、残念ながら」
いつもなら、魔物が出て来てもせめて足手まといにはならないようにがんばろう、と思えるレリーナだが、この暗闇の中ではそういう前向きの気持ちもしぼんでしまう。この暗い空間の中を、とにかく立ち止まらないように足を動かすだけでぎりぎりだ。ここへ入ってから、まともな魔法はほとんど使えていない。
「少し魔物の数が減ってきたようですね」
「え? だけど、魔物の気配はあるんだろ?」
魔物の気配がある、ということは、魔物が存在するということ。その気配がずっと続いているような話をしていたのに、減ってきたとはどういうことなのか。
「はい。魔物はいます。ですが、その数がさっきまでと比べてずっと減っています」
「それって、何を意味してるんだ? 魔物が減れば俺達にとっては安全になるけど」
「安全? むしろ、危険ですよ、ラディ。減っているのは小物です。小物が近付かないということは、その周辺が自分達にとって危険な場所だということです」
シャルゼアの説明に、最終的な答えをあまり聞きたくないような気がするラディ。でも、話を避けても現実は変わらない。自分達はそちらへ向かわなくてはならないのだ。
「つまり、小物を喰うような大物がこの先にいるってことか」
「そう考えるのが妥当です」
「シャルゼアもオレもいるんだし、そう深刻に考えるなって」
ジェイの軽さがうらやましい。それでも、進むしかないのだ。かけらを見付けなければ、ラディもレリーナも自分の世界へ帰れないのだから。
シャルゼアが、魔物の数が減った、と言ってから数分歩くと、大きな岩が進行方向に現れた。そのまま真っ直ぐは進めないので、先頭のジェイがその岩を回り込み、ラディ達も後を続く。
「わ……」
ラディが足を踏み出した途端、ばしゃっと音がした。水の中に足を入れてしまったのだ。水たまりかと思ったが、違う。今出している明かりだけでも、水面が延々と向こうへ続くのが見えた。水たまりと呼ぶには大きすぎる。
「もしかして……ここが地底湖なのか?」
「そうみたいだな。へー、思ってたより広いぞ。それに、ここって今進んで来た中で一番天井が高いなー」
「そうなのか? んー……」
状況が見えないラディとレリーナには、ジェイの言葉に賛同できない。
「こんな感じ」
ジェイがふわりと火の玉を出した。それを上に向かって放る。火はどこまでも上がり、やがて今いる場所全体を照らし出すように広がった。
「うわ」
「え……」
ロネールには、見習い魔法使いが全員入れる大きな講堂がある。三百人は軽く入れる建物で、天井も高い。その講堂がすっぽり入りそうな、入ってもまだ余りそうな空間がそこに広がっていたのだ。
ただし、床となる部分は水面だ。地上ならそんなに大きくも思えないだろうが、地下深くの場所にあるととんでもない広さに思える。
「こんな所にこんな湖があるんだ……」
「すごい」
目の前の光景に呆然としていたが、ラディははっと我に返る。
「ここ、魔物がいるんだろ。こんなに明るくしていいのか?」
「あまりよくはないだろうけど、今までみたいな小物じゃないからな。ちゃんと見えるようにしておかないと、ラディとレリーナが危ないだろ」
ジェイの気遣いはありがたいが、その理由が怖い。
「どんな奴がいるんだ」
さっきまでのような魔物が壁や天井に張り付いている、という様子はない。だとすれば、水の中だ。
「環境がこんなだから、魚もしくは爬虫類か両生類ってところだろ。どれにも属さない、不定形ってのもありかな」
「今回の魔物、見たくないのばっかり……」
カロックへ来て魔物と戦うのは仕方がない、とレリーナもわかっている。だが、相手がどんな姿かによってモチベーションは大幅に変わるというもの。洞窟の中では、暗くてどういう姿なのかはっきり見えないのは、いっそ幸いしていたかも知れない。
「で、かけらはどの辺りにあるんだ? この状況だと……水の中かな」
「たぶんな。ラディ、風を頼む」
ラディが風魔法を使い、ジェイはそこからかけらの気配を掴んだ。
「やっぱり水の中だ。ちょっと取って来る。どんな奴が出るかわからないから、油断するなよ」
湖の中央まで移動すると、ジェイはそのまま水の中へ入る。さっきジェイが出した火の魔法が湖を照らしたままなので、小さな竜の姿が水にもぐるのもしっかり見えた。
「ジェイ、大丈夫かしら」
カロックで一番魔力の強い大竜。だが、その大竜であるジェイは現在、試練の真っ最中だ。本来の魔力は大幅に落とされ、見習いであるラディとそう変わらないレベル。元のままなのは知識と性格くらいか。
とにかく、ラディがあの湖に入るのとさして変わらないことになる。小物の魔物が喰われないように近付かないでいるくらいだから、それなりのサイズと魔力を持つ魔物がいるということだろう。水の中はラディ達が簡単に手助けできる環境ではないから、なおさら心配だ。
