どうしてあんたは変わらないの?
昔から、あいつのことが嫌いだった。
――ほらほらアヤちゃん。ぐずぐずしてるとおいてくぞー。
――待って。待ってよちはるぅ……。
あたしよりずっと体力があって、魔法の呪文を唱えれば怖いものなし。外で遊べばいっつも服を汚して。何があってもニコニコ笑ってて。
勝ちたいな、って思ったのはいつ頃だっただろう。呪文や仕草、衣装まで完コピするアイツに、グリッタちゃんのことで上回るのはムリだと解って、それで陸上を始めたんだっけ。
――ほら、何してんの。置いてくよちはるー。
――ちょっ、アヤ……アヤちゃん……早……早すぎ……っ。
小学校に上がって半ば過ぎ。足の速さも体力も、背の高さだって追い越した。高い所から観るとよく分かる。ちはるは全然すごくなくて、ただ周りのヒトから浮いてるだけなんだって。
あたしはちはると距離を置いた。何歳になっても口を開けばグリッタちゃんの話ばかり。アクセや髪、ネイルやコロン。皆が先を行く中でアイツだけが後ろを向いたまま。疎まれて当然だと思うでしょ?
もう関わりたくない。関わればあたしまでイケてない奴にされるもの。
そうだけど。そう、なんだけど……。
※ ※ ※
「アヤちゃーん。おぉい、アヤちゃーんってばあ」
学校に着いてなお、気の触れたコスプレ女の追求が止むことはなく。西ノ宮ちはるは協力者たる東雲綾乃を求め、あの手この手で巻き込みに掛かる。
ホームルーム前には入口前で横断幕を張り、移動教室の度に声を張り上げ、体育の時間には邪魔と解っていつつもボールとゴールの間に立ち塞がったり。
流石に装束の上から制服を羽織るくらいの知能は残っていたが、厄介な事に変わりはない。
「あやさあ、ホントに何も無かったワケ?」
「絶対アレ異常だよ。あんたホントナニしたのさ」
夢幻だと定義付けたのに。あれは嘘だと思おうとしたのに。アイツはどこまでもしつこくて。もう我慢の限界だ。綾乃の額に幾本もの青筋が刻まれる。
「チカ。マユ。後は頼んだ」
「りょーかい。保健室に行ったってことにしとく」
友人らに会釈をし、綾乃は不意に席を立つ。向かう先は勿論ちはる。無言ですうと近寄って。わめくその口を手のひらで無理矢理止めた。
「むぐ! むぐぐー?!」
「わかった。わーかったからっ。あんた少しこっち来い、こっち」
後は引き摺り出すだけだ。衆目が自分に集中するのを背で感じながら、綾乃は足早に教室を出て行った。
※ ※ ※
学友の奇異の目や、すれ違う先生たちの声をかわし、辿り着いたのはこの階右端の用務倉庫。授業開始のチャイムが響き、暫く誰も寄り付かないことを報せている。
東雲綾乃は人目に付かないこの場所で足を止め、ちはるを中へと放り込む。
「オッケーもういい。んじゃ、一度整理しようか」
「はいな。もぉ何度でも言っちゃうよ」
この世界は狙われている。あの狼男は尖兵だ。グリッタちゃんになったあなたには、奴らを排除しなきゃいけない宿命がある。
漫画的誇張と余計な擬音を省けばこんなところか。いや、話自体が漫画みたいなものなのだが。
シルクハットにイカれたコートを羽織った魔女――。ファンタマズルと言ったか。奴はそう言ってちはるを鼓舞し、頑張ってねと他人事を並べて消えた。あの衣装が何で、どうしてちはるにそんな力があるのかは伝えずに。
「世界の危機だよ! 魔法少女の出番でしょ! アヤちゃんにも手伝ってほしいんだよ!」
「なぜそこであたしの名前が出る……」綾乃はうんざりだと苦い顔をし。「あのイカれ野郎もオオカミもみんな幻。あんたのはただのコスプレ! 真に受けて騒いでんじゃないの!」
「いやいや。全部見といてそのカエシは無理あるよアヤちゃんさん。全部ぜぇーんぶホントのことですうー」
「ぬ、ぐぐ……」
全部ちはるの妄言なら知ったことかと突き返せたのだが、当事者の側に立った以上それも厳しい。
一度エンジンのかかったちはるは誰にも止められない。それは幼馴染みである自分が誰よりも解っていること。
(お互い歳重ねて、少しはマトモになったと思ったのに)
