『もう、大丈夫だから』
「とうとう姿を現したな、ヤミヤミたちの頭目よ! ヒトのゆめを上澄みだけ掬って捨てる大悪党! この西ノ宮ちはるが、フラチな悪を成敗してくれるぅ!」
良し。昔のままだ。これならやれる。不安をかなぐり捨て、あの頃のようなニコニコを浮かべ、自分の中にある魔法少女に『成り切る』。
『――何が悪か! 私を、こんな肉体の牢獄に閉じ込めて! 絶ッッッ対に許さないんだよん!』
プレディカの顔と声で『だよん』口調はどうにも滑稽だ。しかも向こうにそんなつもりはないという。奴は長い外套から細くしなやかな手を伸ばし、ちはると同じように人差し指を相手に突き付ける。
『ばん』
何もない空に衝撃が生じ、ちはるの身体が風切る勢いで真横に撥ね飛ばされてゆく。駄目だ、抑え切れない。ちはるは胸にかかる圧力に苦しみながらも、キャンバスに線を引き自信の背後にワームホールを現出させる。
「お、ぉおわっ、と!」
起点をピューロランド大ホールに据えておいて良かった。背を反って衝撃を逃し、再び降り立った所に、狙い澄ましたように放たれる衝撃。
(これは……)
以前、これと同じものと争ったことがある。今年の春、みらと出会ったあの日。正義の使者ヅラして他者に迷惑をかけ続けたあの女。
「ならば」ペンを用い、防御するまでもない。ちはるは左手を目の前で平と振り、続く衝撃を受け止める。
『――ばん! ばん! ばばばばん! ナンだ? なんだ! どうしてノーダメージ?!』
あの中学生――、清浦天使のまほうはパントマイム。奴がチカラを発動したその瞬間、構え思ったことが現実となる。だがそれは受けるこちら側も同じだ。仕様を理解し、同じように技を放てば、回避するのはそう難しいことじゃない。
「残ェ念、いま無敵バリア中なので効きまっせーん」
どんな攻撃も防ぎ切るバリア。そんなものある訳が無いが、パントマイムでそう思い、願いさえすればカタチになる。最早どれだけ撃ち込もうがちはるには届くまい。
『――ぐぬぬ、う。生意気なんだよん、生意気なんだよん!!』
ファンタマズルの外套がもこもこと揺れはじめ、腹の部分からオオカミが顔を出す。ヒトの身体に狼の頭。鋭い爪と牙を持った狼男か。
『――許さない、お前だけは許さないんだよん』
次いでカボチャ頭のてるてる坊主、鶏頭のムキムキ男。肩から上が三つ又の豚頭をした魔物。どれもこれも、魔法少女として活動をしていた頃にファンタマズルが差し向けて来たものだ。
『――行くんだよん! 西ノ宮ちはるを八つ裂きにしてきまぇい!』
人を喰らう血に飢えた魔物たちがちはるを捉えた。二十六歳の柔肌を食い千切らんと飛び掛かる。
「今更! 通るか!そんなもん!!」
だが、それらに立ちはだかったのはちはるではない。魔物たちはそれぞれ顔、肩、腹、股間に蹴撃を受け、ステージ奥へと散らされた。
「アヤちゃん!?」
「面白そうなことやってんじゃん。あたしも混ぜろよ」
額に脂汗を滲ませながら、不敵な笑みを浮かべて振り返る。東雲綾乃――、魔法少女ズヴィズダちゃんは今この瞬間、残しておいたチカラの使い時を理解した。
「雑魚はまとめて引き受けた。さっさとあいつ片付けて」
綾乃にとって、奴は幼い頃からのゆめを奪った仇敵だ。何より自分が手を下したいはず。それをちはるに託し、露払いを買って出た。その機微を察せられないちはるではない。
「ごめん、お願い!」
どんな美辞麗句を並べるよりも、信じて背中を預けるのが最適だと理解した。即座に踵を返し、ファンタマズルの元へ距離を詰める。
「雑魚の放流とはちょございな! そこを動くな、今この場で片付ける!」
『――その言葉、そっくりそのままお返しするんだよん! 邪魔者めェえええ』
ファンタマズルの頭上にワームホールが現出し、その先には両手を使っても足りないほどのミサイル群。アイムがせっせと送り返していた各国武装を今ここに集結させたのか。
『――喰らえぇええええええっ!』
文字通り雨あられと降り注ぐ大量破壊兵器。これまでのちはるなら反撃のすべなく斃されていただろう。
「ふふふのふ。この私にそんなものが通じると思ってえ?」
ちはるは臆することなくキャンバスを展開。線を引き現れたのは巨大な消しゴム。ペンを宙に振り上げて、消しゴムをミサイル群の間に挟ませる。
「はいっ、根こそぎお掃除ーっとぉ!」
