無駄なんだよ、わかんないの?
※ ※ ※
「ふたり……あぁ、そう。ふたり」
城の主・我妻アイムは啖呵を切り、自分を倒すと息巻く二人を鼻で笑って切り捨てた。
「いいよ。やってごらんよ。カマキリが一匹増えようが、あなたたちにわたしは倒せない」
余裕どころかこれは驕りだ。殺意剥き出しの大人を相手取ってなお、アイムは顔に浮かぶ薄ら笑いを消そうとしない。
「ああ、やってやるとも」
挑発とも取れるこの言動にプレティカが乗った。自身の身の丈程もある大鎌を軽々と持ち上げ、壇上のアイム目掛け袈裟に振り切った。
「ぬ……っ?!」
打てば大型トラック数台をも容易くはね飛ばす一撃は、アイムの座す長椅子ではなくその一歩手前を突いていた。床が弾け、ステージが傾いてなお、アイムは椅子から立つことさえない。
「重たくって疾いのね。けど、当たらなきゃ何にもならなくない?」
「当てて、やるとも!」だからなんだと、突き刺さる右鎌を起点に身体を捻り、半回転の後左鎌を解き放つ。回転の勢いで右も引き抜き、連撃の体勢を整えた。一度で無理なら二度打つまでだ。質量に任せた連撃はステージ中央に鎮座する樹を真っ二つに引き裂くが、肝心要のアイムには届かない。
「この……おぉっ!」
ステージそのものが彼女の支配下にあるのか。プレティカが手を止めた数刻で、割れた木もひしゃげた床も、総てが元の形に戻ってしまった。
「ねぇー。まだ通らない? わたしさ、ヒマで暇でしようがないんだけどお」
アイムはもうプレティカのことを見てさえいない。目線を壇上に映したスクリーンに移し、迫るドローンを発出国に送り返している。
「馬鹿……。馬鹿にするなっ、このくらいで」
「諦めると思う?」
プレティカに注意が向いた視界の外、綾乃の声はアイムの右斜め後方より響いた。急ぎそちらに目をやれば、彼女は既に右回し蹴りの体勢を整えている。
「くっ!」
アイムの顔がモニタではなく綾乃を捉え、咄嗟に両の手を突き出した。半透明のバリアが割り込んで、綾乃の蹴りを弾き飛ばす。
「人間め、私の邪魔をするな」
「馬ァ鹿。こちとら助けてやったのよ。文句を言われる筋はない」
巨大な鎌を叩きつけるしか能のない今のプレティカでは、とてもじゃないがアイムに触れることは出来ないだろう。そしてそれは綾乃ひとりでも同じ。自分とカマキリ、双方がこの場に揃った時点で、続く展開は決まっていた。
「手ぇ貸せカマキリ。あんたはパワーで、あたしは足。協力してやつを叩く」
「何……、だと?」
プレティカはあり得なさに目を瞬かせ、続く言葉を決めあぐねていた。今でこそ繋がっているが、お前の脚は自分が斬ったのだ。現に、主・花菱瑠梨に対しては並々ならぬ憎悪を抱いている。
「貴様が私と協力する? そんな馬鹿な話が……」
「そりゃあ、本音を言えばあたしだって嫌よ」綾乃はきっぱりと吐き捨てて。「さっきのでよく分かったでしょ。バラバラに攻撃したって勝ち目はない。護るべきものがあるんなら、四の五の言わずに指示に従えっつってんの」
勝つ算段がある。綾乃はそう言い結び、プレティカの元へと駆け寄って。
「今のではっきりと分かった。知覚出来なきゃ、やつもワープやずらしで対応出来ない。スピードで上回れば勝機はある」
先程、プレティカを止めず自由にさせたのは、アイムの動きを観察するためだった。何でも魔法で現実にしようとも、対象を目にし捉えられねば当たらない。
「確証もないのに、信じろと?」
「なら、他に手立てある? 鎌を振ることしかできないくせに」
他の意見やノーは求めていない。何があろうと返事は『はい』か『イエス』だけ。悔しいが自分ひとりじや打つ手がない。プレティカは仕方無しに首を縦に振り、綾乃と並び立つ。
「あら。話はもう済んだ?」
アイムは椅子の上で足を組み換え、ふてぶてしい表情で二人を見下ろす。何が来ようが敵ではない。何を企もうが時間の無駄だ。
