文系女子と料理男子
「りょこうは、かいしゃのどうりょうといっしょだっていってたじゃない!このうそつき!あんなおんな、ころしてやる!」
「待ってくれ!誤解だ!彼女とは何もなかったんだ!」
「そんなうそがつうようするとおもってるの!?」
「嘘なんかじゃない!話を聞いてくれ!」
一体自分は何をしているんだろうと思う。
おままごとをすると言うから、何をするかと思えばドロドロの憎悪劇である。
どうやら文香は大手製薬会社の会社員で社員旅行と偽って浮気をしていたのがばれてしまった旦那役らしい。
「ちょっと中野、あんたの家の教育どうなってるわけ!?」
絶賛掃除機中の礼二に声をかける。
几帳面な性格なのか棚の下の奥の奥の方まで掃除機を入れようとしており、声が聞こえづらそうだったので大きめに話しかける。
棚の下の掃除を終えたのか、礼二は満足そうな顔を覗かせる。
「ああ、母さんが撮り溜めた昼ドラをたまに見せてるせいだろう。家事をするときにじっとしていてほしいんだが家にはなかなか良いビデオがなくてな。」
「だからってなんで昼ドラ・・・。」
「まあおかげでこんなに早く人間社会のことが勉強できてきっと大成すると思わないか?」
「まあある意味大成しそうで怖いわね・・・・。」
「掃除も終わったし、昼飯にするか。」
「何か全部やらせて悪いわね。」
「いや、夏目は客だ。問題ない。そもそも柚子を見ていてくれるから家事を効率よくできて助かっている。」
「いつも大変なのね。私はあんまり手伝いとかしないからわかんないや。」
「やってみると意外と楽しいぞ?特に料理なんか中々に興味深い。料理は化学と密接にかかわっているからな。人間のもつ5種類の味覚にさらに冷感、熱感を組合せ、味に奥行きを出す。食材と食材の化学反応により、論理的に味を自由に変化させることができ、」
「あー、うん。その話はまた今度聞くわ。」
「ちなみに、辛い、というのは味覚ではなく痛覚だそうだ。カプサイシンが舌の痛み受容体に結合することで・・・」
「はあ・・・」
礼二のこういうところさえなければ良い友達になれる気がするのだが。
自分の興味のある話題になった瞬間水を得た魚のように長々と喋りだす。
言い方は回りくどいし、言葉遣いがおかしいし、正直めんどくさい。
でも、自分の好きなことを話しているときのあの目は、嫌いじゃない。
(大体、急に名前で呼ぶんじゃないわよ。びっくりするじゃない!)
さっき廊下で柚子に文香を紹介する際、礼二が文香を一瞬名前で呼んだあの時、文香の心臓はドキリと跳ねた。
今となってはその理由は分からないが、おそらく普段は苗字で呼ばれているのに急に名前で呼ばれて驚いただけだろうと結論付ける。
考え事をしているうちに礼二は喋るのに満足したのか既に料理に取り掛かっていた。
柚子は絵本を読んでいたのでそばに座って、横眼で礼二を観察する。
なかなかに良い手際でどんどんと料理を完成させていく。
文香は料理が苦手で、作業を見ているだけでは礼二が何をしていて、最終的に何が出来上がるのか全く分からなかった。
しばらく観察しているとなぜか食卓にはオムライスとオニオンスープ、コールスローの3品が3人分並んでいた。
「すご・・・・。魔法みたい・・・。」
「ばかめ、魔法ではなく化学だとさっき説明しただろう。しかたない、もう一度説明してやろう。良いか?まず3大栄養素である、」
「おにいちゃんうるさーい!おなかへったー!」
どうやら柚子は待ちきれなかったらしく、既に自分の席に座っていた。
「ぐぬぬ、説明の途中だというのに・・・。柚子よ、実はな、お兄ちゃんの話をめんどくさがらずに聞いてくれる友人はほとんどいないんだぞ?話せるときに話さなくてどうする?」
「本当にそれ自分で言ってて空しくならないの?それと安心して、ちゃんとめんどくさいと思ってるから。」
礼二は信じられないものを見るような目で文香を見るが、文香はそれを無視して食卓に着く。
机に並べられた料理たちはとても良い匂いが食欲を刺激する。
柚子が今にも食べ始めそうだったのでみんなで合掌して昼食の時間となった。
オムライスの卵は半熟でトロトロとしておりスプーン掬い上げると零れ落ちそうであった。
そのまま一口頬張る。
「!!美味しい!!」
「ふみかちゃん、おにいちゃんのおむらいす、おいしいんだよ!」
「フッ、どうだ、なかなかの出来だろう?」