何が現実でどこからが幻想なのか。眼前に迫ったミサイルは消しゴムのひと薙ぎで鼻先を消され、続く横薙ぎでもう半分も消失。キャンバス上の落書きを”そう”するように、全てこの世からきれいさっぱり消え去った。
『――おのれ、おのれぇえええええ』
このヒトならざる脅威を捌くうち、ちはるはある確信にたどり着く。今までの攻撃は総て、過去に自分たちが関わったものが由来だ。ここまで激昂してなお、過去の遺産に縋らねばならない理由など限られてくる。
「分かってきたよ。あんたは、その目で見たものしか再現できない。自分じゃ何も創造出来ないんでしょ」
そもそも、自分たちこの世界の人間と同等の場所に堕とされる事自体が想定外だったはずだ。自分はどこまでも観客で、喜劇を演じるちはるたち役者を客席で笑いながら見ているだけ。
「何をしてこようが所詮は猿真似。同じ舞台に上がった時点で、あんたじゃ私には絶対敵わない」
もうこの存在を恐れる必要はない。キャンバスにペンを走らせ、自分の最も使い慣れた”アイテム”を呼び出した。
「いでよ、グリッタバトン」
新しく産み出したそれは、バトンの形を象った虹色の不定形エネルギー集束体だ。水のように形を変えながら、穂先部分に迸る桃色の輝きを集めてゆく。
「終わりだよ、ファンタマズル。あんたに踊らされたひとたちの怒り、思い知れ」
『――まっ、待て。待つんだよん西ノ宮ちはる!』
何をしようがちはるには敵わない。このままでは死んでしまう。今まで立ったことのない死の淵に立たされて、ファンタマズルは必死な形相で待ったをかける。
『――キミがこの先何をしようがそれは勝手だ。しかし、しかしだよん。キミのそのチカラは我が分け身。私が消えれば、そのまほうは此の世から消え去ってしまうんだよん!?』
理屈としてはそうだ。筋は通っている。ファンタマズルが消えればこの万能のチカラは消え、西ノ宮ちはるは魔法少女からただの二十六歳フリーターに戻り、再びまほうを使うことは出来なくなる。
この命乞いとも取れる発言を耳にし、ちはるはほんの一瞬目を閉じた。母を亡くし、その想い出にすがり、幼馴染には見放され。それでもすきで居続けた心の支え。無くしてしまうのはあまりにも惜しい。
けれど。
だからこそ。
今、ここで決断しなくては。
「無駄だよ」ちはるは自らにすがるファンタマズルを鼻で笑い。「もう、まほうは必要ない。私は私のまま生きて行く」
『――馬鹿な! キミが、キミが、か?』ファンタマズルはプレディカの顔で当惑を顕にし。『私はずっとキミを見てきた。暗く沈んで、何度も何度も死にかけたキミが? まほうもナシに?!』
「ええ」ちはるは一切視線を揺らがせず、決断的な口調で首肯する。「もう私は私”だけ”じゃない。みんながいてくれるから。みんなに頼ることが出来たから」
眼前で渦巻く桃色の魔力に目をやり、この十年間を想う。ありがとう。もう大丈夫。別れの時が来た。まほうのペン、グリッタバトン。使い慣れたそれらに残る想い出を振り切って、チカラを与えた根源に向き直る。
『――まずい、これは本当にまずいんだよん』
まほうを楯に迫れば躊躇うものだと思っていた。この日、この瞬間でなければ効いていたかもしれない。だが、ファンタマズルは完全に見誤った。西ノ宮ちはるという人間を買いかぶり、下に見て、その覚悟をせせら笑った。観客として舞台を眺めていながら、その本質は一切見えていなかったのだ。
逃げなければ。速やかにこの窮地を脱し、勢いづいたちはるから逃れなければ。アタマでそう命じるも、カラダは金縛りにでもあったかのように動かない。
『――これは、まさか……!』
そもそも。この身体は自分と同じ次元に立つ者をマーカーとし、此の世に紐づけさせられたものだ。自分『だけの』ものではない。
(きさまは、キサマだけは逃さない。今ここで消え失せろ)
はっきりと、声が聴こえた。真横に目を向ければ、自分と全く同じ顔がそこにいる。腕に置換された鎌を腹に立て、動くなと身体を締め付けている。
『――馬鹿な。下の下たるお前達が、私の自由を奪うなど!』
(そうね。お前たちからすれば私は下等生物)声の主――、プレディカは自嘲気味に微笑んで、自らの背後を顎で差し。
(けど。それも三つ集まれば、お前を止めるくらい、訳はない)