「ええ。待たせて悪かったわね」
綾乃はプレティカに目配せし、床を蹴りつけ、弾かれるように跳んだ。
「当たらなくていい。とにかくひたすらぶっ壊せ!」
そう指示を飛ばし、自分は身を低く沈めて跳び。プレディカをその周囲に走らせる。間を置かず、綾乃の蹴りがアイムの背後でとどろいた。
「何ぃ? またごり押し? 無駄なんだって、わからないの?」
アイムは慌てず騒がず半透明のバリアを展開。背後に迫る綾乃をスタッフの詰めるバックヤードまで撥ね飛ばす。
「無駄か、どうかは」
「お前が決めることじゃない!」
綾乃は即座に立ち上がり、プレティカはホールのモノという物を砕き続け、投げ槍にではない。戦意は微塵も折れていない。
「実際無駄でしょ、何がしたいの?」
右斜め後方、左斜め後方。前方、真横……八つどの方位から攻めようと、アイムの張ったバリアは破れない。だのに二人は攻め手を変えず、延々と同じ行動を繰り返している。
(無駄なんかじゃない)細かい蹴打を与える中で、綾乃の目はアイムではなく、客席の側に向いていた。自分に気を回しているからか、自身と関係のない部分にはその力も及ばないのか。プレティカの破壊する客席が元に戻る気配はない。
これならやれる。奴がフィールドを瓦礫の山に変えたのを見計らい、綾乃は蹴撃から口撃に切り替える。
「世界がどうとか正義がどうとか……。あんた、本当はそんなこと全っ然アタマにないでしょ」
「は、あ?」
破天荒な幼馴染に随伴し、長く互いを想ってきたからこそ解る。アイム――、記憶なきみらは西ノ宮ちはるを母の面影を重ね慕っていた。自分の名前を思い出し、急に奇行に走る意味が理解できなかったが、こうして顔と顔を突き合わせたことで、疑惑は確信へと変わる。
「ちはるは倒れて目を覚まさないし、直接やった方も鬱こじらせてバタンキュー。あの子のために何かしたくとも、他にしてやれることもない」
だから世界から争いの火種を奪い、平和な世を作ろうとしている。誰も彼もが自分の配下になりさえすれば、もうちはるが悩んで悲しまなくても済むはずだから。
「違、違う! そんなの知らない! わたしはアイム! 我妻アイムなの!」
「あんたって、時々分かりやすく子どもよね」
その反応はもう、同意しているのと同じじゃない。綾乃は内心くすりと笑い、極端なまでにお尻をはね上げたクラウチングスタートの構えを取る。
(あたしのこと、間近で見てても舐めてたでしょ)
今じゃこんな足枷を付けなきゃ走れないけれど、昔は全国を狙える実力だったのよ。このくらいほんのちょっぴり汗をかく程度。身体も丁度良く暖まり、準備は十分に整った。
「速っ、攻!」
瞬間、綾乃の姿が壇上から消えた。一体何処へ? わかるよりも早く、彼女の右足がアイムの腹を捉えた。
「が、うっ!?」
右横に貼ったバリアがまるで意味をなさず、左から飛んだローリングソバットが肋を打った。防御では駄目だ。あの攻撃を逸らさなくては。狙いを定めようとも、視界の中に綾乃はいない。
速すぎて目で追えないのだ。気配を察して振り向けば、奴は既に別の方向に跳んでいる。
「ここ、こんにゃろ……!」
「遅い遅い遅ぉい!」
曲がりなりにも、ちはるの空白を埋めてくれた“恩人“だ。本気を出すのは躊躇われていた。けれど綾乃は覚悟を決めた。戦えるのが自分だけなら、こんな理不尽で無秩序を押し付けるのなら。自分が汚れ役になってやる。
「さっきからちくちくちくちく……。ほんと、うっとおしいったら!」
(くっ……。全然効いてない)
隙をついて蹴りを打ち込むも、アイムの身体に一切の揺らぎはない。自分の力はちはるが――。彼女がまほうのペンで創造したものだ。他人の創造物という褌では同じ土俵に立つことさえ出来ないのか。