卵はふわふわトロトロと口の中でとけ、中のチキンライスは程よい味付けながら鶏肉やグリーンピースがアクセントとして存在感を主張する。
さらにこれは、
「もしかして、コンソメ?」
「まさか分かるとは・・・。その舌侮れないな。そうだ。コンソメを入れて塩分濃度を上げることでケチャップの量を減らしている。ケチャップは入れれば入れる程ご飯がべたべたとするからな。コンソメは野菜や魚介類の出しのようなものだ。トマトの酸味と非常によくマッチする。」
本当に礼二は良くわからないやつだ、と文香は思う。
理系科目が得意だけど、文系科目は壊滅的。
友達が少なくて喋り方が変だけど、家事スキル高め。
文香が持っているものを持っていないけど、文香が持っていないものを礼二は持っていた。
そこに生まれるのは羨みであり、嫉妬であり、憧れであった。
「ただ、逆に言えばケチャップが少なめだから、トマトのあの感じが好きな者は上からケチャップを追加すれば良いだろう。どうだ?いるか?」
「あ、じゃあ・・・。」
実際味は申し分ないが、味変という意味でかけてみるのも面白いだろうと思ってかけてみる。
よりケチャップの風味が強くなった。
個人的にはかけないほうが好きかな、と思う文香だった。
「ゆずもかけたい!」
「はいはい、かけてやるから皿出しな。」
「やだ!ゆずがやる!」
「しょうがないな・・・。気を付けろよ。」
なんだかんだちゃんと『お兄さん』やっているんだなあ、と、普段の学校での姿とまた違う礼二を見てほっこりとする文香。
礼二は柚子にケチャップを渡す。
その蓋は、空いたままだった。
「「「あ」」」
柚子が勢いよくケチャップを持った瞬間、盛大に飛び出した液体が礼二と柚子の服と体を赤く染める。
止まる三人の時間。
何も知らない人が見れば殺人現場のような状態となった食卓。
「んー、もったいないことしてしまったな・・・。」
「あ、最初に思うのはそれなんだ・・・。」
「何、服は洗濯すれば良いからな。済まないがちょっと柚子を風呂に入れてくる。食べ終わったら食器はそのままにしておいてくれ。」
「え、うん。」
礼二は残っていたオムライスをかき込むと、柚子を連れて風呂場へと向かった。
文香のいるところからでも二人の物音が聞こえる。
シャワーの音と、柚子の楽しそうな声が聞こえてきて、しばらくするとその音が止み、脱衣所の方から声が聞こえてくる。
『あ、柚子!まだ体拭けてないだろ!こら待て!危ないから走るな!』
トテトテと廊下を走る音が聞こえてきたと思ったらリビングの扉を開いて全裸の柚子がリビングへと突入してきた。
「ふくわすれたー!」
「あー、もう、柚子ちゃん。ちゃんと体拭こうね。」
「はーい。」
体が濡れていると滑って危ないので、入り口に突っ立っている柚子のところまで行って暴れないように確保する。
すると、スッと文香の周りに影が落ちた。
おや、と思って顔を上げる。
「夏目、済まない。助かった。」
そこには下だけ服を着て上半身はまだ濡れたままで服を着ていない礼二が立っていた。
余裕がなかったのか眼鏡をつけておらず、髪は濡れており前髪を上げて、バスタオルを肩にかけている。
「あ、うん。」
「こら、柚子濡れたまま走ったらケガするだろ。」
「でも、ふくもってくのわすれたのおにいちゃんじゃーん。」
「やかましい。夏目、すまないが、向こうの部屋に畳んだまままだ片付けてない服が積んであるからそこから柚子の服と俺のシャツを適当に持ってきてくれないか?」
「うん、わかった。」
「すまない。ほら行くぞ柚子。」
礼二は柚子を連れたって脱衣所へと戻っていった。
文香はその場にペタンと座り込む。
(え?え?今の中野、だよね?)
眼鏡をはずして、いつもうっとおしそうな長い前髪を上げた礼二は、イケメンだった。
(そんなベタな展開ある?)
眼鏡男子が眼鏡外すとイケメン、というのはよくある話だが、現実で見たのは初めてで困惑する文香。
(っていうか良い匂いだったな・・・。)
至近距離だったせいで石鹸の匂いに混じる礼二の匂いに気が付いた。
文香にとってそれはとても心地よい匂いだった。
ふと我に返ると何を考えているんだと頭を振り、正気に戻る。
突然のことで驚いただけだ。
そう言い聞かし、頼まれた通り服を持って脱衣所へと向かった。
もう一度あの匂いを嗅げないかと洗濯物に鼻を近づけてみるが、あるのは洗剤の香りだけだった。