ファンタマズルはここでようやく、自らを抑え込むのがひとりだけで無いことに気付いた。顔はぼやけてよく見えないが、右にはマリーゴールドに輝くチャイナドレスの女。左にはスカイブルーの聖職者衣装を纏った女。十年前ちはるに倒され、魂だけとなったプレディカの妹たちだ。
『――離せ! 私が死ねばお前も消える! 今この場を生き残れば、肉体を再生させる方法なんて幾らでもある! もう二度と、主人に逢えなくてもいいんだよん!?』
(くどい)別れならとうに済ませた。もう未練はない。姉妹と共に黄泉へと下ってくれよう。長女は顔の無いふたつのモヤに目配せし、自分の身体に間借りする異物を締め上げる。
(ほぉら、向こうは準備完了みたいよ)
桃色のエネルギーは充分に収束し、星の形を象って結実した。最終最後必殺の一撃。もう、この魔物に躱す手立ては何も無い。
「喰らえ」ちはるはバトンの穂先でファンタマズルの腹に狙いをつけて。
「グリッタ・ギャラクシー・メテオ、ばぁあああああすとぉおおおおおおお!」
星を象った桃色の輝きは、縦回転を伴ってファンタマズルに直撃。外套の隙間から全身に染み渡り、受肉した素肌に幾重もの亀裂が刻み込まれてゆく。
『――こんな、こんな結末……認めない、んだよん……』
観客面して未来ある人間たちを操ってきた悪漢の最期だ。ひび割れから桃色の輝きが漏れ出し、光は外套さえも突き抜けた。
『――この借りは! 必ず返してもらうんだよん! 精神的に! 劇的に! 絶頂期に、ぃいいいいいああああああッッ!!!!』
ピンクの外套が弾け、プレディカと混じり合った肉体が四散する。肉片衣服片は泡と消え、多摩の空に融けて行った。
そしてそれは、ちはるらチカラを行使した者たちも同じだ。ちはると綾乃。まほうで形作られた衣装、ペンとキャンバスが。しゃぼん玉のように彼女たちの手を離れてゆく。
まるでそれまでがなにか悪い夢でも視ていたかのように。更地同然となったピューロランド中央ステージが時を戻すように修復され始めた。ファンタマズルという異物が消滅し、セカイが在るべき姿を取り戻したからか。
「ちぃちゃん」
「ちはる」
脚を痛め動けない綾乃を担ぎ、桐乃三葉がちはるの元へとやってきた。三葉も、当然ちはるも。まほうのチカラで得た衣装やアイテムは既に無い。文字通り魔法は解け、皆現実へと回帰したのだ。
「ありがとう。みんなのお陰だよ」
ちはるは薄く微笑み、友人たちに感謝を述べると。「ごめんね。今から私のすること、黙って見守ってくれないかな」
言って目線を向けるその先には、立て膝のまま俯いて動かない花菱瑠梨の姿があった。『黙って』とはそういうことか。わだかまりがない訳ではないが、勝者が手を出すなというなら従わない訳にはゆくまい。
「いいよ。好きにしな」
「あとはちぃちゃんに任せるわ」
「ありがと」
ちはるは背を向け俯いたままの瑠梨に近付き、ヒト一人分を開けて足を止めた。話すべきことはもう決まっている。息を静かに吸い込み、幾秒かの間を置いて口を開いた。
「瑠梨ちゃん。あなたは、これからどうするの」
「どうする、って」一拍の間の後、掠れた声で答えが返ってきた。「独りで勝手に生きてくさ。約束なんだ。あいつらが胸を張れるくらい、元気で、前を向いて、誇り高く」
「無理だよ」ちはるはぴしゃりと否定して。「あなたは独りじゃ生きられない。お父さんやお母さんもいないんでしょ。カマキリたちに助けられて生きてきたんでしょ。そんなヒトがいきなり独り立ちなんて」
半分は自身の体験談だ。父が死に、家を間借りしていた祖母も死に、ひとりになった一年弱。どんよりと淀んだ代わり映えのしない日々。減り続けてゆく貯金。そんな中増え続けてゆく現状への不満と自死の欲求。鬱を抱えた人間にとって、東京という街での独り暮らしはあまりにもつらすぎる。
「だったら、何だってんだ」そんなことは瑠梨自身百も承知である。「それでも! ボクは約束したんだ。あいつらを失望させないと! お前たちの主は立派だったと、誇れる人間でなきゃ行けないんだ! お前に……お前に、何が解るんだよ!」
「そうだね。今はわからない」ちはるは、穏やかな声でそれに首肯し。「だからさ。分かるようになるまで、私と一緒に暮らさない?」
「は……あ??」
不意打ちを貰い、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして言葉を失った。自分が、彼女と? ひとつ屋根の下で? そんな馬鹿な、あり得ない!
