私は『好き』をあきらめない!
※ ※ ※
「ふたりとも。何か、言うことは?」
「手前勝手にヒートしちゃっててスミマセン」
「反省しております」
怒り狂ったふたりのとばっちりを受け、西ノ宮ちはるが昏倒してから一時間。彼女は再度奇跡的に目を覚まし、加害者たちに正座を強いて謝罪の言葉を引き出していた。
「けど、けどなちぃちゃん。悪いのは間違いなくコイツなんさ。自分がやったこと棚に上げて、寝とったちぃちゃん起こそうとして」
「でも、実力行使したのはお前だろ関西弁。でなきゃボクだって拳なんか」
「言い訳は聞いてないです」
あわや殺し合いに発展していた雰囲気はどこへやら。百パーセント自身に非があるこの状況では、どちらも矛を収めひたすら謝る他なかった。
「まあ、もうそれはいいよ。今、外はどうなってるの」
「みらちゃんがチカラに目覚めて、ピューロランドを根城に独立国宣言。街の住民をキグルミの動物に変えて、邪魔する他国に武器をひたすらに送り返しとる」
一言一息で説明し終えたが、どこまでちはるに伝わっただろうか。三葉の言ったことは何一つ間違っていない。ゆめの中に籠もっていた八日間で、世界はここまでカタチを変えた。
「プレディカも、お前の友達・東雲綾乃も。ヤツに歯向かって死にかけてる。どんな風になってるか、見せてやる」
瑠梨はよろよろと立ち上がり、部屋の隅に立て掛けたまほうのキャンバスに手を触れる。如何なるチカラに依るものか、真っ白のキャンバスに白黒の強烈な濃淡が生じ、望みの絵面が浮き上がる。
「アヤ……のん。これが、今の姿やっちゅうんか?」
「まほうが、ボクたちを騙して無い限りは」
玉座についたアイムが満身創痍の綾乃を吊るし上げ、画面端で丸焼きとなり、文字通り虫の息となったプレディカが横たわっている。これ一枚だけではその前後を理解できないが、もう後がないことだけはこの場の全員が理解した。
「行くよ」この惨状を目にし、臆することも怒ることもなく。西ノ宮ちはるは凛とした表情のままそう言い放つ。「みらを止める」
「行く……って、どないすんのやちぃちゃん」
入院着のまま立ち上がるちはるに、三葉が待ったをかける。「バトンはカマキリとやった時に真っ二つ。衣装もぼろぼろのずたずたになって……。ほら」
「そっか。これじゃあもう、着られないね」
自身のアイデンティティ・グリッタちゃんの喪失を前にしてもなお、ちはるの言動は一切揺らがない。
「大丈夫だよミナちゃん。手ならまだある」
まるでそうだろうなと解っていたかのように。無くたってどうとでもなるとでも言うように。ちはるはベッドから滑るように降り、瑠梨に対し右手を伸べた。
「瑠梨ちゃん」
「な、なんだよ」
表情、言葉、言動。どこにもあのギラついた殺意はなく、瑠梨は一瞬たじろいてしまう。
「そのキャンバス。私に頂戴」
「な……にっ!?」
ノーガードになったところに鳩尾パンチを受けたような衝撃。歩み寄ると思っていたのになんだそれは。瑠梨の顔が瞬時にこわばり、キャンバスを脇に抱え、自らの背に隠す。
「ふざけんな。どうしてお前に」
「理由さ、いちいち話して聞かせなきゃ駄目?」
物腰こそ柔らかいが、向こうに譲歩する気は一切ない。他に手がないとはそういうことか。
「わかってる。そんなこと解ってるさ」
少なくとも、自分にはあの幼女をどうにかする手立てはない。自信を持って差し出せと言ってきたのなら、続く言葉はひとつだけ。『私ならなんとか出来る』。
「けど、そいつが無くなったら……ボクは」
まほうのキャンバスはグレイブヤードを、プレディカたちヒトガタカマキリを産み出した源泉だ。これを奪われるということは、彼女のアイデンティティを失うにも等しい。自信も、配下も、まほうのチカラさえ無くしたら。そうなれば、後に残るのは何も出来ずに歳を重ねた自分ひとり。
「嫌だ……。もう何も奪わないでよォ」