「まあ、そのくらい想定済みよ」自らを鼓舞するようにそう呟き、アイムと自身の立ち位置を見計らう。彼女はただ闇雲に蹴りを打ち込んでいたのではない。
まるでマウンドに立ち、バットを振らんとする打者のように。綾乃の視界の先には、周囲を粗方破壊したプレティカが逆刃の鎌を水平に構え、獲物がかかるのを今か今かと待っている。
「こ、れ、でぇ!」正面と見せかけバリアを透かし、跳躍のフェイントでアイムの注意を上に向ける。たとえ“ずらし“を行ってきたとしても、続く一撃を彼女は止められない。
「おしま、ぃいいいいっ!!!!」
不意を突いて放たれた空中横回し蹴りを背に受けて、アイムの身体が真横に飛んだ。その先にあるのはプレティカの巨大な右の大鎌。当たらないなら当てられるようにすればいい。互いの長所を活かした連係プレーである。
「う、うげぁ……! ああ!」
断頭台の刃に爆速で突っ込むが如き所業だ。触れて無事に済むはずがない。哀れ横暴なる幼き扇動者は腹から下を境に引き裂かれ、瓦礫まみれの客席に転がった。
「や、やった……。倒した……あたしが、斃した」
この瞬間、綾乃の心に去来したのは怖れでも高揚でもなく、ただヒトを一人殺したという無常感だった。今この事態をどうにかできたのは自分しかいない。第三者に間違っていたとは言わせない。もうじきこの騒乱にもカタがつき、外で踊り狂う着ぐるみたちも人の姿に戻ることだろう。
悪いのは自分だ。総て自分の罪なのだ。自らにそう言い聞かせるかのように。綾乃は倒した、という言葉を何度も復唱する。
ぱち、ぱち、ぱち。肩で息をする綾乃の耳に、規律正しく打ち鳴らされる拍手の音が響く。
(おかしい)
総てを司る我妻アイムを斬ったのに、壇上のモニタ類は今もなお外の様相を映し続けている。死体はどこだ? 急ぎ現場に目をやれば、斬って転がっている筈のアイムの姿がない。
ぱち、ぱち、ぱち、ぱち。拍手の音はどこから聞こえる? 音を頼りに周囲を見回し、徹底的に破壊した筈の座席の一部が不自然に残っているのに気付く。
「二人とも、おかしいと思わなかったの?」
残された席にスポットライトが集中し、そこに座す人物を炙り出す。ふてぶてしいその顔は、プラチナブロンドの美しいその髪は、幼いながらにふてぶてしいその声は、我妻アイムその人のものだ。
「なんで女王のわたしが、壇上でふんぞり返って客席覗いてると思うわけ? 普通逆でしょ。そんなことにも気付かなかったの?」
本気を出していないのはアイムとて同じだった。自分ならどうにか出来ると息巻いて、隠している実力の深さを測り切れていなかった。
「冗談、でしょ……」
彼女はずっとここにいた。認識阻害か幻覚か。何もない場所を蹴り続け、手の内を総て晒してしまった。
「さあて、楽しいお遊戯はもうおしまい。わたしのお遊びに、付き合ってくれるよね? おふたりさん」
※ ※ ※
(気まずい)
時計の針が十一を指し、陽も高く登ったお昼時。桐乃三葉は病室に戻り、丸八日眠り続ける親友と、部屋の端っこにうずくまる宿敵とに挟まれ、窮屈そうに身体を丸めた。
綾乃は殴っても意味がない、逃しては行けないと捨て置いたが、自分からすれば置いておくこと自体反対だ。こいつは敵だ。この事態そのものを作り出した現況じゃないか。無力化したとしても、同じ空間で同じ空気を吸うのはごめん被る。
(やっぱ、口で言わな伝わらんか)
悪意ある視線を送り、アイコンタクトで出てけと告げるが、俯いたままの瑠梨には効果がない。無駄だと言われたが、ここは実力行使以外にない。三葉は腹に力を込め、怒りの表情と共に立ち上がる、のだが。
「プレティカ、駄目だ……ダメだ! ボクをひとりにしないで」
「な、何や!?」
塞ぎ込んで押し黙っていた花菱瑠梨が、三葉と同じタイミングで顔を上げ、虚空に向かいそう話す。奴には今何が見えているのか。夢遊病者めいたその目の先に、三葉の姿はまるで映っていない。