「自分が何を言ってるのか判ってるのかオマエ?! ボクと、暮らす?? 冗談じゃない!」
「そんなに驚くことかなあ」ちはるは不思議そうな顔をして首を傾げ。「私もあなたもひとりぼっち。知らないひとより、知ってるひととルームシェアした方が良くない?」
「そりゃあ……そう、だけど……って、そこじゃない!」
危うくこのほんわかした雰囲気に呑まれそうになった。これはいけない。瑠梨は大声で拒絶の意を示し、ちはるの方へと向き直る。
「ボクはお前の父親を! あのステージで殺したんだぞ!?」
「あれは私も怒ってたし、これ以上あなたを責めるつもりはない」
「仲間だって嘘付いて、なぁなぁで手伝って。お前たちを騙してたんだぞ」
「そうだね。ショックだったけど、今更気にすることじゃない」
「他にも……他にも……」
いつの間にか、瑠梨の目には涙が溢れていた。逃げて、殴られて、また殺して逃げ出して。終わりのない罪の連鎖の中、彼女はずっと安らぎを求めていたのだ。
「さっき、病院の中で言ったよね」ちはるは取り乱す瑠梨の頬に手を触れて。「私たちは奪いもしたし、その分沢山のものを失った。それは捨てずにちゃんと背負わなきゃいけない。あなたの苦しさや悲しさ、半分だけ引き受けるよ。ひとりで悩んで俯かないで。傍に居てあげるから」
顔を上げ、目と目が合う。呼気が触れる程の距離に在ったちはるはとても穏やかで、優しい表情をしていた。まるでこれまでの柵など無かったかのように。
「瑠梨ちゃんだけに本音を言うね」ちはるは、他の誰にも聞こえないようそっと耳打ちをし。「私もさ、みらが居なくなっちゃって寂しいんだ。ひとりで眠るのに耐えられない。だから、一緒にいてよ」
「なんだよ、それ」話の意図を察したのか、瑠梨の声もまた密やかだ。「それなら綾乃やあの関西弁がいるだろ」
「アヤちゃんもミナちゃんも別の場所で仕事をして大人になってる。これ以上甘えられないよ」
「大人は大人同士、子どもは子ども同士……ってか?」
「そうなる、かな。不満?」
瑠梨の答えはもう決まっていた。それまで手持ち無沙汰にゆらゆら揺れていたその腕は、眼前のちはるをぎゅっと握り締める。
「後悔しても知らないぞ。言い出したのはお前なんだからな」
「いいよ。その代わり、生活費もしっかり肩代わりしてもらうから」
ちはるもまた彼女の細く柔い身体を抱き返す。喧嘩別れ同然に去ってから十年。ずっとこの時を夢見ていた。こうしたいと思っていた。ふたりは互いを抱いたまま、鼻をすすってさめざめと泣き続けた。
・長らく、本作品にお付き合いくださり、誠にありがとうございました。
次話からはエピローグ。1/26(水)・0時更新、『2019年4月末日』。
どうぞ、ご期待ください。