過去のしがらみから背を向けて、考えないようにして生きてきた。まほうのチカラがそれを可能にしてくれた。キャンバスを手放せばその総てがいまの自分に振りかかる。そうなった時一体自分はどうなるか。底の底に堕ちるのは嫌だ。瑠梨はキャンバスを背に隠し、壁に寄りかかって固まった。
「アカンわちぃちゃん、欲しいんなら力づくで行かんと」
三葉の言う通り、奪うだけなら無理矢理引き剥がすのが一番だろう。八日間俯いて絶食していた相手だ。抵抗されても大したことはあるまい。
「駄目だよ。それじゃあ意味ない」
だがちはるは首を縦に振らなかった。パントマイムの中学生、昴星歌唄、吹寄幽子――。いずれも奪って無力化した途端、砂となって消え去った。
「同意がないと駄目なんだ。奪うでも盗むでもなく、貰わないと」
同じまほうの力に選ばれたちはるは、感覚と経験でそれを理解していた。故に一歩も引かず、それでいて強い言葉も使わず、瑠梨に対峙しているのである。
「お願いミナちゃん。絶対に手を出さないで」
堂々巡りで動きなし。怒る三葉をなだめすかし、西ノ宮ちはるはあくまで穏やかに、瑠梨に向かって言葉を続ける。
「奪わないで、か。今更そんな虫のいいことが通じると思うの?」
「何……!?」
「あなたも、私も。ここまで沢山のいのちを奪ってきた。それを忘れて自分可愛さで塞ぎ込んだって、それじゃあ誰も救われないよ」
お互い、この十年で歩んで来た道筋のことなど知りようがない。けれどその乾いた目を観れば、報われず何も晴らせず苦しんで来たことは解る。その道を肯定せず詰ることもせず。ちはるは更に言葉を継ぐ。
「私達は奪ったし失った。どっちも元には戻らない。だから、その分他の人に与えなきゃいけないんだよ」
「与えるって、何を」
「希望だよ」
あまりにも漠然とした答えに、瑠梨は一瞬言葉に詰まった。きっと間違ったことは言って無いのだろうし、他にすべきこともない。そんな活動家の目標みたいな話を、つい先週まで殺し合っていた自分たちがすることになろうとは。
「お前、本気で。本気でそんなこと思ってるのか?」
「思ってる」
曇りなきその瞳に、瑠梨はそれ以上言葉を返す事ができなかった。こいつは馬鹿だ。大馬鹿だ。たったひとりちっぽけな人間に、そんな大それたことが本当に出来ると思っている。
「敗けたよ。お前みたいな馬鹿には敵わない」
最初からそうするしかないことくらい解っていた。この女が気に食わなくて、何もかも奪われるのが怖かった。けれど、そうして駄々を捏ねていたって、この争いは永遠に終わらない。
「頼みがある」瑠梨は背に隠したキャンバスを前に出し。「もう二度と人は襲わないと約束する。だから、プレディカを殺さないで」
「りょうかい」
差し出したキャンバスを受け取り、自分の元へと手繰り寄せる。見立て通りしっかりと形を保っており、持ち主が変わったことを示すのか、鈍色だった額縁がピンク色に変化した。
「譲渡が上手く行ったんは分かるけど……。この後どないするん?」
敵は、疲弊していたとはいえちはるを打ち負かした相手だ。まほうを解き放つ衣装もバトンも既にない。
「さっきミナちゃんの言った通りだよ」けれどちはる本人に、そんな悲壮感はまるでなく。
「グリッタちゃんの衣装もバトンも無くなった。だったらやることは一つでしょ」
キャンバスを手中に収めたちはるは、目を閉じて右の手に意識を集める。捉えた。お椀を持つように丸まった手の平が一瞬桃色に煌めいた。
「おいで、まほうのペン」
家に置きっぱなしにした鈍色で葉巻みたいな形のペンが、ちはるの求めに応じその手の上に現れた。何故、と問うことに意味はない。呼べば来る。今までそうしなかっただけのことだ。
「ちぃちゃん。それってつまり」
「そ」ベッドの上で胡座をかき、自らの脚の間にキャンバスを載せて。「ミナちゃんお願い。何でもいいから食べ物と飲み物。おなかすいた」
「わ、わわま……。待っとってや、すぐ持ってくる!」