他に誰もいない・乗り込みようのない閉鎖空間。体を繕う必要は無い。この怒りと日々溜め込んだ鬱屈を右拳に集め、手近な壁へと解き放つ。
「わ、わ! どったのアヤちゃん! 手、手! 血出てるよ血ィ!」
「そこはきちんと認識出来るのね……」激情に駆られても、芯が冷えていることに小さく驚き。
「いつまで経ってもぴーちくぱーちく……。あんたいま何歳? 十六でしょ? そろそろ進路考えるような年頃でしょう? なのに頭の中はずっと五歳児! ちったあ周りを見ろ! それ以外のことも考えろ!」
当然、そんなちはるにヒトが寄り付く筈もなく。中学高校と彼女はクラスで嘲笑の的となっていた。
これで心を折られ、引きこもるなどすれば違うのだろうが、ちはるは自らの趣味を否定したりはしなかった。いくら蔑ろにされようと、学校には来るし認識は改めない。
後はもう『いないもの』と放置するしか手段がない。他の生徒はそれで良いかも知れないが、かつての親友はそうもゆかない。
――やっぱりちはるはすごいなあ。あたし、呪文全部なんて言えないもん。
――ふっふーん。そうともよそうですよ。それじゃもっかい行くよ。せぇーのっ!
声を重ね、ずっと一緒にいたのはいつの話だったろう。綾乃の脳裏に親しかった頃の思い出が甦る。
「な、なにさアヤちゃん。みんなだ周りだって、それがそんなに大事なことなの……?」
だが、もう過去の話だ。大切なのは今。この女がいつまでも前に進まず他と馴染まない。大切なのはその一点。
「はいはいもういい。よぉくわかった」
言って聞かないなら方法を変える他ない。綾乃は続く言葉を無理やり打ち切り、一人素早く倉庫を抜ける。
「もう何も言わない。言わないから」
その際、通路脇に置かれた丈の長いブラシを掠め取り、戸を閉めると同時につっかえ棒として押し込んだ。
「ここで、しばらくアタマ冷やしな」
「ちょっ! アヤちゃん、アヤちゃん! 開かない! 開かないよこれぇ!」
となればどうなる? 口うるさいお花畑女を抱えた簡易牢獄の出来上がり。倉庫に他の通路や窓はない。外部からの干渉ナシにここから出る手段は皆無。
「好きなだけわーきゃー言えばいいわ。後で気が向いたら出してあげるから」
じゃあね、ごゆっくり。なんて気取った台詞を吐き捨てて、靴音は遠く左の方へ。
「あけて! あけてよ! あーけーてっ、てばーーっ!!」
必死な叫びも授業中とあらばほぼ無意味。張り上げるキンキン声も、倉庫の中に反射して終い。
「ああ、ようやく片付いた……」
本当に、そうだって思ってる?
心中に沸き立つ淀んだ疑念を振り払い、綾乃は友の待つ教室へと戻りゆく。
「あーあ、三限完全にサボっちゃったなあ……」
チカたちはちゃんと先生に話してくれただろうか。こんなことで成績に響いたらつまらない。
あいつには如何なる交渉も通用しない。普通には染まれないのだ。昔から散々解っていた筈なのに。分かっていながら交渉に応じたこちらの落ち度か。
などとぼんやり考えていて、綾乃は妙な違和感に気付く。時刻はまもなく十一時。数学の芳賀は言うことが野暮ったく、聴いていて眠たくなるとクラスの間で評判だ。
では、あの大きな物音は何故? 芳賀は好かれちゃいないけど、授業をボイコットされる程嫌われてもいない。胸騒ぎを覚えて足音を潜め、薄く開いた引き戸から中を見やる。
「なによ……あれ……!」
まるで嵐が閉所で荒れ狂ったかのようだ。椅子や机が無秩序に散乱し、上履きや学生鞄が踏み荒らされている。
「まさか、そんな……」
あんなの夢だと思ってた。ちはるの妄想だと決め付けて終わりたかった。
けれど現実はそうじゃない。あれは間違いなく実在する。
教室に居るはずの(自分とちはるを除いた)二十六人は僅かに三人。教室の左端に追いやられており、真中を陣取るのは……ニワトリの頭をした、化物?!
前話くらいからしばらくスローペース。
陽キャの幼馴染と、陰キャの主人公とが重なるまでを描きます。
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