「お前はボクの総てなんだ。置いて行くな、行かないでくれよ。頼むから……」
あいつには戦場が見えるのか? 自分のしもべが危機に陥ったのを感じ取れたのか? 彼女自身はひ弱な人間なれど、ちはると同じまほうのアイテムを所持する人間だ。出来たとして不思議ではないが――。
「嫌だ……、置いて、いかないで……」
やがて、その目は宙ではなく自分たち、否ベッドで眠るちはるの方へと動いた。相変わらず三葉の顔は見えていない。彼女の向ける敵意には一切反応していない。転換は一瞬であった。瑠梨はその中間点にいる三葉に目も暮れず、西ノ宮ちはるの眠るベッドへと駆け込んだ。
「おい! 起きろ! 起きろよ! プレティカが死ぬんだ! 助けてくれよ! もうお前にしか頼れないんだ! なあ、頼むから!」
右半身をベッドに押し付け、動く左手で眠るちはるの身体を揺する。恥も外聞も何もない。総ては自分のため。泣き嗄らした声を張り上げ、我武者羅に彼女を揺すり続ける。
「ふざけ……。ふざけんなや。どうして、こんな……」
自分勝手も此処まで来ると殺意が湧く。西ノ宮ちはるをこうしたのは誰だ。憎しみを抱えて追い詰めたのは誰だ。あのカマキリを産み出したのは誰だ。
「その手ぇを離せや」
半ば倒れ込んで揺すりをかける瑠梨を、三葉は両方の手で引き剥がし、無防備の腹に蹴りを入れ、床に叩き付けた。箪笥の上の水差しが落ち、ガラスが周囲に拡散するが、気に留めて部屋に押し入る看護師は誰もいない。
「このクソ女。あんたが……。あんたがおらんかったらこんなことにはならへんやったんに! それを、都合のいい時だけ……! ふざけんのも大概にせぇ!」
ぐうの音が出ない程に正論である。三葉に彼女の側の事情を慮る筋も術もないが、『いま』この状況を作り出したのは瑠梨だ。その事実だけは一切揺らがない。
「どけよ」蹴られた痛みも、言われたことも聞き届けようとせず、花菱瑠梨は立ち上がり、再びちはるの枕元に自身の右半身を押し付けた。その目に光はない。濁り澱んだ真っ黒だ。
「お前しか、お前しかいないんだよ! 起きろよ、とっとと目を醒ませ!!」
手前勝手極まりない言葉だが、実際それは間違っていない。想いをそのままカタチにするまほうのティアラ相手に、立ち向かい土をつけられる人間など他にはいない。
もしも彼女が起きてくれたなら、話は別かも知れないが――。それはしばらく望み薄であろう。何故ならば。
…………
……
…
『あーっ、木の上に小さな猫ちゃんが!』
『大変だ、高くって降りられないんだ』
『誰かあ、誰か助けてあげてえ』
ビルにまで届かんとする大きな樅の木に、小さな小さな黒猫が引っ掛かっている。ここは往来のど真ん中、登る以外に進む道はない。
誰もが手を拱き、固唾を飲んで見守る中、『それ』は突然やって来た。ブーツの下から銀河を生み出し、サーフボードで波に乗るように空を渡る。そこに出来た軌跡は、さながら青空にかかるミルキーウェイだ。
「とぉ、おう!」
すれ違い様に黒猫を抱きかかえ、ゆるいカーブを描いて地上に降りる。下さい猫はありがとうとばかりににゃあと鳴き、茂みの中への消えていった。
『わぁ、すごい! 空を飛んで、猫ちゃんを軽々と』
『ねぇあなたは? あなたはだぁれ?』
薄桃色のシースルードレスに編み上げのブーツ。頭にはピンク色のティアラをちょこんと載せて。栗色の長く艷やかな髪をさっとなびかせた女の子。彼女は待ってましたと言わんばかりに、ニィと口角を吊り上げて、人差し指を天へと突き立てる。
「わたしは! わたしこそは、キラキラ国第一皇女グリッタちゃん! お困りごとは全部ぜんぶぜぇーんぶ、わたしにおまかせ!」
やっとこさ主人公も現れて、そろそろこの章も折り返し。12月終盤あたりまでお楽しみください。