これまで、如何にちはるが立ち上がろうと、勝てるイメージを持てずにいた。他人事のように、どうせやり合っても敗北するんだろうと思う自分もいた。
けれどそれは大きな間違いだ。西ノ宮ちはるはそんな人間じゃない。ペンを握り、キャンバスに向かったその瞬間。彼女の顔は九年前の、現役時代のあの頃に戻ったのだ。
(あぁなったちぃちゃんは、誰よりも強い)
ならば今自分のすべきことは。彼女を最高の状態で送り出してあげるのみ。桐乃三葉は前のめりになりながら、再び下階に向かって駆け出した。
※ ※ ※
「あぁあ、もう飽きちゃった」
きらびやかなパーティードレスを纏う綾乃を目にし、女王我妻アイムはうんざりとした顔でそう呟く。十二単、西洋鎧、ねこの着ぐるみ――など、など。綾乃の足元には無数の衣装が片付けられることなく山を成し、彼女は着せ替え人形としての役目を終えつつあった。
「そもそもズヴィズダちゃんひとりいてもつまんない。誰か他から集めて来なきゃね。さぁて、どこがいいかなーっと」
アイムは右手を大スクリーンに向けて広げ、世界中の民衆の元へとカメラを移した。全世界が際限なくミサイルを撃ち込む恐怖に怯え、家に籠もる家族らを拡大し、目まぐるしくシーンを変えてゆく。
「うーん。この子もいいしあの子も素敵。ひとつに決めるのが勿体ないなあ」
なんて、無邪気に品定めを行う様は、玩具売り場でプレゼントを選ぶ子どもそのもの。アイムにとって、ヒトひとりの命など、棚に並ぶ人形とさほど変わらないということか。
「ふふ。ふふふ」
そんな異常な光景を目の当たりにしてなお、綾乃自身は異様なほど冷静だ。着せ替え人形をさせられ続け、精神を病んでしまったのだろうか?
「いい加減、いたずらは止めといた方がいいわよみら。こわーいお姉さんに仕返しされたくなかったらね」
「ハァ? ズヴィズダちゃんってば何言ってるの?」
ティアラに選ばれた自分を阻むものはもう何もない。現に、止めに来たと宣う彼女は無抵抗で虫の息。戦える人間が何処にいる。
「もうとっくにわかってる筈よ。あんたの保護者は。西ノ宮ちはるは。あんなくらいでへこたれる奴じゃないって」
威勢よくそう言い放ったが完全にハッタリだ。他に手が無いのは事実だが、来てくれる保証なんてどこにもないし、彼女にそれを探る術もない。
「来るよ。絶対に来る。あの子は絶対に」
それは彼女の願望か、ただ単にの負け惜しみか。だとしても、綾乃の目に怖れも諦めもない。本当にそうだと、心の底から信じている。
「そのキラキラ。なんかちょっと見苦しいよ」アイムは大スクリーンから綾乃に興味を移し、再び糸で空中に引っ張り上げる。
「そんなにキラキラぴかぴかしてるんならさ、箱の中でおとなしくしてて」
アイムが手を叩くと共に、頭上からヒトひとり入るほど大きなガラスケースが降りてきた。ひとりでに扉が開き、無抵抗の綾乃を引き受けんとする。
「使ったおもちゃはきちっと箱にお片付け。わたしってば偉いでしょ?」
綾乃を縛るワイヤーは滑車仕掛けと接続し、カラカラと滑り進んでゆく。チカラを使い果たした綾乃にこれを躱す術はない。いよいよ持っての窮地だ。それでもなお、綾乃の瞳に曇りはない。
「止めときなって言ってるの。もうあんたの味方してあげないよ。カウントダウンはもうはじまってる」
ガラスケースに呑み込まれるその瞬間、綾乃は唐突にテンカウントを開始した。9、8、7、6、5……。根拠はあるのか? 恐らく無い。では何の為に。
「4、3、2、1」
ホールの頭上に、見たことのない虹色の輝きが生じたのはその時だ。カウントが終わりかけたその瞬間、『光』は扉の中へと吸い込まれ、ワイヤーを千切って綾乃を外へと連れ出した。
「遅いわよ、何やってたの」
「ごめんね。ちょっと道に迷ってた」
目映い光が失せ、更地となったステージの上には、綾乃をお姫様抱っこした西ノ宮ちはるの姿があった。黒のスーツをぱりっと着込み、使い慣れたローヒールパンプスをカンと鳴らす。