「水の中で何かが動いてますね。恐らく、この光で湖の主が現れたのではないかと」
「ええっ。それってジェイを喰うつもりとか」
「ある意味、熱烈歓迎でしょうね」
魔物にとっては、獲物の方から飛び込んで来た状態だ。水に棲むくらいだから、水の中の移動はお手の物だろう。
一方、ジェイはどれだけうまく泳げるのか。今までそんな機会がなかったから、聞いたことがない。でも、水の中に棲んでいると話していたことはないから、その点では魔物の方が優位……になりそうな。
突然、水面が大きく揺れた。嵐に荒れ狂う海のように、あちこちで波が立つ。そこからジェイが飛び出した。ほっとしたのも束の間、その後をシャルゼアより大きな黒い鱗の魚が水から飛び出し、大きく開いた口の中にジェイの姿が消える。
「わーっ、ジェイ!」
見ていたラディとレリーナは悲鳴を上げた。
「ちくしょう」
今見た限りでは、一飲みだった。巨大魚の目よりも小さな身体のジェイだから、噛み砕かれてはいないはず。だったら、消化されたり窒息したりしないうちに仕留めれば助けられる。
「ラディ、待ちなさい」
水の中へ入ろうとしたラディの襟首を、シャルゼアがくわえた。そのまま、膝辺りまで入ったラディを湖から引っ張り出す。
「シャルゼア、何するんだよ。ジェイが喰われて放っておけるか」
「水の中にいる相手に、何をするつもりです」
シャルゼアが立ちふさがり、湖に入ろうとするラディの行く手を阻む。洞窟へ入る前に本来の姿より小さくなっているシャルゼアだが、ラディは彼女を押しのけることができない。今は自分より背が低くなっている魔獣だが、静かな迫力はそのままだ。
それでも、立ち止まってはいられない。
「水面を揺らすか何かして、今の魚をおびき出す。そこを仕留めるんだ」
「なるほど。ですが、今それは必要ですか」
「たった今、ジェイが喰われたんだぞ。早く助けなきゃ」
「ラディ、待って」
ジェイが喰われた辺りとラディを交互に見ていたレリーナは、また水面が大きく揺れ出したことに気付いた。レリーナの言葉でラディも湖の中央を見ていると、さっきの巨大魚が再び顔を出す。
だが、湖のそばに別の獲物が、つまりラディ達がいるからそれを狙って現れた、というのではなさそうだ。その表情からは何も読み取れないが、その大きな身体をくねらせているのを見ると苦しそうにも思える。
やがて、巨大魚がくしゃみでもしたかのような音を出すと、その口から何かが勢いよく飛び出した。
「ジェイ!」
巨大魚に飲まれたはずのジェイが出て来たのだ。
「おーい、ラディ。こいつ、ちょっと軽く凍らせてくんない? 動きが鈍るくらいでいいからさ。あんまり動かれると、水の動きが激しくなるんだよ」
たった今喰われていたにも関わらず、ジェイの口調はいつもと変わらない。こちらの方が調子が狂いそうだ。
「ったく、びっくりさせてくれるよな」
喰われたことをまるで気にしていない様子に、ラディは苦笑を浮かべつつも言われるままに氷結の呪文を唱える。対象が大きいだけに「軽く凍らせる」のも一苦労だ。
「あたしも手伝うわ」
力が弱いながらも、同じようにレリーナが氷結の呪文を唱えた。身体が冷たくなっていく巨大魚は、次第に動きが緩慢になってくる。
その間に、ジェイは激しく揺れる水にもてあそばれるかけらを見付けた。それまで底に沈んでいたのだが、静かだった水が巨大魚の動きでかき回され、あちこち振り回されてるような状態になっているのだ。ジェイはそれを掴むと、すぐに浮上する。
「もういいぞー」
水面に飛び出しさえすれば、巨大魚の攻撃から逃れるのはそう難しくない。ジェイの言葉で、二人は氷結の呪文をやめた。表面が凍りかけていた巨大魚は、力を込めてその氷を弾き飛ばす。だが、やはり身体が冷えたせいか、まだ動きは緩慢だ。そのまま水の中へ姿を隠し、出て来なくなった。
「冷やされて懲りたみたいだな。オレを喰おうとするからだ」
ふんっと鼻を鳴らすジェイは、胸を張ってふんぞり返っているようにも見えた。
「ジェイ、びっくりさせるなよ。喰われたのを見た時は、本当にどうしようかと思ったんだぞ」
無事がわかって力が抜け、もう少しで水の中に座り込みそうになったくらいだ。
「あたし、動けなくなったの、今日これで二度目よ」
大竜のジェイがそう簡単にやられるはずがない、と普段なら思えるのだが、目の前であまりにもあっさりと喰われ、そういう意識が吹っ飛んでしまった。最悪の時はその魔力を解放するらしい、と今までにも聞いていたのに。
「そうか。ごめん。あいつ、思ったより動きが速かったからな」
「一応念のために尋ねますが、ケガはしていないのですか?」