『ーー来たね。いよいよ』
事態を傍で見守っていたファンタマズルは、その帽子の下で喜色に浮いた声を漏らす。この奇々怪々極まる事態を収束させるには、西ノ宮ちはるのチカラをかりるほかない。
「グリッタ……ちゃん……?」
日頃見慣れたその姿に、壇上のアイムは一瞬言葉を失った。だがそれもほんの一時だ。彼女は即座に平静を取り戻し、スーツ姿の二十六歳に向けて嫌味な笑い声をぶつけにかかる。
「あっは。あははのは。起きて来るのがちょーっとばかり遅かったみたいね。この世界はもうとっくにわたしの手の中。グリッタちゃんひとりでナニが出来るの?」
「あなたはまだ、そう呼んでくれるんだ」
悪辣で腹立たしい声と顔をしたかつての居候を目にしてなお、ちはるの表情は揺らがない。口をきゅっと結び、右拳をきつく握り締め、据えた瞳で彼女を見やる。
「みら。お遊びの時間はもう終わり。まほうから離れて、ふつうの女の子に戻りなさい」
「は?」淡々と、なれどはっきりとした口調で告げられた言葉に、アイムは一瞬戸惑って。「さっきの話きいてた? 上から目線でわたしに説教? 無理無理無駄無駄。わたしが誰だか知らないの? わたしは」
「みら」ちはるは相手の言葉を強引に遮って。「私の大切な同居人。血の繋がらない妹、娘」
「そーゆーことを聞いてンじゃないっ」
何か妙だ。怖れも、怒りもそこにはなく、淡々と自身の言いたいことを述べている。この状況を目の当たりにして、実力差が見えていないのか?
「やれるもんならやってみなよグリッタちゃん。わたしと、このティアラに。あなたのバトンが通じるんならね」
「もう、グリッタちゃんは卒業したよ」ちはるはスーツにしまったトランスパクトを手に取って。「私は西ノ宮ちはる。誰よりもグリッタちゃんが大好きだった女の子。そして、あなたの横暴を止める者」
わざわざ新規に作り直したのか。パクトには回転ギミックが存在せず、衣装と思しき意匠が描かれたボタンがひとつあるのみ。ちはるはそれを押し込み、パクトを天に掲げて呪文を叫ぶ。
「幾千億の星のチカラよ、私の元に集え。その輝きをひとつに。与えるキラキラをみんなの為に。シュテルン・グリッタ・エトワール!」
唱えたその瞬間。閉鎖されたピューロランド特設ステージの天井に孔が開き、外の明かりが漏れ出した。それはいつしか虹色の輝きへと変質し、ちはるの身体を包み込む。
ローヒールパンプスが白銀のサイハイブーツに。
タイトなミニスカートがボリュームのある薄桃色のパニエスカートに。
黒のリクルートスーツは大きな胸を支えるハートカットのドレスに。剥き出しになった肩口には透明のヴェールが追加され。
無造作なロングヘアは編み込みのツインテールとなり、栗色の髪の内側にはグリッタちゃん譲りのピンクのグラデーションが描き込まれ、頭頂に月と星を模したティアラが載った。
胸から提げたパクトの中からピンク色の縁取りがされたまほうのキャンバスが飛び出した。彼女はそれを掴んで左腕の上腕に置く。キャンバスはひとりで縮み、篭手のような形で収まり、両手にパール彩色の指ぬき手袋が生成されてゆく。
「ちはる、綺麗」
瓦礫の上に倒れ伏し、見上げた綾乃が目にしたものは、ウェディングドレスと見粉うように美しい幼馴染の姿だった。歳を気にして恥ずかしそうに、そそくさとグリッタちゃんの衣装を纏うあの姿とは違う。佇まいは自信に満ち溢れ、近寄りがたい程のオーラを放っている。
「みら。もう一度言うよ」
ちはるはどこからか現れたまほうのペンを右手に握り、敵対者我妻アイムに突き立てて。
「遊びはもう終わり。あなたは、あなたのいるべき場所に帰りなさい」
17:いまはまだゆめの途中、終わり。
終章(18):私のキラキラ、永遠に
につづきます。
連載開始から二年弱、ここまでお付き合いくださり本当にありがとうございました。
残り六エピソード、来年一月末までどうぞよろしくおねがいいたします。