「ああ。あいつの牙くらいじゃ、ケガなんてしないさ。中でちょっと脅かしたら、すぐに吐き出したしな」
どんな姿かはともかく、魔物がいるのはわかっている。それをかわしながらかけらを捜すつもりだったジェイだが、あっさり追いつかれてしまった。なので一旦水の外へ出たのだが、それでもしつこく追って来て喰われてしまう。
しかし、ラディが見ていた通りに丸呑みだったので、ジェイはあえてそのまま奥へと入った。体内で火を出されたので相手もびっくりし、巨大魚は慌てて吐き出したのだ。今まで他の魔物を喰っていた時は、そうやって反撃されることなどなかっただろう。今回は相手が悪すぎたのだ。
「かけらはちゃーんと見付けたぞ。水が揺れてあっちこっちに動くもんだから、掴みにくかったけど」
ジェイは手に入れたかけらを、ラディに渡した。ジェイの身体の半分くらいはあるが、ラディが受け取ると手のひらくらいのサイズしかない。
「それを取るために、あんな大騒ぎですか」
シャルゼアの口調が少しあきれている。かけらを見た時の魔獣は、みんなこんなものだ。こんな小さなもののために必死だったのか、と。
「そ。毎回見付かるまでは大騒ぎだぞ」
「たまには静かに捜し出せるといいのにね。……難しいでしょうけど」
ジェイはけらけらと笑い、レリーナは苦笑する。
「外へ戻るより、ここでやってしまう方がいいかな。さっきの巨大魚はおとなしく水底へ引き下がったみたいだし」
「そうだな。あいつ、当分出て来ないと思うぞ」
ラディは制服の袖から、これまでかけらを集めて復元させた地図を取り出した。角に当たる欠片が二つ集まって長方形の一辺ができ、徐々に残りの角に向かって辺が伸びている状態だ。知らない人が見れば、破られた紙の一部にしか思えないだろう。
ラディは復元の呪文を唱え、今見付かったかけらを地図に同化させる。石のかけらのような厚みのあるかけらは呪文で紙のように薄くなり、ラディが持っていた地図にくっつくとどこが境目かすぐわからなくなった。またほんの少しだけ地図が大きくなる。
「今回も無事に終了だな。ラディ、レリーナ、お疲れ」
「今日は今までとは別の意味で疲れたよ」
「誰かが食べられるところなんて、あまり見たくないわね」
「ごめん。今度はもうちょっとうまく逃げるからさ」
ぜひそうしてもらいたい。そうでなければ、こちらの神経が保たなくなってしまう。
「じゃあ、帰還の扉っと」
ラディとレリーナが帰るための扉が現れた。
「シャルゼア、ありがとう。また何かあった時、頼むよ」
「考えておきましょう」
「シャルゼアとジェイはここからまた歩いて戻るの?」
暗闇でも見えるし、ここまで来るのはほぼ一本道状態だった。彼らにとって戻るくらいは楽なものだろうが、ちょっと面倒でもある。
「わたくしは、あなた方の前に現れた時に使った道を使います」
召喚された魔獣は、それまでいた場所から術者の前に現れるまでに道ができるらしい。呼ぶ方の人間にはどんな道か想像するしかないが、その道を使えばすぐに帰れるようだ。
「せっかくだから、オレはもうちょっとこの辺りを見てからのんびり帰るよ。もうさっきみたいに喰われたりしないから、心配しなくていいぞ」
「うん。ジェイを心配するのは無駄だっていうのがよくわかったから、もうしない」
「んー、でもちょっとくらいはしてほしいな」
「ったく、どっちなんだよ」
ラディはあきれ、レリーナは横でくすくすと笑う。
二人は軽く手を振りながら自分の世界へ戻り、閉められた扉はゆっくりと消えた。
「いい子達ですね、あの二人」
「そうだろ。そりゃ、試練の協力者に選ばれるくらいだからな」
自分がほめられたかのように、ジェイは胸を張る。
「ジェイが喰われた時、ラディは助けようとして湖の中へ入ろうとしたのですよ。レリーナは真っ青な顔をしていました」
「……そっか」
「協力者というのは、一時的な仲間でしかないと思っていました。ですが、あれだけ誰かを心配できるものなのですね。いいものを見た気がします。今回呼び出されて同行したこと、無駄ではありませんでした」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。オレもこの試練、ムダじゃないって思ってるから」
へへっ、とジェイは笑う。
「協力者は大竜達の色んな力が絡み合って選ばれるらしいけど、人選については最高レベルだ」
「他の点は違うのですか?」
シャルゼアがわざと突っ込む。
「他はこれからわかる……んじゃない?」
ジェイはいたずらっ子のように笑ってみせる。
「水に入ったラディが風邪をひかなきゃいいけどな」
そんなジェイの言葉は聞こえないはずだが、自分の部屋に戻ったラディは小さく一つ、くしゃみをしていた。





